第813話 ヒモの悲哀(ギリク)

※今回はギリク目線の話です。


「出てくる……」

「待って、襟が曲がっているわ」


 昼近くになって戻ってきたヴェリンダから逃げるように家を出ようとすると、引き留められて服装を整えられ


「構うな……」

「駄目、身嗜みは整えないと舐められるわ」


 何を今更……と言いかけて言葉を飲み込む。

 ヴェリンダは俺の服装を整えながら、ポケットにコインの詰まった革袋を差し入れて来る。


 咄嗟に突き返そうと思っても、右のポケットを左手で探るには、体を寄せているヴェリンダを突き放すしかない。

 利き腕である右腕を失って以後、生活の殆どを厄介になっている身の上で、それをやるほど腐ってはいない。


 いや、腐ることすら許されていないと言った方が正しいのかもしれない。

 ヴェリンダからは濃い化粧とタバコの匂いがする。


「いってらっしゃい」

「おぅ……」


 ヴェリンダに見送られて家を出たが、行く当てなど無い。

 同じ場所で、同じ空気を吸っているのに耐えられないくて逃げ出しているだけだ。


 魔の森で助けられ、街まで運ばれて治療を受けた俺は、ギルド既定の治療費と謝礼を支払うことになり、ダンジョンでの儲けの殆どを失った。

 利き腕を失い、武器や装備も殆ど失った俺は、冒険者として稼ぐ手立ても失った。


「これまで頑張って稼いで来たから、神様が休めと言ってるのよ……」


 ヴェリンダは今度は自分が稼ぐと言って、働きに出るようになった。

 酒場の仕事だとしか聞かされていないが、日が暮れる頃に家を出て、帰って来るのは翌日の昼近くだ。


 夜は酒場の仕事をして、深夜に帰るのは危ないから店に泊まり、掃除を済ませてから戻って来るから昼近くになるらしい。

 送り迎えをしてやろうかと聞いてみたが、終わる時間が不規則だからと断られた。


 ヴェリンダが酒場の仕事と称している仕事の中身がどんなものか、想像できないほどガキではない。

 既に身籠っている女の方が、都合の良い商売があることぐらい俺にだって分かる。


 分かっているからこそ、すれ違うように家から逃げ出したのだ。

 利き腕を失って、一時荒れて当たり散らしたが、ヴェリンダは俺をBランクの冒険者として扱い続けた。


 この程度で終わる訳がない、いずれ冒険者として名を残す……などと真顔で言われ続ければ、八つ当たりを続けられなかった。

 八つ当たりは止めたが、今の俺はただのヒモだ。


 例え、右腕を失っても、左手一本であってもゴブリン程度には負けやしない。

 だが、オークならどうだ、オーガに勝てるのかと問われれば、自信を持って勝てるとは言えない。


 それどころか、負ける確率の方が高いだろう。

 負けたらどうなる、今度は左腕まで食われるのか、それとも命まで奪われるのか。


 ヴェリンダに八つ当たりをしていた時期、俺は悪夢にうなされる夜を過ごしていた。

 一人きりで眠ると、ロックオーガに腕を引き千切られた場面を繰り返し夢に見た。


 あいつは、引き千切った腕を俺に見せつけるようにして食いやがった。

 腕を千切られ、足を折られ、逃げ出すことすらできずに、自分の腕が食われる絶望感に、悲鳴を上げて目を覚ますこともあった。


 全身が嫌な汗でビッショリで、恐怖に負けて漏らしていないか確かめては胸を撫で下ろしていた。

 正直、今の俺には一人で魔の森に踏み込む勇気すら無い。


 腕を失った後、城壁に昇って森の匂いを嗅いだだけで足が震えたほどだ。

 魔の森どころか、ギルドにも足を踏み入れられずにいる。


 今の姿を顔見知りの冒険者に見られたくない。

 例え自分よりも上のランクの冒険者にだって、下手に出たことなど無かったし、ましてや自分よりも年下の連中は見下してきた。


 だが、今の俺はそんな連中からも見下される状態だ。

 いや、腕を失う前の晩、それまで見下していたガキの一人に叩きのめされた。


 ドノバンのおっさんには酔っていたからだと言ったが、酔っていなくても負けていたと思う。

 ダンジョンで泡銭を稼いで、遊び呆けている間に体が鈍りきっていたのだ。


 腕を失った後、ダラダラとすごしていた今では、更に鈍っているはずだ。

 冒険者としてやり直すなら、ギルドに行って今の俺でもできる仕事を探すしかないのに、舐められるのが嫌で、哀れみの目を向けられるのが嫌で、足を踏み入れられずにいる。


 ギルドに向かって歩き、建物が見えるところまで来ると横道に逸れる。

 そのまま遠ざかる訳にもいかず、別の道から近付いては別の横道に逸れる。


 そんな事をしながらも、ギルドの噂に耳を立てていると、ギガースという言葉が耳に飛び込んできた。

 ギガースといえば、街一つを滅ぼしてしまうほどの危険な魔物だ。


 守備隊や軍隊、騎士団などが立ち向かっても返り討ちにされかねない魔物が、討伐されてギルドに持ち込まれたらしい。

 そんな危険な魔物が現れたなら、警報の鐘が鳴らされるはずだが、ここ最近警報が出された覚えは無い。


 噂話に興じている、見知らぬ商売人に訊ねてみた。


「ギガースなんて、どこに現れたんだ?」

「遥か西の国とか言ってたぞ」

「バルシャニアか?」

「いいや、もーっと遠くの国らしいぞ。魔物使いが仕留めて運んできたそうだ。また素材で盛り上がるぞ」

「ちっ、またクソチビか……」


 一番聞きたくない奴の二つ名を耳にして、ギルドに背を向けて歩き出す。

 どうせまた強力な魔物に討伐させて、自分は何もしなかったのだろう。


「クソが、俺はあんなチビみたいな……」


 口にしかけた言葉を飲み込んで、俺は立ち止まった。

 魔物を使って稼いでいるクソチビと、ヴェリンダに養われている自分の何が違う。


 今の俺に、クソチビをなじる資格なんか無いだろう。


「おい! 道の真ん中で突っ立ってんな、邪魔だ!」


 後ろから荷物を担いだオッサンにぶつかられただけで、道の端までよろけて建物の壁に左手を付いてしまった。

 以前の俺なら、追い掛けて吊るし上げるところだが、今は文句を言い返す気力も無い。


 馬鹿にして、否定し続けてきたクソチビと、今の自分が同じだと思うと愕然とした。

 何も考えられず、フラフラと歩みだけを進める。


「俺がクソチビと同じ……待てよ、それなら……」


 それなら俺だって、世間から賞賛されたって……と思いかけた瞬間、交差する通りを歩く桃色の髪の女を見つけて、反射的に背中を向けてしまった。

 同時に、今の俺が賞賛なんてされるはずがないと思い知ってしまった。


 惚れた女に胸を張って会いに行くどころか、背中を向けて隠れるような男が、世間から認められるはずがない。

 足を速めて、その場から逃げるように立ち去る男を俺自身が認められる訳がない。


 足を速めて倉庫街の端まで戻り、昼間から開けている安酒場のドアを潜る。

 そこでも聞こえて来るのは、ギガースと魔物使いの名前ばかりだった。


「ちっ……どうすりゃいいんだよ」


 もうヴォルザードには、俺が気分良く過ごせる場所なんて存在しない気がしてきた。

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