20 話 本音の先
セレネス領へと戻される事になった。
セレネスとは、私が治める領地だ。
ここ数ヶ月は帰れなかったが、まさかこのタイミングで帰れと・・・。
突然過ぎる命令に混乱して、とてもじゃないが休めない。ベッドの上に行儀悪く体育座りをしながら思考がどんどん深みにはまっていく。
現状を置いてこのままセレネスに戻っても休むどころではないと王子もわかっているだろうに。
現在は、情報を集めてる最中であり私は囮なのだから。
2ヶ月前に私を毒殺しようとしたのは、神官長の派閥ではない。
その調べは既についていた。
ゲームの中では、シルヴィア・・私は、世俗を捨てさせられて修道院に入れられる、または、自身が利用した隣国の宰相に殺されかけ、精神を病む。
後は・・・蟄居を命じられ、セレネスに戻された後にそこを抜け出して、王子の前で自死する。
この3つの末路が用意されていた。
違うのだ。・・そのどの未来とも違う。
だから・・・このままではいられないし、このままでは、私だけの命では済まないとそう判断した。
だからこそ陛下に願い王城にこのまま留まることを願い出た。
私が標的ならいい。
だけど・・それがもしアカリ様に向けられればどうなるか。
いや・・もしかして私を殺そうとしたのは・・第一王子?
「・・・私・・邪魔者?」
既に用無しなの?そう聞きたい相手はいない。
今現在、医務室には、残してくれた近衛兵の一人が扉の前に立ってくれているだけだ。
本当はもう、私は必要ないとそうお考えになられていて・・。
フォース国となにかあったとか・・。
たった2ヶ月とはいえ私は全くといっていい程情報を得ていない。
その間になにかが起きていれば。
確かに亡命をすると言った、でもこんな風に中途半端に投げ出すような方法を望んだ訳じゃない。
私にとって、セレネス領もそしてジュヴェールも大切なものなのだ。
だからこそ、必死に・・それこそこの身を削りながら守ってきたのに・・なんでこんな風に。
絶望に打ちひしがれている私の耳に届いたのは、ノックの音だった。
「どうぞ」
「失礼します・・お嬢様」
マリーだ。彼女が挨拶と共に部屋に入ってきてくれた。
「マリーっ!!」
つい、淑女らしくない動きで思いっきりベッドから飛び起きた。
「お嬢さま・・・落ち着いてくださいませ。なんですかその情けない顔は」
あぁ、そうやって辛辣な言葉で私を諌める声には優しさが滲んでいる。
知ってる。きっと彼女ならわかってくれる。
「ごめん・・なさい」
「はい・・では、まず言っておきますね?」
「?」
「今回は、あなたが悪いですよ。」
その一言から始まったお説教が2時間も続けられると私は知らなかった。
そして・・・
現在午後のお茶を楽しみながら、お説教は続行中です。
「聞いておられますか?」
「うん、もうわかったから・・でもね」
「ルクス様を信じられませんか?」
突然につげられた言葉を私は一瞬理解できなかった。
「信じるって・・あの方は、」
「もう、みんな居ます。もう大丈夫です。」
あなたが一人で頑張らなくたって、もういいんです。そう言ってマリーは私の頭を撫でる。
たった1年されど1年だった日々。その前は2年の間必死に伯爵領を統治した。
ずっと・・誰かに頼る事は出来かった。頼れる人は傍に居なかったから。
「・・・マリー」
「あなたが一人で背負う事はない・・そう言う意味ですよ、誰もあなたが必要ないなんて言ってない」
的確に私の内心を見透かす彼女は、やっぱり最高の侍女だ。
「うん・・でも、」
「わかってますわ、今はまだやりたい事があるのでしょう」
そう、私は、こんな風に投げ出したい訳じゃない。
たとえ牢獄へ入れられる事になっても、婚約者を見捨てる事になろうとも・・私はたった一つ守りたいものがあった。
「うん・・だけどルクス様が」
「あの方なら、大丈夫ですよ」
「えっ?」
「お嬢様が反省してるってちゃんとお伝えすれば・・・イチコロです。」
あのマリーさん、イチコロってどうなんですかね?
ーーーーー
ドンっという紙がたてるにはおかしな重低音を響かせながら、何とか書類作業を終えた俺に、そっと紅茶が差しだされた。
「ジェイン?」
「お疲れ様です。」
「あぁ・・お前紅茶なんて淹れられたのか?というかお前いつから侍女の仕事を?」
乳兄弟の突飛な行動に驚きながら、出された紅茶を飲む。
芳醇な香りと喉を潤すには調度いい温度のそれは、確かに手順通りに淹れられたものだった。
「う・・うまい」
「そりゃあ、1年はずっと淹れてたからな」
「1年?」
「シルヴィア様のたった一つのストップボタンなんだ。紅茶が」
俺の執務室に上がった書類はどれもそのシルヴィアが選定してくれたものだと知ったのはつい3時間程前だった。
「で、本当に良かったのか?今、シルヴィア様が抜けて、お前だけでこれをどうにか出来そうか?」
そう言いながら、横に置かれたチェストを叩く。
その上には既に40㎝は超える書類の山が置かれていた。累計として多分だが・・1200枚程だろうその紙を見つめてからそっと息を吐く。
「・・するよ、・・でもまさか、彼女がこんなハードな仕事をこなしていたなんて・・・」
「いや、お前には言ってなかったがこの倍は仕事してたから」
「なぜ止めないっ!!」
とても人間技とは思えない。一応僕自身、この国を巡回していたおかげでわかる事が多かったのだ、各領の税をどれほどの割り合いで徴収しているのかも知らないであろうハークライトの補佐を彼女一人でしていたのかと思うと申し訳なさしか浮かばない。ジルベットが過労で倒れるのも頷ける事態だ。
現在彼からの書簡により、もう一つの問題を抱えているが、とてもじゃないが手が回らないのが実情だった。
「どうやって?」
そう聞き返されるとどうも答えられなかった。
「彼女自身の能力の高さもさることながら、適材適所に人を当てがう審美眼の素晴らしさ・・まるでパズルのように組み合わされたそれらを彼女が一つにまとめ上げてたんだ。」
それこそが、ルーン家の能力だろう。
「・・だろうな・・そしてその要として自身を置いたからこそ、この仕事量か」
とても普通の人間ならこなせない仕事量を彼女は文句一つ言わずにこなしてくれていた。
「そういう事だ。」
「とにかく、第二執務室の人材を増やそうと思う」
他の部署に比べると仕事量が段違いなのが、彼女担当の第二執務室だ。
「やめておけ、・・あそこは変人と奇人の集まりだ」
そういいながら、げんなりと顔をしかめる乳兄弟を久しぶりに見た。
「それはどういう意味だ?」
「あそこの会話に付いていける程の能力と胆力を持つ人間がいないんだよ」
先ほど垣間見たシルヴィアとの会話はとても第二王子の婚約者相手とは思えないものだったが、それでも彼等の仕事に対する処理能力は、他を抜きん出ていた。
「せめて夜までにその書類は全て目を通しておけ・・・あとコレがその書類に関与する資料だ。まだ第二資料室にここ数ヶ月の軍部の収支に関するものを取りにいくから・・・彼女の迎えにはそれなりに時間がかかるぞ」
ドンっと音をたてて机の端におかれた資料は、数十冊の本を見て俺は絶望を覚えた。
「あぁ・・・頼んだ」
「紅茶のおかわりは無しだからな」
せめて今だけでも現実を逃避していたくて、紅茶をことさらゆっくりと味わった。
「これが飲み終わったら再開」
トントン
僕の言葉は、控えめなそのノック音に遮られた。
「入れ」
「はい・・」
かえった声の主を僕は知っている。今日、確かにセレネスへ静養を言い渡した相手。
先ほどまで話題にあげていた人物だ。
部屋に訪れた彼女に僕は、一瞬で目を奪われた。
いつも地味目の色合いのドレスを好む彼女が、今ライムグリーンの明るい色のドレスを着ている。
それだけでも僕の心は浮き立つのに、いつもはきつく編み込まれている髪がゆったりと背に流されている。
綺麗だと思った。
「シル・・どうして」
「あっ・・お仕事中に、ごめんなさい」
「い・・いや・・それよりどうしたんだ?」
城で行われた夜会でも見ない姿で現れた彼女は、頬を僅かに染めて僕の傍までやってきた。
その後ろには侍女であり彼女の姉的存在でもあるマリーがどうだと言わんばかりにほほ笑んでいる。
「・・・その・・あの・・お話があるんですけど」
「どうかした?・・あっすまない。ジェインなら後1時間もすれば」
「私っ!セレネスには帰りたくありませんっ!!」
「えっ・・」
突然そう叫ばれた。
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