第443話 再起

 ディートヘルムの訪日を来週に控え、内閣官房室の梶川さんから呼び出しを受けました。

 何やら日本政府からの要望があるそうです。


 向かった先は、霞が関のオフィスです。

 ディートヘルムの訪日関連の業務が終わるまでは、こちらに滞在……と言うか、梶川さんの本来の居場所はこちらで、練馬駐屯地にはサボりに行ってるという噂も……。


「やぁ、国分君。わざわざ御足労いただいて申し訳ないね」

「いえ、僕の場合、移動は苦になりませんから……」

「いやいや、それでも異世界から日本だからね。我々からしてみると、想像すら出来ない移動距離だよ」


 例によって梶川さんはコーヒーを淹れてくれました。

 今日の豆はブラジル産だそうです。


 あまり味の違いは分からないのですが、酸味よりも苦みを強く感じます。

 この辺りは、焙煎の仕方によっても違ってくるんでしょうね。


「梶川さんは、ご自分で焙煎したりするんですか?」

「いやぁ……さすがに焙煎はプロに任せているよ。僕は結構ものぐさだから、豆を挽くのもお店任せだね」


 豆の挽き方、粉の細かさなどでも味に違いが出るそうですが、梶川さんの場合、自分で納得するまでやるほどの拘りは無いそうです。


「さて、今日国分君に来てもらったのは、リーゼンブルグから日本を訪れるメンバーにゼファロス・グライスナー侯爵を加えてもらいたいんだ」

「グライスナー侯爵ですか……何か理由があるんですか?」

「日本としては出来るだけ、異世界と交渉を行っているとアピールしたいと考えている」

「なるほど……それでグライスナー侯爵なんですね」


 グライスナー家は、イヌ獣人の家系です。

 ただ、ハスキー犬みたいな鋭い感じではなく、バセットハウンドみたいなトボけた感じのおっさんさんです。


「でも、それってグライスナー侯爵をマスコミの会見とかにも出させるって事ですよね?  リーゼンブルグ貴族の重鎮の1人ですから、見世物的な扱いは……」

「勿論、耳を見せろ、尻尾を触らせろ……みたいな事は、決してやらないと約束する。それでも、一目見て地球の人とは異なる特徴を持っている人が居てくれるのは助かるんだよ」

「まぁ、趣旨は分かりましたし、こちらから要請するまでもなく同行するかもしれませんしね。とりあえず、リーゼンブルグ側に打診はしてみますよ」

「ありがとう、助かるよ」

「でも梶川さん、グライスナー侯爵を連れて来たとして、本物の犬獣人だと信じてもらえますかね?」

「と言うと? 特殊メイクとかと疑われるって事かな?」

「はい、最近めっちゃリアルに動く恐竜のロボットとかあるじゃないですか。あんな感じの物だと思われたりしませんかね?」


「まぁ、可能性はあるね。でも、獣人に関しては、これまでも国分君のクラスメイトとかが動画サイトに映像を上げているし、それらはCGでも、特殊メイクでもないって信じられているよ」

「それなら良いんですけど、変にイチャモンを付けられるのも癪に障りますからね」


 今回のディートヘルムの訪問の最大の目的は、賠償金の引き渡しです。

 同時に、日本とリーゼンブルグとの間で、謝罪と賠償を受け入れ和解する共同文書への署名も行われる予定です。


 勿論、事件に関わった全ての人が納得する訳ではありませんが、それでも、僕らがリーゼンブルグに召喚された事件は一応の幕引きとなります。

 召喚されたあの日から、二つの世界の間を走り回って、ようやく辿り着いた和解ですから、ケチを付けられたくありません。


「そうだね。これまでの誰よりも尽力してきた国分君にしてみれば、和解に水を差すような事態は避けたいよね」

「関連死を含めれば50人以上が亡くなっていますから、ご遺族からすれば納得はいかないと思います。でも、前を向いて進むために、この和解だけはどうしても成し遂げたいし、水を差されたくないです」

「勿論、我々としても大きな懸案事項だから、一区切りとなる今回の訪問は絶対に成功させたいと思っているよ」

「では、リーゼンブルグにグライスナー侯爵の件を伝えに行ってきますね」

「あっと……ちょっと待ってくれるかな」


 冷めてしまったコーヒーを飲みほして、リーゼンブルグに向おうとしたら引き止められました。


「実は、国分君に会ってもらいたい人がいるんだけど……」

「僕に会いたい? 政府の方ですか?」

「いや、国沢さんなんだけど……どうする?」

「えっと……大丈夫なんですか?」

「体調に関しては、全くの健康体。精神的にも落ち着きを取り戻していて、国分君に会いたいと言いだしたのは国沢さんなんだよ」

「その……医師の許可は出てますか? 僕に会うことで、暴行された時の記憶が蘇ったりしませんかね」

「主治医の許可は取ってあるし、面会する際は別室に看護師さんにも待機してもらう予定だよ」

「そうですか……」

「気が乗らないなら、断ってもらっても構わないけど……」

「いえ、会います。治療を行った病室で構わないんですか?」

「いや、今は別の病室に移っているので、僕も一緒に行こう」


 病室が変わったので、影移動でいきなり姿を現すと騒ぎになる恐れがあるそうなので、梶川さんに車で送ってもらいました。

 庁舎を出る前に連絡を入れておいたので、地下の駐車場からは誰にも止められずに病室のある階まで移動出来ました。


 エレベーターを下りた正面のナースステーションに梶川さんが身分証を提示し、廊下を進んで病室へと向かうと、廊下に中年の女性が立っているのが見えました。


「国分健人さんですね。国沢美冬の母です。この度は、本当にありがとうございました。お医者様から助け出された時の状況を聞かされ、あのままだったら美冬は……美冬は……」

「あぁ……どうぞ頭を上げて下さい。僕も美冬さんも、異世界召喚に巻き込まれて、普通ではない状況を切り抜けてきた仲間です。まして今回の事件は、その召喚に絡んで亡くなった関口さんを利用した卑劣な犯行です。美冬さんが立ち直る手助けをするのは当然です」

「ありがとうございます……ありがとうございます……この御恩は一生忘れません」


 放っておいたら廊下に座り込んで土下座しそうな勢いの国沢さんの母親を宥めて、病室の扉を開けると、手前は控室のようになっていて、奥が病室のようです。

 梶川さんが目で合図をすると、看護師さんが奥のドアをノックしました。


「は、はい……どうぞ」


 こちらまで張り詰めた緊張感が伝わってくるような返事の後、看護師さんがドアを開けて中へ入り、すぐに戻ってきて僕を病室と誘いました。


「失礼しまーす……」


 ベッドに座っていた国沢さんは、僕の姿を見ると立ち上がり、ガバっと音がするほどの勢いで頭を下げました。


「ごめんなさい!」

「えっ、ちょ……」

「それと、ありがとう……本当に、ありがとう」

「えっと……どういたしまして」


 国沢さんが、ゆっくりと顔を上げたけど、何を話したら良いのか言葉が出てきません。

 治癒魔術を使った治療は行ったけれど、同じクラスになったことがないので、言葉を交わした思い出もありません。


「えっと……座ろうか」

「あぁ、うん……」


 国沢さんはベッドに腰を下ろし、僕は付き添いの人用の椅子に座りました。

 召喚されてから、王女様とか、領主様とか、皇帝陛下などとも話す機会がありましたが、いずれも目的があって顔を合わせて話をしています。


 こんな感じで、目的も無しに同世代の女の子と2人きりになると、何を話せば良いのかまるで思い付きません。

 天気の話でもしようかと言葉を選んでいたら、国沢さんから話を切り出してくれました。


「詩織が自殺した時、国分君に酷いことを言ってしまって……本当に申し訳ないって思っているの」

「いや、あの時は、みんな精神的に余裕無かったし……」

「ううん、違う。私たちは、日本には帰れなかったけど、助け出してもらって、住む場所、食べる物、生活するお金まで貰って、本当に恵まれていた。でも、日本に戻って来るまで、それに気付かずにいたの」


 少し目線を伏せた国沢さんは、当時の事を思い出すようにポツリ、ポツリと話を続けました。


「日本に戻って来て、お線香を上げさせてもらおうと思って、詩織の家に行ったら言われたの。なんであなたは無事に戻って来て、どうして詩織は死ななければいけなかったの、どうして詩織を支えてくれなかったの……ってね。その時になって、国分君にどれだけ酷い言葉をぶつけていたのか初めて気付いた。結局、自分は何の役にも立っていなかったんだって、気付かされた」

「そんな……あの時は、みんな日本とは違う環境に戸惑って……」

「ううん、私達以外のグループは、見習いの仕事に行ったり、街に食べ歩きに出たり、ヴォルザードの服を着てみたり、順応してた。それは完全に現地の人と同じって訳にはいかないけど、それでも順応しようと努力してた。でも……私達は自分達の殻に閉じこもって、外と交わろうともしていなかった」


 もし僕が、国沢さんの立場だったとしたら、たぶんヴォルザードの生活には馴染めていなかったと思います。


 僕が馴染めたのは、生きていくには自分で働いて、自分で生活基盤を整えなければならない、いや……自分にチートな力が宿っている、強力な眷属が出来た、みんなを助けなきゃと思ったから、無我夢中で動き回っていただけです。


「詩織の家に行ってから、自分はなんで存在しているんだろうって考え始めたら、生きてる価値が無いように思えてきて……消えてしまいたいって思っちゃったの」


 国沢さんを誘拐した男は、親身になって、何時間でもSNSのチャットで話を聞いてくれたそうです。

 顔も見えない、素性も知らない間だから、家族や知り合いには話しにくいことも話せて、やり取りを続けていくうちに自分を理解してくれる人だと思い込んでしまったそうです。


「一緒に死んであげるよ……って言われて、誘いを断れなかった。待ち合わせの駅に着いて、スマホを取り上げられても、車を乗り継いでも、誰にも知られずに消えるためだと思い込んでしまった。でも、待っていたのは……」

「あぁ、待って、待って……それ以上は話さなくても……」

「ううん、聞いて。国分君には、全部聞いてほしいの……」


 正直に言うと聞きたくありませんでした。

 聞くのが怖かったけど、この状況で断る訳にもいかず、聞かされた内容はやっぱり壮絶に重たいものでした。


 逮捕された男の家に連れ込まれた後、待っていたのは肉体的、精神的、そして性的暴行の連続だったそうです。


「気が狂いそうな痛みや苦しみの中で、何度も早く殺してって頼んだ。そう言いながら強烈に死にたくないとも思った。でも、それは最初だけで、指が無くなり、耳が無くなり、鼻が無くなり、助かっても普通の生活には戻れないと悟った後は、生まれ変わった後の事ばかりを考えてた。生まれ変われば、普通の生活に戻れると思っていたから、助けが来たと分かった時は泣き叫んだわ。殺してって……」


 梶川さんの話では、泣き叫んで暴れる国沢さんに大量の鎮静剤が投与され、意識が朦朧とした状態で東京へと搬送され、僕が治療を始めるまでは麻酔で眠らせていたそうです。



「麻酔から覚めて、お母さんの顔を見た時、パニックを起こして暴れたわ。だって、ボロボロの身体で助かってしまって、生きていかなきゃいけないと思ったから……。でも、手を見て、ちゃんと握れてるでしょ……って言われて、初めて無くなったはずの指があるって気付いたの。鏡を見せられて、耳も、鼻も、唇も、みんな元通りだって知ったら、涙が止められなかった……」


 その時の気持ちを思い出したのでしょう、国沢さんの瞳からはボロボロと涙が零れ落ちました。


「私は……国沢美冬は、あの薄汚い小屋で一度死んだ。でも、もう一度生まれ変わって、やり直せるチャンスを国分君に貰った。だから今度は、異世界から生きて戻って来られなかった詩織や船山君たちの分まで全力で生きる。もう出来ないとか、無理とか絶対に言わない」


 国沢さんは、両手の拳を膝の上で握りしめ、力強く決意表明してみせました。


「治療をしていて、身体は元に戻っても、立ち直れないんじゃないかって心配だったんだ。でも、今の様子なら大丈夫そうだね。ただ……」

「ただ……?」

「辛い時には辛いって言って良いし、無理だ、出来ないって思ったら助けを求めて良いんだよ。僕は普通の人よりも強い力を手に入れたけど、僕一人に出来る事は限られてる。だから眷属のみんなに協力してもらっているし、ヴォルザードの領主のクラウスさんとか、本部ギルドのマスター・レーゼとか、元下宿先のアマンダさんとか、沢山の人に支えてもらってる。国沢さんも、沢山の人に支えてもらって、沢山の人の支えになってあげて」

「はい! そうか……そうだったんだ」

「ん? どうかした?」


 国沢さんは、僕の顔を見ながら何やら頷いています。


「こんなに凄い魔法が使えても全然偉ぶらないし、あんなに酷い事を言った私を何度も魔力切れを起こすまで治癒魔術を使って助けてくれた。浅川さんが好きになるのも当然だなって……やっぱり私、ヴォルザードにいた頃は目が曇ってたのね。あぁ残念、国分君がこんなに良い人だって、もっと早く気付いていれば、私にだってワンチャンあったのかなぁ……」


 いやいや、みんなを救出した段階で、マノンやベアトリーチェとも知り合っていたから、ノーチャンスだったと思いますよ。


「ううん、そうじゃないよね。もう無理とか出来ないと言わないって決めたんだから……」

「いやいやいや、待って、待って、ごめんなさい、無理です。みんなに知られたら、血の雨降っちゃいますから……じゃ、元気でね」

「あっ、ちょっと……もう!」


 雲行きが怪しくなってきたので、闇の盾を出して影の世界に逃げ込みました。

 国沢さんの気持ちは、いわゆる『吊り橋効果』って奴でしょうから、僕よりも良い男を探して下さい。


 病室から隣りの控室へと影移動して、闇の盾から首だけ出して梶川さんに呼び掛けました。


「梶川さん、僕はこのままリーゼンブルグに向かいます。なんかあったらメールして下さい」

「了解、よろしく頼むね」


 ごめんなさい、看護師さんが目を真ん丸にして驚いて、口をパクパクしてました。

 警護を担当してもらっているノルトを目印に移動すると、ディートヘルムの姿は執務室にありました。


 グライスナー侯爵や、宰相候補のトービルの姿もあります。

 トービルはディートヘルムの傍らに立ち、同じ書類を眺めながら何やら説明を加えているようです。


 グライスナー侯爵は、その2人の様子をテーブルを挟んだ席から見守っています。

 少し離れた場所に闇の盾を出して執務室へと踏み込むと、ディートヘルムは僕に救いの神でも見るような視線を向けて来ました。


 さては、書類仕事にうんざりしてるんだな?


「仕事中にお邪魔させてもらいます。日本政府から一つ要望を持ってきました」


 立ち上がって挨拶しようとするディートヘルムを片手で制して、グライスナー侯爵と椅子を一つ挟んだ席に腰を下ろしました。


「要望とは、どのような内容でございますか?」

「うん、こちら、グライスナー侯爵に同行してもらいたいそうなんだ」

「ほほぅ、儂にですか?」

「はい、以前にも話したかもしれませんが、僕の生まれ育った世界では、いわゆる獣人は存在していません。だから、グライスナー侯爵に列席していただくことで、違う世界の者達と交渉していると印象付けたいみたいなんだ」

「分かりました。グライスナー侯爵には、元々同行してもらう予定でしたので、何の問題もございません」

「じゃあ、問題無いと日本政府には連絡を入れておくよ」


 ディートヘルムは、僕に長居してもらいたそうでしたが、仕事の邪魔をしては申し訳ないので、早々に退散することにしました。

 ディートヘルムの来日までは、あと1週間です。

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