第748話 国分家の食卓
「ただいま……」
「おかえり、唯香。今日はいつもよりも遅かったね、忙しかったの?」
「うん、患者さんが押し掛けてきて大変だった」
いつもなら唯香はもっと早い時間に帰宅して、入浴も着替えも済ませているのですが、今日は夕食ギリギリの時間に帰ってきました。
「ただいま~」
「おかえり、マノンもお疲れ様」
「うん、疲れたよ」
唯香と同じ治癒院で働いているマノンも忙しかったようで、僕に寄りかかるように抱き付いてきました。
「マノン?」
「んー……ケント成分を補給させて」
「今日は甘えん坊さんだねぇ」
「私も……」
「はいはい、唯香もだね」
美少女二人が、僕に元気の素を求めて抱き付いてくるなんて、なんて幸せな世界なんでしょう。
てか、僕も色々と元気になっちゃいそうですよ。
「唯香たちが忙しかったのって、もしかして例のポーション絡みなの?」
「そうなの、守備隊の人が町中に知らせて回ったからポーションを飲むのを止めて……」
「ブースター切れの時みたいに動けなくなった?」
「その通り。でも、治癒魔術を掛けても回復しないから困っちゃう」
経験者は語るではないけど、ブースターが切れた時の反動は治癒魔術では回復できません。
回復できるんだったら、唯香たちに下の世話を焼いてもらわずに済んだんですけどねぇ。
「次から次に患者さんが来るから受付もごった返しちゃって、他の病気や怪我の人もいるから、守備隊の人に別の窓口を開設してもらって対応したんだけど……ホントに疲れたよ」
マノンも水属性の治癒魔術を使えるようになっているみたいですが、それよりも患者さんの仕分けなどの支援の方面に才能を開花させているようです。
「ということは、相当な数の人が例のポーションを服用してたってことか」
「うん、今日だけでも百人以上の患者さんがポーション絡みだった」
「そっか……二人とも、汗を流して着替えてきなよ。夕食を食べ始めるのは待ってるからさ」
「えっ、もしかして、僕汗臭かった?」
「やだ、私も?」
「いやいや、大丈夫だよ。二人ともいい匂い……」
「嗅いじゃ駄目ぇ!」
「私、お風呂入ってくる!」
「僕も!」
疲れた足取りで帰ってきたのに、唯香とマノンはバタバタとお風呂に走っていきました。
ちょっと汗の匂いが混じっているのもまた……なんて、僕は匂いフェチじゃないですからね。
唯香とマノンが石鹸の香りに包まれて戻ってきたところで、みんな揃っての夕食となりました。
明るく、楽しく、愉快な食卓……といきたいところなんですが、どうしても話題は例のポーションになっちゃいます。
「それじゃあ、健人はセラやカミラと一緒にバルシャニアとリーゼンブルグの連携体制の構築に関わってたの?」
「正確には、リーチェも加わってヴォルザードも加えた体制作りをやってたんだ」
まぁ実際には僕らが体制を作る訳ではなくて、バルシャニア帝国の皇帝コンスタン、リーゼンブルグ王国次期国王ディートヘルム、ヴォルザード領主クラウスの三者による話し合いで大枠が決められたんですけどね。
僕は、バルシャニアのグリャーエフ、リーゼンブルグのアルダロス、そしてヴォルザードを闇の盾で繋げて会話ができるようにしただけです。
「今回の一件は、バルシャニア、リーゼンブルグ、ヴォルザードの関係が一気に改善したことで生まれた負の要素だから、三人とも憂慮していたよ」
バルシャニアやヴォルザードからも集めた情報を整理すると、今回のポーションもどきはアルダロスで作られた可能性が高くなっています。
「ディー……弟の話によると、出回り始めた時期はアルダロスとラストックでほぼ同時期だったらしい。どうも、ラストックの復興事業で人々の疲労が蓄積するのを見越して、気付け薬のような形でバラ撒いたようだ」
カミラが話したように、酔って暴れて死亡する……といった感じのポーションもどきによる典型的な事例は、アルダロスとラストックでほぼ同時期、少し遅れてヴォルザードで発生しているようです。
「父の手許に届いている情報では、バルシャニア国内では同様の事例は起こっていないようです。ただ、情報が伝わるまでの時間を考えると、既にチョウスクなど国境付近の街では出回っている可能性もあります」
セラフィマが言うように、コボルト隊の連絡網が整っている場所同士ならば、一瞬で情報を届けられますが、通常は急いでも数日単位で時間が掛かったりします。
今の時点では何の情報も伝わっていなくても、実際には既に事案が発生している可能性があるのです。
「リーチェ、マールブルグやバッケンハイムには知らせてあるのかな?」
「はい、ヴォルザードで禁止令を出すのと同時に、コボルト隊の連絡網で各地に知らせを出しています」
ポーションもどきが引き起こした事例やコーリーさんによる解析結果などに加え、押収した実物も届けてあるそうです。
情報の伝達速度では日本の方が上でしょうが、実物を届ける速度ではこちらの世界の方が上ですね。
「マールブルグやバッケンハイムからの報告では、まだ事例は確認されていないそうです」
「早めに手を打てて良かった」
もし、コボルト隊の連絡網が無ければ、早馬を走らせたとしてもマールブルグまでは二日は掛かります。
その間に、何人もの命が失われていたかもしれません。
「例のポーションが出回っていたら、そうなっていたかもしれないね。僕が聞いた話では、昨晩も二人亡くなったそうだよ」
マノンがポーション絡みの患者用の窓口を開設する時に、守備隊員から昨晩起こった事例について聞いたらしい。
守備隊員が街を回って告知を続けていますが、話を知らずにポーションもどきを飲んでいた人が酒を飲み、暴れる事例はまだ起こっているようです。
「ケント、ポーションを作った人って捕まえられないのかな?」
「リーゼンブルグでも事態を重く見て、捜査を進めているそうだけど、ちょっとむずかしいみたい」
アルダロスやラストック、そしてヴォルザードに出回っていた量から考えると、大きな組織が絡んでいる可能性が高いようですが、それ故に捜査は難航する可能性が高いようです。
「大きな組織が絡んでいるなら、目星を付けやすいんじゃないの?」
「うん、僕も唯香と同じように考えたんだけど、組織が大きくなるほど保身も入念に行われるんだよね?」
「そうです。トカゲが尻尾を切るように、末端を切り離して頭を守るのが奴らの手口です」
僕に代わってカミラが説明してくれましたが、今回のポーションもどきのように効果は高いが副作用もヤバい薬物の場合、大量に生産してストックしておいて一気に売り捌き、生産設備などは放棄または移転させてしまうそうです。
「つまり、騒ぎが起こった時には証拠は消した後ってこと?」
「その通りだ」
「じゃあ、逃げ得になっちゃうの?」
「そうならないように、弟たちが行方を追っているのだが……」
うん、唯香とカミラが深刻な話をしている姿って、ラストックの駐屯地時代のことを思い出して、なんだかピリピリしているように見えちゃうよね。
「とりあえず、ディートヘルムたちはポーションもどきを持ち込んだ売人を片っ端から捕まえて、辿れるだけ上に捜査の手を伸ばしているそうだよ。今回の件で、得体の知れない薬は危険だっていう認識が広まったみたいだから、それを徹底していけば薬物で儲けていた連中は稼ぎを失うんじゃない?」
「そうか、今回は駄目でも、次の事案を潰していけば組織を壊滅に追い込め……る?」
「簡単ではないけど、希望はあるよね」
情報化の進んだ日本では、違法薬物は身を亡ぼすと広く知られているはずなのに興味本位で手を出す人が後を絶ちません。
情報の伝わりにくいこちらの世界では、なおさら違法薬物の撲滅は難しいのでしょうが、立ち向かわない訳にはいきません。
「それにね、ラストックの復興を邪魔するような行為に、めちゃくちゃ怒っている人たちがいるから、案外組織の頭まで辿り着くかもしれないよ」
リーゼンブルグの三忠臣と呼ばれた人たちが激オコなので、案外組織が壊滅する日も近いかもしれません。
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