第510話 ジョベートでの買い出し

「ルジェク、ちょっといいかな?」

「はい、何でございましょう、ケント様」


 学校の授業が終わって、ミオさ……ちゃんと一緒にお屋敷に戻ると、ケント様から声を掛けられた。


「輸送革命が起こったんだよ」

「ゆ、輸送革命ですか?」

「うん、だからジョベートに行こうか?」

「はい……えっ? ジョベートですか?」


 ケント様はヴォルザードいやランズヘルト共和国が誇るSランクの冒険者ですが、時々理解不明の行動をされる。

 たしかジョベートとは、遥か東の街の名前だ。


「うん、ジョベートね。これからルジェクには、海産物の仕入れを担当してもらおうかと思っているんだ」

「はい? ぼ、僕が仕入れですか?」

「そう、ルジェクも美味しい魚やエビ、カニ、貝を食べたいでしょ?」

「それは、まぁ……」


 多分、食べたいのはケント様なのだろうが、ここは同意しておくところだよね。


「ルジェクも知ってると思うけど、僕の作った影の空間には生きている物は入れられない。例外は、闇属性の魔力を持つ人だけ。だから、生きたエビとか貝は送還術を使って運ぶしかなかったんだ」

「はぁ……」

「でもね、生きた物も闇の盾をつかって上下前後左右をグルっと囲った状態ならば、影の空間に持ち込めたんだよ!」

「そ、それは……凄いですね」

「でしょ、でしょ、大発見なんだよ」


 ケント様は、とても上機嫌で語っていらっしゃるが、正直僕にはどう凄いのか理解出来ていない。


「これで、ジョベートから新鮮な魚介類を仕入れる目途が立ったよ」

「でも、どうして僕なのですか?」

「うん、この闇の盾で囲った空間、僕は闇の箱って呼んでるんだけど、眷属のみんなが安定して作れる大きさに限度があるんだ」


 ケント様がおっしゃるには、どうやら人を運べる大きさの箱を安定して作るのが難しいらしい。


「そこでルジェクだよ。ルジェクならば眷属のみんなに触れた状態なら影の空間に入れるし、いずれは色々な場所への使者の役目も担ってもらうつもりでいるから、その下準備にも良いと思ってね」

「はぁ……そうですか」


 腕組みしたケント様は、うんうんと頷いているけど、やっぱり新鮮な魚介類が食べたいだけのような気がする。


「ですが、ケント様。僕は山育ちなので、魚の良し悪しは分かりません」

「うん、そこはお店の人に聞いちゃおうよ。どれがお薦めですか……ってね」

「はぁ……ですが、僕みたいな子供では騙されたりしませんか」

「まぁ騙されるだろうね。でも、それも勉強じゃないの?」

「そうですけど……」


 正直に言ってしまうと、ちゃんと役目を果たせるか自信が無いのだ。

 ケント様には姉さんの命を救っていただいて、その上お屋敷に住ませていただいている。


 一生を懸けてでも恩返ししなきゃいけないのに、僕の失敗でご迷惑を掛けるなんて許されない。


「ねぇ、ルジェク」

「なんでしょう、ミオさ……ちゃん」

「やってみなよ。お兄ちゃんが、ルジェクにやってもらいたいって言ってるんだよ」

「そうそう、失敗したって構わないから、ルジェクにやってもらいたいんだ」


 あぁ、僕は何をしているんだ。

 ケント様が期待して下さっているのなら、全力でお応えするだけだろう。


「はい、かしこまりました!」

「じゃあ、早速出掛けようか」

「はい!」

「いいなぁ……ケントお兄ちゃん、私も行きたいなぁ……」

「えっ、美緒ちゃんも? うーん……まぁ特に危ない場所でもないし大丈夫か」


 ミオちゃんは、ケント様と同じ世界から来ているけど、僕らと違って属性魔力を持っていらっしゃらない。

 なので、ケント様が魔力を分け与えれば、影の空間に入れるのだ。


「そうだ、ルジェクが美緒ちゃんに魔力を分けてあげてよ」

「えぇぇ! ぼ、僕がですか?」

「うん、簡単だからルジェクにも出来るはずだよ……というか、今はルジェクが適任かな」


 僕は闇属性だけれど、まだ上手く魔術を扱えないでいるのに、なんで適任なのだろう。


「ど、ど、どうやればよろしいのでしょうか?」

「うん、魔力を分け与えるには粘膜接触する必要があるんだ」

「ねん……せっしょく?」

「前に、美緒ちゃんを影移動で連れてきた時には、指先を少し傷付けて、傷口を合わせて魔力を供給したんだけど、もっと簡単な方法があるんだよ」

「どうすれば良いのでしょう?」

「それはね……」


 言葉を切ったケント様が、何やら意味ありげな笑みを浮かべた。

 なんだか、嫌な予感がするけど、ケント様が酷いことを命じるはずは……ないよね。


「それは、ルジェクと美緒ちゃんが、いつもやってることだよ」

「僕とミオ様がですか?」


 視線を向けるとミオ様は頬を赤らめて俯いている。


「えっ? えぇっ……?」

「ほらほら、美緒ちゃん。またルジェクが美緒様って呼んでるよ」

「もぅ……ルジェクのバカ」


 顔を真っ赤にしたミオさ……ちゃんは、ケント様にチラリと視線を向けた後で僕に歩み寄り、唇を重ねてきた。

 ミオちゃんをミオ様と呼んだ時のお仕置きなのだが、ケント様に見守られた状態だとすごく恥ずかしい。


 ミオちゃんの柔らかな唇の感触に、心臓が破裂しそうにドキドキしている。


「うんうん、どうかなルジェク、上手く魔力の受け渡しは出来た?」

「えっ……? えぇぇ! 今のが、ねん……せっしょく?」

「なんだ、美緒ちゃんとのキスに夢中で目的を忘れてたのか。しょがない、僕が代わりにチューっと……」

「だ、駄目です! 僕がやります!」

「いやぁ、僕の方が慣れているし……」

「僕がやります!」

「そぉ? じゃあ、ルジェクに頼もう……あぁ、でも魔力を渡すんだから、美緒ちゃんからじゃなくてルジェクから、こう……ガバって感じでいって、ズキューンって決めてみようか」

「は、はい……」


 ガバっ? ズキューン? 何だろう、とっても尊敬しているはずなのに、今日のケント様はイラってする。

 というか、これまでミオちゃんからされるばかりで、僕からチューした経験がない。


「そ、それでは、ミオさ……ちゃん、失礼します」

「うん……」


 ミオちゃんが、唇をちょっとすぼめて目を閉じる。

 その唇に……。


「痛っ……」

「ルジェクまで目を瞑ってたら駄目じゃん。ちゃんと美緒ちゃんをよく見て」

「は、はい……」


 つい、いつもの癖で目を閉じてしまい、おでこをぶつけてしまった。

 でも、目を開けていると、僕の心臓がどうかしてしまいそうだ。


「んっ……」


 いつもの何倍もドキドキして、でもなんとかミオちゃんと唇を重ねられた。

 あれっ、待って、魔力の受け渡しってどうすれば……。


「んあっ……ケ、ケント様、どうやって魔力を渡せば良いのですか?」

「くっくっくっ……ルジェク、それは先に聞いておくべきじゃないの?」

「す、すみません……でも、どうすれば……」

「意識を集中して、魔力を吹き込む感じ……」

「集中して……吹き込む……」

「あぁ、でもルジェクの場合は、美緒ちゃんと一緒にジョベートに行きたいって強く願った方が良いかもね」

「ミオ様と一緒に……分かりました!」


 ミオ様と一緒に行きたい気持ちならば、ケント様にも負けない……って思ったのに、魔力の受け渡しを成功させるまで五回も失敗してしまった。


「さて、ルジェクがキスの達人になったところで出発しようかね。ルジェクは僕と手を繋いで、反対の手で美緒ちゃんの手を握って。美緒ちゃんは反対の手をマルトと繋いでね」

「はい、分かりました」


 僕が失敗を繰り返したから失望してしまったのか、ミオちゃんはいつもよりも口数が少ないし目を合わせてくれない。


「美緒ちゃん、影の空間の中は暗いから、ルジェクの手を離さないようにね」

「うん……」


 小さく頷いたミオちゃんが、指を絡めるように手を握り直した。

 何だか、ミオちゃんと強く結ばれているようで、また心臓がドキドキする。


「じゃあ行くよ……」


 ケント様に手を引かれて、闇の盾を潜る。

 影の空間は、雨の日の昼間みたいに薄暗い。


「はい到着、ここがジョベートだよ」


 でも、薄暗い影の空間を歩いたのは二、三歩だけで、すぐに目の前が明るくなった。


「海の匂いがする……」


 美緒様の言葉で気付いたけど、これが海の匂いなんだ。

 目の前には広い水と何艘もの船が浮かんでいるのが見えた。


「ここがジョベートの港だよ。湾の内側で、外海は向こうの奥になる」


 ほんの数歩歩いただけなので、まだ全然実感が湧かないけど、ランズヘルト共和国の端から端まで移動したことになる。


「すっごい水が綺麗! ルジェク、見て見て魚が泳いでるよ」


 ミオちゃんに手招きされて岸壁から覗き込むと、透き通った水の中にキラキラ光る小魚の群れが見えた。


「あっ、カニがいる。こっちにも!」

「美緒ちゃん、興奮して落ちないでよ」

「大丈夫、落ちても泳げるから心配ないよ」

「いやいや、ずぶ濡れのままで魚屋の見物には行けないでしょ」

「あっ、そうだった」


 ジョベートに着いた途端、ミオちゃんはいつもの調子を取り戻した。

 さっきみたいに無口になると、どうして良いのか分らなかったから助かった。


「じゃあ、魚市場の方に移動しようか」


 ケント様の後について移動を始めたのだが、街ではあちこちで工事が行われていた。

 工事をしていない所も、建物は新しそうに見える。


「ケントお兄ちゃん、港の再開発でもしてるの?」

「ううん、これは海賊に襲撃されて建て直してるところなんだ」

「えっ……海賊?」


 ケント様の話によれば、海を渡ったシャルターン王国の海賊が襲って来て、港に面した多くの建物が焼失したらしい。

 

「ケント様が退治されたのですか?」

「ん? んー……ちょっと手伝った程度だよ。ほら、僕は自由に移動出来るからね」


 こんな風におっしゃられているけど、たぶんケント様がいなければ、こんなに復興も進んでいないのだろう。

 普通の冒険者ならば、自分の手柄を実際よりも大きく水増しして話すのだが、ケント様はいつも大した事はしていない……と話される。


 服装も冒険者らしい防具や武器を身に着けたりせず、どこの街にもいそうな普通の人のような出で立ちだ。


「ルジェク……」

「はい、何でしょうケント様」

「さっき騙されてもいいって言ったじゃない?」

「はい……」

「それはね、ジョベートの皆さんが海賊の被害から立ち直る途上でもあるからなんだ。領主のアルナートさんが支援を進めているけど、それでも損害の全額は戻ってこない。だから、変に値切ろうとかしなくていいよ。良い品物を適正な価格で仕入れるようにして」

「はい、かしこまりました!」


 やっぱり、ケント様は凄い。

 ただ美味しい魚が食べたいだけではなかった。


 海賊によって大きな痛手を受けた人々に手を差し伸べるために、闇の箱を使った輸送方法も編み出されたのだろう。

 それなのに僕は、ケント様の心遣いもしらずにイラついたりして本当に未熟だ。


 ケント様の思いに沿えるように、これから仕入れを頑張ろう。


「見て見て、ケントお兄ちゃん。おっきなエビが売ってる」

「おお、美味そう。買って帰ろう、エビマヨ? エビチリ? それとも刺身が良いかな?」

「全部、全部、全部食べたい」

「よーし、買い占めちゃうぞぉ……ほら、ルジェク、何してるの出番だよ、出番!」

「えっ……あっ、はい……」


 この後、ケント様からは仕入れ交渉について駄目出しをされ、ミオちゃんからは金額の計算に駄目出しをされ、コボルト隊と一緒に屋敷の厨房まで何度も往復させられた。

 僕がバタバタと走り回っている間に、ケント様とミオちゃんは屋台の串焼きを頬張っていたり、貝殻細工の店を覗いていたり、なんだかとっても楽しそうだった。


 まぁ、僕の分の串焼きも買っておいて下さったけど、ケント様だけミオちゃんと楽しそうにしているのを見ると、やっぱりイラっとしてしまった。

 一通り買い物を終えると、湾の入口へと連れて行かれた。


「えぇぇ……これが海……」


 湾の外は、見渡す限りの水が広がっていた。

 シャルターン王国は、影も形も見えない。


「お兄ちゃん、海の向こうまで船で行くと何日ぐらい掛かるの?」

「んー……だいたい一週間ぐらいだけど、こっちの世界は帆船だから風向きとか潮の流れ次第では倍ぐらい掛かることもあるみたいだよ」

「でも、お兄ちゃんなら……」

「まぁ、一瞬だね」

「そっか、この海の向こうがフィーデリアの故郷なんだね」

「うん、そうだけど、フィーデリアが暮らしていた王都マダリアーガまでは、海を渡って更にここからヴォルザードぐらいの距離があるけどね」

「そうなんだ……何だか、全然実感湧かないけど、魔法って凄いね」

「でも、地球なら飛行機に乗って数時間程度で移動出来る距離だと思うよ」

「そう考えると、日本も凄いんだね」

「そうそう、魔法とは別の凄さだね」


 ケント様とミオちゃんの会話を横で聞いていても、半分も理解出来ないのが悔しい。

 でも、育ってきた環境が違うのだから仕方ない。


 僕は、これから僕に出来る事を全力でやり遂げるだけだ。


「さて、そろそろヴォルザードに帰ろうか。ルジェク、念のためにミオちゃんに魔力の供給をしてくれるかな?」

「は、はい! 今度は一回で終わらせてみせます」


 さっき何度も失敗したから、魔力を受け渡すコツは掴んだ。

 あとは僕が落ちついてやるだけだ。


「では、ミオちゃん、失礼します」

「ルジェク……」

「はい、なんでしょう?」

「失敗しても、いいからね……」

「うっ……はい……」


 苦しい……心臓が止まるかと思った。

 失敗しても良いってことは……もしかして、そういう意味なのかだろうか?


「し、失礼します……痛っ」


 また焦って、おでこをぶつけてしまった。

 ケント様が、お腹を抱えてしゃがみ込み、ヒクヒクと肩を震わせている。


 ううっ、やっぱりちょっとイラっとする。

 でも、いくら笑われても、この役目だけはケント様でも譲るつもりはありません。

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