第843話 転校生
「いらしゃいませ! 四名様ですね、奥のテーブルにどうぞ!」
安息の曜日の昼下がり、ヴォルザードの裏町にある食堂に看板娘メイサの元気な声が響く。
女主人アマンダが営む食堂は、ヴォルザードでも屈指の人気店で、営業時間には行列が絶えない。
特に安息の曜日のお昼時は、メイサ、サチコ、フィーデリアを目当ての若い男性客に加え、家族連れで席が空く間が無い。
そんな賑やかな店内の隅のテーブルに相席で座った少年が、頬を赤らめながらメイサの姿を目で追っていた。
「坊主、折角の美味い料理が冷めちまうぞ」
「えっ、あっ……うぐぅ……」
「だからって、そんなに慌てて食うな。メイサちゃん、お水くれるかな!」
「はーい、ただいま!」
少年は慌ててかぶりついたパンを喉に詰まらせて蒼褪め、水差しを持ったメイサが現れると顔を真っ赤にした。
「お待たせ、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとね」
少年はメイサが二人のカップに水を注いで席を離れるまでの間、耳まで真っ赤になりながら俯いていた。
「若いねぇ……甘酸っぺぇ……」
ニヤニヤとした笑みを浮かべたオッサンに見詰められ、少年は無言で食事に専念する振りをしたが、視界の端にメイサの姿を捉えると、顎の動きを鈍らせていった。
「若いねぇ……」
少年の名前はキント、マールブルグで行商をしていた両親がヴォルザードに小さな店を構えることになり、最近引っ越してきたばかりだ。
キントが初めてメイサを意識したのは、転入した学校だった。
「どうした、かかって来いよ、余所者」
「やめてくれよ」
「やめてほしけりゃ、眷属を呼んでみせろ」
「そんなの、できないよ……痛っ」
放課後、キントは廊下の隅で三人の同級生に囲まれて小突かれていた。
商売人の両親は誰とでも愛想良く話ができるが、引っ込み思案なキントは人と話すのが苦手だった。
転校してきた直後はクラスのみんなが興味を示し、あれこれ世話も焼いてくれていたが、上手く言葉を返せないでいると関心はイジメへと変わり始めた。
キントがイジメられている理由は、ウジウジとしている態度やヴォルザードに暮らす少年の誰もが憧れるSランク冒険者、ケント・コクブに名前が似ているからだ。
別にキント自身が、ケントに名前が似ていることを自慢した訳ではないし、闇属性の魔法が使える訳でもない。
単に気に入らないだけで、イジメる側の理由なんて何でも良いのだ。
「どうした、そんなんじゃオークどころかゴブリンも倒せないぞ」
「僕は……冒険者になりたい訳じゃない」
「はぁ? 最果ての街ヴォルザードじゃ戦えない男に価値なんて無いんだよ」
「痛い、やめてよ……」
子供のイジメは、相手の抵抗が少ないほどエスカレートしていく。
最初はグイグイと押す程度だった行為が、握り拳で叩くようになり始めた時だった。
「なにしてんの、やめなさい!」
廊下に凛とした声が響いた途端、イジメっ子たちの手が止まった。
キントが頭を庇っていた両手の隙間から覗くと、赤みの強い茶髪をショートカットに切り揃えた小柄な女の子が腕を組んで立っていた。
「な、なんだよ、メイサ。遊んでやってただけだぞ」
「格好悪い言い訳するな! 本当に強い人はイジメなんかしないわよ!」
「う、うるさい。俺たちはヴォルザードの流儀を教えてやってただけだ」
「弱い者イジメはヴォルザードの流儀なんかじゃないわよ!」
「うるさい……いくぞ!」
さっきまで、いくらキントがやめてくれと言っても耳を貸さなかった三人は、廊下の真ん中に立っているメイサの脇を抜けて帰っていった。
メイサは、イジメっ子の三人が離れていくまではキっと吊り上げていた眦を下げ、ニヘラと緩い笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫?」
「えっ……あっ……うん」
「いきなりは難しいかもしれないけど、嫌なら嫌って、もっと強く言った方がいいよ。ああいうのは、相手が反撃しないと思うと図に乗るからね」
「す、凄いね君は……」
「凄くないよ、あたしが凄く見えるのは全部ケントのおかげだもん。じゃあね」
キントは、もう一度笑みを浮かべてヒラヒラと手を振りながら去っていくメイサを呆然と見送ることしかできなかった。
その日以来キントは、学校でメイサを目で追うようになった。
メイサは、いわゆる優等生ではないし、クラスのマドンナ的な存在でもなかったが、誰に対しても分け隔てなく接していた。
驚いたのは、口論となったイジメっ子の三人とも、何事も無かったように平然と話をしていたことで、あの日以来キントへのイジメも無くなった。
一体どんな魔法を使ったのかと、キントは思い切って隣の席の子に尋ねてみた。
「あぁ、食堂をやってるメイサちゃんの家にケント・コクブが下宿していたからだよ」
「えっ、そうなの?」
「まぁ、メイサちゃんの性格は、ケント・コクブが下宿する前からだけどね」
「そうなんだ……」
隣の席の子から色々なエピソードを聞かされ、自分の目で行動を見守るうちに、いつしかキントはメイサに心惹かれるようになっていった。
メイサは特別に美人という訳ではないが、キントには無いものを持っていた。
誰に対しても変わらない物怖じしない態度は、キントがいつも手に入れたいと思っているものだ。
自分もメイサのように堂々と他人に接してみたい。
憧れる気持ちは、いつしか恋心へと変わっていったが、キントは気持ちを伝えることができずにいる。
代わりにキントがとった行動は、少しでもメイサを知って身近に感じることで、悪く言うならストーカー行為だった。
仲の良い友達は誰で、学校が終わった後は何をしているのか。
家はどこにあり、家族は何人いるのか。
メイサを尾行して家を突き止め、ほぼ毎日家の手伝いをしていると知った。
美緒やルジェクの存在を知り、その輪の中に自分も入りたいと思ったが、ケント・コクブの家を見て、自分には場違いだと感じた。
それでも、メイサを思う気持ちを抑えられず、小遣いを握りしめて食堂の客になった。
ホールで立ち働くメイサの姿から、キントは目が離せなくなった。
常連さんと笑顔で会話しながらもテキパキと仕事をこなすメイサは、キントの目には輝いて見えた。
常連らしい相席のオッサンから何度も指摘されながら食事を終え、お勘定の時に言葉を交わすチャンスがあったのに、モゴモゴと美味しかったと伝えることしかできなかった。
食堂を出た後も立ち去りがたい思いに囚われたキントは、路地を巡って食堂の裏へと回った。
学校からの帰り道、メイサはこちらの裏口を使う。
メイサがひょっこり出て来てくれないだろうか、でもホントに出てきたら何を話せば良いのか。
キントは食堂の裏口を眺めながら、共同井戸の周りをグルグルと歩き回った。
食堂は昼の営業を終えると一旦店を閉めて、夕方までは休業となる。
その間、メイサは何をして過ごしているのか、裏口から遊びに出たりするのだろうか。
視線は食堂の裏口に、思考は自分の世界に入り込んでしまっていたから、キントは声を掛けられるまで、その人物の存在に気付かなかった。
「なにしてるの?」
「ひゃあ!」
驚いて声を上げてしまったが、声を掛けてきた人物は笑みを浮かべていたし、咎めるような口調でもなかった。
声を掛けて来たキントより少し年上に見える銀髪の少年は、路地に置いた木箱に座って三頭の獣を撫でまわしていた。
「メイサちゃんの友達?」
「は、はい……」
怪しい人物と思われないために、咄嗟にキントが肯定すると、銀髪の少年はノンビリとした調子で話し掛けて来た。
「お昼の営業がもうすぐ終わるから、それまで一緒に待ってよう」
「はぁ……えぇぇ!」
キッパリ断ることもできず生返事をしたキントは、銀髪の少年の指差す方向に視線を向けて驚いた。
さっきまで何も無かったはずの場所に、いつの間にか木箱が置かれている。
「ご主人様、お腹撫でて……」
「うちも、うちも……」
「はいはい、順番だよ」
突然喋りだした獣たちを見て、ようやく少年の正体がケントだと気付いたキントは、パクパクと口を動かすものの言葉を失っていた。
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