d.r.u.g.



スマートドラッグとは、人間の脳の機能や能力を高めたり、認知能力や記憶力を高めるとされる薬品や物質の総称である。

広義的には、集中力に作用するという意味ではコーヒーやエナドリに含まれるカフェイン。ドコサヘキサエン酸DHAは体内で作ることの出来ない必須栄養素、これらも含まれる。

狭義的には医療で使われる資格を有した者から適切な用法用量で処方されるもの。

欲しい効果が高効率で得られ、他の非合法ドラッグより安全ともあれば需要も高まる。

ここで言う安全とは用法用量を遵守した場合であって、守らなければ他の非合法ドラッグとなんら変わりはないのが情弱さんがよくハマる落とし穴。


需要が高まれば粗悪品、偽物を掴まされる可能性も高まる。というかドラッグとはそういう業界だ。

一度使わせてしまえばドボン。売り手の勝ち。

あとは沼ったユーザーが勝手に求めに群がり金を落としに来る。



「おっとっと、流石に身体がキてるな」



居住区。段差も障害物もないフロアに蹴躓き、冷静に近くの壁に手を付いて身体を支えた優。

大したヒール高ではないが靴を履いているのも危ない。もう外に出るわけじゃないので脱いでしまおう。


早朝、と言ってもある程度人が起き始めただろう時間。

ひとまず久し振りの自室に戻る。


開いた扉、部屋に一歩踏み入れた瞬間。

カクンと膝から力が抜ける。

子どもみたいにへたり込んで、ため息のように長く息を吐いた。



「……なんて言い訳しようか」



一週間丸々睡眠をとらずにいれば当然身体をおかしくする。

ほとんど運動らしいこともせず椅子に釘付けで、脳を薬で動かし続けた。

初めてのことではない。

自分の薬への弱さも、当面悩まされる事になる精神状態も、鏡を見なくても分かる顔色の悪さも。全て分かってやっていることだ。

何してんだか。そうやって自分を笑おうとするが、表情筋だって自由に動かない。

こんな状態で蓮には会えそうもないか。



「メッセージ確認、蓮さんに私最後なんて送った?」

『履歴確認。出張で5日くらい空けるね。19日午後8時35分に送信しました』

「いけね、5日くらいとか言っちゃってたか。蓮さんに新規メッセージ。忘れ物しちゃった、取りに行くから週末会おうね。送って」

『一色蓮 にメッセージを送信しました』



音声入力でメッセージを送る。これで彼も余計な心配をせずにいられるだろう。

週末までにせめて顔色くらいは戻しておかないと似合わない厚化粧をする羽目になる。


ずるずると床を這い、ベッドに登る。

スーツを脱いでその辺に放る。とてもではないが一度力の抜けた身体は言うことを聞いてくれない。

下着とキャミソールだけの薄着になって、部屋着に着替えることすら億劫だった。

頭だけが冴えている、この意識と身体の乖離が嫌なのだと蓮は毛嫌いしていた。まあ彼の言う通り楽しいものではない。



「お、用意いい〜私。眠剤と水がテーブルに乗ってる」



そう言えば出張前に行動を予測してサイドテーブルに乗せておいた気がする。

しかもボトルのキャップが弛くしてある。我ながら至れり尽くせりだ。

カプセルの睡眠導入剤を飲み、収納から電子手錠を出す。右手首とベッドの脚を繋いだ。

これは念の為。もし寝惚けて使わなくていいスマドラを余計に求めてしまわないように。



「ふわぁ……ぁ、ハルさんに新規メッセージ……薬抜きはじめたから、よる様子見に……」



すう、と腹で溶け出した薬が彼女を眠りに引きずり込む。







トレーニングを終えた蓮が端末に入っていたメッセージに気づく。

汗を押さえながら見れば出張で出ていた彼女から。だが内容は忘れ物を取りに行くという内容。



「……チッ」



荷物を置いていた場所に投げ戻すように端末を放り込む。

大きな音と蓮の苛立った舌打ちに、同じタイミングでトレーニングルームを使っていた社員が怯えた。気にも留めずにシャワールームに入る。


蓮はシャワーを浴びながら彼女のくれたメッセージを思い出していた。

あれは嘘だ。数日出張するとすれば彼女はわざわざ取りに戻るほどの私物を持っていかない。忘れても自分では行かず送ってもらう手法を取る。

例えば携帯端末は彼女にしか開けられないし、携帯端末を忘れても彼女の部屋や会社の席にいくらでも代替出来る手段がある。


会う日を指定することで先延ばしにするのも彼女の癖だ。少なくとも今日会える状態ではないということは、ドラッグの類だろう。

水気を拭き取り手早く着替え、優の部屋に向かった。





「ああ、……全く」



彼女の部屋の前に立った蓮は、自分の前髪を握り潰す。

距離が近づけば近づくほど、考えれば考えるほど苛立ちは積もり増幅した。

扉の前に立った今、この扉に手をかけていいのか迷う。

彼女の姿を見て自分はどうするだろうか。

あらゆる感情が煮えくり返ったこの頭はどうあっても冷静とは言えまい。


この扉は彼女が中に居れば普段は蓮のIDでも開くように設定してある。

設定したのは彼女だ。ならいっそ今は、会いたくないと言うのなら。その権限を外しておいてほしい。

それなら彼女を直接見ずに済む。


済む筈だった。

願いも儚く、ドアセンサーが蓮を感知し招き入れるように口を開く。

開いてしまえば自然と足が動いて習慣のように中に入っていった。




ベッドでは薄着のまま眠る優がいる。

脱ぎ捨てられたシャツ、スーツ。

サイドテーブルにある睡眠薬のゴミと水のボトル。

手首を繋いだ電子手錠。



呼吸、

―問題なし

脈拍、

―概ね正常

体温、

―いつも通り



ベッドの縁に腰掛け、状態を確認していく。

顔色は薄暗い室内でも酷さが分かる。

くっきり浮いた隈、ささくれた唇、傷んだ髪、硬くなった爪。



「俺を優しいと勘違いしてないだろうな」



電子手錠こんなものでぬるい抵抗をするよりも、俺なら徹底した監理をする。

いっそ閉じ込めて監視しておきたい。

手錠のついた右手首と左手首を纏めて頭の上で押さえ付ける。

睡眠薬が効いていて蓮が圧しかかった程度では起きない。彼女はされるがまま。

生気の薄さも相まってまるで人形のようだった。


手入れを忘れられた髪に手櫛を通す。

力なく晒される喉に親指を滑らせる。

顎の骨に沿って手を置き頭を支える。

瞼を隔てた向こう側の目を見つめる。



連れて行ってしまおうか。ドラッグなんて彼女には必要ない。

隠してしまおうか。俺だけが居ればそれで十分。

奪ってしまおうか。元々これは俺のものだ。



彼女の薄く開いた唇に、そっと自身の唇を重ねて擦り合わせる。

頬を撫でて離れ、彼女の端末を探した。

見つけたそれを彼女の左手を使ってロック解除。真っ先に表示されたのはハル宛の作りかけのメッセージ。


都合がいい。

文章を足して完成させ送信する。

優の腹にブランケットを掛け、蓮は部屋を後にした。







穏やかな昼下がり。

尻ポケットに入れている端末が震える。

ハルは通知の内容を確認して再び尻ポケットにしまいかけ、もう一度画面を見る。



「蓮だろこれ。はー、カチ合わないように遅めに行くかな」



人の端末でフリをするならもう少し考えて送ってほしいものだ。

あいつが使うドラッグと相性を考えたらあいつの体質で今から今日の夜なんて、到底起きることもままならない。大方、早朝にメッセージを送ろうとした途中で落ちて、半端なメッセージを足して蓮が送ってきたのだろう。

蓮相手にバレる嘘をつく優も優だが、あいつも蓮の執着を甘く見てる節がある。


全く見ていて飽きない劇場だ。特等席にいると巻き込まれることも多々あるが、それも含めて俺も楽しんでいる。

蓮が腹の底に燻ぶらせた拘泥。優が背中に隠した自己顕示欲。

さて俺は二人からどう見えていることやら。


まあこの帰りに必要になりそうなものを買って持ってってやればいいだろう。

デート中、メイク直しから戻ってきた女の子の肩を抱いて今は意識外に追いやった。




ドサッ、と何かが置かれた音が聞こえた気がして意識が浮上する。

部屋が明るくて眩しい。薄ぼんやりとした視界に映るのは誰だ。

誰かに下瞼を押される。内側の肉の色を確認した? ああこれ、ハルさんか。

今時間は? 2時37分、多分、深夜。それは彼が居てもおかしくない時間だっただろうか。



「目ェ開いたけど起きてんのか? 気分は」

「…………、最悪」

「俺のチップで手錠のカギ登録しやがって、そういう趣味だと思われるだろうが」



誰も他に勘違いする相手なんていないのになと思いながら、なんで手錠の話をされたんだ?

ああ、今付けているからか。

安全のために、どうせこういう役回りを頼むから、これ買ったときにそういう話で登録してもらったし。そんな風に伝えたいが唸るしか出来ない。


頭が重い。身体も怠い。

ブランケットを手繰り寄せ包まる。

傍目にハルが落ちていたスーツをハンギングしてくれたり、薬のごみを纏めてくれたりするのを見た。

口の中で少し舌を運動させてから、ようやく言葉らしい言葉が口にできる。



「ありがと。蓮さんには見せられないな」

「身体大事にしろってキレるだろうなアイツ」

「だからハルさん呼ぶんだよ」



ハルが肯定するでもなく鼻で笑う。

何かを考えようとすると、思考がぐちゃぐちゃになって途切れる。

身体も自由が利かないし、利いたところでドラッグをまた再開しそうだからこれでいいのだ。

シャットダウンするシステムをイメージして自分の意識を落とそうとする。



「おい、飲んどけ。それから寝ろ」

「……おいしくないからやだ」

「味わかんねェだろ今お前」



パウチのゼリーを口を開けた状態で差し出される。

仕方なく少しだけ身体を起こした優が受け取り口をつける。どうせ落とすと思われているのか、パウチは支えてもらっているのでゆっくり飲めた。

味は彼の言う通りまだよく分からない。


全部飲み切らないうちに再び意識が途切れた優にブランケットをきちんとかけてやる。

その時見つけたうっすら赤くなった手首に、内心で蓮を咎めてハルも自分の部屋に戻った。






ぱたぱたと小走りで廊下を走る。

目指すのは勿論蓮の部屋。

約束通りの週末。


部屋のブザーを鳴らすと、ほどなくして蓮が出迎えてくれた。



「蓮さん! 会いたかったー!」

「おかえり。お疲れ」



蓮の腰に飛び込んできた優を受け止め、頭を撫でる。

仕事漬けだった彼女を労い、しかしその位置だと蓮からは抱きしめられない。

軽々と持ち上げて部屋の中に連れ去った。ベッドの縁に腰かけて、それなら蓮でも抱きしめることが可能な高さになる。



「私が支援班に居なかった間、怪我とかしてない? あのね、出張中今までやりたくても出来なかったシステムの問題とかすごく捗ってね」

「ん……」

「ん? どうしたの蓮さん」



強く強く腕の中に閉じ込める。痛くはしないように気を付けて。

呼吸のたびに上下する胸の動きに安心して、感じる彼女の体温が心地よく、受け止めてくれる腕が愛おしい。

自分だけを意識してくれるこの時間に夢中になった。



「……ふふ、」



自然と口角が上がってしまう。

だって、これを求めていたのだから。


いつもよりずっと強い力で抱きしめてくれる蓮が嬉しくて、とんとんと優しく背中を叩く。

絶対に離してくれない。そう感じさせられる抱きしめ方、もとい閉じ込め方。

このままだと彼の身体に埋まって出られなくなりそうな。

どうやっても逃げられないような、彼に寂しさを感じさせた後のこれが大好きなのだ。


滲み出た支配欲。独占欲との葛藤。

自分を求めてくれる、彼のことが大好きだ。



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