第848話 冒険者殺し(中編)

 最果ての街と呼ばれていたヴォルザードは、冒険者の街としても知られている。

 魔の森やダンジョンで取れる素材がヴォルザードの経済の中心となっているが、その素材を手に入れてくるのが冒険者だからだ。


 危険を伴うが、才能次第で大きな稼ぎを得られる冒険者は、少年少女にとっては憧れの職業でもある。

 だが、ヴォルザードで生まれ育ったミゼリーは、冒険者という存在を嫌っている。


 理由は簡単、ミゼリーの周囲にいた冒険者や元冒険者には、碌な人間が居なかったからだ。

 ミゼリーが最初に出会った冒険者は、ミゼリーの実の父親だった。


 自称元Aランク、本当はBランクにすら上がれなかった元冒険者で、ミゼリーが物心ついた頃には既に怪我が原因で引退を余儀なくされていた。

 足が不自由なのを理由にして働きもせず、昼間から酒を飲み暴力を振るう、典型的なクズ野郎だった。


 母親は父親に暴力による恐怖で支配され、身を粉にして家計を支えていたが、ミゼリーが幼いころに体を壊して他界してしまった。

 その後は、ミゼリーが働きに出るようになるが、やっと思いで稼いだ金は父親の酒代に消えた。


 転機が訪れたのは、ミゼリーが十五歳になった頃だった。

 製粉所で働いている時に知り合った、三つ年上の男性ブノアが親身になって話を聞いてくれて、飲んだくれの父親と縁を切る手助けをしてくれたのだ。


 ようやく父親の拘束から逃れ、幸せな家庭を築いたと思ったのも束の間、逆恨みした父親が昔の冒険者仲間を雇い、ブノアを袋叩きにした。

 ミゼリーの父親や仲間の冒険者は守備隊に捕らえられ、厳しい処罰を受けたものの、ブノアは背中を痛めて半身不随となってしまった。


 ミゼリーは家計を支えるために、給金の良い夜の酒場で働き始めたのだが、結果としてその決断は誤りだった。

 仕事を終えた帰り道、ミゼリーは待ち伏せしていた常連客の冒険者に凌辱されてしまう。


 夫がいるからと、ミゼリーが交際を断ったことに腹を立てた身勝手な犯行だった。

 最後まで抵抗したミゼリーは、酷く殴られて頬や顎、鼻などを折られて、顔面が歪んでしまった。


 その上、身籠っていたブノアとの子供を流産してしまう。

 半身不随となってしまったブノアにとって、ミゼリーとの子供は最後の希望でもあった。


 ミゼリーが入院していた治癒院から戻ると、ブノアは自らの手で命を絶ってしまっていた。

 首を吊ってブノアの後を追おうとしたが、近所の女性が気付いて止められた。


 それから約十五年、ミゼリーは抜け殻のように生きてきた。

 歪んでしまった顔を隠すように、人目に付かない仕事を選んだが、酷く内向的になってしまった性格故に、仕事場の業績が悪くなると真っ先に解雇された。


 なぜ生きているのか、何のために生き続けねばならないのか、毎日のように自問自答しながら、それでも生き続けてきた。

 ミゼリーは今、娼館の下働きをしている。


 昼過ぎから掃除や洗濯を始め、娼婦たちの身支度の手伝い、客に出す酒やツマミの準備をして、娼婦たちが泊まり客と個室に消える頃に家路につく。

 家に帰る時には、若い女と思われると酔っ払いに絡まれたりするので、腰を曲げ、杖を突き、頬かむりをして老婆を装った。


 ミゼリーとEランク冒険者ドネトが出会ったのは、本当に偶然でしかなかった。

 その日は、夕方から雨が降っていた。


 娼館での仕事を終えたミゼリーは、傘を差すほどは強くない雨の中、家に向かって足早に歩いていた。

 晴れた日でも人通りのない裏路地を歩いていると、壁にもたれて座り込んでいる男がいた。


 パーティーの仲間とオークを仕留め、打ち上げで飲んで酔いつぶれたドネトだったが、ミゼリーとは全く面識も無い。

 ミゼリーが路地に投げ出されている足を跨ごうとしたのと、ドネトが雨の雫で目を覚まして起き上がろうとしたタイミング重なり、二人はもつれるようにして路地に倒れた。


 ミゼリーは地面に押し倒され、上になったドネトの右手はミゼリーの乳房を鷲掴みにしていた。

 暗い裏路地、泥酔した状態、性衝動を直撃する柔らかな感触、ドネトはほんの一瞬の躊躇の後にミゼリーに襲い掛かった。


 その時、ミゼリーの脳裏には十五年前のトラウマが蘇り、恐怖のあまり抵抗するどころか悲鳴すら上げられなかった。

 ドネトは欲望の赴くままに、暗い裏路地でミゼリーを犯した。


 急激に体を動かしたことで酔いが回ったのか、ドネトは身勝手な欲望を吐き出すと、裏路地に寝転がって寝息を立て始めた。

 理不尽な暴力が過ぎ去り、ようやく体を動かせるようになったミゼリーの胸中に去来したのは煮えたぎるような殺意だった。


 こんなクズを生かしておけば、自分以外の女性が酷い目に遭うことになるだろう。

 ミゼリーは、ドネトの腰に吊られたいたナイフを鞘から抜くと、躊躇うことなく首筋を深々と切り裂いた。


 切り裂かれた頸動脈から噴水のように血飛沫が飛ぶ。

 ドネトは突然降りかかった痛みに目を覚ましたが、泥酔した脳はすぐには事態を理解できなかった。


 訳が分からず、ドネトは助けを呼ぼうとしたが、ミゼリーが両手で握って力一杯振るったナイフの切っ先は喉笛をも切り裂いていた。

 声も出せず、上手く呼吸もできず、そして事態を理解できないままドネトは大量出血により動けなくなっていった。


 ミゼリーはナイフを握ったままガタガタと震えていたが、ドネトが動かなくなった所で背中を向け、足早に家路についた。

 ミゼリーが家に辿り着いた頃には、雨は本降りとなっていた。


 翌日の昼過ぎまで降り続いた雨は、事件の現場からミゼリーの痕跡を洗い流していた。

 ミゼリーは事件の当日こそ自分に捜査の手が及ぶのを恐れていたが、捕らえられたところで自分の不幸な人生には大した影響など無いと結論を出した。


 同時に、質の悪い冒険者を排除することこそが、自分に課せられた使命であり、生きる目的だと思い込んでしまった。

 その日からミゼリーは、娼館での仕事の帰り道で一人で酔いつぶれている冒険者風の男を見掛けたら老婆の振りを止め、胸の膨らみを見せつけるようにして誘いを掛けた。


 理性を失い暴力に訴えて襲ってきたら、ミゼリーは抵抗せずに凌辱されるままにして、事後に男が油断したところで首筋を切り裂いた。

 二人目の被害者フランツは、凌辱されて放心状態かと思ったミゼリーが突然襲い掛かってくるとは思ってもいなかったようだ。


 たった今まで自分が支配者だと思っていたのに、気が付けば手の施しようがない状況へと追い込まれている。

 自分が助からないと悟ったフランツが絶望の表情を浮かべるのを見て、ミゼリーは全身が震えるほどの愉悦を覚えた。


 性悪な冒険者を殺す、これこそが自分に与えられた天命だとミゼリーは感じていた。

 フランツを殺した後、自宅に戻る途中で片腕の男に姿を見られたが、殺しの現場を見られた訳でもないし、暗い裏路地では顔も見えなかったはずだ。


 その証拠に、三人目を殺害してもミゼリーの所へ守備隊員は訪ねて来ない。

 三人目の男がBランクの冒険者だったと知り、ミゼリーは更に自分の仕事に自信を深めた。


 同時に、なぜ十五年前、自分を凌辱した男を殺さなかったのかと後悔もした。

 そして、これ以上、自分のような不幸な目に遭う女性を増やさないために、一人でも多くのゲスな冒険者を殺そうと仄暗い情念を燃やし始めた。

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