第40話 プロジェクト・メイサ
カミラ・リーゼンブルグは、宿舎の自室で机に向かっていました。
安息の曜日なので制服姿ではないけれど、乗馬ズボンにブーツ、上も簡素なシャツというスタイルです。
机の上には何枚もの書類が広げられ、目を通しているカミラの眉間には深い皺が刻まれています。
「思わしくないな……」
右手で書類を捲り、空いている左手の人差し指は苛立たしげに、コツコツと机を叩いています。
『あれ、たぶん……西部の収穫量の報告書……』
『砂漠化が更に進んでいるの?』
『数字を見なくても、あやつの顔を見れば一目瞭然でしょう』
『なるほど……』
確かにラインハルトの言う通り、カミラは苦虫を噛み潰したような顔をしています。
こちらの世界に召喚され、すぐに廃棄処分を食らったのでカミラをジックリ眺めた時間は多くありませんが、嫌味なほどに自信に満ちていた印象があります。
こんな苦悩するカミラの顔を見るのは、初めてかもしれません。
カミラは書類を捲り、数字を書きだして計算を繰り返しては、小さく首を振ったり溜息を繰り返したりしています。
余程西部の状況が思わしくないのでしょう。
『ケント様、西部には第一王子を支援する貴族の領地が集まっています』
バステンが調べた所では、現在リーゼンブルグ王国では王位を巡って、第一王子派と第二王子派の暗闘が繰り広げられているそうです。
カミラは第一王子を支援しているらしく、第一王子派にとって一番頭の痛い問題が西部の砂漠化なんだそうです。
収穫量の減少は税収の落ち込みに直結し、第一王子派の資金力が揺らいでいるようです。
一方のライバル第二王子を支援する貴族の多くは国の東部を領地としており、砂漠化はむしろ恩恵となっているらしいのです。
『それって、収穫量が落ちて、穀物の値段が上がって得をしているの?』
『その通りです。さすがケント様、良くお分かりですね』
『需要と供給のバランスは、たしか授業で習ったような気がするけど、ハッキリとは覚えてないや』
バステンの話では、砂漠化により西部での収穫量が減り、その結果として穀物が不足、穀物の価格が上昇、東部の農家は潤い、西部の者は高い穀物を買うはめになる。
ますます国の東部は潤い、国の西部は更に苦しむ事になる。
第二王子派の貴族にとっては、むしろ砂漠化が進行した方が都合が良いらしい。
『でもさぁ、砂漠化で西部の収穫が減るのは、リーゼンブルグ王国としては国力の低下に繋がるんじゃないの?』
『その通りですが、派閥争いにばかり目が行ってしまうと、将来の事まで気が回らなくなったり、危機感を感じても派閥に縛られて思うように動けない場合もあります』
『なるほど……第二王子派はどんな感じなの?』
『申し訳ありません、まだそこまでは調べを進められておりません』
『ごめん、そんなに早くは調べられないよね』
『ただ……王都の市民の間では、第二王子派はあまり評判が良くないようです』
『そうなんだ……分かった、引き続き調べてもらえるかな?』
『了解です、王子の人柄や主要な貴族も洗ってみましょう』
『うん、お願いね』
バステンの説明を聞き終えた頃、カミラの部屋のドアがノックされました。
「誰だ……」
「シーリアです」
「ふん……入れ!」
「失礼いたします……」
シーリアは、委員長の部屋で見かけた時のメイド服とは違い、寝巻きの上にガウンを羽織っています。
椅子から立ち上がったカミラは机に浅く腰を下ろし、腕を組んで見下すような笑みを浮かべました。
「洟垂れ勇者は、相変わらずの早寝か?」
「は、はい……既にお休みになられました」
「そんな調子で、貴様は役目を果たせるのか?」
「そのつもりで務めさせて頂いております」
シーリアは、仮面のように無表情で受け答えをしています。
「ふん……まぁ良い、洟垂れ勇者には次の実戦に参加してもらう」
「えっ……そ、そんな、まだ実戦は早いのでは……」
「ほぅ、洟垂れに情が移ったか……」
「そ、そんな事は……」
慌てて誤魔化そうとしていますが、鷹山の実戦参加を聞いた途端、それまでの仮面を脱ぎ捨てしまっては言い訳は通用しませんね。
へなちょこ勇者め、マジで惚れられてるみたいで、ちょっとムカつきますよね。
でも、カミラの口から次の実戦の話が出たのは、近々行うつもりだからでしょう。
「まぁ、洟垂れ小僧とは言え、あれだけの素質があるからな、我々も捨石に使うつもりは無い」
カミラの言葉を聞いて、シーリアは胸を撫で下ろしました。
「もっとも、ゴブリンやコボルト程度にやられるのであれば、わざわざ助ける気は無いと伝えておけ。下がって良いぞ」
「か、かしこまりました」
カミラはシーリアが退室した後も書類との格闘を続けていましたが、ふっと手を止めると大きく溜息を付きました。
左肘を机について、頭を支えると、目を閉じたまま動きを止めました。
そのまま二分ほどカミラは微動だにしませんでしたが、不意に目を開くと軽く首を回して書類を片付け始めました。
寝酒を飲み始めるならば作戦決行と行くのですが、どうやら先に入浴を済ませるようです。
『どうなさいますか? ケント様』
『えっ? いや……一人で入るなら、特に見る事もないか……』
『どんなに些細でも……敵の情報は重要……』
『気が緩んだ時に、本音をこぼすかもしれませんぞ』
うーん……もしかして、ラインハルト達も見たいのかな? 骨になっても煩悩は捨てられないとか?
ぶっちゃけ、僕も見たいんですけどね。
はい、委員長に続いて、今夜二度目のピーピングタイムです。
もうギリクをとやかく言えませんよね。
カミラは、着替えやバスタブの準備も全て自分でやっていました。
普段は専属のメイドが行っているそうですが、安息の曜日にはメイドを休ませて自分でやるそうです。
いくら駐屯地の司令官をやっていると言っても、第三王女という王族が自分で風呂の支度をしているのは意外でした。
『カミラは……部下やメイドから信頼されてる……』
『第一王子派の中でも、重要視されていますね』
フレッドやバステンの話からは、自分よりも下の者に対しても気遣いが出来る人間に思えるけど、何で僕らへの扱いがこんなに酷いのかね。
やっぱり以前ラインハルトが言っていた通り、敵味方の明確な線引きがあるのでしょうかね。
脱いだ服を下着まで几帳面に畳んだカミラは、浴槽へと身体を沈めると、深い深い溜息を洩らしました。
「ふぅぅ……生き返るな……」
それにしても、本当にけしからんスタイルをしてますよね。
グラビアアイドルが裸足で逃げ出していきそうです。
それでいて二の腕や太腿、脹脛にはシッカリとした筋肉が付いていますし、うっすらと腹筋が割れているのが見えます。
『毎朝……欠かさず鍛練している……』
カミラは前日遅くまで書類に目を通していても、朝は早く目を覚まし、剣術、体術、馬術などの鍛練を怠らないそうです。
己を厳しく律し、それでいて部下には思いやりある対応をする、そりゃあ人気も出るし信頼もされるでしょう。
その思いやりの半分でも僕らに向けていれば、もっと事態は簡単だったような気がするんですけどねぇ……。
風呂から出たカミラは寝巻きを身に着けると、ローブを羽織って寝酒の支度を始めました。
ではでは、そろそろ作戦を開始しますかね。
ポケットから、眠り薬の丸薬が入ったケースを取り出しました。
ケースの中身は、大きな眠り薬の丸薬を八分の一に分けて丸めた丸薬です。
これ一粒でも、寝入ってしまえば叩いても起きる事は無いそうですが、今回は念のために二粒使います。
カミラはグラスに三分の一ほど酒を注ぎ、芳醇な香りを楽しみながら、ゆっくりと酒を味わっています。
目を細めて、リラックスした表情のカミラは、十人が十人とも見惚れるほどの美形です。
これで性格さえ良ければ文句の付け所が無いのでしょうが、僕をお払い箱にし、船山を見せしめにして死に追いやったのだから、とても惚れる気になどなれません。
カミラが一杯目を飲み干し、二杯目を注いだところで作戦を開始しました。
『それじゃあ、そろそろ作戦を開始するよ……プロジェクト・メイサ始動!』
なんて格好付けて言ってみたものの、カミラの胃袋の位置を探り、丸薬を二つ放り込めば第一段階は終了です。
『ケントさま。プロジェクト・メイサのメイサとは、下宿のメイサ殿ですかな?』
『うん、そうだよ、あのメイサちゃんだよ』
『何か、作戦に関係があるのですか?』
『うん、それは直ぐに分かるよ』
丸薬の効果はすぐに現れました。
普段のカミラは寝酒を飲んだ後も、シッカリとした足取りでベッドに向かうそうですが、今夜は飲み終わらないうちに欠伸を繰り返し、朦朧とした足取りで寝室に向かいベッドへ倒れ込みました。
そのまま数度の寝返りをすると、カミラは寝息を立て始めました。
『続きは、しっかりと寝入るまで待ってからね……』
一時間ほど、カミラが深く寝入るまで待ち続けました。
影から出てカミラの頬を指で突いてみましたが、まるで起きる気配はありません。
『完全に眠っているようなので、次の段階へと移りまーす』
用意したのはエールを注ぐための大ぶりのジョッキです。
そして、ジョッキを持って、一旦移動します。
『ケント様、何をなさるのです?』
『うん、ちょっと失礼……』
汚い話ですみません。ジョボジョボジョボーっと、ジョッキにはエールの代わりに僕の小水を注ぎ、それを寝入っているカミラの股間へと注いでやりました。
うん、高そうな布団に、見事な地図が出来ましたね。
誰一人侵入した形跡も無く、股間が濡れていたら、カミラはどう思うかなぁ……。
『ぶははは! 確かにプロジェクト・メイサですが、これは酷い、酷いですぞ!』
『ケント様……極悪……』
『うわぁ、嫁入り前の女性王族に……やりますなぁ、ケント様』
『僕や船山にした仕打ちに較べれば、手ぬるいぐらいだよ……さぁ、仕込みは終わったから帰ろう』
きちんと掛け布団を掛けて、ヴォルザードへと戻ります。
起きた時のカミラの様子を是非見てみたいので、フレッドに見張りを頼みました。
翌朝、カミラが目覚めたという知らせを受けて、急いでラストックへと向かいました。
カミラはメイドに起こされる事もなく、毎朝自分で起きて鍛練に向かうそうですが、今朝は更に早い時間に目覚めたそうです。
駆け付けてみると、カミラはベッドサイドに呆然と立ち尽くしていました。
憎らしいまでに自信に溢れていた顔は蒼白で、目の焦点も合っていないように見えます。
視線がベッドの上と己の股間とを何度も往復して、それでも事態を受け入れられないという表情ですね。
『あはははは! 見て、ねぇ見てよ、あの顔……あははは……』
『ぶははは! これは、相当な精神的ダメージですぞ』
『ぐふぅ……くくっ……茫然自失……』
『はははは、ケント様、やりましたね』
『いやいや、プロジェクト・メイサは、ここからが本番だよ』
大笑いする三人に、自信たっぷりの笑みを浮かべて見せます。
暫くの間、ベッドサイドに立ち尽くしていたカミラですが、ようやく我に返って対応策を考え始めたようです。
そして、カミラが手にしたものは、サイドテーブルの上に置かれていた大きな水差しでした。
小さく溜息をついたカミラは、ベッドに腰を下ろすと、何度か水差しを持った状態で、身体の角度や捻りを検討しています。
やがて、気持ちが固まったのか、もう一度溜息を洩らすと、ベッドの中で、自分の胸元から股間、そしてベッドの上に水差しの中身を撒き散らしました。
まぁ、証拠隠滅としては良くあるパターンですよね。
カミラは、水浸しの姿で専属のメイドを呼びました。
「すまない。寝ぼけていて水差しをひっくり返してしまった……」
「後片付けは私がやっておきます」
「すまない……」
「カミラ様? お加減がすぐれないのでは……」
カミラは弱々しく首を横に振り、バスルームへと向かいました。
普段とは違うカミラの様子に、メイドさんは心配そうな表情を浮かべていますね。
カミラの着替えを用意したメイドさんは、びしょ濡れになったベッドの片づけを始めたのですが、シーツを剥ぎ取った所で手を止め、くんくんと周囲の臭いを気にし始めました。
あぁ、ごめんなさい、疲れも溜まっていましたし、眠り薬とか、魔力を回復する薬とか飲んでたんで、結構臭いがキツかったかもしれませんね。
メイドさんは、臭いの正体に気が付いたのでしょう、大きく息を飲んで目を見開くと、大慌てでベッドから寝具を剥ぎ取って片付け始めました。
一方のカミラは、バスルームで溜息を繰り返しながら、入念に身体を洗い、脱衣所に戻った後も、身体の匂いを嗅いでみたりしています。
鍛練のための動きやすい服に身を包み、表情を引き締めてリビングへと戻ったカミラですが、メイドさんとの間には、えも言えぬ微妙は空気が漂っていますね。
「う、うん……あーっ、すまないが今朝の失敗は内密にしておいてくれ、駐屯地の司令官ともあろうものが、寝ぼけて水を、水をこぼすなど、部下に示しが付かないからな」
うひゃひゃひゃ、大事な事だから二回言ったのかな? でも、メイドさんは分かってるみたいだよ。
「はい、心得ております、決して、決して他には洩らしません!」
「そ、そうか……た、頼む……」
うひゃひゃひゃ、お腹痛い、お腹痛いよぉ……カミラが涙目でメイドさんに頼んでるよ。
『ぶははは、ケント様、やりましたな。これならば身体にはダメージが無く、心には深い傷を刻んだはずですぞ』
『うん、でもねラインハルト、プロジェクト・メイサは、まだ終わりじゃないんだ』
『ほう、まだ何かあるのですかな?』
『うん、でもそれはまた後で、ヴォルザードで用事を済ませて戻って来てからね』
影の世界から見守るカミラは、給仕をするメイドさんの生暖かい視線を浴び、居たたまれない表情でお茶を飲むと、いつものように鍛練へと出掛けて行きました。
これで終わったと思ったら大間違いだよ、僕や船山の怨念はこんなものじゃないからね。
でも、一旦ヴォルザードに戻って、僕のやるべき事を片付けてきましょう。
と言うか、マノンの誤解を解くという大仕事が待ってるんですけど……誰か助けてぇぇぇ!
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