第741話 ヤバいポーション
普段履いている靴の底が擦り減ってきたので、マルセルさんの靴屋を訪ねることにしました。
底は擦り減っているけれど、靴自体はヨレていないので、修理が可能ならばお願いしようと思っています。
ついでに、修理の間に履く靴を新調しましょうかね。
かつて鷹山が魔法で半焼させたせいで新築したマルセルさんのお店を訪ねると、なんだか商品を並べている棚に、あちこち隙間ができていました。
「こんにちは」
「あら、ケントさん、いらっしゃい!」
出迎えてくれたのは、マルセルさんの奥さんでした。
「今日は、靴を一足新調して、こっちの靴の修理をお願いしようと思ってるんですけど、マルセルさんは?」
「裏で作業してるわ。あんた! ケントさんがいらしたよ」
「おぉ、ここをやっちまったら行く……」
奥の部屋からは、マルセルさんの声と共に、コンコン、コンコン……っと、小気味よい音が響いてきます。
「お忙しそうですね?」
「そうなの、まとめて仕入れたいって商会から声が掛かってね」
「あぁ、もしかしてラストックに持って行く分ですかね?」
「そうみたいね。うちとしては商品が売れるのは有難いんだけど、見ての通り、店で売る分まで不足がちでね」
「それじゃあ、マルセルさんは働き通しですか?」
「まぁ、稼げる時に稼いでもらわないとね」
女将さんと話をしていたら、作業の音が止んでマルセルさんが店に出てきました。
「ご無沙汰してます……って、マルセルさん、大丈夫ですか?」
工房から現れたマルセルさんは、見るからに顔色が悪くて、目の下には隈までできています。
「おぅ、ケント、久しぶり。いやぁ、景気が良いのは有難いが、仕事が追い付かねぇよ」
「ちゃんと休んでます? あんまり無理すると、ガクンっと来ますよ」
「あー……まぁな、だが、この好景気だって何時まで続くか分らねぇからな、今は多少無理してでも稼いでおかないとな。それで、今日は何だい?」
「靴を一足新調して、こっちの靴は出来たら修理をお願いしたかったんですけど……暫く無理そうですね」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。他の仕事がどうなろうと、ケントの頼みを断る訳ねぇだろう。それに、ちゃんと手入れして履いてくれてるじゃないか」
「えぇ、まぁ……」
実を言うと、靴の手入れはルジェクの姉、マルツェラがやってくれてるんですよね。
玄関で脱いで、揃えて置いておくと、翌朝にはピカピカに磨き上げられてるんです。
「そこまで丁寧に履いてもらえたら、靴屋冥利に尽きるってもんだ。よーし、新しい靴を……おっとっと……」
「ちょっ……マルセルさん?」
「あぁ、大丈夫、大丈夫、ちょっと立ち眩みがしただけだ。そんな時は、こいつをクイってやれば……」
マルセルさんは、作業用のエプロンのポケットからポーションの瓶を取り出すと、蓋を開けてぐっと煽りました。
その姿を見て、女将さんは眉をしかめています。
「おーし……気合い入ったぜ」
「マルセルさん、それ……何ですか?」
「こいつか? こいつは気付けのポーションだ。こいつをクイってやれば、眠気が飛んで意識がハッキリすんだ。大量注文を持ってきた商会の奴が差し入れしてくれたんだ」
「大丈夫なんですか、それ……」
「だーいじょぶ、大丈夫、ケントもちょっと飲んでみるか?」
そう言った後で、マルセルさんは声を潜めて僕に耳打ちしました。
「こいつは、あっちの方にも効果てきめんだぞ、ビンビンで疲れ知らずだ」
ニヤっと笑ったマルセルさんの目は血走っていて、どこか焦点が合っていないように見えます。
「マルセルさん、ちょっとそこの椅子に座ってもらえますか?」
「おっ、何でだ?」
「いいから、いいから……ちょーっと座って下さい」
「おっ、おう……」
マルセルさんを半ば強引に、靴の試着用に置いてある椅子に座らせ、後から肩に手を置いて治癒魔術を発動させました。
「うわっ、なんだこれ……」
「どうしたの、ケントさん」
マルセルさんの異変を感じていたのでしょう、女将さんが不安そうに訊ねてきました。
「体の中の魔力の流れがグチャグチャになってます。マルセルさん、それ飲んじゃ駄目です!」
「うぇぇぇぇ……でも、こいつを飲むと……」
「魔力の流れに異常をきたして、元気になったと錯覚させてるだけだと思います。女将さん、すみませんが水を水差しで持って来てくれませんか?」
「分かったわ」
「おい、ケント……どうすんだ?」
「これから、マルセルさんに水を多めに飲んでもらって、さっき飲んだポーションの成分を小便として体の外に出すようにします。それは、使っちゃ駄目です」
「お、おぅ……分かった」
マルセルさんに水を飲んでもらいながら、治癒魔術で体の代謝を高めて、ポーションの成分を尿として排泄してもらいました。
二度ほどトイレに行った後、薬が切れた反動なのかマルセルさんは立ち上がれなくなってしまいました。
「これ、ブースターじゃないのかな……」
「ケント、体が上手く動かせねぇ……どうなっちまったんだ?」
「昔、戦争で使われたブースターっていうヤバい薬があるんです。魔力を強制的に引き上げてくれる一方で、効果が切れると身動きできなくなります」
「なんだよ、それ……ヤバいじゃねぇかよ」
「まだ、このポーションがブースターだと決まった訳じゃないですけど、それに類する物なのは間違いないですね」
「う、動けるようになるんだよな?」
「なりますけど、三日ぐらいは動けないかもしれません」
「嘘だろう! 仕事が……」
「そんなもん、体の方が大事に決まってるでしょう! って、僕も必要に迫られて使ったことがあるんで偉そうなことは言えないんですけどね」
ブースター経験者の僕から見ると、マルセルさんの状態はブースターの効果が切れた状態のように見えます。
ただし、マルセルさんの飲んでいたポーションの色は、コーリーさんのブースターとは違っています。
コーリーさんのブースターは透き通った青紫色をしていますが、マルセルさんが使っていたポーションは赤黒く濁っています。
てか、どっちも見た目からしてヤバそうなんだけどね。
治癒魔術を全身に流していますが、マルセルさんは動けるようになりません。
これも、僕がブースターを使った時に酷似しています。
僕の時も、唯香が懸命に治癒魔術を掛けてくれたけど効果無かったんですよね。
僕自身は、魔法も使えなければ、身動きも出来ない状態で、食事や水を飲むのも、下の世話もお嫁さんたちに頼り切りでした。
それを話すと、マルセルさん一声呻いて絶句していました。
「マルセルさん、このポーション、まだありますか?」
「あぁ、工房に二、三本あるはずだ」
「僕が預かっていっても良いですか? クラウスさんに相談しないといけないんで」
「あぁ、構わない。もう、懲り懲りだ。あの商会の番頭め……動けるようになったらぶん殴ってやる」
「まぁ、動けるようになったら……ですけどね」
「あぁ……マジか、尿瓶とオマル生活なんて……」
「それは女将さんのセリフですよ」
「はぁぁ……本当だよ。だから、そんなものに頼るんじゃないって、あれほど言ったのに」
「しょ、しょうがねぇだろう。俺だって、こんな事になるとは思ってもいなかった……てか、小便したいんだけど……」
「どうすんだい、うちに尿瓶なんか無いよ!」
「守備隊の治癒院で借りれてきましょうか?」
「頼むケント、急いでくれ!」
「まぁ、マルセルさんの頼みですし、ちょいと行ってきますよ」
影に潜って治癒院まで移動して、マノンに事情を話して尿瓶とオマルも借りてきました。
これで当分の間、マルセルさんは女将さんに頭が上がらないでしょうね。
それにしても、こんなヤバい代物、どこから入ってきたんでしょうかね。
ポーションの影響なのか、それとも元々だったのか分かりませんが、マルセルさんの肝臓には小さいながら腫瘍も出来ていました。
あのまま服用を続けていたら、命を落としていたかもしれません。
マルセルさんに大量発注をした商会の名前を聞き、ポーションの実物を預かってクラウスさんの執務室へと移動しました。
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