第318話 エーデリッヒの罠
三日ぶりに訪れたジョベートの街は、晴れ渡った青空の下で活気に溢れているように見えました。
領主の別館を訪ねる前に、港近くの街を歩いてみると、品数こそ少ないものの威勢の良い売り声が響いています。
港では、大きな船に荷物を積み込む作業が行われていますし、隣接する魚市場では、漁から戻った船から水揚げも行われていました。
まだクラーケンが完全に討伐されたと確認されていないのですが、フライング気味に漁に出ている人がいるのでしょう。
これまで漁が中止されていたからでしょうか、漁船からは大量の魚が水揚げされています。
イワシとサンマの中間ぐらいの大きさの魚ですが、ピチピチと跳ねて鮮度は抜群、ネロが見たら飛び出して行きそうですね。
街の視察を終えてから向かった領主の別館では、領主アルナート・エーデリッヒが出迎えに現われました。
某アメリカ大統領に良く似た風貌にネコ耳が付いているのが、質の悪いコラージュのように見えてしまいます。
ブライヒベルグで行われた領主会議の時には、もの凄い仏頂面をしていたアルナートさんですが、今日は満面の笑みを浮かべています。
たぶん、クラーケン騒動の終結に目途が立ったからでしょうが、その傍らに居るネコ耳の女の子も笑顔の理由のように見えます。
「ようこそ、クラーケン殺しの英雄ケント・コクブ」
「ご無沙汰してます、アルナートさん。英雄というのは、ちょっと……」
「何を言う。リーゼンブルグの長い歴史でも、クラーケンを一人で討伐した者などおらんぞ。英雄が気に入らぬとなれば、勇者と呼ぶか、はたまたSランク以上の冒険者ランクを新設するか……」
「いやいや、そんなに大げさにしないで下さい。普通にヴォルザードの冒険者ケントで構いません」
「近々バルシャニアの皇女を嫁にすると聞いているぞ。普通であれば、そんな人物を一介の冒険者としては扱えんが……まぁ良いだろう、試験航海の話をしよう」
あんまり目立たないようにしてもらいたいのですが、アルナートさんは含みのありそうな笑みを浮かべながら応接室へと誘いました。
アルナートさんの隣にいた十歳ぐらいの女の子は、僕の方へチラチラと視線を向けながら、応接室まで一緒に付いて来ました。
ロシアンブルーを思わせる光沢のあるグレーの髪に、クリクリとしたブルーの瞳が可愛らしいですね。
アルナートさんの身内なんでしょうが、同じネコ耳でも、こんなにも違うかと思ってしまいます。
「紹介しておこう、孫娘のカーティアだ。英雄を一目見たいと、ねだられてしまってな……」
領主会議の時の仏頂面からは、到底想像も出来ない緩みきった笑顔ですね。
これは、相当な爺馬鹿でしょうから気を付けないといけませんね。
「こんにちは、カーティアちゃん。ケントです」
「は、初めまして、カーティア・エーデリッヒです」
そっとスカートをつまんで挨拶してみせるカーティアちゃんは、まるでお人形さんのようです。
先に断っておきますが、僕はロリコン趣味はありませんから、純粋に可愛らしいということですよ。
「さて、ケント・コクブよ。試験航海の船は、二日後の朝に出航させたいと思っているが、大丈夫か?」
「警護の体制については、お聞きになっておられますか?」
「うむ、そなたの眷属であるコボルトが二頭同行し、危急の時には直ぐに知らせに走り対応すると聞いている」
「はい、僕の眷属は影の空間を移動できますので、玄関からここまで知らせに来るのと同じ程度の時間で往復が可能です」
「そうか。試験航海の船は、見張りの数を通常の倍に増やす予定でいる。異変を発見次第連絡し、対処が出来るのであれば問題は無い」
「僕も時間の許す限りは、そちらの船に同行する予定でいます。ただ、一つだけ懸念が……」
「ほう、何かな?」
「バハムートと思われる巨大魚が、船を襲うのかどうかが分かりません」
二度目のクラーケン討伐の時に遭遇した巨大魚の様子を話し、もしクラーケンだけでなく船まで襲ってくるようだと、対処が難しいと伝えました。
「なるほど、深海から一気に襲い掛かってくるのでは、見張りも役に立たないか……」
「そうですね。知らせを受けた時点で、船は重大なダメージを負っている可能性が高いですし、僕が同行していても対処しきれないと思います」
クラーケンを丸呑みにしてしまうほどの巨体ですし、闇の盾を複数展開しても突き破られてしまうような気がします。
「分かった。バハムートによって船に被害が出た場合は、ペナルティーは科さないこととする。その代り、クラーケン相手には遅れを取らぬように、十分な対策を講じてくれ。それと、船の中に居住区画は必要か?」
「いえ、僕らは基本的に影の中で活動しますので、船室などは用意しないで結構です」
「そうか、それは助かる。何せ、船内スペースには限りがあるからな。今回は見張りの人数も増やすし、可能な限りの荷物も積み込んでいきたいと思っている」
クラーケンによって、隣の大陸との交易が完全に止まっていたので、輸出入に関わる人たちは、一日でも早く、少しでも多くの荷物を運び、その分儲けたいと思っているのでしょう。
かと言って領主が指名依頼を出す冒険者に、まともな船室も用意しないわけにはいかないでしょう。
僕一人のために、上等な船室を用意すれば、限られたスペースが削られてしまいます。
逆に、その分のスペースが減れば、荷物や人員を積み込めるわけです。
打ち合わせが終わったところで、お茶と果物が用意されました。
果物は、地球で言うところのブラッディーオレンジで、赤い果肉からは柑橘系の爽やかな香りが漂ってきます。
「この果物は、ジョベートの近くで採れるのですか?」
「そうだ、海から見ると、斜面に畑が広がっているのが分かるだろう。これは、冬場に実をつける種類で、これとは別に夏に実るものもある」
「うわっ、甘い。それに果汁が……」
「そうだろう。これも交易品の一つだからな」
自慢げな笑みを浮かべているアルナートさんの隣で、カーティアちゃんも夢中でオレンジを食べています。
あれ、そう言えば、今日は平日ですけど学校に行かなくても良いんですかね?
「ふふん、学校に行くよりも大切なことはある。カーティアも領主の一族だから、クラーケンのような騒動が、誰の手で、どのように解決されていくのか知っておくことは、後々必ず役に立つからな」
「なるほど……僕なんか、カーティアちゃんと同じ年頃には、ぼーっと毎日を過ごしてました」
「ふはははは、うちのカーティアとて、普段は普通の子供だぞ。普通に学校に通い、普通に友達と遊び、普通に結婚に憧れる……」
ん? 普通に結婚に憧れる年ではないと思うけど……。
アルナートさんは、ニヤっとした笑みを浮かべると、ぐっと前のめりになって話し掛けてきました。
「どうだ、ケント・コクブ」
「いや、どうだと言われましても……」
「母親は美人だし、スタイルも良いぞ。カーティアは母親に似ているから、もう少しすれば引く手数多の美人に成長するはずだ」
「僕には、将来を約束した相手が四人もいますし……」
「なぁに、ほんの十日ほどで八千万ヘルトも稼ぐのだ、一人増えたところで問題などあるまい」
「いやいや、こうした話は本人の希望もありますし……」
僕が口を滑らせた一言に食いついて、アルナートさんは更に身を乗り出してきました。
「ほほう、それではカーティアが望むならば問題ないのだな?」
「うぇっ、でもカーティアちゃんは、まだ学校に通っているんですよね?」
「今年、数えで十二歳になったばかりだが、別に式を挙げるのは十五になってからでも良いし、何も問題は無いぞ」
いやいや、さすがに日本だったら小学生の女の子に手を出す訳にはいきません。
それこそ、唯香が鬼の形相を浮かべて、みっちりと正座でお説教食らう未来しか見えませんよ。
「ケント・コクブよ。エーデリッヒと友好関係を築く気は無いのか?」
「も、勿論、敵対する気なんて更々ありませんけど……」
「ケント様、私ではお嫌ですか?」
「ぐぅ……」
ネコ耳幼女が、瞳をウルウルさせて迫ってくるなんて反則だぁ!
とは言え、今日初めて会った女の子と結婚の約束なんて出来ませんよね。
「か、帰って相談してきます。返事は、また改めて……」
「そうか……ならば、良い返事が聞けることを心待ちにさせてもらおう。なぁ、カーティア」
「はい、お爺様」
くぅ……この子、怖い。
僕よりも四つも年下なのに、めっちゃ強かな感じがする。
「ケント・コクブよ。カーティアを嫁にもらうならば、この別宅を結婚祝いに進呈するぞ」
「いやいや、遠慮させていただきます。自宅はヴォルザードに建設中なので、そこから動く気はございません」
「ジョベートは良い街だぞ。冬でも温暖だし、夏には湾の奥の砂浜で、海水浴も楽しめる。夏の浜辺では、若い娘たちは開放的になるからなぁ……」
えっ、ちょっと待って、その胸の前で両手を広げる仕草って、もしや胸部装甲が解放されてしまうってことですか。
いや待て、お嫁さんたちも一緒に居たら、どんなパラダイスな光景だろうと、堪能できるはずがない。
特にマノンとセラフィマは、絶対に許してくれないはずです。
それならば、何かの依頼だと理由を付けて、一人で来るしかないですよね。
「大変ありがたいお申し出ですが、別宅まで管理する余裕もございませんので、辞退させていただきます」
「なぁに、家の管理などは、今雇っている者たちに……」
アルナートさんが、更なる追い打ちを掛けてこようとした時に、玄関の方から慌ただしい足音が響いて来ました。
荒々しくドアを開いて姿を見せたのは、アルナートさんの次男バジャルディさんです。
「父上、それにカーティア、これは一体どういうことですか?」
「ふん、どういうことも何も、領主としての職責を果たそうとしてるだけだ」
「まさか、もうケントさんは了承されたのですか?」
「あぁ、もちろん喜んで受けてくれたぞ」
うん? 了承したって、どっちの話だろう。
試験航海の護衛日程は了承したけど、結婚話は了承してないからね。
「早いです。まだカーティアは十二歳になったばかりです。結婚なんて早すぎます。ケントさん、あなたもこんな小さな娘に手を出すなんて……」
「いやいや、手なんか出していませんし、結婚も了承してませんよ」
「えっ、どういうことですか……?」
了承したのは、護衛の日程だと話すと、バディさんはアルナートさんにジトーっとした視線を向けました。
「父上、確かにケントさんは稀有な才能の持ち主ですが、そのように強引な手を使わなくても良いでしょう」
「何を言ってる、貴様の考えが甘すぎるのだ。平時にこそ有事に備えるのが領主としての務めだぞ」
アルナートさんは、おもむろに僕を取り込もうとした理由を語り始めました。
「ヴォルザードが魔の森を隔ててリーゼンブルグと接しているのと同じように、エーデリッヒは海を隔てて隣の大陸と接している。今は友好的な関係を築けているが、一度矛を交えるようになれば、矢面に立たされるのは我々なのだぞ。クラーケンを単独で討伐するような武力があれば、味方の損害を最小に留めながら敵を退けることも可能となるだろう。そのための確実な繋がりを結ぼうと試みるのは、領主一族として当然だろう」
「しかし、カーティアはまだ……」
「たわけ! 女子は十二にもなれば、領主一族に生まれた者の定めぐらいは理解するわい」
アルナートさんに視線を向けられたカーティアちゃんは、引き締まった表情で頷いてみせました。
「ましてや、嫁いで行く先は、好色な狒々爺なんかじゃなく、年若くして才気溢れる好青年だ。カーティアとて文句は無いだろう」
アルナートさんの問い掛けに、再び力強く頷いた後、カーティアちゃんは、ふっと微笑んでみせました。
年に似合わぬシッカリとした表情の後で、年相応の無邪気な微笑みを見せつけるなんて、天然でやってるとしたら本当に恐ろしい子です。
勢い込んで止めに来たバディさんですが、すっかりやり込められてしまっています。
いやいや、ここはもう少し頑張ってもらわないと困るんですよね。
『ぶははは、ケント様、ここは一旦ヴォルザードに撤退して、クラウス殿に助言をもらった方が賢明ですぞ』
『だよね……そうするよ』
ラインハルトの助言に従って、ここはヴォルザードに戦略的撤退します。
「と、とりあえず、この話は試験航海が終わるまでは、保留にさせていただけませんか。僕としても、警護の方に集中していたいので……」
「そ、そうです、父上。今は、ケントさんに余計な負担を掛けず、護衛に専念してもらうべきです」
「ふん、分かった、分かった。返事は無事に航海が終わってからで良い」
冷や汗を流しているバディさんに向けられる、カーティアちゃんの視線が冷たいですね。
バディさんは当てにならなそうなので、早いところヴォルザードに戻ってクラウスさんに相談しましょう。
ヴォルザードに戻ろうと席を立つと、カーティアちゃんが歩み寄って来て、腕を絡めてきました。
子猫がじゃれついて来るような感じでしたが、腕にふにゅっと柔らかな感触が……むむっ、マノンよりも将来性は豊かな……むにゃむにゃ……。
「ケント様、私のことはティアとお呼び下さい」
「カーティアちゃんじゃ駄目なの?」
「駄目です、ちゃんとティアとお呼び下さい」
ちょっと頬を膨らませて見せるカーティアちゃんは、出会った頃のベアトリーチェを思い出させます。
たぶん、カーティアちゃんも学校では人気者だろうし、こんな姿を見たらオーランド商店のボンボン、ナザリオみたいに歯軋りする男の子がいるんだろうな。
てか、バディさんが歯軋りしてるんですけど、お義父さんなんて呼んだら怒鳴られるんでしょうね。
「では、アルナートさん、バディさん、失礼しますね」
「うむ、良い返事を期待しておるぞ」
「父上……ケントさん、護衛の件、よろしくお願いします」
「はい、任せて下さい。では……ティアも、またね」
「はい、ケント様!」
カーティアちゃんは、目一杯背伸びして、僕の頬にキスしてきました。
うん、ますますベアトリーチェを思い出しちゃうよ。
てか、逃げられるのか、これ……。
影に潜って一路ヴォルザードに戻り、ギルドに向かいました。
幸い執務室には来客も無く、クラウスさんが退屈そうに机に向かっていました。
一旦廊下に出てドアをノックすると、すぐに返事がありました。
「誰だ?」
「ケントです、少しよろしいでしょうか?」
「おぅ、入れ!」
ドアを開けると、もうクラウスさんは机から立ち上がっていました。
よほどデスクワークが嫌いなんでしょうね。
「ボレントの裏帳簿は見つかったか?」
「はい、昨夜のうちに見つけて、一部は写しを取ってあります。残りの分も交渉の日までには写しを取る予定です」
「よし、でかした! ちょうどいい時間だから昼飯を食いに行くぞ」
「えっと、その前に、ちょっとご相談が……」
「ん? 何か面倒事か?」
「はい、ちょっと……」
クラウスさんにソファーに座るように促され、ベアトリーチェがお茶の支度を始めようとしました。
「ごめん、リーチェも座って」
「私も、ですか?」
「ケント、お前まさか、また女を作ってきたんじゃないだろうな?」
「つ、作ってませんよ。まだ……」
「はぁ……アルナートの爺ぃか?」
クラウスさんには、試験航海の打ち合わせに行くと伝えてあったので、そこから推察したのでしょう。
カーティアの件を話すと、父娘揃って呆れられてしまいました。
「まったく、アルナートの爺ぃが何か仕掛けてくるとは思っていたが、十二歳のガキに遊ばれてんじゃねぇよ」
「ケント様は、隙が多すぎます」
「すみません。でも、どうやって断ったら良いですかね?」
「そんなもの、悩むまでもないだろう。強引な結婚を推し進めてくるならば、エーデリッヒとは縁を切るって言ってやれ」
「なるほど……嫁がいないと繋がりを保てないの逆にすればいいのか」
「ケント、今回キッチリ断らないと、エーデリッヒ以外の領主の親族からも嫁をもらわなきゃいけなくなるぞ」
「と、とんでもない。そんなことになったら、十人もお嫁さんをもらうことになっちゃいますよ」
「だから、キッチリ断ってこい」
「分かりました」
「よし、昼食に行くぞ!」
ギルドに併設されている酒場に向かう途中、ベアトリーチェが腕を絡めてきました。
ふにゅんとした感触は、また少し育っているような……いや、カーティアと較べたからかな。
「ケント様、お一人で決めようとして押しきられなかったから良かったですけど、勝手にお嫁さんを増やしたら許しませんよ」
「痛っ、ごめんなさい」
「分かればよろしい」
脇腹をキュっと抓られましたけど、ふにゅんふにゅんの気持ち良さの方が上回ってます。
でも、ネコ耳幼女か……セラフィマとキャラが被っていなかったら……。
「ケント様……?」
「いえ、何でもないです」
アルナートさんには断りを入れて、しばらく大人しくしていましょう。
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