第498話 ブルギーニ

「何だか、全然襲撃を受けたように見えないんだけど……」

『そうですな、いたって普通の村に見えますな』


 ラインハルトの案内で、マルトリッツ領のブルギーニを訪れたのですが、アンデッドに襲撃された痕跡は全く見当たりません。


「もしかして、場所を間違えている?」

『間違えてはいないと思いますが……』


 案内してくれたラインハルトも何となく自信が無さそうに見えます。

 日本のように看板や標識が出ておらず、グルグルと見回ってみて、ようやく学校らしき建物の入口にブルギーニ分校の文字を見つけて確認したほどです。


 ルートスやセラティは、まるで廃村かと思うほど荒廃していたのに、ブルギーニでは襲撃の痕跡すら見つけられない。

 馬なら余裕を持って一日で辿り着ける距離なのに、その差の大きさに驚かされてしまいました。


「これって、やっぱり支援の質が違うんだろうね?」

『そうでしょうな。支援があって、生活が立て直せる希望が持てれば復興に向けた作業にも弾みが付きます。逆に、何の支援も届かない状況では、生活を立て直そうという希望も湧いてこないのでしょうな』


 一体、どんな人が村を治めているのか、マルトリッツ子爵とはどんな人物なのか興味が湧いてきました。

 少し話を聞いてみたくなって、一度街道まで戻り、マントを羽織り、大きなカバンを背負って人目につかない場所から外に出て、歩いてブルギーニへと向かいました。


 ちょうど村の外の畑で農作業の手を休め、休憩しているお爺さんがいたので声を掛けてみました。


「こんにちは」

「やぁ、こんにちは、どこからおいでなさった?」


 お爺さんは少し怪訝そうな表情を浮かべた後で、ニカっと笑って返事をしてくれました。


「セラティの方から回ってきました」

「ほう、あんたセラティの人かい?」

「いえ、僕は王都の学生でして、昨年の王位を巡る騒動について調べています」

「あれまぁ、王都からおいでなさったのかい、そらまた遠い所から……」

「ここはブルギーニで間違いありませんよね?」

「そうじゃよ、ここがブルギーニじゃ」

「昨年の暮れに、アンデッドの襲撃を受けたと聞きましたが……」

「あぁ、あれは酷いものじゃった。畑も蓄えておいた物も、みーんなメチャクチャにされてしまった」


 襲撃の話になると、お爺さんは眉間に皺を寄せながら何度も首を横に振ってみせました。


「でも、全然そんな風には見えませんよね」

「ははぁ、そうじゃろ、そうじゃろ、領主様、村長、村人、それに領民のみんなが手を貸してくれたからのぉ、こうして今年も無事に作付けが出来た」


 お爺さんは、どうだとばかりに胸を張り、自慢気に頷いてみせました。


「領主様、村長さん、村の皆さんは分かるのですが、領民の皆さんが手を貸してくれた……というのは?」

「あぁ、うちの村が襲撃されて種籾も種芋も、今日食う物さえ失った時に、領主様が少しづつで構わないから手助けしてほしいと、マルトリッツ領全体に呼び掛けて下さったのだ」


 一軒につき、種籾ひと掴み、種芋一個であったとしても、それが集まればブルギーニを立て直すには十分な量になったそうだ。

 襲撃があったのは農閑期であったのも幸いして、周辺の村の住民達の手助けもあり、作付けを始めるまでに畑も元に戻せたそうだ。


「領主様も自らブルギーニまで来て下さってな、ワシらと一緒になって土にまみれ、汗を流して下さった。あの姿を見て、奮い立たない者などおらんぞ」


 当時の事を思い出したのでしょう、お爺さんは頷きながら滲んで来た涙を拭っていました。


「もちろん、うちの村長も頑張ったぞ。まだまだ跳ねっ返りじゃが、誰よりも村を愛しておる」

「良い領主様、良い村長さんなんですね」

「そうじゃぞ、あとは村長に良い婿が来れば村も安泰なんじゃが……」

「えっ、村長さんは女性なんですか?」

「そうじゃが、あれを女性と呼んで良いものか……まぁ、村の中へと行ってみんしゃい、すぐに分かるじゃろ」

「はぁ……そうですか……」


 なんだか曰くありげな村長が気になるので、ちょっと村の中でも話を聞いてみましょうか。

 お爺さんにお礼を言って別れ、街道を通って村の中へ入りました。


 さて、どこで話を聞こうかと迷っていると、パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきました。

 少し先にパン屋があって、テラスではお茶も飲めるようになっています。


「こんにちは」

「いらっしゃいませ。おや、見掛けない顔だねぇ、旅の人かい?」


 返事をしたのは、アマンダさんを若くしたような恰幅の良い女性で、年齢は二十代の半ばぐらいでしょうか。

 赤みの強い癖っ毛を短く切り揃え、日に焼けた顔にヒマワリのような笑みを浮かべています。


「はい、ちょっと昨年起こった騒動について記録して回っています」

「騒動っていうと、例のアンデッドのかい?」

「はい、それだけではなくて、一連の騒ぎもなんですけどね」

「ふーん……あたしで良ければ話をするけど、その前に注文かな?」

「そうですね。凄く良い匂いがして……お薦めのパンとお茶をいただけますか?」

「それなら、クルミパンがいいね。お茶にミルクは入れるかい?」

「お願いします、おいくらですか?」

「両方で38ブルグだよ」

「あっ……ちょっと待って下さいね」


 ズボンのポケットからお金を出そうとして、ヘルト硬貨しか入っていないのを思い出しました。

 慌てて鞄の中に手を突っ込むフリをしながら、影の空間からブルグ硬貨を取り出しました。


「えっと……35、6、7、8」

「はい、丁度だね。座って待っていて、お茶と一緒に持って行くからさ」

「はい、お願いします」


 テラスの席は日当たりが良く、街を囲む山並みが良く見えます。

 何となく、スイスアルプスにある村を訪れたような気になりました。


 待つこと暫し、店員さんはトレイに大ぶりのパンとカップを二つ載せて運んでくると、テーブルを挟んだ向かいの席に座りました。


「お待ちどうさま、話の前に召し上がれ」

「はい、いただきます。んー……いい香り」


 クルミのパンは日持ちがするように焼いているらしく、外側はガッシリとした噛み応えですが、中はモチモチの生地とクルミの歯ごたえが絶妙のハーモニーを奏でます。

 小麦の香り、クルミの味わいも素晴らしく、絶品です。


「んー……ヤバい、これはヤバい美味さだ」

「だろう? カミルの焼くパンは最高さ」


 クルミパンとミルクティーを堪能していたら、ラインハルトが声を掛けてきました。


『ケント様、囲まれていますぞ』

『えっ?』

『パン工房の方に男が三人、棍棒を携えて様子を伺っています』

『それって、この女性の指示?』

『おっしゃる通りです』


 とりあえず食べている間は、手出ししてくる気配はないので、素知らぬフリをしつつラインハルトと念話を交わしていました。

 クルミパンの最後の一切れを口に入れ、ミルクティーと共に飲み込むと、店員の女性の目付きが鋭くなりました。


「それで……君は一体何者なんだい?」

「どうして僕が怪しいと思ったんですか?」

「服装さ、靴や服の汚れ具合、マントも鞄も様になっていない。鞄の中身も旅の道具じゃないんだろう?」

「なるほど、見る人が見れば分かってしまうものなんですね」

「随分と落ち着いているけど、腕が立つようには見えないけどね」

「そうですね、僕自身の腕なんて高が知れてますね」

「それで、君は何者なんだ? そろそろ正体を明かしてくれても良いだろう。私もそんなに暇じゃないんだよ」

「なるほど、あなたがブルギーニの村長さんですね?」


 店員の女性は、すっと眉間に皺を寄せて、ちょっとだけ首を捻ってみせました。


「確かに私が村長のアガーテだけど、村長だと知っていて近付いて来たんじゃないのかい?」

「いえ、村の外の畑でお爺さんに面白い村長がいると聞いたもので……」

「面白い……?」

「あれっ、違ったっけか? そうだ、良い婿が来れば村も安泰だと……」

「なんだってぇ?」


 アガーテが眉を吊り上げると同時に、パン工房の方からは笑いを堪えきれずに吹き出した息遣いが聞こえてきました。


「ちっ、そんで、あんたは何者なんだ?」

「僕は、ヴォルザードのSランク冒険者、ケント・コクブといいます」

「なっ……魔王」


 アガーテが椅子を後ろにずらして身構えると同時に、パン工房の入口から棍棒を持った男が三人飛び出して来ました。


「えっと……アンデッドの襲撃は僕の仕業とか思ってます?」

「いいや、あれはアーブルの野郎か手下の仕業なんだろう?」

「そうです、そうです。実行犯の術士は、僕が捕らえて処分しました。で……なんで、そんなに警戒されてるんですか?」

「当たり前だろう、たった一人でバルシャニアの軍勢を壊滅させて、皇女を生贄として差し出させた男を警戒しない方がどうかしてる」

「いやいや、バルシャニアの軍勢を壊滅させた覚えなんか無いですし、セラフィマは望んで嫁いでくれたんですよ」

「にわかには信じられんな。あのアーブルを滅ぼしたのだろう?」

「まぁ、結果的にはですが、僕一人の力ではありませんよ」


 アーブルが獄死するまでの経緯を簡単に説明しましたが、どこまで納得してくれたかは疑問です。


「それで、魔王のあんたが、うちの村に何の用だ?」

「実はですね……」


 僕がヴォルザードで違法奴隷を見つけてからの出来事を説明すると、アガーテは額に手を当てて溜息を洩らしながら小さく首を振ってみせた。


「セラティがそんなに困窮していたとは……自分の村が無事に復興したから、あちらも大丈夫だろうと思い込んでいた」

「それは仕方ないでしょう。ブルギーニだって少なからぬ被害を受けたんですから、他の村まで気遣う余裕は無いでしょう」

「それでもだ、たくさんの人に助けてもらった我々が、少しでも手を差し伸べる余裕を得たならば、恩を返す側にならねばならぬ」

「他の領地の村でも?」

「当然だ、同じリーゼンブルグ王国の民ではないか」


 アガーテは、気負う訳でもなく自然体でキッパリと言い切ってみせました。

 それどころか、パン工房から出て来た男達に、支援物資の準備をするように指示を出しています。


 単なる村人思いの村長ではなく、大きな視点で物事を考えられる人物のようですね。


「念のために言っておきますが、王国でも支援物資の準備を始めています」

「だとしても、我々が支援をしてはならない理由は無いだろう?」

「まぁ、そうですけど、村の財政は大丈夫なんですか?」

「潤沢とは言えないが、それでも餓死者を出すような心配はしていない」

「もう支援は必要ありませんか?」

「何事も起こらなければ……だな。災害などが起こった時のための基金は全て取り崩してしまった。今、何か天災が起こった場合には対処するだけの余裕は無い」


 虚勢を張らずに、自分達の現状を率直に語る姿にも好感を覚えます。

 もう正体がバレてしまったので、鞄で偽装せず目の前に闇の盾を出して、影の空間から予め分けておいた支援金を取り出しました。


「分かりました。こちらをお使い下さい」

「はぁ? 今どこから取り出したのだ? これは……金か?」

「はい、遅くなってしまいましたが、ルートス、セラティにも配る予定の支援金です」


 支援金だと話しても、アガーテは手を出そうとしません。


「カミラ様からか?」

「いえ、これは僕からです」

「あなたから? なぜだ?」

「支援するのに理由が必要ですか?」

「納得出来る理由があった方が使いやすい」

「というか、得体の知れない魔王からの金は心配……ですよね?」

「正直に言うなら、その通りだ」


 まぁ、僕がアガーテの立場だったらば同じように考えるでしょう。


「僕は隣国ランズヘルトの国境の街ヴォルザードで暮らしています。ランズヘルトとリーゼンブルグの関係は、ヴォルザードに多くの友人知人を持つ僕にとっても重要な問題です。昨年起こった王位継承に関わる問題、アーブル・カルヴァインによる反逆騒動などの解決に協力したのも、ヴォルザードの平穏に関わる問題だと思ったからです。御存じのように、ここブルギーニを襲ったアンデッドもアーブルの手下の仕業です。アーブルの痕跡を払拭する事でリーゼンブルグを更に安定させ、ヴォルザードに影響が及ぶような騒動の芽を摘むのが目的です」

「なるほど……だが、あなたほどの力のある人ならば、例えリーゼンブルグの軍勢がヴォルザードを攻めたとしても撃退出来るのではないのか?」

「そうですね、やろうと思えば可能でしょう。でも、僕は神様じゃありませんから、全てに目を光らせているなんて不可能です。実際、ルートスやセラティの窮状を知らずにいましたし、違法奴隷を連れ込もうとする奴隷商人がいるなんて知りませんでした」

「そうか、ブルギーニの中だけでも私の知らない出来事はいくらでもある。ましてやバルシャニアまで足を伸ばすような人物では、足下が疎かになることもあるのか」


 どうやら納得したらしいアガーテは、金を入れた革袋を手に取るとギョっとした表情を浮かべてみせました。


「なっ……いくら入っているんだ?」

「二千万ブルグですよ」

「に、二千万……」


 アガーテだけでなく、残っていた二人の男も目を見開いて驚いています。


「ルートスやセラティにも同額を渡す予定です。足りませんか?」

「いやいや、とんでもない、多すぎるぐらいだが……良いのか?」

「ええ、あなたならばキチンとした使い方をしてくれそうですからね」

「あったばかりの人間を信用しすぎじゃないか?」

「いえいえ、さっき話を聞かせてくれたお爺さんの笑顔を見れば、信頼するには十分ですよ」

「なるほど……つまり、私には婿の成り手がいないと思われている訳だな?」

「ふぐぅ……」


 また笑いを堪えきれなかった二人の男性をアガーテはギロリと睨んで沈黙させました。


「ここは良い村ですね。ぜひ活用して下さい」

「分かった。有難く頂戴しよう」


 アガーテは深々と頭を下げると、金の入った革袋を収めてくれました。


「そういえば、マルトリッツ領を治めている領主さんも有能な方だと聞きましたが」

「その通りだ。子爵様のお力添えが無ければ、ここまで早く復興を遂げられていないだろうな。領主でありながら、少しも偉ぶった所が無く、村人と共に汗を流して下さった。正に領主の鑑のような方だ」


 アガーテは、騒動が起こった直後からのマルトリッツ子爵の行動を詳しく語ってみせました。

 その顏には、崇拝と呼ぶのが相応しい表情が浮かんでいます。


 リーゼンブルグの貴族はロクなものではないと思っていましたが、いる所には有能な人物がいるようですね。

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