第289話 ギリク外伝 その後 後編

 翌朝、ペデルと待ち合わせをしたのは、北東の城門だ。

 ペデルがランクダウンの措置を受けていなければ、南西の門から出られるのだが、Cランク扱いではこちらの門から出るしかない。

 門を出た俺達は、街道から西に逸れ、草地を横切って魔の森を目指した。


 俺達の狙いはオークもしくはオーガで、一頭でいる奴を狙うつもりだ。

 ゴブリンやコボルトなんて雑魚を狩っていたら、手間が掛かるばかりで旨味が少ない。

 ペデルは、森に入る前に指を舐めて空にかざし、風向きを確かめていた。


「もっと北側から入って、こちらに戻ってくるぞ」

「南風ってことか?」

「そうだが、森に入れば風が巻く場合もある。油断はするなよ」

「ふん、言われるまでもねぇ……」


 魔物に限らず、狩りを行う場合には風向きが重要になる。

 風上から不用意に近付けば、接近する前に気付かれ、最悪逆襲を食らうことになる。

 当然、自分達の風下にも注意を払っておかねば、不意を突かれて襲われかねない。


「ギリク、お前が前を見ろ。俺は後ろを警戒する」

「いいぜ。じゃあ、行くか」

「あぁ……」


 普段は冴えないおっさんにしか見えないペデルだが、やはり討伐ともなると表情が引き締まるし、身のこなしも違って見える。

 

「ギリク、もっと西だ。浅い場所じゃ雑魚ばかりだぞ」

「分かってる……」


 そう答えたものの、こんなに深くまで魔の森に踏み込んだことはない。

 ミュー姉と一緒の時は、森の端が見えるところまでだ。


「ギリク、風が西寄りに変わった。東側の監視を怠るなよ」

「おぅ……」


 既に森の端は見えないし、場所によってはヴォルザードの城壁すら視界に捉えられなくなる。

 まだジッとしていると震えるぐらいの寒さなのだが、時折頬を汗が伝っていく。

 ビビってるつもりはないが、緊張しているらしい。


「止まれ、ギリク……」


 風下になる東側に注意を向けていたら、ペデルに小声で止められた。

 ペデルが枝を払う山刀で指し示す先、木立の中で動く影があった。


「オーガか?」

「そうだ……おあつらえ向きに一頭だ。やるぞ」

「よしっ!」

「待て、待て……慌てるな」


 ペデルは背負っていた袋から、何本ものナイフが刺さったベルトを取り出した。

 良く見ると、普通のナイフではないようだ。


「何だ、そのナイフ……」

「こいつは特製のスティレットだ」


 平たい刃ではなく親指ほどの太い針に見える。

 先端には鋭い返しが付いていて、刺さると抜けなくなるようだ。

 側面には小さな穴が開けられていて、柄には差し込まれているだけだった。


「こいつは中空になっていて、根元まで刺しちまえば肉を切り裂かなきゃ抜けねぇ。刺さったまま獲物の血抜きをするスティレットだ」


 鈍く光るスティレットは、過去に何頭もの魔物の血を吸っているようだ。


「ギリク、オーガの北側に回り込んで、ゆっくりと近づけ」

「お前は、どうするんだ?」

「俺は、東側から忍び寄る。お前がオーガの注意を引き付けている間に、近付いてブスっといく」

「わかった……」

「あぁ、ちょっと待て。お前の得物は長い、無闇に振り回さず刺突に徹しろ」

「何でだ、オーガなんか一撃で……」

「大剣ってのは、効果的な一撃が入れば威力を発揮するが、狙いが外れると攻撃の後の隙がデカい。振り回すのは止めを刺す時だけにしろ」

「ちっ……分かったよ」


 打ち合わせを続けている間も、オーガは茂みに隠れた俺達には気付いていなかった。

 二手に分かれて、俺は北側から大剣を抜き放って近付いて行く。

 ペデルは、立ち木の間を縫うように進んでいて、時々俺でさえも姿を見失った。


「ウボァァァ……」


 大剣を引っさげた俺を見つけて、オーガが低く唸り声を上げる。

 なるほど、確かに木と木の間隔が狭く、大剣を振り回す空間が無い。

 切っ先をオーガに向け、脇に引きつけて刺突の構えを取る。

 大剣が目に入っているせいか、オーガは不用意に近付いて来なかった。


「どうした、ビビってんのか木偶の坊」

「ウバァァァ……」


 オーガは鋭い爪の生えた手をブラブラと揺らしながら、徐々に体勢を低くしていく。

 ジリジリと距離が縮まっていくと、獣のような臭いが漂ってきた。


「ウバァァァ!」

「ちぃ!」


 威嚇するように振るってきたオーガの腕を大剣の刺突で迎え打つ。

 ギンっと鈍い音がして、重たい手応えが伝わってきた。


「ウバァァァ……ギィィ!」


 オーガが牙を剥いて俺に踏み込んで来ようとした瞬間、木立の影から走りこんだペデルがスティレットを脇腹に突き立てた。

 反射的に振り回したオーガの太い腕を掻い潜りながら、ペデルは反対の脇腹にもスティレットを突き立てる。


「ギリク!」

「おぅ!」


 ペデルに気を取られたオーガの首筋に、大剣の切っ先を突き入れると血飛沫が舞った。


「ウボァァァァァ……ギヒィ!」


 ペデルの動きは絶妙だった。

 常にオーガの死角に入り込むように動き回り、隙を見つけてはスティレットを突き入れる。

 ペデルに注意を奪われたオーガならば、リーチの長い大剣で刺突を見舞うのは簡単だ。

 スティレットと刺突の傷口から血を流し、オーガの動きはみるみるうちに鈍っていく。


「いいぞ、ギリク!」

「おぁぁぁぁぁ!」


 がっくりと両腕をついたオーガに、渾身の一撃を振り下ろして首を斬り落とす。

 気が付くと俺は、汗びっしょりで肩で息をしていた。


「ギリク、角と一番大きい牙を四本斬り落とせ」

「お、おぅ、分かった……」


 ペデルは息も乱さず近くの木に水の魔道具を設置すると、オーガからスティレットや魔石を抜き出す作業に取り掛かった。

 癪に障るが、俺よりも遥かに手馴れた動きだ。

 魔石の取り出しを終えたペデルは、オーガの死骸から少し離れた茂みへ俺を引っ張って行った。


「どうするつもりだ?」

「あいつを餌にして、別の魔物を狩る」

「大量の魔物が来たらどうするつもりだ」

「そんなもの、逃げるに決まってるだろう」


 獲物を待ちながら腹ごしらえを済ませ、ノコノコと近付いてきたオークを一頭狩り、その後も待ち伏せしたが、ゴブリン共が群れてしまったので街に戻ることにした。


「Dランク……いや、Eランクにしたら、まぁまぁな動きだったな」

「けっ、余裕かましてられんのも今のうちだぞ。すぐに手前の援護なんか要らなくなるからよ」

「おぅ、そいつは楽しみだ。せいぜい俺に楽させてくれ」

「けっ……」


 日が西に傾きかけたヴォルザードの目抜き通りを、ギルドに向かってのんびりと歩く。

 オークの魔石とオーガの魔石と角と牙、全部で四万から四万五千ヘルト程度にはなるだろう。

 ペデルと山分けでも一人二万ヘルト以上になる計算だ。


 この調子ならば、賠償金を払い終えるなんて訳ないし、ランクアップも難しくないはずだ。

 賠償金を払い終える頃には、通常のランクアップと制裁分が戻るからCランク、夏頃にはBランク、年内にAランクなんて楽勝じゃねぇのか。

 機嫌よく歩いていたら、ペデルに肩を揺さぶられた。


「ギリク……おい、ギリク!」

「あぁん? 何だよ……」

「今の話聞いたか?」

「はぁ……?」


 ペデルに声を掛けられて周囲を見渡してみると、あちこちで声高に話す人の姿があり、その多くはギルドの方向を指差していた。


「魔物使いがデザート・スコルピオを仕留めてきたらしいぞ」

「あぁん? デザート……なんだって?」

「デザート・スコルピオ、砂漠に住むサソリの魔物だ」

「けっ、どうせ大したものじゃねぇんだろう……」

「訓練場に置かれてるらしいぞ」

「訓練場だぁ……?」


 これまでにも、クソチビが……いや、クソチビが使役する魔物がデカい魔物を仕留めたことがあった。

 ギガウルフを九頭、サラマンダーを四頭など、一頭でも苦戦する大型の魔物に多くの見物人が訪れていた。


「ギリク、見に行くぞ……」

「何でだよ、別に見なくてもいいだろう」

「どうせギルドには、買い取りを頼みに行くんだ。行くぞ」

「ちっ……ガキかよ」


 ギルドの訓練場には、多くの市民が詰めかけていて、黒山の人だかりが出来ていた。

 その頭の上から、巨大で異様な魔物の姿がのぞいていた。


「うわぁ、何だあれ……」

「すげぇ……初めて見た」

「マジで生き物なのか? 作り物じゃねぇのか?」


 周囲の見物人があげる驚愕の声を聞きながら、俺もペデルも声もなくデザート・スコルピオを見詰めていた。

 想像していたよりも遥かに大きく、禍々しい姿をしている。

 ペデルと話していたキラーアントなんか、豆粒にしか思えない大きさだ。


「殻がすげぇ硬いらしいぞ」

「叩き付けた剣が刃こぼれしたそうだ」

「そんなもの、どうやって倒したんだよ」

「腹だ、腹。腹を突き破って仕留めたって話だ」

「でも、腹って……どうやって腹を攻撃したんだ?」

「さぁな? グリフォン退治の立役者の魔物使いなんだ、何か特殊な攻撃があんだろう」


 見物人の話を聞いているうちに思い出したが、デザート・スコルピオは高級な防具の素材として有名だ。

 もっとも、高級すぎて俺達なんかじゃ手が届かないし、そもそも貴重な素材なので手に入らないと聞いている。


「いったい、いくらになるんだ?」

「さぁな……一千万ヘルト以上じゃねぇ?」

「いや、オーランド商会が三千万ヘルトの値を付けたとか聞いたぞ」

「馬鹿、それは背中の殻だけだって、他の部位を合わせると軽く一億超えるらしいぞ」


 野次馬共の話なんか、話半分も信用できないが、少なくとも数千万ヘルトの値が付くのは間違いないだろう。

 俺は、早朝から魔の森を歩きまわり、汗だくで討伐をこなして、やっと二万ヘルト程度。

 気付けば、奥歯が砕けそうなぐらいに歯を食いしばっていた。


「おい、ギリク。買い取りの依頼に行くぞ……おいっ!」

「分かってる……くそっ!」


 買い取りカウンターに魔石や角や牙を並べる。

 つい数時間前に手にした時には、頬が緩むのを止められなかったのに、今は叩きつけて放り出したい気分だ。


「こちらは、全部で三万八千ヘルトになります」

「おい、ちょっと待ってくれ、安すぎねぇか?」


 さっきまで、受付嬢の大きな胸を眺めてニヤニヤしていたペデルが、血相を変えて食いついた。

 魔石も角も状態は悪くないはずだから、上手くすれば五万ヘルトに届くかもと思っていたぐらいだ。


「申し訳ございません。最近は素材の持込が増えていて、相場が下がり気味なんです」

「ちっ、しけてやがる。おいギリク、ギルドのカードだ」


 カードを受け取ったペデルが、査定された値段を山分けして振り込むように伝えると、ギルドの職員が手続きを始めた。

 街に戻って来た時の高揚感はスッカリ消え去り、ムカムカした黒いものが胸の底に渦を巻いていた。


「ペデルさん、ギリクさん、すみません。少々お待ちいただけますか?」

「何だよ、何か文句でもあるのか?」

「いえ、ギルドのランクを戻すように指示が出ておりますので、元のランクのカードをご用意いたします」

「はぁ? ランクが戻るのは構わねぇけど、どうしてだ? まだ賠償金を払い終えてねぇぞ」


 ペデルの疑問はもっともだろう。

 昨日裁定が下って賠償額が決定し、それが払いきれずランクダウンの措置が取られたばかりだ。

 ランクが戻るのは歓迎だが、意味が分からない。

 カウンターに詰め寄ろうとしたら、横から威圧感のある声が響いてきた。


「そいつは、俺が説明してやる」

「げっ……」


 腕を組んで立っていたのは、ドノバンのおっさんだった。

 受付嬢と向かい合っていたペデルも渋い表情を浮かべている。


「喜べ、持ち逃げされた宝石が戻ったそうだ」

「マジかよ。でも、どうして……」

「ケントと眷族の連中に感謝するんだな……」


 ドノバンのおっさんの話では、クソチビの使役している魔物が、イロスーン大森林を抜ける街道で襲われた馬車と周囲に散らばった荷物を回収して来たそうだ。

 その中に、オルドフの名前の入った鞄があり、中から持ち逃げされた宝石がそっくり見つかったらしい。


「取り戻した宝石の二割は手数料として回収し、ケントに支払われることになる。本来その二割の半分をお前らで賠償する事になるが、諦めていた宝石が戻ったから責任は問わないとオルドフが言っている。つまり、お前らの賠償金はチャラになったわけだ。なんだ、七十五万ヘルトもの大金を払わなくて済むんだぞ、もっと嬉しそうな顔をしろ」


 七十五万ヘルトの借金が無くなり、一万九千ヘルトが振り込まれたDランクのギルドカードが返ってきた。

 確かに七十五万ヘルトもの借金が無くなったのは、嬉しいに決まっている。

 ただし、それがクソチビのおかげというのが気に入らねぇ。

 二百万ヘルトもの大金が、クソチビに支払われるのも気に入らねぇ。


「おい、ギリク」

「何だ!」

「飲みに行くぞ! くそ面白くねぇ時は、酒飲んで寝ちまうに限る」


 視線を向ければ、ペデルの顔にも抑え切れない苛立ちが張り付いている。


「いいぜ、今日の稼ぎは全部飲んで使っちまおう!」

「あぁ、そうだな……いい店を知ってる、ついて来い!」

「けっ、しょぼい店だったら、ケツを蹴り上げるぞ」

「ふん、お子ちゃまに大人の店ってのを教えてやるよ」


 俺はペデルに連れられて、訓練場の人混みを突っ切り、旧市街東地区の歓楽街へと足を踏み入れた。

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