第826話 消える馬車の噂(後編)

 イロスーン大森林を抜ける街道と森を隔てる深い堀は、水堀ではなく空堀です。

 水が溜まってしまうと、せっかく深く掘り下げた意味が無くなってしまうからです。


 そこで堀の下にも排水溝があり、雨水は地下水系に流れていくように作られているのですが、飛んで来た土が積もり、草が生えていました。

 雨水で土が洗い流されるよりも、草が根を張る方が早かったのでしょう。


 そして、空堀の底には、多くのゴブリンの姿がありました。

 堀に落ちたものの生き残った個体が、繁殖して数を増やしているのでしょう。


『これは酷いですな』

「やっぱり、上から投げ捨てられたみたいだね」


 コボルト隊が発見した遺体には折れた矢が何本も突き刺さっていて、一部の遺体は魔物に齧られていました。

 遺体の状況を目にしたラインハルトは、産廃の不法投棄のように捨てられた遺体を見て顔を顰めています。


『ケント様、あちらを御覧下さい』

「壁が黒ずんでる?」

『おそらく血痕でしょうな』


 空堀の壁の黒ずみの上は、街道からの排水溝になっているようです。


『街道に撒き散らされた血痕を水属性魔法で洗い流しているのでしょう』

「せっかく整えた街道の設備を悪事に利用されるのは腹が立つね」 

『まったくです。人々が安全に通行できるように作った道を悪用するなど不届き千万ですぞ』


 街道の工事に関わったラインハルトにすれば、この状況は許しがたいのでしょう。

 腕組みをして、犯罪現場を睨み付けるラインハルトの後ろで、コボルト隊も腕組をしています。


「とりあえず、この遺体をどうすれば良いか、バッケンハイムのギルドに相談に行こう」


 影移動で向かった先は、バッケンハイムギルドの奥にある、マスター・レーゼの居室です。

 マスター・レーゼは、相変わらず踊り子のような布面積の少ない服を着て、ソファーに寝そべりながら何かの書類を睨んでいます。


「ケントです。入ってもよろしいですか?」


 影の中から声を掛けると、マスター・レーゼは眉間の皺を消して笑みを浮かべ、手にしていた書類をテーブルに放り出しました。


「入りや」

「ご無沙汰しております」


 闇の盾を出して表に出ながら、マスター・レーゼと影のように控えているラウさんに頭を下げました。


「我のことなど忘れてしもうたと思っておったが、どうやら気分の良い話を持ってきた訳では無さそうじゃな」

「申し訳ありません。消える馬車の件でお邪魔しました」

「もう犯人を捕らえたのかえ?」

「そこまでは……ただ、犠牲者と思われる遺体を発見しましたので、どうすれば良いかと思いまして」


 遺体発見現場の状況を説明すると、マスター・レーゼの眉間に再び深い皺が刻まれました。

 そして、マスター・レーゼに目で合図されたラウさんが部屋を出て行き、暫くするとギルド職員のリタさんと一緒に戻ってきました。


「ケントさん、ご無沙汰してます」

「こちらこそ、突然押し掛けてすみません」


 リタさんは、相変わらずアイスブルーの髪をショートカットに切り揃え、近寄りがたいキリリとした雰囲気を漂わせています。

 かなりの美形ですが、このクールな雰囲気のせいで行き遅れ……げふん、げふん、何でもないです。


「遺体の回収は、守備隊と相談の上、こちらで行いますので、場所を教えていただけますか?」


 リタさんが持参した地図に遺体発見現場の印をして、状況説明をしました。


「遺体は僕の眷属に見張らせていますが、引き上げるのは大変だと思いますよ」


 魔物の侵入を防ぐための堀なので、登るための手掛かり足掛かりがありません。

 コボルト隊やゼータたちが硬化させた後、僕が送還術を使って真っ平に切り出しています。


 そのため空堀の底に降りるには、ロープで垂直降下をする必要があります。

 登山や人命救助の各種装備が充実している日本ならまだしも、ランズヘルト共和国では個人の能力頼みです。


 まぁ、強力な身体強化が使える人なら、案外簡単にこなしちゃいそうですけどね。

 遺体の回収の件は片付きましたが、肝心の犯人への対策がまだです。


 近藤達の予想を伝えると、マスター・レーゼもリタさんも興味を惹かれたようです。


「なるほど、偽の乗り合い馬車とは面白い事を考えるのぉ。どう思う、リタ」

「可能性としては十分に考えられます」

「対策は?」

「野営地での身許確認を厳格化するぐらいでしょうか?」

「そうじゃが……あまり厳しくして往来が不便になるのも考え物じゃのぉ……」

「でしたら、街道を行き来する馬車の持ち主を登録制にするのはいかがでしょう」

「それだと、馬車の貸し借りが難しくなりそうじゃな。まぁ、どんな対策を講じるか検討するとして、実施するのは先の話じゃ」


 現実の被害が出ている状況なので、早急な対策が取られると思っていたので、マスター・レーゼの言葉は意外でした。


「すぐ対策しないんですか?」

「ケントよ、対策をすれば盗賊どもは別の手口を考えるぞぇ」

「まさか、捕らえるまで対策をしないんですか?」

「そうじゃ、これまでバッケンハイムで把握しているだけでも五台以上の馬車が消えておる。当然、馬車の持ち主は殺され、堀の下へと投げ捨てられたのじゃろう。その者たちの恨みを晴らさずにおいて良いと思うのかぇ?」

「それは駄目ですけど、もたもたしていると次の犠牲が出てしまうのでは?」

「そこで、Sランクの出番という訳じゃ。馬車を奪う盗賊どもの討伐、よもや断るとは言わぬよな?」

「仕方ありませんね。ただ、本当に偽の乗合馬車を使った犯行とは限らないと思いますが……」

「そこは臨機応変に対応してもらうしかなかろう」

「まぁ、乗りかかった船ですから、引き受けますよ」

「報酬は、通常の盗賊討伐の報奨金に加えて、百万ヘルトでどうじゃ?」

「結構です。じゃあ、早速動きますので……」

「うむ、吉報を待っておるぞぇ」


 リタさんに指名依頼の契約書を作ってもらい、マスター・レーゼと僕がサインを終えたら盗賊討伐の開始です。

 影の空間に潜ると、ラインハルトが待ち構えていました。


『ケント様、どのように動きますか?』

「まずは怪しい連中を見つけないとね。手の空いている眷属を集めて、野営地を監視しよう。馬車を狙う盗賊ならば、野営地でターゲットを探すはず」

『獲物を物色した後は、襲う手順を確認するでしょうから、動かぬ証拠を押さえておきましょう』

「まぁ、盗賊は死罪って決まってるけど、撮影しておけば後でゴタゴタすることも無いだろうしね」

『それでは、狩りを始めるといたしますか?』

「うん、一人も逃がさないように徹底してやろう」


 僕らを敵に回すことが、どういうことなのか、思い知らせてやりましょう。

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