第88話 カミラの錯誤

 翌朝、フレッドに起こされた僕は、急いで着替えてラストックへと向かいました。

 目的は勿論、カミラの反応を確かめる事です。


 眠りから目覚めたカミラは、自室のベッドに腰かけて、担当メイドのロザリーと話をしています。


「では、本当に何の治療も行っていないのだな?」

「はい、気を失っておられるだけだから、心配は要らないと……」

「そうか……」


 カミラの左手には手鏡が握られています。

 おそらく、顔の腫れを確かめたのでしょう。


「あの……カミラ様、お湯の支度が整っております」

「分かった……」


 カミラが浴室に入ると、ロザリーが脱ぎ捨てた騎士服を抱え、着替えを置いて脱衣所から出て行きました。


『フレッド、昨日書類に紛れ込ませた走り書きを取って来てくれる?』

『了解……ケント様はカミラの監視を……じっくりと……』


 カミラは湯船に浸かりながらも、しきりに左の頬を気にしています。

 普通に考えて、王女であるカミラが拳で殴られるなんてありえないもんね。


 それでも殴られた人間は見た事があるでしょうから、自分の頬が腫れていない事に疑問を抱いているのでしょう。


『ケント様……取ってきた……』

『ありがとう、フレッド』


 フレッドが持って来てくれた走り書きを、カミラの着替えの下に潜ませておきます。

  身体を拭い終えたカミラは、下着を身に付け、シャツを身に付け、そして騎士服のズボンを手に取った所で動きを止めました。


 猛烈な勢いで振り返り、上下左右、脱衣所の中を探し回っていますが、残念ながら僕らの姿は見つけられませんよ。

 カミラは手にしていたズボンを取り落とし、ブルブルと震える手で走り書きを掴み上げました。


「そ、そんな……」


 真っ青になったカミラは、膝から崩れ落ちるように座り込み、震える右手で必死に左手の脈を探ったかと思うと、両手で左胸を押さえて動きを止めました。


「鼓動はある……血の気も通っている……だが、治療もしていないのに殴られた痕跡が無いのは……どちらなのだ、私は作り変えられえてしまったのか?」


 こめかみを伝った汗が、カミラのほっそりとした顎へと流れ落ちていきます。

 カミラは暫く走り書きを見詰めていましたが、心を沈めるように深呼吸を繰り返してから立ち上がると、身支度を整え始めました。


 全ての支度を整えたカミラはもう一度姿見と向かい合い、二度三度と深呼吸を繰り返した後、走り書きを小さく畳んでポケットへと収めました。


「カミラ様、お支度が済みましたら訓練場にお越しいただきたいと、クレメンス様から伝言をお預かりしております」


 浴室から戻ったカミラは、お茶を淹れるロザリーから伝言を聞くと、執務室に居る時の顔へと戻りました。


「クレメンスが……何かあったのか?」


 普段であれば、この後は自己鍛錬の時間に充てているはずですが、カミラはお茶を飲み終えると、真っ直ぐに訓練場を目指しました。


『そう言えば、ラインハルト達の成果を見てないんだけど……』

『ばっちり……問題ない……』


 カミラが呼び出されたのも、間違い無くその一件でしょう。


「何だ、これは!」


 訓練場を見渡す場所に来たカミラは、立ち止まって驚きの声を上げました。

 いや、カミラじゃなくても驚くよね、巨木が山になってるんだもん。


「カミラ様!」

「クレメンス、何だこの材木の山は!」

「分かりません、一夜明けたらこのような状態になっていて……」

「誰も気付かなかったのか?」

「申し訳ございません。魔の森の方面の巡回を強化していたので……」

「そうか、そうだったな……」

「カミラ様、実は材木だけではなく、他の資材も……こちらに」


 クレメンスに案内されてカミラが向かった先には、ロープや金具、スコップなどが山と積まれていました。


「これは、一体……」

「カミラ様、このような物が……」


 クレメンスから手渡された紙には、 我が眷属よ、心して使え……という走り書きがされています。

 それを目にしたカミラの身体が、グラリと傾き掛けました。


「カミラ様……」

「だ、大丈夫だ……ちょっと目眩がしただけだ……」

「お顔の色がすぐれませんが、大丈夫でございますか」

「心配無い、大丈夫だ……」

「あまり御無理をなされませんように……」

「い、今はそのような事を言ってる場合ではない!」

「はっ、失礼いたしました。それでカミラ様、これらはどういたしますか?」


 クレメンスが振り返った先には、他の騎士達も集まって来ていて、カミラの決断を待っている状態です。


「出所は分からんが、今は非常時だ。数量を確認し、品質に問題が無いかチェックしたら現場に投入せよ」

「はっ! ただちに取り掛かります。おい、数量を確認しろ!」


 カミラの指示を受けたクレメンスは、資材の山へと走って行きました。


「これが魔王の力か……」


 ポツリと胸の内を洩らしたカミラは、重たい足取りで執務室に向かって歩き始めました。


『うん、これはなかなか効果があったんじゃない?』

『効果抜群……ここは畳み掛けるべき……』

『よし、先回りして畳み掛けよう』


 影移動でカミラの執務室へ先回りして、さらに走り書きを追加しておきます。


『いずれリーゼンブルグは我が手の中へと収めよう。民を守りたくば、与えし資材を活用し、極大発生を汝の才覚で乗り切ってみせよ!』


 すぐに見つかるようにしながら、書類の中に紛れ込ませました。

 どんな反応をするのか、また影の中から見守ります。


 重たい足取りで執務室に入ってきたカミラは、昨日までは開け放していたドアを閉め、崩れ落ちるように自分の椅子に身体を預けました。

 暫くボーっと天井を見上げた後、ゆるゆると頭を振ると、切り替えるように両手でピシャピシャと頬を叩いてから机に向かいました。


「なっ! これは……」


 乱れた書類を整えようとして、カミラは走り書きに気が付きました。

 文面に二度三度と目を走らせた後、ガバっと顔を上げ、グルグルと執務室の中を見回しています。


 僕らの痕跡を探すのを諦めたのか、カミラは走り書きに視線を戻して、大きく一つ溜息を洩らしました。


「はぁ……いいだろう。ラストックの民は、私が守ってみせる。たとえこの身が魔王の手に落ちようとも、民だけは守ってみせる」


 カミラは纏めた書類で机を叩くと、立ち上がって窓辺へと歩み寄りました。


「クレメンス! 集計はまだか! 遊んでいる余裕は無いぞ!」


 振り向いたカミラは、昨日までの自信溢れる表情に戻ったように見えます。


『あれっ? 失敗しちゃったかな?』

『開き直った……効果は不明……』

『うーん……資材で恩は売ったから、まぁいいか』


 下宿に戻って、朝食を済ませたら、守備隊の宿舎にみんなの様子を見に行きました。

 昨晩、中川先生とかが大声で話をしていましたし、同級生達に聞かれていただろうと思っていた通り、臨時宿舎は騒然とした雰囲気に包まれていました。


「先生! 先生! 帰れないって本当なんですか?」

「答えて下さい! 本当に帰れないんですか!」

「おい、マジなのかよ、ガセじゃねぇだろうな?」

「送還術がねぇって、中川が怒鳴ってたんだからマジだろう」

「嘘でしょ? ねぇ、嘘って言ってよ!」


 先生達が集まって相談している部屋の前には、同級生たちが詰め掛けていて険悪な空気が漂っています。


 こんなところにノコノコ顔を出したら、寄ってたかって吊るし上げられちゃうでしょうね。

 姿を見られないように、直接部屋の中に入りました。


「小田先生……」

「おう、国分か……どうした?」

「いや、どうしたじゃなくて、どうするんですか?」

「それを相談してたところだが、午後から全員を集めて説明する、お前も出席しろ」

「それじゃあ、送還術式が無いと話すんですね?」

「黙っておける状態じゃなさそうだからな……」


 小田先生は、ドアの方に視線を向けて、ボソリと言い捨てました。


「大騒ぎにならないと良いんですけど……この先、どうするんですか?」

「勿論、帰国を諦めるつもりは無い。ただ、何時になったら帰れるのかは全く分からない状態だからな。最悪、こちらの世界で生きていく方法も考えないと駄目だな」

「働きたくないって言い出す人も出そうな気がしますけど……」

「リーゼンブルグからは可能な限りの金額を引き出すつもりだが、それもいくらになるか何時になるか分からない。全員に働いてもらわないといかんだろうな」

「あっ……みんなをギルドに登録しないと……すっかり忘れてた」


 ゴブリンの極大発生に、夕食会の招待、リーゼンブルグの使者とバタバタしていたせいで、後から救出してきた同級生の登録を忘れていました。


「その件、頼んで来てもらえるか?」

「はい、ついでと言ってはなんですが、クラウスさんに送還術式が無かった件を報告してこようと思うのですが……どうでしょう?」

「そうだな……」


 小田先生は少し考えた後で、決断するように口を開きました。


「いずれは分かってしまうだろうし、少し長い付き合いになるのだから正直に報告しておいた方が良かろう」

「分かりました、じゃあ一旦ギルドに行ってから、また戻って来ます」

「あぁ、頼んだぞ」


 ギルドは朝の喧騒が終わり、少しのんびりとした空気が流れていました。

 カウンターで挨拶をして、ドノバンさんへの面会をお願いすると、すんなりと職員スペースへと通されました。


「えっと……良いんですか?」

「ええ、ドノバンさんから通すように言われてますので」


 普通はカウンターを境にして中には入れないのですが、こうした特別扱いを喜んで良いのか、悲しむべきなのか、ちょっと複雑な気分です。


「おはようございます、ドノバンさん」

「むっ……どうした?」

「はい、カミラと最初の交渉を行いましたので、その報告と同級生達の登録をお願いしようと思いまして」

「たしか百五十名だったな? いいだろう、午後から臨時宿舎に職員を向かわせる」

「ありがとうございます」

「で、交渉はどうだった……と聞くまでも無いか、思わしくなかったようだな」

「うっ……その通りです」

「帰れないのか?」


 ドノバンさんの質問に上手く声が出せず、ただ頷くしかありませんでした。


「ヴォルザードにとっては有り難い話だが、お前らにとっては洒落にならん話だな」

「はい、今も宿舎の方は騒然としていて、午後から全員を集めて先生たちが説明を行うそうです」

「そうか……お前からクラウスさんに報告しろ、今の時間なら大丈夫だから」

「分かりました」


 ドノバンさんに一礼してカウンターの外に戻り、二階に上がって執務室のドアをノックしました。


「誰だ」

「おはようございます。ケントです」

「おぅ、開いてるぞ」

「失礼します」


 ドアを開けるとクラウスさんは、書類仕事の手を休めてこちらを見ていました。


「何かあったのか?」

「はい、カミラ・リーゼンブルグと交渉を行いました」

「あまり上手くいってなさそうだな……」

「はい、まぁ……でも、ヴォルザードにとっては悪い話じゃないかと……」

「ふむ……元の世界に戻れないのか?」

「はい……」


 ドノバンさんも、クラウスさんも、エスパーなんじゃないかと思ってしまう勘の良さですよね。

 それとも、僕の顔に全部出てるんでしょうかね。


「全員に話したのか?」

「いえ、はっきりと話してはいませんが、昨晩、先生達に報告した時に聞いていた者が居たようで、殆どの者が知っていると思います。今日の午後に、全員を集めて正式に先生から話すそうです」

「揉めそうだな?」

「はい、たぶん……」

「よし、その会合、俺も出てやる」

「えっ? クラウスさんが……ですか?」

「おいおい、俺はヴォルザードの領主だぞ、これから暫くはここで暮らす事になるんだろ? だったら俺が街の話をしたって、おかしくはねぇだろうが」

「あっ、はい、そうですね」


 予想していなかった申し出だったので、少し面食らいましたが、良く考えれば受け入れる側の領主が挨拶するのは変じゃないですもんね。

 てか、時々クラウスさんが、領主様なのを忘れてしまっているのは内緒です。


「すみません、この忙しい時に……」

「いいって事よ。騒ぎを起こされて、更に面倒事を増やされるのは困るし、それに……」

「それに、何ですか?」

「うちの婿殿が、お困りの様子だからな……いや待て、元の世界に帰れないならリーチェをやらなくても良いじゃねぇか。よし、マノンとユイカで満足しとけ」

「はぁ……でも、元の世界には戻れませんが、他の街には移住出来ますけど」

「ちっ……そういう事には頭が回りやがるな……ちっ……」


 この後クラウスさんに、カミラから聞いた勇者と魔王の顛末を話しました。


「なるほどな……だから魔王の資質なんてトンデモな話が出て来たって訳か」

「はい、そうみたいです」

「実際にその召喚者を見た訳じゃねぇから何とも言えねぇが、そいつは魔王の資質というよりも、突然大きな力を手にした事と、周囲の扱いに問題があったんじゃねぇのか?」

「そう、かもしれませんね……」


 へなちょこ勇者の鷹山は、日本に居た頃もリア充グループの筆頭という感じでしたが、こちらに来て以降のような妙な自信過剰ではなかった気がします。

 火属性で強力な魔力なんてレアを引き当てて、恵まれた待遇に加え、シーリアという専属の女性まで与えられていた結果なのかもしれません。


「どうしたよ、ケント」

「僕も、気付かないうちに調子に乗ってるんでしょうかね。女の子を三人も独り占めしようとしているし……」

「さあな、そいつは自分で考えるんだな。でないと、本物の魔王って呼ばれるようになっちまうぞ」


 同級生のみんなを救出して、ヴォルザードを極大発生から守る事に貢献、サラマンダーを単独で撃破したり、フレイムハウンドを懲らしめたり、色んな事が出来るようになって、多くの人から感謝されるようになって、いつの間にか三人を独り占めするのを当然のように思い始めていました。


 でも、ナザリオや同級生達の反応を思い返してみれば、調子に乗っていると思われているのは明らかです。


 リーゼンブルグの偵察とか、カミラとの接触とかも僕にしか出来ないと思って積極的に行動してきましたが、それも出しゃばりすぎとか思われているのでしょうか。

 何だか急に自分の行動に自信が持てなくなってきました。


「ケント……ケント!」

「は、はい……すみません、何でしょう?」

「いいかケント。力のある奴は、どうしたって他人から妬まれる。苦労してやり遂げた仕事でさえ楽して良い思いしていると思う奴が居る。裏の苦労なんか他人は見ようともしねぇからな」


 そう語るクラウスさんの言葉には、少しだけ苦い響きが混じっているように感じます。


「どうすれば妬まれないで済むんでしょうか?」

「だから言ってんだろうが、どうやったって妬む奴は居るって」

「それって妬まれないのは無理ってことですか?」

「そうだ、誰からも妬まれず、誰からも好かれるなんて事はありえねぇ」


 クラウスさんは、亡くなったお兄さんの代わりに領主になり、辣腕を振るってきたと聞いています。

 その過程では他者から怨まれたり、妬まれたりした経験も多かったのでしょう。


「力のある者は、どうしたって目立つ。お前も魔王だ魔物使いだと呼ばれて顔が売れて来て、これから更に他人に注目されるようになるだろう」

「僕は……別に目立ちたくないんですけど……」

「そいつは無理な相談だな。だからケント……私利私欲に走るな。他人を思いやる心を忘れるな。身内贔屓になって公平さを欠くな」


 クラウスさんの言う事は、ごく当たり前のように感じますが、それを実践していくとなると、色々と難しい状況にも直面しそうですし、この教えを覚えていられるでしょうか。


「僕は、上手く出来るでしょうか?」

「けっ、情けねぇ面しやがって……ケント、良い事を教えてやる。しがらみに囚われて決断に迷うようだったら、こう考えるんだ。どう動いたら自分は格好良く見えるか? ってな」

「えっ、格好良く……ですか?」

「そうだ、ケント……格好いい大人になれ。リーチェに愛想尽かされるようなダサい大人になるなよ」


 ニヤっと笑ったクラウスさんからは、大人の余裕が感じられ、悔しいですけど今の僕よりも何倍も格好良く見えました。

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