第273話 イロスーン救出作戦

 スラッカを取り囲んでいるのは、ゴブリンやコボルトから、ロックオーガやミノタウロスまで、多種多様な魔物でした。

 星属性の魔術を使って上空から眺めてみると、スラッカの周囲五十メートル程は、押し掛けた魔物で埋め尽くされている状態です。


 ゼータ達の遠吠えで、スラッカ近くの魔物は動きを止めましたが、離れた場所にいる魔物の進行が止まりません。

 これらの魔物は血の臭いに引き付けられているらしく、風下の方向から集まってきているようです。

 影の空間に戻って、眷属のみんなに指示を出しました。


「まずは、フラム、出番だよ」

「うぃっす! どこっすか? どこを燃やしやす?」

「こっちだよ。闇の盾を開くから、思いっきり咆えた後で、デカいのを一発お見舞してやって!」

「ういっす! 了解っす!」


 風は西から東へと、ゆるく吹き続けているようなので、東側の壁沿いに闇の盾を出して、フラムを送り出しました。


「グオァァァァァ!」


 空気がビリビリと震えるほどの咆哮の後、フラムが全力の炎弾を吐き出しました。

 目の前に太陽が現れたのかと思うほどの熱気を残して、直径十メートル程もある巨大な火の玉が突き進んでいきます。

 魔物も森の木々も、地面さえも焼き焦がし、大森林に炎の帯が出現しました。


「こんなもんでどうっすか、兄貴!」

「えっ、あぁ……う、うん、いいんじゃないかな」

『ぶはははは、ケント様、櫓の上の冒険者が、腰を抜かしておりますぞ』


 とりあえず、これで東側から近付こうなんて考える魔物は居なくなるでしょう。

 残る北と南、それと西側を押し返しましょう。


「ザーエとカーメが北側、スーオとターラが南側を討伐して。カルト、キルト、クルトは北側の魔石と素材を回収。ケルト、コルト、サルトは南側の回収をお願い」

「お任せ下さい、王よ」

「了解です、ご主人様」


 飛び出して行ったアンデッド・リザードマン達は、黒いつむじ風のようにククリナイフを振るい、押し寄せていた魔物達を斬り刻んでいきました。

 その後をコボルト隊がチョコマカと走り回り、魔石や角などを回収していきます。

 うん、また魔石の山が出来そうですよね。


『ケント様、西側はいかがいたします?』


 平静を装いつつ尋ねてくるラインハルトは、愛剣グラムに手を掛けてソワソワしています。


「ラインハルト……ゴー!」

『承知!』


 待ってましたとばかりに、メタリックなスケルトンは弾かれたように飛び出して行きます。

 うわぁ、また返り血塗れになるんだろうなぁ……てか、生前もそうだったのかね? 怖すぎでしょう。


「シルト、スルト、セルト、ソルト、回収をお願いね」

「分かりました、ご主人様」

「ゼータ、エータ、シータ、外側の魔物を更に外に追いやってくれるかな?」

「お任せ下さい、主殿」


 さて、これでスラッカに近付こうとする魔物は居なくなるはずだけど、いつまでも森を燃やしているのは拙いよね。

 集落の東側で燃え盛っている炎に、意識を集中します。

 フラムの火属性は僕が付与したものだから、たぶん出来るだろうと思った通り、支配下に置けたと感じました。


「せぇの! うりゃぁ!」


 五百メートルほどに伸びていた炎の帯は、巨大な火の玉となって空に打ち上がり、花火のように消えました。

 一応、火は消えたようですが、念のために水属性の魔術を使って、燃え跡に散水しておきましょう。


「おぉぉ、さすが兄貴っすね。森を燃やして育った炎まで思いのままとは凄いっすよ!」


 フラムが感心しきりという様子で頷いてるけど、君の放った炎弾には僕も腰が抜けそうだったんだからね。


「フラム、来ないとは思うけど、こちら側を見張っておいて」

「ういっす、了解っす!」


 これで、スラッカは大丈夫そうです。

 続いてモイタバへ向かいましょう。


 魔物が増殖して以来、イロスーン大森林の中にある集落の多くは放棄されました。

 それは、スラッカのように壁や堀が設けられていなかったからです。


 スラッカ以外に残っていた集落は、マールブルグ側のモイタバだけです。

 モイタバにも丸太で出来た壁がありましたが、スラッカのようにゼータ達がテリトリーを主張していません。


「バステン、フレッド、一緒に来て」

『了解です、ケント様』

『急ごう……心配……』


 バステン、フレッドと共に急行したモイタバは、悲惨な状況でした。

 既に壁の一部が壊されて、集落の中は魔物で溢れていました。

 影の中を移動しながら眺めてみても、魔物達に抵抗している人の姿はありません。


「くそっ、遅かったか……」

『いいえ、ケント様。こうした集落は、地下に避難場を設けていたりします』

『まだ希望はある……ギルドか守備隊の地下……』


 街の門の近くにある守備隊の詰所は、地下への扉も開けられて、オーガが入り込んで死体を貪っていました。


 一方、街の中央にあるギルドの出張所は、一階の内部には魔物が足を踏み入れていましたが、地下室への扉は巧妙に隠されていて、多くの住民が肩を寄せ合って震えていました。


 ざっと見た感じで、二百人ぐらいの人がいそうです。

 集落の中には、住民の数を超える魔物が入り込んでいるように見えますし、建物中にも潜んでいそうです。


 住民を表に連れ出して、魔物を蹴散らしながら移動するのは大変そうです。

 ここは一気に、大森林の外まで送還しちゃいましょう。

 地上への出入り口に闇の盾を出して、中から声を掛けました。


「こんにちは、僕はヴォルザード所属の冒険者でケントと言います。これから表に出ますが、魔物ではないので安心して下さい」


 断わりを入れてから表に出ましたが、地下室にはどよめきが広がっていきます。


「すみません、責任者はどなたですか?」

「私だ。ギルドの出張所で所長を務めているリンドだ」

「今現在、集落の中まで魔物が入り込んでいるので、地上に出て避難するのは難しい状況です」


 僕の話を聞いて、避難している人からは呻くような声が洩れました。


「そうか……君は、影の中を移動出来るようだが、それは我々にも可能かね?」

「この方法での移動は難しいので、別の方法を使います」

「別の方法というと、我々は助かるのかね?」

「危険を伴う方法なので、僕の指示に従ってもらえますか?」

「助かるというのであれば、勿論従うさ」

「では、皆さん、僕の話を良く聞いて下さい。指示に従っていただけない場合、命を落とす危険があります」


 最初の帰還作業を行った時の中川先生みたいな人が現れないように、シッカリと送還術に対する注意点を説明しました。


「では、大森林の出口まで行って、話をつけてきます。少しだけ待っていてもらえますか?」

「分かった。だが、なるべく早くしてくれ。万が一、魔物に出入り口を探しあてられたら、ここに居る者達では対処出来ないからな」

「ご心配なく、出入口は僕の眷族に警護させておきます」


 バステンを地下室入口の護衛に残し、僕はフレッドと一緒に、マールブルグ側の大森林への入口へと移動しました。

 マールブルグ側の入口は、ギルドが主体となって通行が止められ、大混乱が起こっていました。


「駄目だ、駄目だ。キャラバンを組んでも通す訳にはいかない。偵察に出た者の話では、先に出たキャラバンは魔物に襲われて全滅しているらしい」

「じゃあ、いつになったら通れるようになるんだ」

「それは分からない。とにかく、朝一番にモイタバを発った連中は、とっくに着いていなくてはならない時間だ。それが、ただの一人も到着していないのだ。この状況で進むのは、自殺行為だぞ」


 この話を聞く限りでは、街道を進むキャラバンにも多くの被害が出ているようです。


 集落の中も足止めを食った人達で混雑しているようで、モイタバの人たちを送還する場所の確保は難しそうです。

 闇の盾から表に出ながら、足止めの説明をしている人に声を掛けました。


「すみません、ちょっとよろしいでしょうか?」

「お前、どこから入り込んだ!」

「僕はヴォルザード所属の冒険者で、ケントと言います」

「ヴォルザードのケントって……バッケンハイムとの紛争を停めた、あのケントか?」

「はい、それで、モイタバの人をこちらに連れて来たいのですが、構いませんか?」

「何だと、生存者がいるのか?」


 生存者という言葉を聞いて、集まっていた人達からどよめきが起こりました。


「はい、ギルドの出張所の地下に避難している人が居ます」

「だが、連れて来るって、どうするつもりだ」

「召喚術を使います」


 召喚術に関する説明をして、封鎖している街道に避難している人達を召喚する許可をもらいました。

 急いでモイタバへ戻り、タルト、チルト、ツルト、テルトにロープを持たせて範囲を確定すると同時に、割り込みを防ぎます。

 再度、大森林の出口まで戻って、召喚術を発動しました。


「召喚!」


 カルヴァイン領の時と同様に、一度に五十人ずつ、四回に分けて百八十四人の召喚を終えました。

 足止めされた人達が集まっている所での召喚だったので、めちゃめちゃ目立っちゃいましたが、仕方ありませんよね。


「本当に森の外だ……」

「助かった、助かったんだ!」


 戸惑いと喜びの声を上げるモイタバの人達をギルドの担当者にお願いして、スラッカへと引き返します。


 モイタバの人達を避難させている間に、スラッカでは戦闘も素材の回収作業も終ったようです。

 うん、影の空間には魔石が山になってますね。


『ぶははは、薙ぎ払ってくれましたぞ、ケント様』

『ラインハルト。素材の回収を終えた死骸は、森の奥へと移動させちゃって』

『ご安心くだされ、すでに片付けに着手しておりますぞ』

『ありがとう、念のために魔物が集まって来ないか見回っておいて。それと……水浴びして返り血は流しておいてよね』

『了解ですぞ、お任せ下され』


 街道は、キャラバンを組んでも通れない状況になっています。

 周囲の魔物を片付けても、スラッカは一時放棄するしかないでしょう。


 スラッカには守備隊員や冒険者、それに今は姿は見えませんが、住民も残っているはずです。

 避難は長期化する可能性が高いので、住民は荷物の持ち出しもしたいでしょう。


 今日中に全員を大森林の外まで送還するのは難しそうです。

 影から表に出て守備隊員に声を掛け、事情を話して責任者の所まで案内してもらいました。


「スラッカ守備隊の隊長デールマンだ。君が『魔物使い』なのか?」

「まぁ、そんな風に呼ばれているみたいです」

「救援に感謝する。あのままでは全滅していただろう」

「いえ、マスター・レーゼからの指名依頼ですので、お気になさらず」

「マスター・レーゼの? もうバッケンハイムに知らせが届いているのか?」

「僕が連絡して、依頼を受諾して来ました」

「なるほど……」


 ゼータからの知らせを受けてから今までの流れを説明していると、聞き覚えのある声が話に割り込んで来ました。


「ケント! 貴様は、スラッカが危機に陥るまで待っていたのだろう。緊急度を上げて、指名依頼の報酬を吊り上げたんだろう。この卑怯者め!」


 視線を向けた先に居たのは、グラシエラと『蒼き何とか』と言う取巻きの連中でした。

 グラシエラの言葉を耳にして、周りに居合わせた冒険者達にざわめきが広がっていきます。


「はぁ……マジで頭がどうかしてるんじゃないですか?」

「なんだと、貴様!」

「僕はヴォルザードに拠点を置く冒険者ですよ。ここスラッカは、たまたま僕の眷族が指示を勘違いしてテリトリーにしていただけで、常時警護していた訳じゃありません。それでも眷族が危険を知らせてくれた後は、すぐに救助に動いています。今もモイタバの地下に残っていた生存者を、大森林の外まで送り届けてきたところです。それでも気に入らないと言うのなら、スラッカから避難を護衛する依頼は破棄して撤収しますけど、どうします?」

「待ってくれ! まだ地下に多くの住民が居るんだ。我々だけでは無事に大森林を抜けられる確証が持てん。依頼は続行してもらわないと困る!」


 依頼を中断すると申し出た途端、守備隊長のデールマンが血相を変えて迫ってきました。


「僕としても依頼を途中で放り出すようなことはしたくありません。ですが、僕は万能の神様じゃありませんから、協力してもらえないと守りきれないかもしれませんよ」

「分かった、全面的に協力すると約束する。それで、どうやって大森林の外へ移動するんだ?」

「そうですね。今の状況では、スラッカを長期間離れることになるかもしれません。住民の方と避難について相談して下さい。僕は受け入れについてマスター・レーゼと打ち合わせして来ますので」

「分かった。その君が不在の間は……」

「眷族を警護に残しておきますから、安心して下さい」

「そうか、ありがとう」


 デールマンと握手を交わして闇の盾へと潜ろうとすると、グラシエラが猛然と歩み寄って来ました。


「ちょっと待て、私との話は済んでないぞ!」

「止まれ! 『魔物使い』の活動の邪魔は許さん!」


 掴みかかってこようとするグラシエラの前に、デールマンさんが立ち塞がりました。


「なっ……こいつは、自分の利益のために我々を危険に陥れた……」

「ならば、その確証を見せてみろ。そもそも彼に、依頼の金額を吊り上げる理由があるのか? 我々が束になっても対処出来なかった魔物の群れを、彼と眷族だけで押し返してしまったではないか。それほどの力があれば、魔物など狩り放題、金などいくらでも手に出来るのではないのか」

「だ、だが、あまりにもタイミングが良すぎるだろう」

「これまでの状況を忘れたのか? 魔物がスラッカに雪崩込んで来なかったのは何故だ? 今日だけではなく、彼の眷族がテリトリーと主張を続けていたから、魔物達は躊躇して踏み込んで来なかったのだろう。それだけじゃない、彼はマールブルグとの紛争を停め、盗賊の討伐にも協力してくれている。下らん言い掛かりを付けて彼の活動を邪魔し、集落を危機に晒すならば、貴様らを追放する!」

「馬鹿な、何を言っている。集落を危機に……」


 集落を危機に晒しているのは僕の方だと言いたかったのでしょうが、周囲の守備隊員や冒険者達から冷たい視線を浴びせられ、グラシエラは歯軋りしながら黙り込みました。


「デールマンさん、こちらを頼みます。僕の眷族は言葉を理解しますから、何かあったら呼び掛けて下さい」

「分かった、こちらは任せてくれ」

『ラインハルト、こっちをお願い。フレッドは一緒に来て』

『お任せくだされ』

『了解……』


 バッケンハイムのギルドへと移動すると、マスター・レーゼは中年の男性とテーブルを挟んで向かい合っていました。

 と言うか、この男性はスラッカの危機を知らせた時に居合わせた人ですよね。

 あれから結構時間が経っていますけど、それほど重要な話をしているのでしょうか。


「お話し中に失礼します。レーゼさん、スラッカに迫っていた魔物は押し返しました」

「うむ、さすがはケントじゃな。それで被害と避難の状況は?」

「はい、スラッカは魔物が入りこむ前に対処出来ましたが、モイタバには魔物が入り込んでいて、集会場の地下に避難していた人を除くと壊滅状態です。スラッカからの避難は、人数と荷物の量がまだ不明ですし、既に日が傾いていますので明日以降になると思います。それで、受け入れの態勢を取っていただきたいのですが……」

「うむ、そうじゃな……」


 言葉を切ったマスター・レーゼは、向かい側に座る男性に視線を向けました。

 視線を受けた男性が話し掛けてきます。

 くすんだ青い髪で痩せ型、頭には三角耳がありますが、神経質そうな印象です。


「ケント・コクブ君だね。バッケンハイムの領主、アンデル・バッケンハイムだ」

「あっ……ケントです。初めまして、よろしくお願いします」


 バッケンハイムの領主様とは思ってもいなかったので、慌ててペコペコと頭を下げました。

 そう言われてみると、寄宿舎で出会ったアデリナと似ている気がします。


「ふむ……伝え聞いている噂とは、だいぶ違って見えるな」

「噂……ですか?」

「黒髪の偉丈夫で、傍若無人な振る舞いをする荒くれ者だとか……」

「荒くれ者……ですか?」

「くっくっくっ……ケントとは随分掛け離れた噂よのぉ」


 楽しげな笑い声を洩らすレーゼさんに、アンデルさんが冷たい視線を向けています。

 あぁ、服装に対する注文を付けたいんでしょうね。


「ケント君、君には礼を言っておかねばならない。マールブルグとの間の紛争を停めてくれたこと、サラマンダーを討伐してくれたこと、本当に感謝している」

「いえ、あれは街道の通行が止まると、大勢の方が困ると思ってやった事ですから」

「その通りだ。今現在、イロスーン大森林を抜ける街道の通行が困難になっているが、あの時点で通行が途絶えていたら大変な混乱を招いていただろう。あの状況を一人で納めてしまったのだから……さすがはSランクと言うよりないな」

「ケントはSランクの枠にも収まりそうもないからのぉ……いっそ更に上のランクを新設して……」

「いやいや、必要ありませんからね。Sランクでも十分ですから」

「くっくっくっ、Sランクでも……と言うあたりが、既にSランクに収まらん証じゃが、まぁ作るとなれば面倒だろうし今のままにしておくか」


 レーゼさんは楽しげに笑ってますけど、Sランクの今でもギルドカードの提示が必要な時には本物だと信じてもらえるかドキドキなのに、その上のランクを新設なんてしたら、絶対に信じてもらえないでしょう。


「ところで、避難民はどこへ連れて行けば良いのですか?」

「ケント君、カラシュの集落はご存知かな?」

「えっと、大森林から少しバッケンハイムに向かって進んだ集落ですね」

「そうだ、バッケンハイムからは約一日、既に早馬を出して受け入れの支度を整えるように伝えてある。そちらに連れて来てほしい」

「分かりました。でも、イロスーン大森林からは離れちゃいますよね」

「うむ、キャラバンを組んでも街道を通過出来ないとなると、魔の森かそれ以上の魔物の密度となっていると考えるべきだろう。だとすれば、イロスーン大森林を溢れ出て来ることも考えねばならん。その場合、避難民は再度の避難を余儀なくされてしまうからな」

「なるほど、何度も避難しないための配慮なんですね」


 レーゼさんは、アンデルさんを堅物と称していましたが、住民に対する配慮はキチンとされているように感じます。


「では、早速伝えて来ます……」

「あぁ、ちょっと待ちたまえ。君の、その眷族とやらに伝言を頼むことは出来ないのかね?」

「それは可能ですが……何か?」

「うむ、もう少し詳しい状況が知りたいので、出来れば夕食を共にしながら話せないか? カラシュへの避難指示を書面にしておいた、デールマンは分かるかな?」

「はい、守備隊の隊長さんですね?」

「そうだ、彼に届けて欲しい」

「了解しました。マルト」

「わふぅ、呼んだ? ご主人様」


 声を掛けた途端、ひょっこり顔を出したマルトにアンデルさんが驚いています。

 マルトの頭をワシワシと撫でてあげた後で、書面を託しました。


「うん、この手紙をラインハルトに届けて、隊長さんに渡すように言ってくれるかな?」

「分かった、行ってくる!」


 影に潜ったマルトを見送ると、アンデルさんが訊ねてきました。


「今のが君の眷族なのかい?」

「はい、そうです」

「わふぅ、ご主人様、行ってきたよ」

「はい、ご苦労様」

「そんな……もうスラッカまで届けたのかね?」


 潜ったと思ったら、すぐに戻ってきたマルトにアンデルさんは目玉が零れそうなほどに目を見開いています。


「はい、影の空間を移動すれば、一瞬で移動が可能です」

「ふむぅ……なるほど、レーゼが肩入れするのも理解出来るな」


 場所を移して、夕食を食べながら詳しい話をすることになったのですが、移動の最中にレーゼさんが耳元で囁いてきました。


「ケントよ、余計な荷物を背負わされぬように用心するのだぞぇ」

「余計な荷物ですか……?」


 イロスーン大森林を抜ける街道が、いよいよ通行出来なくなったので、マールブルグやヴォルザードとの輸送を代行しろって事でしょうか。

 既に、ブライヒベルグとヴォルザードの間の荷物は、影の空間経由で運ぶ体制が出来つつあります。


 バッケンハイムからの荷物もブライヒベルグ経由で運べますし、マールブルグへはヴォルザードから運べば問題ないでしょう。

 いや、ヴォルザードからマールブルグへ運ぶ場合は、リバレー峠を越えないといけないので、バッケンハイムから直接運ぶよりも時間が掛かってしまいそうです。


 バッケンハイムからマールブルグへは、イロスーン大森林を通った場合、四日か五日で到着できます。

 これがブライヒベルグ、ヴォルザードと経由した場合には、ブライヒベルグまで三日、ヴォルザードから四日、合計で七日間掛かる事になります。


 魔物が増殖したイロスーン大森林は通らなくても済みますが、リバレー峠では山賊の襲撃を警戒する必要があり、やはり護衛が必要となります。


 バッケンハイムからマールブルグへ、直接届けるルートを作れば良いのでしょうが、そうなると、これまで護衛の仕事を請け負っていた冒険者達の仕事が無くなってしまいます。


 輸送コストが嵩めば経済に悪影響が出るし、護衛の仕事が無くなれば冒険者の生活が苦しくなるかもしれない、どうしたらバランスが取れるのでしょうか。

 輸送に関する問題を考えながら歩き、案内されたのはギルドの利用者が打ち合わせなどに使う食堂でした。


 併設されている酒場と違って、落ち着いて話が出来るようになっています。

 言うなれば、居酒屋とレストランの違いといった感じです。


 そこで待っていたのは、アンデルさんの娘、アデリアでした。

 レーゼさんの言っていた、余計な荷物というのは、もしかして……。


「ケント・コクブ様、先日は大変失礼いたしました」

「いえ、あれはちょっとした勘違いですから、お気になさらず……」

「ほほう、ケント君は娘のアデリアをご存知でしたか」


 アンデルさんの言葉に、レーゼさんが白々しい……といった感じの笑みを浮かべていますね。


「えっと、先日ヴォルザード家のバルディーニさんを送って来た時に、ちょっと行き違いがございまして……」

「ほほう、それはそれは、聞けば娘が失礼をいたしたようで……」

「いえいえ、大した事ではありませんので、どうぞ、お気になさらず。それよりもスラッカの状況ですが……」

「おぅ、そうでしたな。では、座ってゆっくりと伺いましょう」


 四人掛けのテーブル席に、僕の正面にアデリア、その隣にアンデルさんが座りました。

 いやいや、この場合、僕の正面がアンデルさんじゃないんですか?


 と思っていたら、隣の席についたレーゼさんが、さり気無く椅子を寄せて来ています。

 いやいや、距離が近いですって、向かい側の二人の眉が吊り上がって来てますって。


「そ、それで、スラッカなんですが、僕が到着した時には数頭の魔物が塀の中へ入り込んでいました……」


 スラッカ到着から魔物を追い払い、こちらに戻るまでの様子を話す間、レーゼさんと、アンデル親娘の間にバチバチと火花が散っているようでした。

 てか、この人達、ちゃんと話聞いていないよね。


「いやいや、普通の者が話していたら、にわかには信じ難い内容だが、これほどまでとは……」

「はい、さすがはケント・コクブ様です。感服いたしましたわ」

「くっくっくっ、ヴォルザードでゴブリンの極大発生を退けたり、グリフォンやギガースまで討伐するのじゃ、スラッカの危機などケントにとっては朝飯、いや夕飯前じゃな」


 まぁ、うちの眷族は優秀ですから、確かに難しい依頼ではありませんでしたけどね。


 それにしても、アデリアは僕に潤んだような瞳を向けて来る一方で、レーゼさんには眉を吊り上げてみせ、良く言えば表情豊かです。

 悪く言うなら、感情の起伏が激しいチワワっぽいんですよね。


「ところで、ケント君は上級学校に通ってみたいとは思わないかね?」

「えっ、上級学校ですか? うーん……考えたことも無かったです」

「君のようなずば抜けた才能の持ち主が居ると、周囲の者にとっては良い刺激になるからね。バッケンハイムは、単に学問を身につけるだけでなく、実践的な学問、魔術の研究も行っているから、卓抜した闇属性魔術の使い手には、是非とも協力してもらいたいのだよ」


 なんて言いながら、うちの娘はどうかね……みたいな視線と向けて来るのは、勘弁して下さい。

 これ以上、嫁候補を増やす訳にはいかないんですよ。


「そう言えば、ランズヘルトの七人の領主様による会合は行われるのですか?」

「うむ、イロスーン大森林が、ここまでの状況となっては行わない訳にはいかないが……マールブルグ家とヴォルザード家の参加が困難だから……」

「必要とあれば、僕が召喚術で送迎しますけど……」

「ほう、そんな長距離の移動も可能なのか?」

「はい、ヴォルザードからは、もう何度か人を送っています」

「では、会合の日程が決まり次第……いや、日程調整のための連絡も頼むことになるだろうな」

「では、こちらに時々顔を出すようにします」

「そうしてもらおうか……」


 この後も、夕食を食べながら、あれやこれやと上級学校への滞在を勧誘されましたが、どうにか余計な荷物は背負わされずに済みました。

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