第854話 クラウスの言い分

「お義父さん、ジョベートで新鮮な魚介類を仕入れてきたので、うちで一杯やりませんか?」

「おぅ、そいつはいいな」


 一日の仕事が終わるころを見計らってギルドの執務室に顔を出すと、クラウスさんはニンマリ笑って招待を受けてくれました。

 勿論、アンジェお姉ちゃんも、マリアンヌお義母さんも招待しますよ。


「ケント、話は夕食の前と後、どっちがいい?」

「えっと、後でお願いします」

「分かった」


 今晩、クラウスさんを誘ったのは、ミゼリーの処分について話を聞くためなんですが、すっかりお見通しのようですね。

 納骨堂でカルツさんに説得されたミゼリーは、翌日守備隊に出頭して、すべての事件について詳細に語り、罪を認めたそうです。


 ミゼリーの証言と守備隊が調べた事件現場の状況が突き合わされて、食い違う点が無いか調べられ、何も問題がなければ処分が決まるようです。

 詳しい事は分かりませんが、日本とは裁判の制度が異なっていて、領主による裁定が判決に大きな影響力を持つようです。


 三人の冒険者を殺害したミゼリーは、その動機には同情の余地があるものの、それでも死罪は免れないようです。

 僕は死刑廃止論者ではありませんし、正当な理由も無く他者の命を奪った者は、自分の命で罪を償うべきだと思っています。


 その意味では、ミゼリーの処分が死罪だったとしても、僕は仕方がないと思っています。

 ただ、今後ミゼリーのような女性が現れないために、どんな対策を講じるのか聞いてみたいと思ったのです。


 夕食の間は、唯香の妹美緒ちゃんやフィーデリアもいるので、事件については話題にしませんでした。

 美緒ちゃんやフィーデリアが、このままヴォルザードで暮らしていくならば、いずれ力ずくで関係を迫る男性への対処法を話し合うこともあるでしょう。


 ですが、まだミゼリーの話は二人には早いと思っています。

 賑やかな夕食の後、僕はクラウスさんを和室の部屋に誘いました。


「ふぅ、美味い飯と酒の後は、風呂に入って、さっさと寝ちまいたいんだがな」

「すみません、もうちょっとだけ時間を下さい」

「ミゼリーの件だな?」

「はい」

「助命はしてやれんぞ」

「分かっています」

「じゃあ、何が不満なんだ?」

「不満……ではなくて、この先どうするのかと思いまして」

「第二、第三のミゼリーを生み出さないための対策ってか?」

「はい、そうです」

「今すぐ、何かを変える気は無いぞ」


 クラウスさんは、リーブル酒のツマミに用意したアーモンドチョコを口に放り込みながら、キッパリと言い切りました。


「何もしないんですか?」

「何もしない訳じゃねぇよ。事件のあらましはギルドから冒険者に伝わるように通達するし、女を強姦すればどうなるか、人を殺せばどうなるか知らせる。知らせはするが、今すぐ法律を改めたりはしない」


 今回の事件は教訓として、特に冒険者に伝わるように通達を出すそうです。

 言い方は悪いですが、お金を出せば性欲を満たせる娼館はあります。


 それなのに、関係を持つ気の無い女性を暴力で屈服させれば、恨みを買うし、告発されれば多額の賠償金やギルドの資格停止などの措置を受けると再認識させるそうです。


「でも、対策が不十分だったから、ミゼリーのような復讐者が現れてしまったんじゃないんですか?」

「そいつは違うぞ、ケント。どんな法律を作ったところで、全ての犯罪を未然に防げる訳じゃない。強姦に対する処罰を厳しくしたところで、女に悪さを働く野郎はいなくならねぇよ」

「でも、厳罰化すれば、ある程度の抑止力にはなるんじゃないですか?」

「ある程度は……だな。考えてみろ、泥酔して理性のタガが外れちまった野郎とか、精神的に追い詰められて正常な判断が下せない野郎とかに、法律云々なんて殆ど効果は無いだろう。それに、厳罰化したところで払える金を持って無かったら意味無いだろう」


 確かに、理性が飛んでしまっている時には、法律云々も頭から飛んでしまっているでしょう。

 無敵の人じゃないですけど、金も無い、将来への夢も希望も無いみたいな人だと、法律の効果も限定的になってしまうでしょう。


「ギルドの資格停止じゃなくて、取り消して、街から追放とかは駄目なんですか?」

「ヴォルザードに来た直後にバカやらかしたシューイチみたいな人間なら効果はあるかもしれないが、下手に冒険者として経験を積んだ奴から、資格を取り上げて放り出したらどうなると思う?」

「あぁ……山賊予備軍ですか」

「犯罪に走るのが目に見えてる連中を野に放つのは逆効果だろう。厳罰化は一定の効果をもたらすが、それだけじゃ犯罪は無くならない。それとも、ニホンには女に悪さを働くような男は、一人も存在していないのか?」

「いえ、毎日のように性犯罪のニュースは流れてきますね」

「だろう? 言いたくないが、法律だけでどうにか出来る問題じゃねぇんだよ」


 クラウスさんは、カップのリーブル酒をぐいっと喉に流し込んだ後で、深いため息を洩らしました。


「まぁ、ケントが言いたいことも分かる。それに、今回ミゼリーが罪を認めたのは、ある意味すごくラッキーだった。自分の旦那や子供が眠る納骨堂で、カルツが説得したのも事件の早期解決に繋がったのは確かだろう」

「もし、状況的にその人が犯人だと分かっていても、証拠が何も無く、本人が否定を続けていたら、どう対処するのですか?」

「監視を付けて、決定的な証拠が揃うまで待つしかないだろうな」

「次の犯行におよばなければ、捕まえることも出来ないのでは?」

「それでも、次の犯行は防げる可能性が高いだろう」

「日本から犯罪捜査の手法を持ち込むのは、どうですか?」

「それは、こっち側だけでも運用できる物なのか?」

「ある程度は……」

「だったら、俺が読んでも分かる資料をよこせ。使えると判断すれば導入するし、無理なら諦めろ」

「分かりました」


 クラウスさんは、空になった僕のカップにリーブル酒を注いでくれました。


「ケント、犯罪を無くすには、社会全体が豊かになって、住民の意識が向上する必要がある。誰かが裕福で、自分だけが貧乏なら妬ましいと思うのは当然だよな」

「そうですね。日本でも経済格差が問題視されてます」

「だろう、だが、そいつを解消するのは難しい」

「ですね」

「金の問題だけじゃねぇぞ。顔が良い奴もいれば、不細工な奴もいる。魔力が高いやつもいれば、低い奴もいる。人間てのは、不平等に出来てやがるからな」


 考えてみれば、僕だってこちらの世界に来た直後はハズレだと言われて追い出され、実は光と闇の二つ属性を持っていたおかげで今の生活を手に入れられました。

 勿論、色々と頑張った結果ではありますが、召喚された時に大きな魔力と二つの属性を手にしていなかったら、ここまでの活躍は出来なかったでしょう。


「やっぱり、僕は恵まれてるんですね」

「まぁ、世間の連中はそう思うだろうが、ニホンに居たころのケントが恵まれていたとは思えないけどな」


 確かに、日本に居た頃の僕は、両親からの愛情を殆ど感じられない生活をしていました。


「でも、あの生活があったからこそ、今の僕があるんじゃないですか?」

「そう思えるのは大したものだと思うが、世間には、そんなに酷い生活じゃなくても今の待遇に満足せず、他人が妬ましく思えちまう連中がいるんだよ」

「どうすれば良いんでしょう?」

「身も蓋もない言い方になっちまうが、法律でカバーできない部分は自衛するしかねぇな。女は夜の遅い時間には出歩かない出歩くとしても目立たない服装にするとか……。男だって、多額の金を持ち歩くなら護衛を雇うとか……襲われる側が備えるのはおかしいと思うだろうが、被害に遭いたくないなら工夫は必要だな」

「難しいですね」

「世の中、善人ばっかりじゃないからな。領地を預かる身とすれば、領民全員が安心して暮らせるようにしたいが、やっぱり限界はある。現実として、自分の身を守る備えは忘れてもらっちゃ困るんだよ」


 クラウスさんの言葉には、領主として理想と現実に向き合ってきた重みを感じます。

 ヴォルザードは、一部の危ない場所を除けば治安は良いと感じていますが、油断してはいけないのでしょう。


 僕のお嫁さんたちにはコボルト隊が24時間体制で守りを固めていますが、屋敷で働いている人達への守りも考えた方が良いかもしれませんね。

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