第951話 治癒院の手伝い(前編)
マノンに噛みついたオバサンは、夜明けを迎えることなく息を引き取ったと、コボルト隊が知らせてくれました。
日本だったら、輸血とかの措置を行って、もう少し延命できたのでしょうが、こちらの世界ではまだ輸血という治療は行われていません。
当然、ワクチンとか、抗ウイルス薬とかも存在していませんから、光属性の治癒や浄化魔術を使う以外の有効的な治療は無く、対症療法を行って自己免疫で生き残るしかないのでしょう。
今回のオバサンは、色々と罪を犯していたから治療そのものが行われませんでしたが、何の罪も犯していなくても治療が打ち切られていた可能性は高いです。
光属性の治癒魔術を使える人は少なく、一日に使える魔力には限りがあります。
回復の見込みが少ないと判断されれば、普通の人であっても治療を打ち切られるケースは少なくないそうです。
限られた資源をいかに有効的に使うか、治癒士はそうした判断を常に求められるようです。
こうやって考えてみると、僕も時間がある時には治癒士として活動した方が良い気がします。
南の大陸とも陸続きではなくなりましたし、魔物の極大発生が起こる可能性も少なくなりました。
グリフォンみたいな強力な魔物が飛来する可能性は排除できませんが、眷属の力を結集すれば時間稼ぎは十分可能でしょう。
「ねぇ、唯香、僕も週に何日か治癒院で治療をしようかと思うんだけど、どうかな?」
「私としては大歓迎だよ。この先、私も出産して子育てしなきゃいけなくなるし、悪阻が酷い時には治療も上手くできなくなるかもしれないから、健人がいてくれたら安心だよ」
「そうだよね。いきなり治癒院に加わると、またクラウスさんに怒られそうだから、あとで相談に行ってくるよ」
「そうだね、先に話を通しておいた方が良いわね」
マノンは、一晩すぎても何の異常も感じられないので、今日も治癒院に行くと言いだしました。
僕としては、もう出産まで休みにしてもらいたいのですが、本人が行く気満々で、下手に止めると機嫌を損ねてしまいそうなので、出掛ける前に僕が治癒魔術を掛けることを条件に出勤を認めました。
「治癒魔術も要らないと思うよ」
「だーめ! 治癒魔術を掛けさせてくれないなら、家から出さないからね」
「もう、ケントは心配しすぎだよ」
「心配しすぎるぐらいで良いの。何かあってから後悔するなんて嫌だからね」
マノンを背中から抱き締めて、全身くまなく治癒魔術を巡らせていきます。
もうハッキリと存在を感じられる赤ちゃんにも、僕のありったけの愛情をこめて治癒魔術を掛けました。
「うん、異常なし!」
「だから、大丈夫だって」
「でも、夕食の後に、もう一度掛けるからね」
「もう、ケントは本当に心配性だよね」
「当然、僕は会ったこと無いけど、マノンのお父さんの分まで、僕が愛情を注がないといけないからね」
「そっか……じゃあ、しょうがないかな」
マノンのお父さんは、腐敗病、日本でいうところの虫垂炎で亡くなったそうです。
亡くなる直前まで、マノンや弟のハミルの将来を案じていたそうです。
結婚したのですから、マノンを守るのは当然ですが、僕としてはマノンのお父さんの分まで愛情を注ぎたいと思っています。
ハミルも、まぁ守りますよ、マノンのついでに。
マノンと唯香を送り出してから、僕はベアトリーチェと一緒にギルドに向かいました。
「ごめんね、リーチェ、僕を待ってたら遅くなっちゃったんじゃない?」
「全然大丈夫です。パパは、まだ来てませんよ」
「まぁ、クラウスさんが朝からバリバリ仕事しているなんて、想像もできないけどね」
「たまに気が向くと、ギルドが混雑する時間に来て、依頼の取り合いを眺めながらニヤニヤしてたりしますけどね」
「あぁ、冒険者をやってた頃を思い出してるんじゃない?」
「そうだと思います」
まぁ、クラウスさんの歳だと、さすがに冒険者は引退しているでしょうが、ヴォルザードの前の領主だったお兄さんが亡くなって、仕方なく領主になったから未練みたいなものがあるのかもしれません。
リーチェと腕を組んで歩いていると、開店準備を進めている店の人たちから声を掛けられます。
「おや、今日は夫婦揃って出勤かい?」
「はい、エスコートしてもらってます」
「お熱いねぇ……冬が逃げていきそうだよ」
「今年は暖冬だと思いますよ」
「はっはっはっ、そりゃ助かるねぇ」
八百屋のおばちゃん、乾物屋のおっさん、荷運びのお兄さん……この顔の広さは父親ゆずりなんでしょうね。
僕らがギルドの執務室に着いても、やっぱりクラウスさんの姿はありませんでした。
応接ソファーで、ベアトリーチェと一緒にお茶を楽しんでいると、アンジェお姉ちゃんに尻を押されながら、クラウスさんが出勤してきました。
「おはようございます、お義父さん、アンジェお姉ちゃん」
「あぁ? 朝っぱらから何事だ? まだ面倒な話を持ち込んで来たなら出口はそっちだぞ」
「パパ、自分だって厄介ごとをケントに頼むんだから、その態度は駄目だと思うわよ」
アンジェお姉ちゃんに駄目出しされて、クラウスさんはますます渋い表情になりました。
「リーチェ、俺にもお茶を淹れてくれ。んで、何の用なんだ、ケント」
「えっと、マノンの出産が近付いてきて、唯香にも子供ができたみたいなので、もう少しすると治癒院の体制が手薄になると思いまして」
「あぁ、確かにマノンとユイカ、二人抜けるとなると、ちょっと考えなきゃいけねぇな」
「はい、なので、僕が穴埋めしようかと思っているんですが、どうでしょう?」
「おぅ、そうか、そりゃそうだよな、嫁の穴は旦那が塞ぐのが筋ってもんだよな。いや、卑猥な意味じゃねぇぞ」
「いや、もちろん報酬はいただきますよ。産まれてくる子供も養わないといけませんからね」
先に釘を刺しておかないと、タダで扱き使われそうですからね。
「まぁ、報酬は出すが、それは働き次第だぞ」
「勿論、働く以上は成果を出しますよ」
「それにしても、ケントにしては気が利くじゃねぇか。何かあったのか?」
「昨日、ちょっとした騒ぎがあったもので……」
昨日のマノンが噛まれた一件について、ざっくりとクラウスさんに説明しました。
「あぁ、確かに魔物に噛まれた奴が病気になって、毎年数人、多い年だと十人以上が命を落としてるな。傷口の奥まで良く洗ってからポーションを使えば、大抵の場合は大丈夫だがな」
「でも、発症してしまうと、治癒魔術以外の治療法は無いんじゃないですか?」
「まぁな、完全に発症するまで、祈り続ける以外に方法は無いな」
「ワクチンが作れれば良いんですけどねぇ……」
「なんだ、そのワクなんとかってのは?」
「病気を予防するための薬みたいなものです」
「そいつは、どうやって作るんだ?」
「えっと……ちょっと待って下さい」
ワクチンの話を口にすると、クラウスさんは身を乗り出して矢継ぎ早に質問をぶつけてきました。
僕も詳しい知識を持ち合わせている訳ではないので、タブレットを日本のネットに繋いで検索しながら説明しました。
「てことは、そのワクチンってのを作れれば、リーベンシュタインを襲った流行り病も防げるのか?」
「その病気に対応するワクチンが作れれば……ですね。実際、地球にもワクチンが作れない病気もあるそうなので、絶対に防げるかどうかは、実際に作ってみないと分かりません」
「そうか……だとしても、研究させる価値はあるよな」
「勿論です、ワクチンを開発するには、乗り越えなきゃいけない壁がいくつもあると思います。だからこそ、一日でも早く研究を始める事に意味があると思います」
「よし、バッケンハイムの連中にやらせよう」
「へっ? ヴォルザードでやるんじゃないんですか?」
「あぁ、そういう面倒な事はバッケンハイムの連中のが得意だからな」
まぁ、バッケンハイムは学術都市と呼ばれているそうですし、設備なんかもヴォルザードよりも整っているのでしょう。
「ということで、ケント、ちょっとバッケンハイムまで行ってこい」
「えっ、僕が行くんですか?」
「馬鹿、俺が説明したところで話が伝わると思うのか?」
「まぁ、そうですけど……領主のアンデルさんに伝えた方が良いですよね?」
「レーゼが良ければ、レーゼでも構わんぞ」
「いえ、アンデルさんに伝えます」
ということで、治癒院を手伝う話をしに来たのに、バッケンハイムまで出張となりました。
まぁ、影移動なら一瞬なんだけどね。
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