2. 二人の受付嬢と地下酒場
「────ついたぜ、ここだ」
そこは街のメインストリートから少し歩いた先の路地裏。
辺りは酒瓶が転がり、道の端には吐瀉物が撒き散らされている。
刺激臭に耐えられなくなり、思わず鼻をつまむ。
ベルクリフ曰く、ここに案内所があると言うのだが。
「……何もないじゃないか」
「まあ見てなって」
ベルクリフは身体を屈め、地面の砂を手で退けだす。
「うぇっ、そこにゲロあるのに良く触れるな」
「だから今まで見つからずにいるんだ。こんなとこに近寄る酔狂な奴は憲兵には居ないからな」
少しすると、砂で覆われた扉の取手が顔を出した。
勢いよくその取手を引っ張り、扉を開ける。ぎぃ、と軋む鉄の音と共に砂ぼこりが舞い散る。
その先には真っ暗闇の中、地下へと続く石段が並んでいた。
「ここが……」
未知の領域へと続く階段を前にし、俺は言葉を失った。
ヴァンパイアへの喉元へと届く場所がこんなところにあるとは夢にも思わなかった。もし、ベルクリフの言う噂が間違っていなければ、ここにはその首を狙うハンターも居るのかもしれない。
「ついて来い。この先に案内所がある」
そんな俺を意に介さず、巨漢の身体が地面へと沈んでいく。
「あっ、おい待てって!」
その後を追うようにして俺は石段を降りていった。
***************************************************************
「────なんだ、ここ」
開けたその空間に入った途端、そこが地下であることをつい忘れかけてしまった。
百人は悠に入れるであろうその部屋、あろうことかそこは酒を片手に騒ぐ人で溢れていた。
あちこちに置かれたテーブル。ベルクリフのような巨漢の男もいれば、線の細い女性もいる。貴族の出か、しっかりとした鎧を身に纏うものもいれば、麻布で作られた貧相な服を着ているものもいる。
喧騒が渦巻き、熱気が地下を覆い尽くす。
なんとなく心地いいこの空間。
ここはまるで────
「────ギルドみてえだろ?」
顔をほころばせながらこちらを見るベルクリフ。
「みんなここに来ると思い出しちまうんだ。酒を持って、気の合った誰かをパーティに誘いあう。昔のようにな」
ついて来い、と手で俺を招く。
ベルクリフの後を追いかけながら、俺は人混みの中を通り抜けていく。
「よぉ、ベルクリフ! 今日はどうしたんだ?」
「ちょいと連れの紹介をな。こっちで一儲けしてみたいんだと」
「おっ、新入りか! そりゃ結構結構!」
ベルクリフの友人だろうか、空になったグラスを片手に真っ赤な顔の一人の男が近づいて来た。少し白髪が入ったその髪から見るに、年は相当に離れているようにみえる。
随分と酒が入ってるのか、随分と陽気な口調で喋り掛けてきた。
「お前さんもここで一山当てようって寸法か」
「……まあ、そうだな」
ヴァンパイア目当て、と言うことは一応伏せておいている。騒ぎになってはたまったものではない。
「しかし、ここで長く稼ぐのはチョイと厳しいと思うぜ? 何せここの案内所の仕事は過激なものばかりだからな」
「なら、そういうあんたは何でここにいるんだ?」
「そりゃ決まってるさ。何故なら……」
グビグビとグラスのビールを一息に飲み干し、耳元で顔を近づけてくる。
「……ここでよく賞金掛けてるマスターって奴はとんでもなく美人らしいからな! お目にかかれるのならどんな仕事だってこなしてやるってよ!」
ガハハ、と陽気に笑いながら空になったグラスに口をつける男。
ガニ股歩きで、そのまま人混みへと姿を消していった。
「あー、決して悪い男じゃないんだ。ただ酒が入るとどうもああなって……」
ベルクリフはすかさずフォローを入れる。
それほどにもあの男をよく思っているのだろう。
「────いや、気にしてない」
フォローは無用だった。
むしろ、こちらとしては非常に嬉しかった。
酒を浴びるほど飲み、千鳥足のまま歩き続けて目に入った誰かと中身のない話をする。鉄綺団を立ち上げた当初は、そんな奴で溢れていた。
その時の奴らの顔は今でも忘れない。
「少しだけ昔を思い出せたから良かったよ」
「……なんか、貫禄出てきたなお前」
「気のせいだろ。ほら、受付まで連れてってくれ」
「お、おう」
少しだけ戸惑いの表情をみせるベルクリフの背中を押し、再び酔っ払いが集まる雑踏へと足を踏み入れていく。
「ああ、すまん。ちょいと道を開けてくれ」
身体の大きいベルクリフを先頭に、俺たちは奥にある『案内所』へと向かう。
入り口の時より人口密度が段々と高まっていく。
身体の大きなあいつに人を掻き分けさせ、強引に道でも作って行かなければ着かないだろう。
あたりに充満するアルコールの匂い。床にはところどころにグラスの破片が散見された。
「なんだか、ギルドよりタチが悪いかも知れないな」
辺りの騒ぎようを見て思わず独り言ちる。
進んでいくたびに荒れた人が目に入ってきた。
誰かに寄りかかりながら眠りこけている人も居れば、それに気づかない人もいる
果ては床で寝ている人もいたのか、たまに柔らかな感触が足に伝わってきた。
「……まだつかねえのか」
「もう少しだ。その間辛抱してくれ」
周りに立ち並ぶは人の壁。視界はただベルクリフの背中しか入らずにいる。
喧騒に包まれた耳はベルクリフの声すらも届かなくなってきた。
熱気に包まれたその身体はやがて限界を迎え、肩で息をし始めたその時、
「カウンター……?」
「ああ。結構小洒落てるだろ?」
地下酒場の一番奥、背中の向こうに見えたのは何の変哲もないバーカウンターだった。
受付の邪魔になるからなのか、そこには人だかりはないように見えた。
カウンターの向こうには受付嬢らしき女性が二人。その上にはずらりと酒場らしく酒瓶が並べられていた。
ウォッカ、ウィスキーはもちろんのこと、何やらあまり見ないラベルのリキュールまでを取り揃えている。
その酒瓶はカウンターだけには収まらず、壁の棚までをびっしり覆いつくしている。
そしてその壁には『WANTED』の張り紙がずらりと並べられていた。
それらが恐らくは賞金首なのだろう。人間魔獣問わず色んな人相書きが張り出されていて、所々は『DELETE』の赤文字で消されている。それを眺めるだけでも半日ほど暇がつぶせそうだ。
「よぉ、カルラ」
「あら、ベルクリフさん。何か受注しますか?」
張り紙に見とれている俺をよそにベルクリフは一人の受付嬢へと話を振る。
歳は同じ位だろうか、淡い茶色の髪を三つ編みにし、純白のエプロンに赤のネクタイをつけている。
「いや、今日は新入りを連れてきた。ライセンスの手続きをしてくれ」
「……珍しい。寡黙なベルクリフさんが人を連れてくるなんて」
「どうでも良いだろ。おら、早く座れ。俺は終わるまでそこら辺にいるから」
少しだけ照れるベルクリフに押されるがまま、俺はカウンターの席につく。
カルラは笑顔で俺のことを歓迎してくれた。
「地下酒場兼案内所の『ファリス』へようこそ! 私は受付嬢のカルラです。ミーナちゃん、新人さんにウェルカムドリンク作ってあげて!」
「えっ、新人の方ですか?」
カルラに呼ばれたもう一人の女性の手が止まる。
ミーナ、呼ばれたその子はカルラと同じ淡い茶色のボブカットだった。
「初めまして、ミーナって言います! お姉ちゃんと一緒に受付嬢やらせてもらってます。それとこれ、ノンアルコールですから是非飲んでください!」
怒涛の勢いでなされる自己紹介と共に、透き通ったコバルトブルーのカクテルが差し出された。
「い、頂きます」
若干その勢いに気圧されながらも差し出されたグラスを口に運ぶ。
「……美味しい!」
清涼感溢れる見た目にそぐわない、刺激のある炭酸が口の中で弾ける。
それと共にブルーベリーの香りとグレープフルーツの酸味が溶け合うようにして口の中いっぱいに広がっていく。
飲んだことのない創作カクテルに、俺はすっかり圧倒されていた。
「えへへ、ありがとうございます。これからもご贔屓にしてくださいね」
少し照れながら、ミーナは空いたグラスを持ってカウンターの奥のほうへとはけていく。
年は幼いながらも、その腕は本物のバーテンダーと相違はないだろう。
「あの子、意外とセンスあるものばかり作るの」
ミーナのカクテルに感心していた俺の元に、カルラは一枚の羊皮紙とペンを差し出した。
「それとこれ、ライセンス用の書類よ。必要事項を書いといてね」
「……ライセンス?」
「そう。ここで働きたいならまず名乗るべし。自分の得意なこととかいろいろ書いてもらったらこっちとしても助かるの」
カルラに促されるままに俺は手に持ったペンをインクに浸した。
姓名──────ゼノン=アタナシウス
使用武器────大剣
使用魔術────強化魔術
戦闘経歴────あり
特記事項────精一杯頑張ります
書くことはあまりなく、程なくしてペンを置く。
「えーと、ゼノンさんは……剣術も魔術もできるっていうのは珍しいわね。どうやって戦うの?」
「腕に強化魔術をかけて敵を斬ったり、脚に強化魔術をかけて素早く動いたりして……」
カルラの疑問に対し、ジェスチャーを交えながら何とかして説明する。
我ながら下手くそだなと思っていたが、意外にもカルラには伝わっているようだった。
「ウチには居ないなぁ、そんな人。強化魔術使うのはベルクリフさんも同じだけど」
「へぇ、あいつもなのか」
「ベルクリフさんの場合は素手だけどね。いつも首根っこを引きちぎって持ってくるのよ」
「なんか荒っぽいな」
「でもあの人、血で濡れるのが嫌いみたいで嫌な顔して毎回首持ってくるの。もうちょっと方法あるんじゃないっかっていつも私思ってるのよ」
笑みを浮かべながら楽しそうにカルラは喋ってくれる。それに釣られてか、俺もつい笑顔になる。
聞けば聞くほど、ベルクリフという男の面白さが増していく。
人に飲ませるほうが好みなのか、よくカウンターから酒瓶を取っては誰かに飲ませる。そのくせ自分は酒にめっぽう弱く、一度酔っぱらえば故郷の家族について涙ながらに語りだす。
しばらくはあいつの話題で盛り上がっていたが、ふと時計を見たカルラは頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「……あー、ちょっと脱線しすぎたかな」
「いや、面白かった。また今度にでも話してくれ」
「あらほんと? なら秘蔵のネタも出しちゃおっかな」
「ああ、聞かせてくれ」
「でもその前に、まずはここの仕組みを知ってもらわなきゃ」
そう言いながら、彼女は一枚の紙を俺に差し出した。
Eランク────銀貨一枚
Dランク────銀貨二枚
Cランク────銀貨三枚
Bランク────金貨一枚
Aランク────金貨二枚
Sランク────金貨三枚以上とその他報酬
そこには6つのランクと、それぞれに振り分けられた報酬が書かれていた。
「ここが賞金首の案内所、ってことはもう知ってるよね?」
カルラの問いに俺はこくん、と頷く。
「なら賞金首の報酬はどう区切られているの、という疑問に答えてくれるのがこのランク制」
彼女はもう一度さっきの紙を指さす。
「うちはランクで賞金首の強さの基準をつけててそれぞれに応じて報酬が振られているの」
「報酬は一律なのか?」
「基本的にはこれ。でも色んな人から依頼が届くし、その人によって賞金はまちまちになってしまうの。そこをうまいこと調整するのが私ら受付嬢とここのマスターの腕の見せ所ってとこよ」
握り拳を作り、自信ありげに腕を見せるカルラ。
どうやら賞金は誰でも掛けることができ、その支払いは依頼主に依存している。報酬に不満が出ないように依頼主とハンターとの間を取り持つのがこの地下酒場らしい。
「さっきのランクの話の一番のミソがこれ」
そう言いながらカルラは一枚の小さなカードを俺に渡してきた。
そこにはさっき書いた俺の情報が見やすくまとめられており、ある種の名刺のようにも見えた。恐らくはこれがライセンスカードなんだろう。
しかし、カードの一番上に大きく書かれている文字が気になった。
「……E?」
「そう。賞金首がランク付けされてるなら、勿論、狩る側のハンターもランク付けされてるの」
するとカルラは壁の張り紙から一枚を剥がしてカウンターの上に置いた。
対象────イノシシ
ランク───E
場所────イザリア郊外の森
依頼主───木こりA氏
どうやらこれが賞金首のようで、イノシシの絵の上に大きく赤字で『WANTED』と書かれている。
「ハンターは自分のランク相当の賞金首しか狙えないの。たまに自分の実力を過信してゴネる人もいるけど、もっと上のランクを狙いたいんだったら相応の実績を積まないと認められないの」
「今の俺は、これしか受けられないってことになるのか」
「そう。Eランクの人はEランクの賞金首だけ。実力は成果で示せってのがここのルールよ」
聴けば聴くほど、ここはギルドによく似ている。
あくまで成果主義。ランク付けされた傭兵たちは、そのランクに見合ったクエストを受注する。そしてそのランクに応じた報酬を受け取り、ランクアップしていく。
ここの酒場のマスターは余程ギルドに精通した人間だったのであろう。
対象が変わっただけで、その仕組みはほとんど変わっていない。
だが、この方が俺にとっては都合が良い。
「結構駆け足で説明したけども大丈夫?」
「何となく分かった」
「それは結構! 早速これ、やってみる」
俺の返事を聞くや否や、カルラはさっきのイノシシの張り紙を指差した。
「たかがイノシシ。されどイノシシ。油断する人間は足元掬われちゃうかもよ」
にひひ、とカルラは悪そうな笑顔を浮かべる。
恐らく、俺の実力を図ろうとの魂胆だろう。『この程度で油断してしまう人間はいらない』とでも言っているかのよう。
そこまでの相手ではないが腕試しにはちょうど良い。半年のブランクもどこまで影響が出ているのかも気になるところだ。
「じゃあ、受けようか」
記念すべき初陣だ。いち早くランクを駆けあがり、ヴァンパイアの首元へ迫れるほどの力を見せなければ。
「あっ、言い忘れてた」
意気揚々と席を立とうとした俺はその声で少し調子を崩した。
「……なんですか」
「初めての人は一人じゃ行けないの。誰か一人、監視役として呼んできてもらっても良い?」
「監視役……?」
「初めての人だけだといろいろ混乱してしまうから、できればここに慣れている人が良いんだけど……」
「ごめんね」と手を合わせて申し訳なさそうにするカルラを横目に、ふと、周りを見渡す。
赤面の人らが皆、思い思いに酒を酌み交わしている。見る限り、素面の人は居なさそうだ。
飲んでいるのは仕方ないことのだが、そんな人と一緒に行ってもうまくコミュニケーションが取れる気がしない。
「あはは…… 今日のみんなはもうダメそうかな」
思わず苦笑いを浮かべるカルラ。
こちらも苦笑いを浮かべるしかなく、明日からかなと諦めながらカウンターの方へと向き直る。
すると────
「────いた」
酒場の隅のテーブルで、巨漢の男が一人黄昏るようにグラスを口に運んでいる。
まだここに来て時間は経ってない。一緒にきたあいつならそこまで酔いが回ってないはずだ。
「おい!」
「ブッファ────!?」
大きな背中を一つ叩く。
ベルクリフはその拍子に吹き出し、大きく咳き込む。
日頃やられてる恨みだ。飲み込む隙を狙わせてもらった。
「んだ、ゼノン。終わったんなら────」
「────手続きは終わった」
若干キレ気味のベルクリフの元へ、あのイノシシの手配書を差し出す。
「これからは狩りの時間だ」
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