第4話 リチャード・カーター教授
1
ロンドン駅。
「いい天気ですね。今日は~」
ロンドンに着くまで完全に熟睡していたヘンリーは伸びをしながらホームへ降りた。
人でごった返すホームに降り立つルーヴィックは、列車からの排出される白い蒸気を忌々しそうに払いながらヘンリーの隣に立った。
「さて、教授に会いに行くぞ」
ルーヴィックはヘンリーの隣を通りすぎる時に言う。
「先に、私の部屋に寄って荷物を置いていきましょう」
「通り道にあるのか?」
「そりゃ、もう。私の家から大学に行くのは、隣に行くようなもんですよ」
自慢げに答えるヘンリーに、ルーヴィックも賛同。まずは重い荷物をどうにかできるのであれば、それにこしたことはない。近いと言うのならば、先によっても問題はないだろう。
ヘンリーは適当に馬車を手配して、二人は一旦彼の部屋へと向かった。
ヘンリーの部屋は古いが頑丈そうな石造りの家。もちろん持ち家ではなく下宿だ。中へ入ると感じの良い老婆が出迎えてくれた。老婆はヘンリーと挨拶をしてから、ルーヴィックを疑わしそうに見るが、一応上品に挨拶をした。彼も会釈程度に挨拶をしてヘンリーと共に入る。部屋は二階の一室だった。男が一人住むには少しばかり広く感じるのは、あまり物が無いせいかもしれない。というよりも、何もない。おまけに整理整頓がしっかりとされているから余計に何もなく見えた。
「ここは部屋か? 何もなさ過ぎて廊下と区別するのが大変そうだな」
床に自分の荷物を放り投げながらルーヴィックは、部屋を見渡し言う。それにヘンリーは口を尖らせ反論した。
「必要な物以外は必要ないですからね。部屋は家主の頭の中を表すと言います」
「だったら、お前の頭は空っぽだな」
「散らかっいないだけです。整理整頓されているから、余計に悩むこともない」
「よく、こんな所に住めるな」
「だったら、それはこちらのセリフですよ。あなたこそ。あんなに物が煩雑に置かれた場所は見たことないですよ」
笑ったヘンリーだったが、ルーヴィックが笑っていないことに気付いて笑みが消え、お互い無表情となる。自分の失言に気付いて、二人の間に妙な沈黙が流れた。
「お前、俺の部屋に入ったな?」
「…………この話題は・・・・・・大学行きましょうか?」
「忍び込んだんだろ」
ヘンリーは明後日の方向を見ている。
「いつ、忍び込んだ」
ルーヴィックは線の細いヘンリーの顎を掴んで、無理矢理視線を合わす。
「忍び込んだんだろ?」
ヘンリーはしばらく何も言わず何の反応もなかったが、とぼけた顔をしながら人差し指と親指で『ちょっと』と表した。ルーヴィックは指に力を入れて、ヘンリーの顔はキュッとされた。
「で、でも~。私は思うんですけど。あなたは今、私の部屋に入って中を見ているんですから、私があなたの部屋に入ったことはこれでチャラですよ!」
ヘンリーはそう断言して笑う。ルーヴィックも笑う。
二人の乾いた笑い声はしばらく部屋を飛び交う。
ルーヴィックは笑いながら腰の銃を引き抜いてヘンリーに構え、次の瞬間には笑みが消えていた。
「チャラにはならん」
冷たく言うルーヴィックに、ヘンリーの笑みも消え「ですよね」と暗く言った。
「あー! でも、ルーヴィック。今は、そんなことをしている場合ではないでしょ。教授に会いに行きましょう。さぁ、行きましょう。今、行きましょう」
苦し紛れの言い訳っぽかったが、ルーヴィックは銃を戻してヘンリーを放して踵を返す。
二人は大学へと向かった。
2
ヘンリーは大学まで隣に行くようなものだと言ったが、あれは嘘だった。
正確な距離まではわからないが、ルーヴィックにとっては馬無しでは行く気にはなれない距離だった。もちろん行けない距離ではないが。
そのことを問い詰めると「そんなこと言いましたっけ?」とヘンリー。もう怒る気にもなれなかったので、黙って馬車に揺られることにした。
「そうだ、ヘンリー。お前、武器は持っているのか?」
外を見ていたルーヴィックは視線を車内に戻して言う。
「これから何が起きるのか分からないからな」
「ロンドン市警であるという肩書以上に、私の武器はありませんよ」
「子守してやれるほど、余裕はないぞ」
「奴らへの対応は心得ています」
「いいから、持っておけ」
ルーヴィックは腰から銃を引き抜いて差し出すが、ヘンリーはそれを見て眉をひそめる。ルーヴィックが渡した銃は中折れ式シングルアクションのリボルバー。
しばらくジッとヘンリーは見ていたが、ゆっくりと視線をルーヴィックの方へ向ける。
「イヤですよ。そんな古臭い銃」
短く、そして鋭く言うと、そのまま外に視線を向けてしまった。残されたのはルーヴィックの差し出された手の上の銃だ。ルーヴィックはしばらくポカンとしてから、銃をしまい進む馬車の外を眺めた。
その後、会話という会話もなく大学へとつく。
ヘンリーを置いて、ルーヴィックは足早に校内へと進む。学校の敷地内は洒落た石造りで、学生がうようよ歩いている。後ろでヘンリーが興味深そうにキョロキョロしていた。
ルーヴィックは独り、校舎へ入り歩いていると、すれ違う生徒であろう若者たちが彼を怪訝そうな顔で見ている。無理もない。どんなに譲歩しても今の彼は健康的な顔をしていないし、生徒にも教授にも見えない部外者丸出しなのだから。
リチャード・カーター教授の部屋へ着くと、扉が少し開いていた。中では忙しそうに動く気配を感じ、覗いてみると女性が一人、部屋の物を片づけていた。散らばった書物などを箱に押し込んでいる。
女性はまだ若い。学生と言っても過言ではない。線の細い体付きにブロンドの髪を後ろで縛る。筋の通った鼻や意志の強そうな目からは知的さを感じられた。
「申し訳ありませんが、ここはリチャード・カーター教授の部屋でよろしいですか?」
部屋へ入ってもルーヴィックの存在に気付かない女性に、扉を軽くノックしながらできるだけ驚かない様に話しかける。ヘンリーに話しかける時の声、口調を考えれば別人と間違われそうな程に紳士的だったが、それでも彼女は飛び上がるほど驚いた。
「どちら様ですか?」
まるで、ルーヴィックが飛び掛かって食べてしまうかのように、警戒しながら問いかける。
「ご心配なく。怪しい者ではありません。私はルーヴィック。ロンドン市警のルーヴィック・ブルー捜査官です」
正直に言うよりは警察を名乗った方が怪しまれないだろう。
「また警察……あぁ、そうですか」
「失礼ですが、あなたは?」
「私はステファニー・ローズです。先生の助手をしていました」
「?」 ルーヴィックは首を傾げた。予想していた疑いもなかったのに驚いたが、それ以上に助手を名乗るステファニーの言動が気になる。
「他の警察の者は?」
「もう帰られましたよ。さんざん先生の事を聞いていかれました」
「教授の事を、ですか?」
「はい。あなた達もそれを聞きに来られたのではないんですか? 昨晩の事件のことを」
嫌な予感がしてきた。ルーヴィックはそんな感覚をヒシヒシと感じながらも、一切顔に出すこともなく、「えぇ、もちろん」と答える。
「まさか、あんなことが起こるとは思いもしませんでしたね」
「本当に、どうして先生があんなことに……」
手を口元に抑えながら辛そうに言う。
「お辛いでしょうね」
「大丈夫です。それで結局、警察は事件とは思われていないんですか?」
「それは、今後の捜査次第ですね。今は何ともお答えしかねます。それを判断するためにも、あなたのご協力が必要です」
「もうお話ししました」
「お手数をおかけします。なにぶん、部署が違うもので」
「言ったところで、大した収穫はないですよ。前の人達は私の話を何か、冗談でも聞いているような感じでしたし」
「生憎、私は冗談を聞けるセンスは持ち合わせていません」
ステファニーはしばらくルーヴィックを見ていたが、観念したように話し始める。
「近頃、先生は〝何か〟の研究に没頭してらっしゃいました」
「何か?」
「その何かまではわかりません。ただ、先生はそれが大きな発見になる。世界を滅ぼしてしまえるような発見をしてしまったと」
「世界を滅ぼす・・・・・・救うではなく?」
「はい。そして先生は最近、何かに怯えている感じでした」
「怯える?」
「ええ。おかしいと思われるでしょうが、誰かに怯えていたのではなく……それは、いえ、それらは〝何か〟でした。馬鹿げてますよね」
そう言うとステファニーは首を振って背を向け、片づけに戻っていった。残されたルーヴィックは、さらに聞こうとも思ったが、おそらく彼女はあまり知らないと判断したのと、自分の予想の裏付けや次に調べることが見つかったのでやめておいた。
ステファニーは部屋を片付けていた。それは整理ではない。それに彼女の言動は所々、過去系になっている。ルーヴィックの予想通りなら(信じたくはないが)、おそらく昨晩の事件で教授は……
校庭に戻ったルーヴィックの元にヘンリーが近づいてくる。
「ヘンリー。憎まれ口は後だ。早急に調べたいことが出た。まずは教授の事だが……」
ルーヴィックの言葉を止めるようにヘンリーは持っていた新聞を彼の口元に。目が「このことだろ?」と言っていた。新聞を取り、目を落とすとそこには大きくこう書かれていた。
〝大学教授、突然発火で死亡〟
それはリチャード・カーター教授の死亡記事だった。
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