第847話 疑われた男
「二週間前の土の曜日の晩? そんな前のこと覚えてねぇよ」
尋ねたいことがあると言われ、連れて来られた守備隊の詰所で、ギリクは第三部隊の隊長カルツと机を挟んで向かい合っていた。
「その晩、右腕の無い狼獣人の男を見たって人が居てな、それがお前さんならば、何か目撃していないか聞きたいんだ」
「何か? 何かって何の話だ?」
「その晩、冒険者が殺される事件があってな」
「まさか、俺がやったって疑ってやがるのかよ!」
「そうじゃない、事件は深夜に起こっていて目撃者も見つかっていないんだ。だから、当日に出歩いていた人が居たら、何か見聞きしていないか聞いて回ってるんだ」
実際、ギリクが犯人だという目撃証言があった訳でもないし、物的証拠が残されていた訳でもないのだが、一部の人間からは疑われている。
「んなこと言われても、飲んだ晩に何があったのかなんて覚えてねぇよ」
「その日、どこの酒場で、何時ごろまで飲んでいたのか覚えてるか?」
「無茶言うな、そんな事、いちいち覚えてねぇよ」
「そう言わず、昨日、一昨日、三日前と、少しずつで構わないから記憶を辿ってみてくれ」
「そんな面倒な……」
「やってくれ。もう三人も殺されてるんだ」
「マジか……でも、急には無理だぜ」
「邪魔はしないから、何とか思い出してくれないか?」
「しょうがねぇ……やってみるけど、思い出せるかどうか分からねぇぞ」
カルツは、ここまでの話し振りからして、ギリクは犯人ではないとみているが、その一方で犯人だと疑われる材料もあるのだ。
二件目の事件で殺されたDランクの冒険者フランツは、過去にギリクと諍いを起こしている。
しかも、それはギリクが右腕を失う前の晩、ギルドの酒場での出来事で、フランツがギリクを叩きのめしているそうだ。
そのため、片腕の狼獣人が目撃されたという噂を一部の冒険者が聞きつけ、腕を失ったギリクが恨みを募らせて犯行に及んだのではないかと言い出したのだ。
片腕の狼獣人の目撃談は、事件があった方向へと歩いていったというだけで、被害者と一緒のところを見た訳でも、現場の近くで目撃された訳でもない。
だが、噂に尾鰭がついて広がった結果、フランツの仲間が暴走する恐れが出てきたので、守備隊が先回りしてギリクの身柄を押さえたのだ。
ここまでの話し振りからしても、ギリクは事件に関わっているどころか、自分が容疑者扱いされていることも、フランツが殺されたことすらも知らないようだ。
守備隊が入手している情報によれば、ギリクは腕を失って以降ギルドから足が遠ざかっている。
もし、ギリクがフランツに恨みを抱いて殺害を計画していたのならば、ギルドで待ち伏せて家や立ち寄り先を調べていたはずだが、そうした目撃談は守備隊には届いていない。
ちなみに、最初の事件で殺されたドネトともギリクは関わっているが、こちらはギルドの訓練場でギリクが一方的に叩きのめしていて、むしろギリクが恨まれている可能性が高い。
そして、三件目の犠牲者マカーリオとギリクの関わりについては情報が届いていない。
マカーリオは、ダンジョンをメインにして活動している冒険者なので、街や魔の森で活動していたギリクとは接点は見つかっていない。
「あー……そう言えば、その晩は歓楽街の近くの安酒場で飲んだかもしれない」
「どこの店だ?」
「歓楽街の北側、怪しい武器屋とかが固まってる辺りだ」
「バート、地図を出してくれ」
カルツはバートから受け取った地図を広げて、歓楽街の北側を指差した。
「この辺りか?」
「いや、もうちょい西……この辺りだ」
「店の名は?」
「覚えてねぇよ。六十近いヒョロっとした小男がやってる店だ」
「そこから、どうやって家まで帰ったんだ?」
「さぁな、酔っぱらってたからな、どこを通ったかまでは覚えてねぇよ」
「今、住んでいるのは、この辺りだな?」
「そうだ」
「それなら、この辺りを抜けて帰ったのか?」
「さぁ、たぶんな……」
ギリクの証言は、目撃者の話とも一致しているが、事件があった場所とは途中で別の方向へ曲がる必要がある。
「ギリク、この辺りで誰かを見たとか、声を聞いたりしなかったか?」
「さぁな、どうやって家まで帰ったのかも覚えてねぇからな」
「もう一度、良く思い出してくれ」
カルツに頭を下げられて、ギリクは仕方なく記憶を辿り始めたが、正直に言えば思い出したくないと感じていた。
その晩、ギリクはヴェリンダが働いているという歓楽街の店を尋ねようとしたのだが……。
そこが娼館だったらどうするのか、自分以外の男にあられもない姿を晒していたらどうするのか、覚悟が決まらず尻尾を巻いて逃げてきたのだ。
なのでギリクは、安酒場に入ったところまでは鮮明に記憶していたが、飲み始めてからの記憶は酷く曖昧で、本当にどうやって帰宅したのか良く覚えていない。
その晩の記憶を辿ることはギリクにとっては黒歴史の発掘作業に他ならず、脳裏に浮かぶのは自分の情けない姿と周囲の蔑むような視線ばかりだ。
いや、勝手に蔑まれているとギリクが思い込んでいるだけで、周囲の人間は落ちぶれた元冒険者など見てはいない。
「あっ、そう言えば……女に会ったような……」
「どこでだ?」
「覚えていない……けど、怪我していたような……」
「怪我? どこを?」
「分からねぇ。そう思っただけで……本当に女に会ったのか……」
「どうした?」
「そうだ、血の匂いがした気がした。だから、怪我してるのかって声掛けたんだが……」
「女は何と?」
「何も言わずに行っちまった」
「どの方角だ?」
「あー……分からねぇ。俺とは反対の方に行った気がする」
話しているうちに、ギリクは少しずつ思い出していたが、それでも記憶はあやふやなままだ。
「何歳ぐらいの女だった?」
「さぁな、暗かったから顔は良く見えなかったが、若くはなかった気がする」
「服装は?」
「黒っぽい外套を羽織っていたような」
「商売女だったか?」
「さぁ……分からん」
「背丈や体形は?」
「背は……俺の肩ぐらい? 体形は外套で良く分からなかったが、太ってはいなかった気がする」
「髪の長さは?」
「スカーフを巻いていたから分からねぇ」
カルツに促されて一つ一つ思い出しているうちに、ギリクは夢や思い込みではなく現実に女に出会っていたと確信した。
「そうだ、あの女、表通りを第二街区の方から路地へと入って来たんだ。肩がぶつかって、向こうが尻もちついたから、立ち上がるのに手を貸そうとして、右腕が無いのを思い出して左手を差し出したのに、何も言わずに立ち去りやがったんだ」
「急いでいる様子だったのか?」
「そう……だな。だけど、女が夜中に一人で出歩いているなら、急いでいるのは当然じゃないのか?」
「それもそうだな。だが、我々としては、その時の様子を正確に把握しておきたいんだよ」
「急いでいたと言われれば、確かに急いでいたようには見えた。少なくとも、散歩を楽しむような歩き方ではなかった」
ギリクの証言を基にして、カルツが女の様子を書き出していくが、肝心な所は分からないままだ。
それでもカルツは、この女は実在していて、事件について何らかの事情を知っているようだと感じていた。
この後もカルツが質問する形でギリクの記憶を掘り起こそうとしたが、それ以上の情報を思い出すことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます