第304話 バハムート
アウグストさんがグラシエラに襲われた翌日は、クラーケン討伐にジョベートまで行かなくてはなりません。
昨日の昼間、グラシエラの手下共にも脅しを掛けたので、襲撃を仕掛けてくるとも思えませんが、念のために手は打っておきましょう。
「バステン、暫くの間アウグストさんを影から護衛してもらえるかな?」
『承知いたしました、ケント様』
「もし襲撃してきたら、出来るだけ殺さずに、誰の指示だか聞きだすようにしてくれる?」
『お安い御用です。死なない程度に畳んでやりますよ』
バステンが護衛してくれれば、まず心配はありませんが、コボルト隊から三頭ほど応援を付けておきます。
人海戦術でカロリーナさんとかにまで襲われたら、守りきれない可能性もありますからね。
『ケント様、今回はずいぶん慎重ですな』
「うん、もしクラーケンと交戦中に襲撃があったら、僕は戻れないかもしれないからね」
『左様ですな。後顧の憂いを断って戦場に臨む……もはやワシらの出番はありませんな』
「とんでもない。まだまだラインハルト達には教わる事があるから、これからもよろしく頼むよ」
『無論です。ワシらは常にケント様と共にありますぞ』
この頼もしい眷族がいる限り、たいていの敵には後れを取ることはないはずです。
安心して任せて、ジョベートへ向かいました。
この日のジョベートは、薄曇りの空模様ですが、強い風は収まっているようです。
少しうねりはあるもの、見える範囲では白波は立っていないようです。
エーデリッヒの領主の息子バジャルディさんとは、魚市場近くの港で待ち合わせです。
港にはバジャルディさんの他に、姪っ子のディアナ、Bランク冒険者のセイドルフ、それに数名の冒険者風……というよりも海賊風の男性が待っていました。
噂話を聞き付けたのでしょうか、街の人達も集まっています。
闇の盾を出して表に出ると、見物人からどよめきが起こりました。
「なんだ、あいつ何処から出て来た?」
「あいつが、ケント・コクブなのか?」
「いや、あんな子供じゃないだろう」
「だよな、Sランクの冒険者だぞ。あんなチビじゃないだろう」
そりゃぁ確かに頼りない見た目だという自覚はありますけど、他人から指摘されるとガックリします。
でも、気を取り直して、バジャルディさん達に挨拶しました。
「おはようございます、バディさん。お待たせして、すみません」
「おはようございます、ケントさん。まだ約束の時間にはなっていませんから、お気になさらず……」
「こちらの皆さんが、お手伝いして下さる方達でしょうか?」
「そうです。セイドルフ、紹介しなさい」
バディさんの指示を受けて、セイドルフ達が僕の前に整列しました。
勿論、全員僕よりも年上ですし、日焼けした屈強な海の戦士という感じです。
「はい、俺の隣から、フェンシエ、キケ、シリノ、ホアキン、カンデ、全員Cランクの冒険者で泳ぎは達者だ。危なくなったら、構わず湾の中央に送ってくれ」
「分かりました。あっ、バディさん、湾の中央には船は近づけないようにしてもらえますか? 送還先に船がいると危ないので」
「分かりました。湾の中央には船を出さないように指示しておきます」
「それと、鯨用のスペースには、クラーケンの一部を送還しますので、こちらも立ち入らないようにして下さい」
「はい、そちらの手配は済んでおります」
「では、準備が出来たら出航していただけますか? 僕は、こちらの準備を終えたら追い掛けますので」
出航した船を後から追い掛けると聞いて、五人の冒険者は怪訝な顔をしていましたが、セイドルフから気にせず準備を進めるように言われて動きだしました。
僕の準備は、魚市場の鯨用のスペースに、マーカー役のゴーレムを設置するだけなので、すぐに終わらせられました。
『ケント様、どうやら船は前回使ったものみたいですぞ』
「前回使ったって、あの捕鯨船か……修理したのかな?」
『それと、弩弓が外されておりますな』
「それって、万が一沈められても損害が小さくて済むってことだよね?」
『前回も、かなりのダメージを受けておりましたから、あるいは船の寿命が尽きかけているのかもしれませんな』
三日前、クラーケンの襲撃を受けて、船体が軋むほどの締め付けを食らっていました。
その時のダメージが、深刻だったのかもしれません。
港に戻って来た時には、傾いて進んでいたほどです。
船に乗り込んだセイドルフ達六人を、ディアナは港の岸壁から見送るようです。
「セイドルフ、気を付けてね」
「気をつけますと言いたいところですが、今回ばかりは我々の力ではどうにもなりません。ケント・コクブに命を預けるだけです」
セイドルフの言葉に頷いたディアナが、僕の方へと歩み寄って来ます。
問答無用の蹴りが飛んでこないか、一応注意しておきましょうかね。
「ケント・コクブ。改めてお願いします、セイドルフ達を守って下さい」
「勿論です。ジョベートのために命賭けの依頼に挑む人達を、無下に見捨てるようなことは決していたしません」
ていうか、ぶっちゃけディアナは、セイドルフさえ無事ならOKなんじゃないの?
岸壁を離れていく船を見送る時も、視線はセイドルフに注がれているようでした。
「では、バディさん。行って来ます」
「よろしくお願いします。ケントさん」
「はい、出来れば今日中に片を付けたいですね」
とは言ったものの、実際にクラーケンが何頭いるのかも分かりませんし、例え今日中に二頭を討伐出来たとしても、安全が確認された訳ではありません。
というか、どうやって安全の確認をしたら良いんでしょうかね。
櫓を使っていた船は帆を上げて、船足を速めて湾の出口を目指しています。
バディさんと握手を交わしてから影に潜り、船の影へと移動しました。
空には薄雲が広がっているからか、今日の海はドンヨリとした鉛色に見えます。
白波こそ立っていませんが、うねりは遠くから眺めていたよりも高く、普通に船に乗っていたら酔っていたかもしれません。
船に乗り込んだ面々は、帆の上げ下げをする者、見張りを務める者、船の操舵を担当する物など、それぞれに作業を分担して動いています。
驚いたことに、他の五人をまとめて指示を飛ばしているのは、フェンシエと呼ばれていた一番年配の冒険者でした。
てっきりセイドルフが指揮を執るものだと思っていましたが、当人は帆の綱を握って走り回っています。
ちょっと意外でしたが、見栄を張らずに、自分から最も力が発揮出来る場所で動くのは、素直に大したものだと感じました。
湾から出た船は、少し北寄りに進路をとっています。
たぶん、前回クラーケンと遭遇した辺りを目指しているのでしょう。
船の上は、見張りを務めている者は勿論、操船に関わっている者達もピリピリとしているようです。
それにしても、曇り空の下の海って不気味ですよね。
晴れていれば、もう少し海の中の様子が見えると思うのですが、どこまでも広がる鉛色の海には、何が潜んでいるのか分からない怖さがあります。
有名なサメ映画のテーマ曲が、今にも流れて来そうな雰囲気です。
「一時の方向に鳥山!」
湾を出てから一時間ほど経った時、見張りの一人が大きな声を上げました。
すぐさま船は取り舵を切り、船足を上げます。
船が向かう方向には、確かに多くの海鳥達が集まっていて、上空からダイビングする姿も見えます。
これは、案外あっさりと討伐が終わるかもと思っていたら、大きな魚影が跳ねたのが見えました。
「気を付けろ、ランスフィッシュだ! 帆を下ろせ!」
フェンシエの指示で帆が下ろされて、船足が鈍りました。
ランスフィッシュは、時には船倉に穴を開けたり、甲板の人に向かって飛び込んで来るそうです。
突き出した槍のような口先からして、カジキマグロのようですが、日本で見られるものとは違って、トビウオを連想させる大きな胸びれがありました。
「ラインハルト、あれって美味しい?」
『ランスフィッシュが珍重されるのは、捕らえるのが難しいのもありますが、何よりも美味だからです。煮てよし、焼いてよし、揚げてよしなので、高値で取り引きされるそうですぞ』
「それじゃあ、今日のお土産にしよう」
『ケント様、どのようにして捕まえるつもりですかな?』
「うん、召喚術の練習台になってもらおうと思ってる」
身体を影の空間に残して、星属性の魔術で意識を鳥山の上へと飛ばします。
鳥達に混じって上空から海面を見詰めると、大きな魚影が動くのが見えました。
「うわっ、速っ! 水の中を飛んでるみたいだよ」
空の上からでは、ランスフィッシュを追いきれないので、意識を海の中へと潜らせます。
水面の下には、小魚の大きな群れがいて、大きな魚に追われて巨大な塊になっています。
ランスフィッシュは尾びれと胸びれを巧みに使って、まるで魚雷のように小魚の群れに突っ込んでは泳ぎ去っていきます。
小魚の群れの下へと潜り込み、ランスフィッシュが突っ込んで来るのを待ち構えました。
「送還! うわっ、ちょっと失敗……」
タイミングを合わせて送還術を発動させたつもりでしたが、思っていたよりもランスフィッシュが速くて、頭が半分ぐらい発動範囲から出てしまいました。
まぁ、肝心な身の部分は無事に送れたから良しとしましょう。
フレッドに頼んで、ランスフィッシュを魚市場の隅へ移動させてもらいます。
さぁ、ここからが本番ですね。
小魚達が群れているよりも、ずっと深い場所から大きな影が近付いて来ます。
クラーケンは全部で三頭。情報よりも一頭多いですね。
先手必勝と参りますか。
こちらから深く潜って迎え撃ちます。
「送還! 送還!」
先頭を泳いできたクラーケンの目玉と嘴を含んだ辺りを輪切りになるように魚市場まで送還し、更に胴体を輪切りにして魔石をゲットしました。
クラーケンの嘴は、硬くて魔力を通しやすいので、素材として使いたいとバディさんから伝えられました。
先頭の一頭を討伐しましたが、他の二頭は気にする様子を見せず、船を目指して浮上して行きます。
体が大きい分、遠目にはゆったり動いているように見えますが、実際にはかなりのスピードです。
こちらは、星属性で意識を飛ばしているだけなので、水の抵抗が無い分スピードでは負けません。
「送還! 送還!」
二頭目のクラーケンを討伐して魔石を確保したら、海の底から巨大な影が凄い勢いで近付いて来ているのに気付きました。
「うわぁ、送還!」
慌ててセイドルフ達を船ごと湾の中央へと送還した直後、巨大な魚がクラーケンの死骸を丸呑みにしました。
送還術の発動が遅れていたら、船まで飲み込まれていたかもしれません。
瑠璃色をしたシーラカンスのような古代魚は、以前オークの死骸を捨てに行った時に現れたやつみたいです。
まるで鯨のように水面を突き破って跳ねた古代魚は、残った一頭のクラーケンを追い掛けて、深海へと姿を消しました。
これまでに現れたクラーケンが、数ヶ月ぐらいで姿を消していたのは、あの魚に食われていたからなのでしょうか。
というか、あっちの方がクラーケンの何倍も危険だと思うんですが、もしかして魔物しか狙わないんですかね。
巨大魚が立てた泡が収まると、魚影の見えない海が広がっているだけです。
囮の船も戻してしまいましたし、状況説明に帰るために、意識を身体に戻しました。
『ケント様、どうなされました? 急に船を送還されたようですが』
「そうか、こっちからは見えてなかったのか」
クラーケンを狙っていたと思われる巨大魚が接近して来て、船が巻き込まれそうになった事を伝えると、ラインハルトも納得したようです。
『なるほど、そのような事情があったのですな。状況は理解できましたが、船が……』
「あっ、送還した高さにズレがあったのか……」
クラーケンを送還した魚市場には、目印になる闇属性のゴーレムを設置しておきましたが、湾の中央には目印がありません。
海の上だからとアバウトに送ったので、高さにズレが生じて、落下の衝撃で船底が壊れてしまったようです。
操船のために乗り込んでいた冒険者達は、全員船を捨てて泳いで岸へ向かっているようです。
まぁ、巨大魚の腹に入るのと、海に放り出されるのと、どちらを選ぶかと聞かれれば選択の余地は無いですよね。
魚市場の鯨用のスペースでは、集まった人たちがクラーケンの死骸を遠巻きにして眺めています。
目印用のゴーレムの外側に、囲いを作って立ち入りを制限していますが、その外からは見物出来るようになっています。
「あれが、クラーケンか……」
「見ろよ、あの目玉の大きさ」
「もう二頭も討伐したってことなのか?」
領主の息子のバジャルディさんは、近くの詰所の二階から集まった人達の様子を眺めていました。
闇の盾を出して、詰所に足を踏み入れます。
「すみません、バディさん。ちょっと予想外の事態が起こったので、今日の討伐は中断しました」
「あぁ、ケントさん、お疲れ様です。予想外の事態とは?」
「はい、クラーケンを丸呑みにするような巨大な魚が現れまして……」
討伐を行っている間に起こったことを説明すると、バディさんは目を見開いて驚きながら聞き入っていました。
「それは、バハムートかもしれません」
「バハムート……?」
「はい、伝説に現れる巨大魚で、クラーケンすら襲うと言われていますが、実際に目にした者は居ないので、あくまでも想像上の魚です」
ジョベートは港町だけあって、海に関する伝説やお伽話がいくつも残されているそうで、バハムートもその一つだそうです。
かつて神々の世界の池に住んでいた小さな魚が、外の世界を見たいと逃げ出し、何千年もの長い年月を経て、巨大魚へと成長したとされているそうです。
ある話では、金色に輝く鱗を持っていて、その鱗一枚で小さな国が買えたとされていて、別の話では七色の鱗を持つとされているそうです。
クラーケンを狙って現れるならば、そもそも人々は船を出すのを控えている時期ですし、姿を見られないのも当然なのでしょう。
「ケントさん、セイドルフ達はどうなりましたか?」
「それなんですが、船ごと湾の中へと送還したのですが……」
送還したものの、船が壊れてしまったと話すと、バディさんは気にするなと言ってくれました。
「お気付きかもしれませんが、あの船はかなり痛んでいて、今回の討伐の間持てば良いぐらいに考えていましたので、気にしないで下さい」
「セイドルフさん達は、岸を目指して泳いでいるそうなので、大丈夫だと思います」
セイドルフ達の無事を伝えると、側にいたディアナはホッと胸を撫で下ろしていました。
「バディさん、これまでクラーケンがいなくなっていた理由がバハムートだとしたら、討伐はこれで終わりになるのでしょうが、どうやってクラーケンが居なくなった確認をしますか?」
「そうですね。ケントさんの話を聞いた限りでは、クラーケンは食われていそうですが、既に報告されていた数よりも多かったですし、まだ完全に安心はできません。少し確認方法を検討してみますので、明日お時間がある時にでも別館の方へとお越し願いますか?」
「分かりました。では、今日は一旦ヴォルザードへ戻りますね」
「はい、お疲れ様でした」
これで討伐を終えることになると、クラーケンを追い払ったのはバハムートということになって、成功報酬の二千万ヘルトを全額払ってもらえるかは微妙ですが、三頭の討伐報酬と魔石を手に入れたので、良しとしましょう。
『ケント様、クラーケンの魔石はリーゼンブルグの王都に持ち込んでみてはいかがです?』
「そうか、アルダロスなら高く売れるかもしれないもんね」
一箇所のオークションに出品するよりも、離れた場所のオークションに出した方が値崩れしないで済みそうです。
カミラに謝罪の手紙の件も伝えないといけませんし、ついでにリーゼンブルグのギルドへの紹介状でも書いてもらいましょうかね。
その前に、ランスフィッシュを持って帰って、あちこちお裾分けしてきましょう。
なにせ、頭が半分無くなってますけど、それでも体長は二メートル以上あります。
とてもじゃないけど、食べきれませんもんね。
まずは下宿に戻って、裏口からアマンダさんに声を掛けました。
「アマンダさん、ランスフィッシュが手に入ったんですけど、どのぐらい置いていきましょうか?」
「ランスフィッシュだって? えらく高級な魚だって話を聞いたことはあるけど……はぁぁ、ずいぶんと大きな魚だねぇ」
「煮ても、焼いても、揚げても美味しいそうですよ」
「それじゃあ、今日はまた三人を呼んで来るんだね?」
「はい、そのつもりです」
脂の乗っていそうな頭に近い部分と、尾の部分とを送還術を使って切り出しました。
残った部分は、領主の館、マノンの家、メリーヌさんの店、リーブル農園のブルーノさん、靴屋のマルセルさん、大工のハーマンさん、薬屋のコーリーさんに配って歩きました。
ランスフィッシュを配り終えた後、守備隊の講堂へ足を運んで、翻訳を終えた被害者のリストを受け取り、お礼に彩子先生も夕食に誘ってから、リーゼンブルグの王都アルダロスを目指しました。
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