30話 策略は酒場より始める
『剣』という力を得た私は、思いの外早く、目的の人物を探し出す事が出来た。
ただ、予想をはるか超えた場所でだったが。
国境近くの宿場町には、多くの人間に溢れている。
古びた看板を僅かに傾かせたその酒場には、土埃と酒の香に満ちていた。
喧噪の中を歩む。
町娘を装った姿でも、シルヴィアの容姿は浮世離れしているからか、流石に視線が集まってしまったが、それを気にする余裕などなかった。
この街で2番目に高い酒を出すが、料理が一番というその店。
喧騒を背負い、一人酒を煽る。
「おいおい、まさかだね」
男は、そう言って二度、酒を煽った。
ゲームの中の彼と重なる姿、・・よかった。そう心から安心しながら、私は歩みを止めず、彼が座るテーブルの少し立てつけの悪い椅子に着く。
ギシッと嫌な音がする。
「酌なら間に合ってるよ?」
「・・・久しいですね、エヴァンだ」
「今の俺は、レドンだ。」
そう遮った彼の声は存外に強く、私は、改めて彼を呼ぶ事にした。
ここで彼の機嫌を損ねる訳にはいかなかったからだ。
「レドン殿・・・・」
「そう呼んでくれ、今はそれがふさわしい」
「そうでしょうか?」
「あぁ、だが、君が無事に俺の前に居る事に祝して、一杯奢ろうか?」
「ご存じでしたの?」
「あぁ、一応ね。情報統制があまいんじゃないか?」
私が毒殺されそうになったのを彼は知っていた。彼は、まだあきらめていない。
それが分かった私は、静かに彼の前に立ち上がった。
「なんだよ、あの御子様になんかされた?」
慰めようかとふざけて腕を広げる男は、その目だけは笑ってない。注意深く私を見ている。
「わかってたのでしょう?レムソンが何をしようとしていたか、あなたがそれを黙認したなら私は、バーミリオンの名を継ぐ者としたあなたを断罪するわ」
「ほう・・・そうくるか」
そう言って彼は、ふわりと嬉しそうに笑った。
「なんですか?」
「いや、流石は、我等がラピスだと思ってさ・・・、なんの事かな、としらばっくれてもいいけど、それは難しそうだ。随分なお供をお連れだし」
既に私が彼の傍に偲ばせていた『剣』の存在も感知しているらしい。
「えぇ、出来れば穏便に事を勧めたいのです。場所を移してもらえませんか?」
流石に酒場で話す事ではないし、たくさんの視線が私達に向けられている。
ここまで注目を浴びる中でこれからの交渉は、出来ない。
「いいだろう・・だが、その前に俺の願いを一つだけ叶えてくれるなら、喜んで」
「願い・・・なんでしょうか?」
簡単には頷けない、彼がゲームの中でもっとも曲者だったと私は知っている。
だが、このままここで交渉・・いや取引を持ち掛ける事は、避けたかった。
「そうだな、・・・二人きりなら話を聞こう」
「えっ?」
「殺気だった女たちに囲まれて喜ぶ趣味ないからな」
そう言って持っていたジョッキの酒を飲み干すと彼は立ち上がる。私がその条件を呑むと確信しているらしい。
その位ならと頷こうとするが、すぐ後ろから給士姿の女性が私の前に進み出てしまい、出来なかった。
そして彼はにやりと笑う。
「なんだい?酒ならもういいし、勘定なら済ませたぜ。」
テーブルにはいつの間にかいくつかの硬貨が置かれている。
「バーミリオン様、この者と二人きりなど承服しかねます。」
【なにより、只者ではありません。我々の存在を感知する程には、腕を持って居ります故】
そう声ではなく、魔法で頭に直接話てくれる。
「あの、」
「先ほどから不敬極まりない行いの数々目に余ります。」
細い背中から信じられない殺気を発する彼女に私は、なんとか落ち着いてもらおうと声をかける。
「いいんです、ここに居るのは、只のレドン様ですから」
そう繕うが、逆に伯爵位を持つ私に、一般市民がこの態度でも問題なのだと気付いた。
「様は、要らない。とにかくどうする?」
面白そうに笑うレドン様に私はあきれながら答える。
「大丈夫です、二人きりならよろしいのでしょう?」
「まぁね、じゃあ行こうか? レディ」
そう言って恭しく手を差し出す姿は、やはり堂に入っている。
この人がエヴァンの現当主であり、今回の騒動の一端を担った相手でもある。
「えぇ、ですが・・・そこでは、レドンの名は捨てて下さいね」
「・・・そういたしましょう」
彼の差し出した手に手を重ねる。
温かく、そして硬い掌・・・剣だこがある、手練れというのは確かだ。
本来なら、彼には必要がなかった剣術。
それを得なければならなかったのだ。
「場所は、そちらにお任せします」
私の言葉にそっと目配せして、彼が歩きだす。
ついて行く私に歩調を合わせるその所作こそ彼がエヴァン男爵の一人息子という証だ。
市井に溶け込むには浮いてしまうのに、私のためかそれとも昔とった杵柄に体が反射でも起こしているのだろうか。
そう思考を僅かにズレた所に置いている間に、私が連れてこられたのは、貴族御用達の旅籠だった。
部屋に案内される間、彼の旅装束の汚れについて、苦言を示す従業員に彼は、わずかな金銭を渡すようなやり取りもあった。
概ね、ここまでで私の計画に狂いはなかった。ここまでで知識チートになにも矛盾はなかったと心から安堵する。
彼が汚れた衣類を着替えると言って一度部屋を出て、数分・・・思いの外早く帰って来た相手は、とても先ほどまでの人物とは同一人物とは思えない姿でやってきたとしても。
「・・・・先ほどまでの非礼な振る舞い、心よりお詫び申し上げます。バーミリオン女伯爵」
「いいえ・・・・今のあなたをエヴァン男爵とお呼びしてもいいかしら?」
「いいえ、今の私は、『ギルバート』ただのギルバートです。」
「たくさん名をお持ちですね、ギルバート」
嫌味も込めてそう言ったのに彼は嬉しそうに笑い、私の元へとやってくる。
男爵位には不釣り合いでありながらも地味目のフロックコートがドレスシャツを引き立たせ、彼自身の持つシャープな印象を際立たせた。
その手には、紋章の入った指輪が嵌められ、いくつかの紙の束が在った。
「そうでしょう、では始めましょうか。あなたと私の秘密のお話を・・」
私を案内した時、座らせたカウチの正面、そこに彼は陣取った。
「そうですね」
交渉の時、相手の目の前に陣取る事、それは、相手よりも優位だとそう相手に知らしめる。
彼は、私の欲しいカードを持ち、そして彼自身もまた私の欲しいキーマンであるのだ。
「まず、あなたの目的を話していただいてもよろしいですか?まさかこんな国境の端にまでやってきて私を捕らえに王都からはるばる来たわけじゃんないのでしょう。しかもたくさんの護衛付きで・・・」
彼はそういいながら、私の前に持っていた紙の束を置いた。
「随分と遠回しな聞き方ですね、悪いけどあなたとの秘密のお話を楽しむ時間はあまりないの」
「そうなのですか、伯爵?」
「・・・此度の件、あなたが何を考えていたのか、私にはよく理解できない。ですがただの立ち合い人として、その紋章を使った事は、わざとではないとそう考えます。あなたこそ本当の目的はなんですか?」
そう彼は、この状況を予知していた。
「問いを問いで返すのですか?」
「あら、なら言い当てればよろしい?」
不満気な様子であったので、私も指向を変える。
予想というよりか、既に知っている知識から総合した結論を突きつける。
「現神官長の失脚と更迭。その後の世襲を阻止、エヴァン男爵家を新に神事を司る家として陛下に進言、此度の件で中央に戻る、エヴァンの復権があなたの目的であると」
ゲームの中での彼とは少し違う。
自由気ままな気性とその豪胆な性格。
それに似合わぬ綿密なまでの計略を巡らせ、第二王子の強力な影の協力者であったギルバートという男は、ゲームの中でだけに存在した。
灰色の髪に黒に近い灰褐色の瞳を持ち、面差しは、野性味を帯びていながらさながら研ぎ澄まされた刃のような印象をこちらにいだかせる男。
今、ここに居る彼は、王家に忠誠を誓ってはいても、前ダールトン子爵により中央から国境にまで追いやられた一族の復権を狙うエヴァン・ギルバートという一人の策士しかいない。
「・・・ラピス。いつからお気づきになられましたか?」
「・・・この紋章を見た瞬間に」
そうだ、レムソンの使者がなぜこうも都合よく第二王子一行と出会う事が出来たのかとか、ただの使者が持つにしては重要過ぎる案件だった事・・・なにもかもおかしい。
「私もあなたを甘く見過ぎてたようだ・・・こちらを」
彼がそう言って差し出した一枚の紙には、レムソンン王家の紋章がある。
「コレが本物ですよ・・・そしてあなたが持っていた紙きれは、彼等がその場で適当に造ったものだ。」
レムソン王家の紋章が書かれたそれには、確かに『疫病被害を食い止めるため軍施設を建設することを許されたし』とある。
「元々は、こういう内容だったのを、その場に居た巫女様が、えーっと・・・確かケンエキというのをするのかと言って嬉しそうに王子に進言なされていた。とてもいいお話だとね」
「・・何がですか?」
ケンエキというのは、検疫の事だろうか。
随分変な所にイントネーションがついている。この世界にはない知識だからしょうがないが、まさかそれでいくら同盟国であるとはいえ国境への軍配備をよしとされたのだろうか、愕然としそうになる自身をなんとかとどめ、私は目の前の男を睨む。
レムソンの本当の思惑を知っていた筈の男を。
「何っておしゃられても、浅慮な私にはとても思いつかない事でしたから」
覚えてませんとそう言って彼は、今度は数枚の紙がまとめられたものを私に渡してきた。
「嗚呼、これが、その時に話されていた全てですよ」
「記録員までご用意ですか」
「たまたまです。」
この男本当に侮れない。
数枚の紙に記された内容は、バカ息子改めミカエルが言っていた内容とは随分と違うようだ。
読み進めながらも相手の様子を伺う。
「あなたは、神官よりも外交の方が向いていると思います」
切実にそう思う、後でこっそり陛下に進言しておこう。
「褒め言葉として受け取っておきますが、我等エヴァンは代々神事を司るのを生業にしてきました。・・・40年前にこの地に追いやられるまでは」
「当時の事を私は知りませんが、随分な言い様ですね」
本当は、知っている。
彼がミカエルを敵視している事も、御子姫様をなんとか召喚出来た本当の立役者である筈はこの人だというのも。
魔術の腕も剣の腕もあるのが目の前のエヴァン・ギルバートという男。
「あなたの望み、叶えてもいいですよ。」
「えっ?」
「いくつかの条件を呑んでもらいますけど」
こちらも用意していた数枚の書類を彼の前に並べる。
「伯爵?」
「あなた次第です。ギルバート・・・ですが決断は早く。此度の件を全て目を瞑る代わりにあなたには時を与える事はしません。よろしいでしょう?」
そう告げて彼の応えを待つ。
数分の静寂が部屋を支配し私は、ただ彼を見つめ続けた。
視線の先には、私の出した書類に必死に目を通す男が一人。震える手が数枚の書類を持ちあげ、決して見逃さないというように全ての文字を視線が追う。
数枚の紙をやっとテーブルに置かれた。
「・・・私は、ただのギルバートですが」
「その逃げはいい加減に飽きたわ。エヴァン男爵」
はぐらかそうする彼に私はそう告げる。
「・・・わかりました。伯爵・・ですがいくつか私に務まるか」
「言い訳も謙遜も今はいらないの・・・私は、先に城に戻ります。」
「ご期待に沿えるよう、努力いたします。」
「期待してます。次期神官長殿・・・」
さてと、これからが本番よ。
レムソンのお客人様・・・・。
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