第852話 カルツの葛藤

 老婆の振りをしていた怪しい女の家を突き止めた翌日、カルツさんを訪ねました。

 まるで酔っぱらいを誘惑しているかのような怪しい行動と、女の住所と名前を告げると、カルツさんは僕から目線を外して記憶を辿り始めました。


「ミゼリー……ミゼリー……もしかして、あの時の女性なのか?」

「カルツさん、心当たりがあるんですか?」

「ケント、その女性はいくつぐらいに見えた?」

「そうですねぇ……三十代後半か四十代前半ぐらいですかねぇ」

「何か、特徴は無かったか?」

「特徴というか、怪我をしたのか顔の輪郭が歪んでしまって……」

「そうか、やっぱりあの女性か」

「カルツさん、このミゼリーって女性は何者なんですか?」

「おれがまだ、守備隊に入ったばかりの頃に担当した事件の被害者だ。どうして今頃になってと思うところはあるが、彼女ならば冒険者を殺す動機はあるだろうな」


 カルツさんが聞かせてくれたミゼリーが被害者となった事件は、聞いていても気分が悪くなるような酷い事件でした。


「旦那さんに怪我を負わせたのが父親と仲間の冒険者、本人を暴行して流産させたのも冒険者、その結果、旦那さんが自殺したのなら、冒険者を恨む理由はありすぎですね」

「俺が関わったのは、ミゼリーが暴行された事件で、犯人の男は冒険者ライセンスを剥奪、財産没収、強制労働となったが、正直その程度では納得できないだろう。実際、ミゼリーも自殺未遂を起こしているからな」


 聞けば聞くほど、やりきれない事件ではあるのですが、問題はなぜ今頃になって行動を起こしたか、その理由が分かりません。


「カルツさんが事件を担当されたのって、随分前の話なんですよね?」

「もう十五年ぐらい前の話になるな」

「じゃあ、なんで今頃、それも自分を襲った相手ではない別の冒険者に危害を加える必要があったんですかね?」

「分からないな。それに、まだミゼリーが犯人だと決まった訳じゃない」


 確かにミゼリーの行動は限りなく黒に近いグレーという感じですが、まだ決定的な現場を抑えたわけではありません。


「なぁ、ケント。本当にミゼリーは酔っぱらいを誘惑するような行動をしていたのか?」

「それまで曲げていた腰を伸ばして、野暮ったい外套を脱いで、体のラインが分かるような服装になって体を密着させたんですよ。あれが誘惑じゃないとしたら、何の目的なんでしょう?」


 カルツさんから聞いたミゼリーの現在の年齢は、まだ三十歳程度だそうだ。

 僕からすれば、かなり年上の女性だが、日本では三十歳で未婚の女性は珍しくないし、まだ熟女と呼ぶには早いだろう。


 家の中まで覗いて確かめた訳ではないが、あれだけ密着されたら性的な欲望を揺り起こされてもおかしくないはずだ。


「わざと誘いを掛けて、襲い掛かって来るようなら殺害する……みたいな感じなのだろうか」

「一応、質の悪い冒険者と、そうでない冒険者を選別しているつもりなんでしょうか?」

「かもしれないな」

「でも、いくら酔っぱらっているとはいっても、襲ってくる冒険者を返り討ちに出来るでしょうか?」

「それは……分からんな。何か、やり方みたいなものを会得しているのかもしれない」


 ミゼリーが犯人だったと仮定して、誘惑した後どうなるか考えてみると、加害者が欲望を果たし終えた後に襲うというのが一番現実的だと感じます。

 ただ、自分を餌にして、しかも一度凌辱させてから殺しているとしたら、精神的に病んでいるとしか思えません。


「無敵の人なのかな……」

「無敵の人? どういう意味だ?」

「えっと……失うものが何も無い人で、罪に問われようと、殺されようと構わないと思っているような人のことですね」

「失うものが無い、失っても構わない、だから無敵の人か……なるほどな」

「家の中の様子を探ってくれば良かったですね」

「いや、その様子では誰かと一緒に暮らしているのではないだろう」


 聞いた限りでは、今の僕と同じぐらいの歳に愛する旦那とお腹の中の赤ちゃんを亡くし、そのまま天涯孤独で生きてきたのだとしたら、今のミゼリーは何を思っているのでしょう。


「カルツさん、この後はどうするんですか?」

「そこなんだよな」

「今の時点でミゼリーを捕らえたとして、事件の犯人であるという証拠は何も無いんですよね?」

「その通りだ。事情を聞くことは出来ても、犯人だと認めさせる材料が乏しい」


 日本の鑑識ならば、被害者の遺体から様々な遺留物を採取して、DNA鑑定などで犯人を追い詰められますが、ヴォルザードにはそんな技術はありません。

 目撃情報も無く、ミゼリーを有罪とするならば自白させるしかないでしょう。


「じゃあ、監視した状態で泳がせて、犯行現場を押さえて捕まえますか?」

「いや、それだと被害者になる冒険者を巻き込むことになるだろう」

「でも、僕が監視していれば、被害者が死亡する前に治療できますよ」

「そうなんだが……さっき、ケントに無敵の人の話を聞いて思ったんだが、ミゼリーはわざと誘惑して実際に襲ってくるか試して、襲ってきた冒険者だけを殺しているんじゃないか?」

「実際に凌辱させているって事ですか?」

「そうだ。だとしたら、監視して殺害の現場を押さえるには、ミゼリーが襲われているのを見て見ぬ振りをしなければならなくなる。それは、守備隊の隊長としては容認できない」


 もしミゼリーが冒険者連続殺人の犯人であって、わざと泥酔した冒険者が性的暴行を働くように仕向けているのだとしても、その行為によって傷ついていないとは限りません。

 むしろ、凌辱されるのと殺人を繰り返すことで、いっそう精神に異常をきたしているのかもしれません。

「じゃあ、どうするんですか?」

「これからミゼリーの家に行って、守備隊への同行を要請する」

「容疑者として逮捕するんじゃないんですか?」

「証拠が何も無いから逮捕は無理だ。あくまでも任意で同行を頼むことしか出来ない」


 日本に比べれば、人権意識も低いですし、守備隊の権限も日本の警察よりも強いのですが、それでも逮捕するには証拠や目撃証言が必要です。

 今回の三件の事件では、証拠も目撃証言もありません。


「ミゼリーが任意同行に応じたとして、素直に白状しますかね?」

「難しいだろうな。十五年前から、我々守備隊はミゼリーが納得するような成果を上げられていない」

「でも、父親の仲間の冒険者たちも、ミゼリーに乱暴した冒険者も捕らえて処分を受けているんですよね?」

「法律に基づいた処分は行われたが、納得したかどうかは別の話だ」


 日本でも犯罪行為に対して処罰が軽すぎる……といった論議がよく起こっています。

 交通事故などでは、従来の罰則に加えて危険運転致死傷罪が新たに施行されましたが、適用へのハードルが高いとか、まだ罰則が軽いといった意見を目にします。


 ヴォルザードでも、被害者の立場で処罰を見れば、軽すぎると感じることがあるのでしょう。

 ましてやミゼリーの場合は、夫とお腹の中の赤ちゃんまで喪っているのだから、加害者への処罰が軽いと思うのも当然でしょう。


 カルツさんは、バートさんと一緒にミゼリーの家へと向かうそうなので、僕は守備隊の門の所で別れて、自宅に戻る……振りをして影の空間へと潜りました。

 一体、どんな感じでミゼリーの事情聴取を行うのか、カルツさんには内緒で見学させてもらいましょう。

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