第433話 訓練施設

 ヴォルザードに戻った後、ギルドの執務室を訪ねました。

 執務室では、珍しくクラウスさんが真面目に仕事をしているようです。


 ベアトリーチェとセラフィマも、書類仕事を手伝っているみたいですね。

 てか、僕のところに輿入れしてきたけど、バルシャニアの皇女様にヴォルザードの内情が分かる書類とか見せちゃって大丈夫なんですかね?


「ケントです、入ってもよろしいでしょうか?」

「おぅ、構わんぞ。何か用か?」

「バッケンハイムの状況報告と少しご相談が……」

「そうか、リーチェ、お茶だ……」


 クラウスさんは、また面倒事か……みたいなポーズを作って応接ソファーへと移動しましたが、書類仕事がサボれた喜びで口角が上がり気味ですよ。


「ゴブリン共に街に入られたんだったな、どんな状況だ?」

「はい、思っていたよりも多くのゴブリンが入り込んでいるようで、学院の敷地内にもかなりの数が見受けられました」


 街中のゴブリンを見掛ける頻度、冒険者を始めとした住民の対応、ついでに学院の3馬鹿の話もしておきました。


「そうか、それじゃあ現状ではケントに依頼を出す事も、ラウの爺さんが現場に出る事もしないんだな?」

「はい、あくまでもバッケンハイムの守備兵と冒険者だけで対処するみたいです」

「アンデルも、その計画は了承しているのか?」

「そこまでは分かりませんが、マスター・レーゼとラウさんの様子からすると、事前に決めた計画通りに進めている感じですね」

「なるほどな、その先を見ているってことか」

「先ですか?」


 クラウスさんは二度ほど頷いて、ベアトリーチェが淹れてくれたお茶を味わった後で続きを話し始めた。


「あいつらは、ゴブリンではなくオークやオーガが押し寄せてきた時の事も考えているんだろう。そうした事態に備えるならば、今回のゴブリン共は格好の訓練材料ってことだ」

「なるほど……でも、被害も出ちゃってるみたいですし、まだこの先も出るんじゃないですか?」

「だろうな。バッケンハイムはヴォルザードとは違って、これまでは大量の魔物に襲われるような事態は想定していなかったはずだ。だが、例の空間の歪みに絡んで、イロスーン大森林が様変わりしている。ここで多少の被害を出してでも、住民に危機感を持たせ、しっかりとした防衛体制を整えておかないと、最悪街が全滅するかもしれん。ヴォルザードとは置かれてきた状況が違うから、対処の仕方も変わってくるのは当然だろう」

「じゃあ、もし仮に今、ヴォルザードの街中に大量のゴブリンが入り込んだら?」

「お前の眷属を総動員してでも、住民を守ってもらうに決まってんだろう」

「ですよねぇ……」


 ヴォルザードが同じ状況になった時に、クラウスさんがどう対処するのか少し心配でしたが、まったくの杞憂だったようです。


「それで、相談ってのは何だ? アンジェまで嫁によこせとかぬかすんじゃないだろうな?」

「いえいえ、今の話に絡んでなんですが、ヴォルザードの冒険者も底上げをした方が良いのかと思いまして……」

「ほう、確かに最近の状況を考えると、冒険者全体のレベルが上がった方が良いのは確かだな……だが、どうするつもりだ?」

「もっと実戦の機会を増やしたらどうかと……」

「実戦って……魔物と戦う機会を与えるってことか?」

「はい、そうです」

「若手を引率して魔の森にでも連れて行くつもりか?」

「いえ、訓練場を整備しようかと思ってます」

「あぁ、そう言えば、シューイチとか残った連中を特訓してるんだったな」

「はい、そうなんですけど、場所がヴォルザードから遠すぎるんです」


 僕がヴォルザードに来た頃にラインハルトが作ってくれた特訓場は、魔の森の奥にあります。

 ヴォルザードの街からは歩けば1日掛かるほどの奥地です。


 居残り組のみんなを連れて行く時は、僕の送還術で送迎していますし、一般の冒険者が利用するのは難しい場所です。

 そもそも特訓場まで自力で来られる冒険者ならば、特訓の必要はありませんからね。


「それじゃあ、ギルドや守備隊の訓練場でやるつもりか?」

「いえ、実際の魔物を使うので、街の外に作った方が良いと思うんですが、かと言って遠すぎると駆け出しの冒険者が使えなくなってしまいます。なので、門を出たら見える程度の場所にしたいと思ってます」

「魔物は、どうやって捕まえて来るつもりだ?」

「訓練場に隣接するように、魔物の飼育施設を作って、定期的に僕が魔物を送還術で送り込みます」


 ヒュドラを討伐した跡地の周りに集まっている、活きの良い魔物を調達しちゃいますよ。


「世話は誰にやらせるつもりだ?」

「当面の間は、コボルト隊にやらせて、ノウハウが確立したら、人の手でやるようにしても良いかと……」

「だが、単純にゴブリン倒せました、オーク倒せました……では、あまり意味が無いんじゃないのか?」

「そうですね。実戦だと森の中で遭遇するところから考えないといけないし、ただ倒すだけでは討伐の半分の意味もないかもしれません。でも、実際に魔物を倒していれば、遭遇した時の緊張度が大きく違うはずです」


 冒険者が、魔物の討伐を経験したいと思ったら、まず魔物を探すところから始めないといけません。

 あらかじめ魔物が用意されていれば、少なくとも『探す』という手間は省けますし、探している間の危険を回避できます。


「ケント、ロックオーガも用意出来るか?」

「はい、出来ますよ。居残り組には経験させています」

「いいだろう。訓練場の設営は許可するが、ドノバンやカルツとも打ち合わせをしろ。冒険者だけでなく、守備隊の底上げにも使いたい。それと、着手するのはイロスーン大森林の指名依頼が終わってからだ。人、物の往来を回復しないと話にならんからな」

「分かりました。工事を優先します」


 僕の頭の中には、冒険者の底上げしかありませんでしたが、守備隊の底上げも必要ですよね。

 むしろ、城壁の上で警備を行っている守備隊の方が、魔物と接する機会は少ないですし、実際の討伐を経験しておく必要性も高いのでしょう。


「ケント、バッケンハイムにはバッケンハイムの考えがある。あっちはレーゼ達に任せておけばいいぞ」

「はい、とりあえず学院の安全だけは確保するようにしましたし、あまり長引くようなら勝手に介入させてもらいます」

「それじゃあ金にならんぞ」

「そうですけど、アウグストの兄貴が困るでしょうから……」

「ふふっ、なら勝手にしろ」


 クラウスさんは、息抜きの時間は終わりだとばかりに大きく伸びをすると、ソファーから執務机へと戻りました。

 僕は、セラフィマ、ベアトリーチェとチュってしてから、イロスーン大森林へと向かいました。


 コボルト隊やゼータ達の作業は、領地境からバッケンハイム側のスラッカまで完了しています。

 街道脇の空堀や新しいスラッカとなる街の外壁部分などは、ガッチリと硬化させられていますが、ガタガタの状態です。


 これを送還術を使って綺麗に斬り出して仕上げるのが僕の仕事です。

 これが結構楽しい作業なんですよ。


 カチカチの固い壁が、送還術を使うとスパっと切り取れて、しかも切り口が磨き上げたようにツルツルピカピカです。

 ヤモリみたいに手足が吸盤みたいな働きをしなければ、普通の生き物では張り付くことすら不可能です。


 これならば、魔物が登ろうとしても手掛かり指掛かりが得られないでしょう。

 有事の際には油でも流せば完璧でしょうね。


 お昼ご飯を挟んで、夕方までガッチリ作業を続けて、バッケンハイム側の工程は終了。

 残すはマールブルグ側ですが、こちらもコボルト隊やゼータ達が凄いスピードで作業を進めていますから、あと10日もすると完成しちゃうかもしれませんね。


 ヴォルザードに戻り、迎賓館へと帰る前に守備隊に足を向けました。

 守備隊の人に尋ねると、カルツさんは訓練場にいると教えてくれました。


 訓練場へ行ってみると、両手に木剣を持った隊員を左右3人ずつ、合計6人の隊員で挟み撃ちにしていました。

 3人1組となった隊員たちは槍と同じ長さの棒を持ち、1人が顔近く、残りの2人が足元という感じで上下に分けて攻撃を行っています。


 木剣の隊員が、一方に向かって攻撃を仕掛けようとすると、すかさずもう一方の3人が攻撃を仕掛けてきます。

 挟まれていないで、もっと大きく回り込めば良いのに……と思いましたが、7人はロープで仕切られた幅5メートル程の範囲で戦っているようです。


『あれは、城壁の上を想定しての訓練でしょうな』

「なるほど、限られた幅の中での動きを確認しているんだね」


 守備隊が活動する場所は、圧倒的に城壁の上です。

 城壁上では、相手は限られた範囲しか動けませんが、それは守備隊の人達も同じです。


「ねぇ、ラインハルト。城壁の模型みたいな物を作ったら、訓練が捗るんじゃないかな?」

『それは面白いですな。おそらく、この訓練場では馬を使った訓練なども行うので、そうした専用の施設を作る余裕は無いのでしょう』

「でも、実際には城壁の上で迎え撃つし、登られる可能性もあるんだから、模型みたいな感じで作っておけば感覚は掴みやすいよね」

『そうですな、高さまで同じにすると転落の危険性があるので、高さは腰ぐらいに抑えて、幅を実物と同じに作ると良いでしょう』


 どうやら、このグループが最後だったらしく、カルツさんが訓示を行った後で訓練は終了しました。

 守備隊の隊員を解散させると、僕に気付いたカルツさんが歩み寄ってきました。


「やぁ、ケント。なにか用かい?」

「はい、ちょっとカルツさんに相談したいことがありまして」

「俺に相談? 俺に出来ることならば、何だってやらせてもらうぞ。何しろ、ケントは俺とメリーヌの命の恩人だからな」

「いやいや、あれは当然のことをしただけですから……それよりも相談なんですけど、クラウスさんには許可を貰ったんですが、城壁の外に訓練場を作ろうと思ってるんですよ」

「訓練場を城壁の外に? そりゃまた何か理由があるのかい?」

「はい、実際の魔物を討伐する訓練を出来る場所にしようと思ってます」


 僕が居残り組に実施している特別訓練や魔の森の特訓場、それにさっき考えた城壁を模した訓練施設などについて話をしました。


「城壁と同じ幅、胸壁の高さの施設で、実物の魔物を使った訓練が出来るのか。そいつが実現できるなら、全面的に協力させてもらうよ」

「なにか要望とかありますか?」

「そうだな……訓練に本物の魔物を使うならば、訓練後の死体の処理が少し心配だな」

「あぁ、それは僕の眷属が影の空間経由で捨てに行くから大丈夫ですよ」

「そうか、それならば安心だが、それではケント達に世話になり過ぎな気もするな。訓練場の使用料を支払ってもらえるように、マリアンヌ隊長に相談してみよう」

「まぁ、僕としては守備隊の皆さんの訓練に役立ててもらえれば、それで十分なんですけどね」


 とりあえず、工事に着手するのはまだ先の話ですし、まずは地均しから始めなきゃいけないので、施設の規模とかは工事が始まった頃にまた相談することにしました。

 カルツさんとの相談を終えて、迎賓館に戻って汗を流して夕食にしました。


 一日しっかり仕事をして、夕食はみんなが揃って食卓を囲む……当たり前なのかもしれませんが、日本にいたころの僕には考えられない状況です。

 家族が揃って食事を楽しめる、この当たり前の状況が当たり前に続くようにしないといけませんよね。


 夕食を食べ終えたら、厨房に差し入れを作ってもらって、ギルドへと向かいました。

 自分はゆっくりと夕食を楽しんでから顔を出すのは少々気が引けますが、この時間じゃないとドノバンさんは忙しいですからね。


「こんばんは」

「むっ、ケントか? 何かあったのか?」

「いえ、緊急事態ではありませんが、少々ご相談を……あっ、これ差し入れです」

「ふむ……差し入れで俺を買収するつもりか?」

「いえいえ、とんでもない。それに、相談する内容はヴォルザードの冒険者の底上げにつながるものですから……」

「冒険者の底上げだと……? ふむ、まぁそこの書類をどかして座れ」


 ドノバンさんは、書類を捲る手を止めると、机の脇に置いてある魔道具でお湯を沸かし始めました。


「ふむ……お前がシューイチやカズキ達にやっている訓練を他の連中にもやらせるつもりか?」

「はい、実際に魔物を討伐する機会があった方が良いのかと思いまして」

「確かに実物との戦いに勝る訓練は無いが……」

「何か問題がありますか?」

「いや、運用の方法を考えれば良いか……」


 珍しく歯切れの悪い言い方をした後、ドノバンさんはお茶を淹れ始めました。

 お湯を注いだ時点で、こちらまで香りが漂ってきます。


 しっかりと蒸らした後で、ドノバンさんは慎重な手付きでカップへと注ぎました。

 差し出されたカップを受け取ると、立ち昇る香気だけでウットリしてしまいます。


「素晴らしい香りですね」

「味も文句無しだぞ」

「いただきます……わっ、これは……」


 口に含んだ瞬間、香りと甘味が広がって、爽やかな味わいを楽しんでから飲み込むと、お茶特有の渋みがフワリと余韻となって残ります。

 一体どこで、こんなお茶を見つけて来るんでしょう。


「実物の魔物を使って訓練出来るならやるべきだが、一つだけ懸念がある」

「何でしょう?」

「安全の担保だ」

「安全ですか……でも、戦闘講習で結構痛い目見てますけど……」

「ふん、骨の1本2本ぐらいは治癒院に通えば直る。人同士で訓練している限り、命に関わるような大怪我になる可能性はあまりない」


 確かに、ギリクと手合せをしている時でも、口ではぶっ殺すとか言っても本気で殺し合いをしようとは思っていなかったはずです。

 使っている武器も木剣でしたし、防具も身に着けていましたから、命を奪うとすれば喉や目玉を狙って突くぐらいしか方法は無かったでしょう。


 それに、そんな危険な技を使おうとすれば、間違いなくドノバンさんが止めていたはずです。


「人同士の訓練ならば、命を奪うところまでは行かないが、相手が魔物だと手加減なんかするはずがない。何しろ、奴らは命懸けだからな」

「確かにそうですが、それを言ったら、いつまで経っても討伐の依頼なんかできませんよ」

「勿論、贅沢なことを言っているのは分かっているが……ケント、お前やお前の眷属がいない状況で、魔物を使った訓練を安全に行えると思うか?」

「それは……やり方次第では?」

「まぁ、そうなんだが……万が一の時に、お前の眷属のように咄嗟に止めに入ったり、お前のように出鱈目な治癒魔術を使える奴はいないぞ」

「なるほど……」


 ドノバンさんの言う通り、居残り組に特訓をやらせている時でも、本当に危ないと思えば闇の盾を使って防御したり、眷属のみんなに討伐させたりしています。

 万が一、割って入るのが遅れて怪我をしても、僕が治療すれば良いと思っていました。


「それじゃあ、この計画は中止ですかね?」

「いや、必ず実行に移してくれ」

「えっ、でも安全は?」

「余裕を持たせて運用する。1人でやっとゴブリンを倒せるレベルなら、訓練は二人でゴブリンを討伐させる」

「その実力の見極めは、どうするんですか?」

「その辺りの判断や救護体制を含めて、運用面の検討は必要だな」


 冒険者の底上げをするならば、特訓すれば良い。特訓するなら、居残り組にやってる方式が良い……なんて簡単に考えていましたが、そんなに単純ではないようです。


「ケント、城壁を模した訓練施設は、冒険者達にも体験させた方が良いし、出来れば守備隊との連携も確認できるようにしたい。慌てず、じっくりと良い物を作ろう」

「そうですね」


 どうせ作るならば、後々まで活用される施設にしたいので、ここは腰を据えて取り掛かることにしましょう。

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