第36話 初めての指名依頼

 目を覚ましたのは医務室のベッドの上でした。

 以前、同じ状況になった時には、ミューエルさんが一緒に寝ていてビックリしましたが、今日はジト目に完全包囲されています。


 右を見ても、左を見ても、ジト目、ジト目、ジト目、そしてジト目。


「まったく、ケントは何回言っても無茶するんだね」

「いや、国分があんなに無茶苦茶するとは思わなかったよ」

「ホント、ホント、新旧コンビでも、あそこまで向かって行かなかったよ」

「で、でも、ケントは頑張ってると思う……」


 ミューエルさん、小林さん、桜井さんの順番で小言をもらった後で、マノンがちょっとだけ擁護してくれたら、三人の視線がギロンっとマノンに向けられました。


「ひっ、そ、その……ケントは無茶しすぎ……だよ……」


 うんうん、君の真心は伝わっているから大丈夫だよ、マノンちゃん。


「それで……ケントの回復が早いのは、加護のせいじゃなくて、自己治癒の魔術を使ってるんだって?」

「うっ……はい、そうです、嘘ついていて、ごめんなさい」


 マノンから聞き出したのか、小林さん達が話したのかは分かりませんが、ミューエルさんに光属性の魔術が使える事がバレているようです。


「あのねぇケント、魔術の修行ではギリギリまで自分を追い込む場合もあるけれど、こんなに頻繁に倒れるような無茶してたら身体を壊すかもしれないんだよ」

「そうなんですか? でも、これまで何度か倒れてますけど、別段……」

「ケーンートー……君は、前に訓練場で倒れた以外にも倒れてるの? そんなの無茶しすぎも良いところだよ、駄目じゃないの、めっ!」

「うひぃ……ご、ごめんなさい……」


 謝りつつも、めっ、された喜びが顔に出ちゃったんでしょうかね、もの凄いジト目の雨が降ってきます。

 てか、今度はマノンが夜叉になってるんですけど……角生えそうなんですけど……


「はぁ……ケントには少しお仕置きが必要ね……」

「お、お仕置きですか……?」


 思わず口元が緩みそうになるのに気を付けながら訊ねました。

 も、もしかして、一週間毎朝、めっ、されちゃうとかでしょうか。


「はい……」

「ふぇ? あの、これは……?」

「魔力の回復を助ける薬だよ」


 ミューエルさんに差し出されたのは、薬草を煎じで丸めたようなもので、直径が3センチぐらいあります。

 ラッパのマークのあいつを巨大化させたみたいで、丸飲みしたら喉に詰まって窒息しそうですよね。


 差し出された時点で、漢方薬っぽい匂いが漂って来て、身体には良さそうだけど、ちょっとヤバめな雰囲気がありますよ。


「こ、これは、どうやって飲めば……」

「口に入れて、良く噛んで、味わってから飲んで……」

「は、はぁ……」


 ぐいっと突き出された丸薬を受け取ったのですが、厳しい表情をしているミューエルさんの目が笑ってる気がするんですよねぇ。

 それにマノンが、凄く嫌そうな表情をしてるのが、もの凄く気になるのですが……


「さぁ、早く飲んで!」

「うっ、分かりました……」


 たぶん、もの凄く不味いのは間違い無いのでしょうが、ミューエルさんに心配を掛けているので断れないですよね。

 大きく一つ深呼吸をしてから、丸薬を口に放り込んで、思い切って噛み砕きました。


「はがぁぁ……かはっ……」

「吐き出しちゃ駄目だからね。噛みしめて、味わって、反省しなさい!」


 丸薬を噛みしめた途端、苦みと渋みが爆発的に口の中に広がりました。


「うぐぅぅぅ……み、水ぅ……水ぅ……」

「ちょ、ちょっと待ってね……」


 慌ててマノンが水を汲みに走り、他の三人はお腹を抱えて爆笑しています。


「あははは、どうケント、ちょっとは反省した?」

「きゃははは、国分がお爺ちゃんになってるよ」

「はははは、痛いよぉ、お腹痛いよぉ……」


 酷い、本当に口の中が無茶苦茶な状態になってるのに、みんな笑いすぎだよ。


「ケント、はい、お水!」

「あいがとぉ……んぐんぐ……ぷはぁ……駄目、まだ苦いぃぃ……あ、あれっ……?」


 カップに注がれた水を飲み干しても、口の中の苦みは殆ど薄らいでいません。

 それはそれで困った事態なのですが、それよりも急に頭が朦朧としてきて、凄い眠気に襲われています。


「あへぇ……なんらか……急に眠気が……」


 さっき起きたばかりなのに、眠気に抗えず、再びベッドに倒れました。


「いっけなーい! 間違えて眠り薬飲ませちゃった……」


 なんかミューエルさんが、とんでもない事を口走っていたような気がしたのですが、確かめる暇もなく眠りに落ちてしまいました。




「ケント……おい、ケント、起きろ……」

「ん、んあ……あれ、ここは……」

「しっかりしろ。ここはギルドの医務室だ、分かるか?」

「あっ……えっ? ドノバンさん? お、おはようございます」


 あれからどの位の時間が経ったのかは分かりませんが、僕を起こしたのはドノバンさんでした。

 僕としては、ミューエルさんか、マノンちゃんに添い寝してもらって朝チュン体験したかったのですけど……ドノバンさん、朝から迫力ありますね。


「うむ、まだ夜中だが……どうだ、起きられそうか?」

「えっと……はい、大丈夫です。というか、かなりスッキリしてます」

「そうか。よし、それなら大丈夫だな」

「あの……何かあったんですか?」

「うむ、ちょっと急なんだが、例の指名依頼だ」

「指名依頼って……何をすれば良いのでしょう?」

「うむ……その前に、ちょっと水浴びして着替えて来られるか?」

「あっ……はい、それは大丈夫です」

「ギルドのシャワー室を使って良いぞ」


 昨日、ギリクとの立ち合いをして、汗だくのままで倒れたので、ぶっちゃけかなり汗臭いし埃まみれです。

 影収納から着替えを出して、ギルドのシャワー室で身体を洗ってサッパリしました。


「よし、じゃあ付いて来い」


 着替えを終えると、灯りの魔道具を持ったドノバンさんに連れられて、街の目抜き通りを移動します。

 空は真っ暗で、通りには人影も無く、空には星が瞬いています。


 向かった先は、第二区画との境にある大きなお屋敷、つまり領主の館でした。

 庭師の見習い仕事で来た時にはギルドのカードを確認されましたが、今日はドノバンが一緒なので顔パスです。


「えっと……僕は、何をすれは良いのでしょう?」

「うむ、それは中でクラウスさんから聞いてくれ」

「はぁ……」


 どうやら依頼主は領主のクラウスさんのようですが、内容が皆目見当が付きません。

 指名依頼が有ると聞かされた時には、影収納や影移動の利点を生かして、遠方に荷物を運ぶ仕事かと思ったのですが、そんな様子でも無いですよね。


 庭師の仕事で来た時には、屋敷の中には入らなかったのですが、さすがに領主様の御屋敷、内部も豪華な作りになっています。

 建築に関しては詳しくないので、よくは分かりませんが、良い材料を使って、手間を掛けて造られている感じがします。


 毛足の長い絨毯の敷かれた廊下を、執事さんの案内に従って歩き、応接間へと通されました。

 そこで僕らを待っていたのは、憔悴しきった様子のクラウスさんでした。


「あぁ……ケント、来てくれたか、こんな時間にすまんな」

「ク、クラウスさん、どうなさったんですか?」

「まぁ、座ってくれ……」


 クラウスさんに促されて、ソファーへと腰を下ろしたのですが、張り詰めた空気を感じて何とも落ち着きません。

 それに、屋敷の中には、漢方薬のような匂いが漂っています。


 執事さんが淹れたお茶で喉を湿らせてから、おもむろにクラウスさんは話し始めました。


「ケント、お前、ゴブリンに腸まで食われたけど助かったって話してたよな?」

「はい、たぶん無意識で光属性の自己治癒魔術を使ったんだと思います」

「他人に治療を施したのは、リーブル農園でのマッサージぐらいか?」

「ど、どうしてそれを……」


 驚く僕に、クラウスさんは、ドノバンさんを目で示しました。

 なるほど、妥協しないドノバンさんが調べてた訳ですね。


「はい、農園のマッサージの他は、ラストックの駐屯地で仲間や診察室の子供に治癒魔術を掛けたぐらいです」

「そうか……お前、内臓が腐ってる者を治せるか?」

「それは……やってみないと分かりませんが、もし僕に救えるならば、全力を尽くします。 僕は、仲間を助けられませんでしたから……」

「そうか……」


 クラウスさんは、目を閉じて暫く考えを巡らせた後、決断するように頷いて、僕に向かって頭を下げました。


「頼む、ケント。娘を……ベアトリーチェを助けてくれ!」

「ちょ、クラウスさん、頭を上げて下さい。それに助けるって、どういう意味ですか?」

「腐敗病だ。ベアトリーチェは腐敗病に侵されていて、ヴォルザードの治癒士じゃ手の施しようが無い……」


 腐敗病……マノンのお父さんが亡くなった時の話からすると、盲腸が悪化して腹膜炎を起こしている状況だと思われます。

 クラウスさんの話では、ベアトリーチェの具合が悪くなったのは、先週の闇の曜日あたりからだそうです。


 初めは軽い腹痛だと思っていたそうなのですが、今週に入ってからは容体が悪化。

 投薬や治癒士による治療も続けられてきたそうですが、回復するどころか悪化の一途を辿っているようです。


「治癒士のババア、もっても明日までとかぬかしやがって……」


 クラウスさんは悔し気に拳を腿に打ち付けて、必死に感情を押し殺しているように見えます。


「頼むケント! 少しでも可能性があるなら、俺はそれに賭けてみたい!」

「分かりました。治癒させるかは分かりませんが、やらせて下さい」

「すまん、頼む……」


 クラウスさんの案内で、二階にあるベアトリーチェの寝室に向かったのですが、廊下に一人の女性が立ち塞がっていました。

 背中に鉄の芯が通っているかのように真っ直ぐな姿勢の女性は、ベアトリーチェと同じ赤い髪で、そして頭の上にはピンとウサギの耳が立っています。


「ケント、妻のマリアンヌだ……」

「ヴォルザード守備隊、総隊長のマリアンヌ・ヴォルザードよ」

「あっ……ケントです、初めまして、クラウスさんにはいつもお世話に……」

「長ったらしい挨拶は結構よ。貴方、本当に治癒魔術を使えるの?」

「はい、あっ……でも治療の経験は、まだ少なくて……」

「それなら、この傷を治して腕前を証明して見せなさい!」


 そう言うと、マリアンヌさんは左の袖をまくり上げ、腰から引き抜いたナイフでザックリと斬り付けました。

 たちまち鮮血が溢れ出してきます。


「えぇぇ……な、何してるんですか!」


 慌ててマリアンヌさんに駆け寄り、傷口を両手の平で包み込むようにして治癒魔術を発動しました。

 ほのかな光の中で、傷口はビデオを巻き戻すように塞がっていきます。


「そんな、詠唱も無しなんて……」

「何て事をするんですか! もし僕が治癒魔術を使えないポンコツだったら、どうするつもりだったんですか!」

「ご、ごめんなさい……」


 マリアンヌさんは、小さく頭を下げると、腕に付いた血を拭い、毛筋ほどの傷跡も残っていない腕を目を見開いて見詰めています。


「マリアンヌ……気は済んだか?」

「ええ……」


 マリアンヌさんは、クラウスさんの問いに大きく頷くと、僕に向かって深々と頭を下げました。


「大変失礼いたしました。どうか、どうか娘を助けて下さい、お願いします!」


 突然の行動に驚いてしまいましたが、良く見てみればマリアンヌさんも憔悴しきった様子です。

 腕を斬り付けたのも、感情が高ぶった結果なのでしょう。


 マリアンヌさんに案内されて、ベアトリーチェの部屋へと足を踏み入れたのですが、部屋に籠った臭いに思わず立ち竦んでしまいました。

 それは、死臭と呼ぶのが相応しいほどで、漢方薬の匂いの他に、たんぱく質が腐敗した臭いが混じり合い、嗅いでいるだけで病気になりそうです。


「すみません。窓を開けて部屋の空気を入れ替えてもらっても良いでしょうか?」

「……はい、今すぐ……」


 マリアンヌさんは、少し迷ったようですが、部屋の窓を開けて、籠った空気の入れ替えを始めてくれました。

 天蓋付きの大きなベッドに寝かされたベアトリーチェは、紙のように真っ白な顔色で、浅い呼吸は今にも止まってしまいそうです。


 そんな状態なのに、分厚い布団が何枚も掛けられていて、呼吸を圧迫しているようにしか見えませんでした。


「治療の為に布団を剥がしますけど、よろしいですか?」

「はい……全てお任せします」


 部屋の中にはマリアンヌさんしか付いて来ておらず、クラウスさんは部屋の外で待機しているようです。

 布団を一枚剥ぐごとに、腐敗臭が強まっていきます。


 そして、最後の一枚を剥ぎ取った時、思わず呻いてしまいました。


「ぐぅ、酷い……」

 

 ベアトリーチェが身に着けている寝巻きは汗で濡れ、透けて見える腹部は青黒く変色しているのが分かりました。

 思わず目を背けたくなるほど酷い状態です。


 動揺した気持ちを静めるように、大きく深呼吸をしてから、覚悟を決めて両手の平をベアトリーチェの胸に添えて、全力で治癒魔術を流し込みました。

 詳しい原理や状況は分からないのですが、手に伝わってくる感触は、ラストックの診察室で心停止していた子供よりも悪く感じます。


 僕の治癒魔術が肺や心臓から、血液やリンパの流れに乗って全身に行きわたるようにイメージしながら魔術を使い続けます。

 治療を始めてすぐに、乱れがちだった心臓の動きは力強さを取り戻しましたが、なかなか全身に治癒の魔術が行き渡っていかない感じがします。


 胸に添えていた手を離し、お腹、腿、脹脛、爪先へとマッサージするように手を滑らせて、治癒魔術を流していきます。

 爪先から、またお腹へと戻り、今度は肩から手先まで、手先から肩へと戻り、今度は首筋から頭へとマッサージを続けます。


 その時になって初めて気付きました。

 髪に隠れていて分からなかったのですが、ベアトリーチェの頭には可愛らしいロップイヤーが生えていました。


 一つ年下の女の子の身体を撫で回すなど、普段なら理性が保てなくなるような行為ですが、この時の僕は治療する事しか頭にありませんでした。

 一回、二回、三回と、マッサージの回数を重ねるごとに、ベアトリーチェの身体には血色が戻り始め、手に伝わってくる弾力にも健やかさが戻ってきます。


 一時間……いや、もっと長い時間治療を続けていたのかもしれませんが、集中し続けていたので、時間の経過は頭から抜け落ちていました。

 四回目、五回目……いや六回目だったでしょうか、もう何往復したのかも覚えていませんし、そろそろ僕の魔力も枯渇しそうです。


 最後にもう一度、胸から全身へと治癒魔術を流しました。

 ベアトリーチェの呼吸はすっかり落ち着いていて、青白かった頬にも赤みが戻っています。


 すーすーと寝息を立てている表情は、フランス人形のような可愛らしさです。

 完治させられたかは分かりませんが、取りあえず命の危機は去ったはずです。


 魔力が切れかけて朦朧とし始めた頭で、ぽやーっとベアトリーチェの表情を見守っていると、ピクピクと瞼が震えたと思ったら、ゆっくりと目が見開かれました。

 長い時間昏睡状態だったのでしょう、ベアトリーチェは視線を彷徨わせて、状況を確認しているようでした。


 そして、焦点が合ったように、パッチリと目が見開かれました。


「いぃ……いぃ……」

「いぃ……?」

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」

「へぶしっ!」


 ベアトリーチェから、強烈な平手打ちを食らって、床の上に倒れ込みました。

 そりゃそうだよね、意識を取り戻したら、知らない男が寝巻き一枚だけの胸を触ってたら、ぶっ飛ばすのが当たり前だよねぇ。


 魔力枯渇の状態で、激しく脳を揺さぶられた僕は、そのまま意識を手放しましたとさ。




 次に目を覚ましたのは、見知らぬ部屋のベッドの上でした。

 何だかヴォルザードに来てから、このパターンが多いよねぇ……。


 窓の外には太陽が明るく輝いていますが、何時ぐらいなんでしょうかね。

 目は覚めたんですが、何とも言えない倦怠感が残っています。


 そりゃ、連日倒れるまで魔力を使い果たしてれば、こんな感じになっても仕方無いよね。

 と言うか、委員長がこんな感じなんだろうね。

 うん、やっぱり早く救い出さないと駄目だね。


 とっても寝心地の良いベッドなんですが、やたらと広い部屋は何だか落ち着きません。

 早く起きて、狭い下宿の部屋に戻りましょうかね。


 こう手を伸ばせば壁に触れるぐらいの狭さが落ち着くんですよねぇ。

 起き上がったものの、身体のだるさに負けてベッドに座り込んでいると、ドアが開いてメイドさんが入ってきました。


「失礼いたします。お加減はいかがでしょうか?」

「あっ……はい、少しだるいですけど、何とか……」


 ザ・メイドさんという服装の女性は、二十代前半ぐらいでしょうか、明るい茶髪で、三角のケモ耳の先っちょだけ白い毛が生えているようです。


「では、応接間までお越しいただけますか、主がお待ちしております」

「あっ……はい、分かりました」


 と答えた瞬間、ぐぐぐぅぅぅきゅぅぅぅ……とマイ・ストマックが不平不満を主張しました。


「うふっ……お食事の支度もしておきますね」

「は、はい……お願いします……」


 うわぁ……格好悪いよぉ、うふって笑われちゃったよ。

 メイドさんの案内で応接間へと向かったのですが、先っちょだけ白い、太い尻尾がふわんふわんと目の前で動いていまして、うぉぉぉ……めっちゃモフりたい。


 もう全身全霊を掛けてモフりたい、ちょっとだけでも頬摺りしちゃ駄目ですかね。


「どうぞ……どうかなされましたか?」

「い、いいえ、何でも……あ、ありがとうございます」


 うわぁ、完全に挙動不審な子供だよぉ。

 少し凹みながら応接間へと足を踏み入れた途端、視界が遮られました。


「ありがとうございました。本当に、何てお礼を言ったら良いのか……」


 ギュッと僕を抱き締めているマリアンヌさんの声は、潤んでいるように感じます。

 この埋没感は、メリーヌさんを超えてますね。


「ふごぉ、むぐぅ……ぷはっ、あ、あの……ベアトリーチェさんの容態は?」

「はい、もうすっかり大丈夫だと本人は言ってますが、入浴させた後は大事を取って横にならせています」

「そうですか、良かったです。また具合が悪くなるようならば、いつでも言って下さい」

「はい、ありがとうございます。さぁ、座って下さい」


 応接間のソファーには、安堵の表情を浮かべたクラウスさんが待っていました。


「ケント、本当にありがとう。何て礼を言ったら良いか言葉が見つからない」

「いえ、僕は出来る事をやっただけですから……」

「正直、俺もマリアンヌも半ば覚悟はしていたんだが、あれほどまでに良くなるとは……あんな治療はバッケンハイムの治癒士にだって出来ないだろうぜ」

「そう言われても、自分でも何で出来るのか、どうやってるのかも上手く説明出来ない状態なので……」

「それでもベアトリーチェが助かったのは間違いない、本当に感謝している」

「そんな、頭を上げて下さい、クラウスさん」


 こう何度も大人の人に頭を下げられるのは、どうにも居心地が悪いです。


「それでケント、今回は俺からの指名依頼という形なんだが、俺も気が動転していて報酬も決めずに治療を頼んじまった」

「いえ、報酬なんて、僕や仲間がヴォルザードにお世話になるんですし……」

「いや、それは駄目だ、特に領主の俺が街の仕組みを乱すような事は出来ない。 で、報酬なんだが、50万ヘルトでどうだ?」

「いやいや、そんな高額の報酬なんて貰えませんよ」

「いや、バッケンハイムに連れて行って治療を頼んだら、この三倍も四倍も取られて、その上治る保証も無かったんだ。 ベアトリーチェの命の値段と思えば安すぎるぐらいだ」

「ですが……」

「それに、仲間を救出してくれば生活費が掛かるようになるんだろう? あって困るものじゃない、受け取ってくれ」

「はぁ……分かりました、ありがたく頂戴いたします」


 指名依頼は高額の報酬が用意されるとは聞いていましたが、あまりにも高額すぎてビックリです。

 ガーム芋の倉庫での仕事が一日350ヘルトですから、1400倍以上ですよ。

 今回の治療だけで三年八か月ぐらい働いた事になります。


「それでなぁ……ケント」

「は、はい、何でしょう?」

「今回の治療で、目にした事、手の感触……全て忘れろ」

「ふぇ……?」

「目にしたベアトリーチェの姿、手にしたベアトリーチェの感触、全て綺麗サッパリ記憶の中から消去しろ……そして、ベアトリーチェに手ぇ出したら……分かってるな?」

「え、えっと……はい……」


 そうだ、すっかり忘れてましたが、目の前にいるチョイ悪オヤジは、完全無欠の親バカだったんですよねぇ……


「マリアンヌに聞いたが、随分と……随分と熱心に治療してくれたみたいだが、それは綺麗サッパリ忘れろ、いいな?」


 ここ何日かは碌に寝ていないんでしょうね、血走りきった目でギロンと睨まれたら、コクコクと頷くしかないですよねぇ……。

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