第834話 ヴォルザード家の執事

※今回はヴォルザード家の執事の一人、ヨハネス目線の話になります。


 私の名はヨハネス、ランズヘルト共和国の領主ヴォルザード家に仕える者だ。

 私の仕事は、バッケンハイムの学院に通うヴォルザード家の子息たちのサポートだ。


 ここ数年、メイドのフィオナと共に、アウグスト様、アンジェリーナ様、バルディーニ様が快適に過ごせるように力を尽くしてきた。

 学費の支払い、寮費の支払い、日用品の買い出しなど、ギルドの専用口座を管理し、ヴォルザード家の子息には基本的にお金の支払いを行わせないようにしてきた。


 全てはヴォルザード家の子息のために……だったのだが、今は仕事の内容が変わった。

 切っ掛けは、イロスーン大森林を通り抜ける街道が、魔物の増大によって通れなくなったことだ。


 街道の通行が出来ないと、マールブルグやヴォルザードへ行く手段が無くなってしまう。

 まるでランズヘルト共和国内に、新たな魔の森が出現したようなものだ。


 往来の断絶は、即ち経済活動の断絶を意味する。

 ヴォルザードの商会は、ダンジョンや魔の森で獲れる素材や加工品を輸出し、他の領地から穀物などを輸入して稼いでいる。


 そうした取引が出来なくなれば、ヴォルザードの経済は大打撃を被るのは明らかだったが、予想もしない形で危機は回避された。

 ヴォルザード家の次女ベアトリーチェ様を娶った史上最年少Sランク冒険者ケント・コクブの魔法によって、ヴォルザードとブライヒベルグ間の輸送が可能となったのだ。


 それも、これまでならば馬車で十日近く掛かっていたのが、ほぼ瞬時に送れるようになったのだ。

 バッケンハイムからヴォルザードへの輸送も、ブライヒベルグ経由でこれまでよりも短時間で送れるようになった。


 このバッケンハイムからブライヒベルグ経由でヴォルザードへ送る荷物の取りまとめを私が任されることになったのだ。

 長男のアウグスト様と長女アンジェリーナ様がヴォルザードと戻られ、バッケンハイムに滞在されているのは次男バルディーニ様だけになっていたので、なんとか役目を果たせた。


 その後、イロスーン大森林を抜ける街道は大規模な改良が行われ、再び通れるようになったのだが、時間的に有利なブライヒベルグ経由の輸送も継続されることになった。

 利用者はヴォルザード家に利用料を支払うが、早く到着するし、護衛のコストも抑えられるので、トータルとしてはプラスなのだ。


 現在、ブライヒベルグでの荷物の取りまとめ業務は、アウグスト様を中心として行われているが、来春にはヴォルザードに戻られる。

 バルディーニ様がアウグスト様の後を引き継がれるが、私は引き続きバッケンハイムで業務を行う。


 正直に言ってしまうと、バルディーニ様のお守りから解放されるのは有難い。

 アウグスト様やアンジェリーナ様には手を焼かされたことは一度も無いが、バルディーニ様は他の生徒とのトラブルで度々学院から呼び出しを受けた。


 学業の成績自体は悪くないのだが、性格的な部分で少々気難しいところがあるのだ。

 現在、ブライヒベルグまでの瞬間輸送は、ヴォルザードの経済を支える柱と言っても過言ではない。


 その取りまとめを果たしてバルディーニ様が上手く引き継げるのか、正直かなり心配だ。

 業務量を考えれば、バッケンハイムでの集荷の取りまとめをバルディーニ様が行い、ブライヒベルグの業務は私が引き継いだ方が良いと思う。


 だが、使用人である私が出しゃばるような進言は難しい。

 完全な引継ぎまでには、アウグスト様が指導を行うと聞いているが、本当に大丈夫なのだろうか。


 日常の業務を行いながら、近い将来のことを考えていると、ひょこっとコボルトが顔を出した。


「ヨハネス、クラウスからの手紙だよ。返事は要らないから、手紙に書いてあることを準備してだって」

「分かった、ありがとう」


 頭を撫でてやると、コボルトは上機嫌で影に潜っていった。

 影を伝って移動し、人の言葉を話すコボルトは、ケント・コクブの眷属だ。


 ヴォルザードとブライヒベルグの間の輸送も彼らの力無しでは成り立たないし、何よりもヴォルザードからの手紙が一瞬で届くのだ。

 今受け取った手紙も、クラウス様が書き終えて、封を閉じたばかりだろう。


「業務引継ぎの件かな……」


 手紙の指示とは、丁度考えていたアウグスト様からバルディーニ様への業務引継ぎの件かと思いきや、ここ二年分の帳簿を取りに行かせるから準備するように書かれていた。

 帳簿の点検は定期的に行われているので、それ自体は珍しいことではないが、二年分の帳簿をまとめて要求されるのは異例だ。


 しかも、集荷関連の帳簿だけでなく、バルディーニ様の学院関連の帳簿も準備するように書かれている。

 更には、今回の帳簿の件はバルディーニ様には伝えないようにと書かれてあった。


 つまり、バルディーニ様に関連して不審な金の流れがあるとクラウス様はお考えなのだろう。

 帳簿については、九割以上は私が管理しているが、バルディーニ様も確認を行っている。


 不審な点など無い……と断言したいところだが、絶対に見落としが無いかと問われれば、無いとは言い切れない。

 日常業務を急いで片付け、二年分の帳簿を古いものから見直していく。


「特におかしな所は無い……ん? なんだ、このインク代」


 改めて見直してみると、インクやペン、紙などの事務用品の購入記録が頻繁に出てくる。

 金額自体は高額ではないが、頻度がおかしい。


「こんなに紙やインクは使わないし、この筆跡は……」


 良く似ているが、私の筆跡ではない。

 ジワリと嫌な汗が背中を伝っていく。


 この帳簿を扱っているのは、私とバルディーニ様だけだし、金庫の鍵も同様だ。

 更には、学院関連の帳簿でも不審な支出が散見された。


 一つ一つの金額は驚くようなものではないが、全部合わせると結構な金額になる。

 誰が……については言うまでもないが、一体何に使われたのかが問題だ。


「これが黙っていろという理由か……だが、一体どこから発覚したんだ?」


 ヴォルザード家の金庫から不正に金が持ち出されたのは間違いないし、誰が持ち出したのかは言うまでもない。

 だが問題は、何処の誰が、どうやって不正な金の持ち出しに気付いたかだ。


「私とバルディーニ様しか帳簿には触っていないはずだが……まさか、コボルト?」


 影の中を自由に移動できるコボルトならば、帳簿を閲覧するなど簡単だろう。

 だが、コボルトに帳簿を読み解く能力があるのだろうか。


「いや、私達の知らない間にコボルトが持ち出して……ケント・コクブか。だが何のために……まさか」


 ケント・コクブはヴォルザード家の家督を狙っているのだろうか。

 ヴォルザード家にはアウグスト様という有能な後継者がいらっしゃる。


 バルディーニ様を失脚させたところで、アウグスト様がヴォルザード家を継ぐことに変わりはない。

 それに実績という面から見れば、ケント・コクブのヴォルザードへの貢献度はバルディーニ様の比ではない。


 策を弄してまでバルディーニ様の足を引っ張る必要などないのだ。

 第一印象こそ良くなかったが、ケント・コクブは誠実な人物であるのは分かっている。


 だからこそ、クラウス様もベアトリーチェ様との婚姻を認めたのだ。


「ケント・コクブでないとすれば、領主様同士の繋がりからだろうか……」


 ケント・コクブの眷属であるコボルトを活用して、ランズヘルト共和国の領主同士は迅速に連絡を取り合えるようになった。

 あるいは、そうした繋がりから不審な金の流れの情報が届けられた……などと考えてみたが、そうした状況になるには金額が小さすぎる気がする。

 いくら考えても答えは出そうもないし、私がやるべき事は帳簿を取りまとめてコボルトに手渡すだけだ。

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