第610話 世紀の天体ショー
いよいよ小惑星の欠片が、地球に到達する日がやってきました。
一時期は人類滅亡の悲観論が世の中に溢れて暴動まで起きていましたが、今は世紀の天体ショーを一目見ようと盛り上がっています。
ただし、各国政府からは屋外には出ずに、丈夫な建物の窓から離れた場所で安全を確保するように通達が出ています。
実際、五十メートルを超えるような大きさの欠片は極力排除しましたが、十メートルクラスだと全部は潰しきれていません。
欠片の数が多く、どの程度の数が地球に落下するのか、どの程度の数が地上まで影響を及ぼすのか分かっていません。
それでも、少なからぬ被害が出るというのが専門家の意見でも大勢を占めています。
そのため各国政府が屋内への避難を呼びかけているのですが、これまでの隕石の被害の頻度から、自分の所は大丈夫だろう……と考える人が多いようです。
テレビ局などは、リモートカメラでの中継を予定しているようですが、動画サイトに投稿している人や中継を計画している人の中には、屋外観測を予定している人も少なくないようです。
僕はといえば、これから梶川さんの合図と共に、ISSや人工衛星などに闇の盾を設置する最後の作業に取り掛かります。
「健人、無理しちゃ駄目なんだからね」
「分かってるよ、今日は影移動して闇の盾を設置するだけだから、手間はかかるけど魔力はあんまり使わないから大丈夫だよ」
「ブースターは駄目なんだからね」
「分かってます、ちゃんと帰ってくるから心配要らないよ」
「絶対だからね、約束なんだからね」
「大丈夫、約束する」
ブースターの副作用から立ち直って以後、唯香が甘々モードです。
これまでだったら、眉をキューって吊り上げてお説教モードになりそうな場面でも、少し頬を膨らませて涙目でお願いされたら、ぎゅーって、ぎゅーってせずにはいられません。
マノンも、ベアトリーチェも、セラフィマも、ぎゅーってして、ちゅーってして最後の仕上げに出掛けました。
影の空間を移動して、闇の盾を設置して、ゴーレムに維持を任せる。
作業としては単純ですが、漏れが無いかチェックしながらですから、一ヶ所あたり、二、三分は掛かります。
昨日までにゴーレムを設置しておいた二百か所を超える衛星などに、盾の設置を終えるまでには八時間以上掛かりました。
ただし、これで万全という訳ではなくて、地球上空を周回している人工衛星は八千基を超えているそうなので、なんらかの影響は出るでしょう。
盾を設置した衛星だって絶対に守れる訳ではありませんが、僕にできることはここまででしょう。
作業完了を梶川さんに報告してから自宅に戻り、入浴と食事を済ませて、テレビの前に陣取りました。
衛星放送は受信できませんが、東京の地上波は受信できます。
公共放送のチャンネルに合わせると、スタジオと各地のリモートカメラを結んだ特番が放送されていました。
タブレットで動画サイトを見てみると、見晴らしの良い場所から中継を行っている人が目立ちます。
自宅のリビングには、唯生さんと美香さん、美緒ちゃん、フィーデリア、それに眷属達も顔を揃えています。
かなり広いリビングなんですけど、今日は満員御礼って感じですね。
「健人お兄ちゃん、日本は大丈夫なの?」
「何千人、何万人もの人が亡くなるような被害は出ないと思う。ただ、まったく被害が出ないとは言い切れない」
テレビの画面に目を向けると、渋谷のスクランブル交差点が映し出されていました。
日本は夜の八時ぐらいで、普段のこの時間であれば多くの人が行き交っているはずですが、今夜は人影が少ないように見えます。
ただ、奇抜な格好をしたウェ~イな人々が少なからず見受けられますね。
こうした人達って、騒ぐ理由があれば何でも良いんでしょうね。
「あっ、光った!」
美緒ちゃんが思わず声を上げるほど、中継映像に明るく光る流れ星が映し出されたのを皮切りに世紀の天体ショーは始まりましたが、それは世間の予想を大きく超えるものでした。
流星雨というと、流れ星が雨のように次々と流れて夜空を彩るイメージですが、実際には直径一メートルを超える岩の塊が世界各地へと降り注ぎました。
日本、オーストラリア辺りが東の端で、西は大西洋と南米の東部辺りまで。
広範囲にわたって隕石が落下し、各地に被害をもたらしました。
公共放送の特番は、天体ショーどころか各地の被害を伝える番組になっています。
「うわっ、横浜の高層ビルが……」
横浜で一番高い高層ビルは、中層階に斜めから隕石の衝突を受けて崩れ落ちました。
関西国際空港では、落下した隕石によって滑走路に大きな穴が開いています。
新幹線、在来線も軒並み運航停止、高速道路も封鎖されました。
衝撃波によってガラスが割れるなどの家屋の被害も次々に報告され、時間を追うごとに負傷者、死者の数が増えていきました。
SNSや動画投稿サイトには、落下した隕石による被害映像が次々にアップされていきます。
それは日本だけでなく、世界各国でも同様の事態が起こっているようです。
特に、インド、中央アジア、中東諸国辺りでは、隕石の落下角度が深く、衝撃の度合いも大きかったようです。
有名な寺院やモスクなどにも落下し、集まっていた民衆に多くの死傷者が出ているようです。
小惑星の軌道を変更し、大きな欠片を砕き、ISSや人工衛星の守りも固め、もう大丈夫だという気になっていたので、次々に知らされる被害の大きさに愕然としています。
そして、小惑星の接近を聞いた当時、恐れていた事態が実際に起こってしまいました。
『今入りました情報によりますと、フランス北部のノジャン原子力発電所に隕石が落下し、原子炉格納容器が破損、プルトニウムを含む放射性物質が漏洩している模様です』
速報を読み上げるアナウンサーから画面が切り替わり、地図が表示されました。
ノジャン原子力発電所はパリの東南東、約百キロの距離にあり、原子炉の冷却にはセーヌ川の水が使われているようです。
東日本大震災の時に事故を起こした福島第一原子力発電所から東京までは約二百五十キロ、それに比べると半分以下の距離だし、事故の形態も深刻です。
何よりも、セーヌ川はパリの中心部を流れています。
現状では、どの程度まで汚染されるか分からないようですが、福島第一原子力発電所の処理水を海洋放出するどころの話ではないでしょう。
チェルノブイリ、福島を超える深刻な状況になるのは間違いありません。
影の空間からスマホを取り出して、梶川さんに連絡しました。
「国分です、ニュースでフランスの原発事故を知ったんですけど……」
「こちらでも確認しているよ。隕石の落下によって格納容器が壊れたとなると、状況は相当深刻だと思う」
電話の向こうの梶川さんの声からも緊迫した感じが伝わってきます。
「僕が、宇宙空間に送ってしまうというのは?」
「状況によっては依頼するかもしれないけど、国内の原発ではないから、日本政府が勝手に依頼を出す訳にはいかないんだ。それに、宇宙空間への投棄についても国際的な同意が得られるか微妙でね」
元々、宇宙空間には地上とは比べものにならない放射線が存在しているが、だからといって核のゴミを投棄しても良いのかと言えば、そういう話ではない。
緊急事態だからと認めてしまえば、なし崩し的に核のゴミを宇宙投棄する事態になりかねない。
というか、核燃料の最終処分場の選定に窮している日本が、率先して宇宙投棄をやり始めそうな気もする。
「とりあえず、現地の様子を見に行ってみます。何かあれば連絡下さい」
「分かった。ノジャン原子力発電所の状況が分かったら、知らせてほしい」
「了解です。人工衛星の盾を解除するタイミングも忘れずに知らせて下さい」
一日作業を続け、戻ってきてから入浴と食事はしたものの、また外出すると聞いて唯香が不機嫌になりました。
「それって、健人がやらなきゃ駄目なの?」
「ほら、僕は意識だけ飛ばして状況を見れ来られるし、汚染が広がれば故郷を追われる人が増えちゃうからさ」
それでも不満気味の唯香を宥めて、影の空間へ潜りました。
まず始めるのは、ノジャン原子力発電所の特定です。
ネットで地図検索をして場所を調べ、航空写真と何度も見比べて星属性魔法で意識を飛ばした上空から、ようやくノジャン原子力発電所の場所を特定しました。
「うわっ、これは……」
ノジャン原子力発電所には二基の原子炉があるはずですが、東側の格納容器は原型を留めておらず、内部の圧力容器も破損したらしく、核燃料が飛散しているようです。
「これ……ヤバくない? オリンピックどころじゃないよね」
パリでは二千二十四年にオリンピックが開催される予定ですが、ここから百キロ程度しか離れておらず、トライアスロンの水泳はセーヌ川で行われる予定です。
新型コロナで一年延期となった東京大会どころではなく、中止もしくは代替地で開催するしかないでしょう。
「てか、こっちの格納容器もヤバいよね」
かろうじて原型を留めている一基も、格納容器が破損しています。
早めに送還しないと、こちらからも放射能漏れを起こしたら、被害が倍になってしまうでしょう。
ノジャン原子力発電所の上空には、複数のヘリコプターが旋回を繰り返していますが、地上で動く人影は見当たりません。
一旦、意識を体に戻して、梶川さんと連絡を取りました。
「国分です、かなり酷い状況ですけど……」
「こちらでも、テレビの中継映像で確認しているところだよ。既に作業員には退避命令が出ているそうだ」
「それじゃあ、残っている方の原子炉はどうなるんですか?」
「おそらく、自動停止措置が行われていると思う……」
「大丈夫なんですか?」
「分からない、こちらからフランスに問い合わせはしているらしいが、まだ返事が無いらしい、現場も相当混乱しているだろうしね」
フランスからの返答が無い限り勝手な手出しはできないため、この日は待機となりましたが、事態は更に悪化していきました。
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