第582話 ひと区切り
タルラゴス領の領都ビンゼロの城に金庫を届けた翌日、ダムスク公を訪ねてアガンソが亡くなったと伝えました。
「そうか、では病死だったのだな?」
「はい、脳の血管が切れたか詰まったか、眠ったまま目覚めずに亡くなりました」
「節制した暮らしを続けていれば、まだ亡くなるような歳ではないのに……まぁ、これも運命なのだろう」
「ダムスク公は、アガンソと面識があったのですよね?」
「あるぞ。とは言っても、領地が隣接していた訳でもないし、間には湖もあったから直接顔を会わせたのは数えるほどだがな。おそらく、向こうも我のことを欲深い領主と思っていただろう」
そう言うと、ダムスク公はニヤリと笑ってみせました。
昨晩、家族に宛てた手紙の代筆をしていた時も、アガンソはダムスク公への警戒を露わにしていました。
もっとも堅実に、もっとも非情に、もっとも効率良く仕事を進め、己の思った事を確実に実現していく男。
だからこそ、水害の被害が一番酷かったツイーデ川の東岸を押し付け、隣国との備えという重しまで付けたのだと話していました。
それでも、革命騒ぎ以後の状況において大きく水をあけられてしまっているのは、人材の差が大きかったのだろうとも話していました。
革命騒ぎがあった領地では、領主一族が殺されたり追放されたりして、土地を治める者が不在となっていたそうです。
そこでアガンソは、革命騒ぎを起こした連中を投降させ、自主的にその土地を運営させ、それを上から支配する形にしたそうです。
ところが、それまで実質的な領地運営に関わった者がおらず、勢いと熱気だけで主従関係をひっくり返してしまった者達ばかりだったために、互いの利益を主張して反発を繰り返す事態が続き、結果として復興が進まなかったようです。
一方、ツイーデ川東岸を制圧したダムスク公は、革命騒ぎに加担した者達は捕えて犯罪者として扱い、強制労働を課していました。
領地を治める仕組みは、ダムスク公を頂点としたトップダウン方式だそうですし、既に出来上がっていて実績もある方式を導入したから、領地を治めていた者達が居なくなってもスムーズに復興が進んだのでしょう。
革命騒ぎを収めて、自分の支配下に置くまではアガンソがリードしましたが、そこからの仕組み作りでダムスク公が逆転した形です。
そうした推察を伝えると、ダムスク公は大きく頷いてみせました。
「その通りだ。あの革命騒ぎは、長年に渡って蓄積していた領民の不満が一気に吹き出したものだ。押さえ込むには、そうした不満を解消してやる事が必要だが、だからと言って秩序を乱した事まで不問としてしまうと、その後の秩序の構築が出来なくなる」
「自分達の不満は、ある程度は解消されたのに……ですか?」
「人間というものは、欲深いものだからな。たとえば、三つの不満を抱えている者がいたとしよう。三つの不満のうち、一つしか解消されなければ当然不満が残る。だが、三つの不満のうちの二つが解消されれば、大概の人間は一応納得するものだ。ところが、隣にいる者が三つの不満全部を解消出来たと喜んでいたら……」
「あぁ、なるほど、自分も全部解消してもらいたいと思う訳ですね」
「そうだ、特にあのような大きな騒ぎとなった場合には、周囲の熱に巻き込まれて、もっと、もっと……という状況になりがちだ。ビシっと一線を引いて力づくでも秩序を回復しなければ、その後の混乱を終息させるのは困難となる」
確かに、ダムスク公の革命勢力の制圧は、僕の目には厳しすぎると感じるやり方でした。
その裏側には、こうした考えがあったのですね。
「でも、それだとまた不満が蓄積していく事になるのでは?」
「その通りだ。だから秩序を回復させた後には、目に見える改革や生活の向上が必要となる。ツイーデ川の東岸の場合は治水対策だ。自分達を困窮に追い込んだ水害に対して、目に見える備えを行い、農地を回復してやれば不満の大部分は解消されるだろう。その上で、これまでよりも豊かになったと実感できる程度に生活を向上させてやれば、革命騒ぎを心配する必要は無くなる」
「なるほど、だから水害対策を強力に推し進めたんですね」
「いくら農地を回復させてやったとしても、また水害が起こったら意味が無くなる。一時的に出費は嵩んだが、幸い強制労働によって工費は節約できたからな」
「だとすると、これから先が大変そうですね」
「それを言うな、頭が痛くなる……」
ツイーデ川の東岸は、革命勢力に協力した者達を労働力として使用することで工費を削減できましたが、西岸地域はアガンソによって恩赦が与えられています。
今更捕えて強制労働を課したりすれば、住民の反発を招くのは目に見えています。
「仕方ありませんね。僕から少し資金提供をいたしましょう」
影の空間から、アガンソの金庫からせしめた金貨の詰まった袋を取り出して、テーブルの上に積み上げました。
「これは、アガンソから回収した金か?」
「そうです。先程お話した通り、保管料として二割、運送料として三割せしめ、弔慰金として一割を返した元の四割の金額から、一割差し引いたものです」
「ふむ……その最後の一割は何なのだ?」
「僕の暮らしていた国では、お金を拾って届けた場合、謝礼として一割もらえる習慣があります」
「ふっ……なるほど、これは拾った金という訳か」
「まぁ、僕にとってはそんな感じなので、領民のために上手く活用して下さい」
「四割といわず、金庫は丸ごといただいてしまえば良かったのではないのか?」
「そうですねぇ、その辺は僕の自己満足と、アガンソ・タルラゴスに敬意を表して……という感じです。必要でしたら、ダムスク公の手でタルラゴス家から取り戻して下さい」
「そうか、ならば遠慮なく取り戻すとしよう」
不敵に笑ってみせるダムスク公は、根っこの部分ではアガンソと似たり寄ったりだなと感じます。
貫禄とか余裕とか、あるいは手法が異なっているだけで、領地を広げ栄えさせようという思いは同じだったのでしょ。
「ところで、タルラゴス家の次の領主はアガンソの長男で収まりそうなのか?」
「たぶん、そうなると思われます。アガンソの叔父のロンゴリア公爵、アガンソの姉の嫁ぎ先であるクビリエス侯爵の二人は、長男オードベリが家督を継ぐことを望んでいるようです。懸念があるとすれば、三男の母親、第二夫人の実家であるテダラス家の出方が不明な点ぐらいでしょうか」
「そうか、まぁ揉めるなら揉めるで、勝手にやってもらって構わんがな。こちらは、その間にツイーデ川西岸の整備を進めるだけだ」
既にダムスク公の頭の中は、ツイーデ川西岸地域、そしてかつての王家直轄領の整備に向けられているようです。
「これで革命騒ぎも終結ですね?」
「何を言ってるんだ、我はまだ王都に辿り着いておらんぞ。それに王城を取り戻して管理下に置いたとしても、全ての貴族を納得させられた訳ではない。我が平定した地域も、全てを我のものとしておくのは無理がある。いずれ戦功のあったものを領主に引き立てるなどの措置も必要となっていくだろう……なんならケント、どこかの領主に収まってみるか?」
「とんでもない、僕はヴォルザードを離れるつもりはありませんよ」
「別に離れなくとも、ケントなら簡単に行き来ができるのだから問題は無いだろう」
「いやいや、僕には領主なんて務まりませんよ」
なんだか変な風向きになってきたけれど、僕に領主なんて無理ですからね。
「何を言っておる、アガンソの息子など確か十歳ぐらいで領主の椅子に座らされるのだぞ。そなたのように才覚のあるものが領主となるのに何の問題があると言うのだ?」
「いやぁ……領主なんて考えたことも無いので……」
「なんなら、フィーデリアを嫁にして元の王家直轄領を治めてみるか?」
「とんでもない、王家直轄領なんて恐れ多いですよ。それに、フィーデリアの気持ちも確かめずにそんな事は出来ませんよ」
確かに、王族の生き残りであるフィーデリアの夫が元の直轄領を治めるというのは、ある意味では筋の通ったやり方なのかもしれませんが、本人はそれを望まないような気がします。
「ふむ……では、フィーデリアが承諾したら領主となるのか?」
「いや、それは……」
「それに、そもそも王族ならば国のために意に沿わぬ相手と婚姻を結ぶなど珍しい話ではないぞ」
「いや、それは地位とか名声を持つ相手の話ですよね。僕のような何処の馬の骨とも分からないような小僧では、領民が納得しないでしょう」
「ならば、ケントを我の養子として……」
「いやいや、いやいや……とにかく、領主の話は無しです。それと、革命騒ぎの終結に関して、僕がお手伝いするのは、ここまでで宜しいですよね」
ダムスク公は、僕に探るような視線を向けながら、ちょっと首を捻ってみせました。
「まったく変わった男だな。普通の男であれば、王族の娘を嫁に貰い、領地を治める主とする……などと聞けば泣いて喜ぶものだぞ」
「皇族の娘も領主の娘も嫁にもらいましたし、王族の娘も嫁に貰う予定ですので間に合ってます」
「なるほど、金も土地も女も、必要なものは手の中にあるのだな。ならば、何をすればケントを味方につけておける? 我に何を望む?」
「そうですねぇ……領民が笑って暮らせる豊かな世界を作って下さい。そのためのお手伝いならば喜んでやらせていただきますよ」
「そうか、分かった……これまで色々と世話になったな。いや、最後にもう一つ頼まれてくれるか?」
「なんでしょう?」
「フィーデリアに手紙を届けてもらいたい。ここからヴォルザードまで、普通の手段では何時届くかも分からんからな。明日の朝までには書いておくから、取りに来てくれぬか?」
「分かりました。代わりの者が回収するかもしれませんが、その時には書置きを残しておくようにいたします。返事はどうなさいますか?」
「返事は、フィーデリアが希望するなら届けてくれ」
「分かりました。僕の方こそ色々とお世話になりました。シャルターン国内の事に関わる機会は減ると思いますが、折を見つけては顔を出すようにいたします」
「そうか、次は仕事の話は抜きにして、一杯付き合ってもらうとするか」
「はい、是非……」
まだまだシャルターン国内が安定するまでには時間が掛かるのでしょうが、一応の区切りとしての挨拶を終えて、ダムスク公の執務室を後にしました。
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