その名を口にする時(四)
『お前さあ、なんで俺が空中高倍率カメラの開発してんの知ってた訳?まだこれ課題も多いし、トップシークレットレベルの社外秘なんだけど』
「……なら少し部屋の整頓を勧める」
ざり、と時折不快なノイズも混ざるがおおよそ会話が出来るくらいにはしっかりと電波が通じている。無線の向こうの兄が不服そうな声色を伝えた。
涼は本社の電波の飛ばしやすい場所で、試用品の小さなドローンに取り付けられたカメラを飛ばしてメディオの地区の目ぼしい場所を散策している。
ドローン技術に関して京極ハイテックスはトップ。
ノウハウを生かして犯罪摘発の為の追跡型カメラの開発を進めているらしいが、使い方を誤れば逆に犯罪のために使われてしまう。バッテリーや映像同期の時差問題、指示を飛ばすための中継回線の設置、そもそも法律に抵触している部分への対応などもあり、実用化はまだ先が見えないような代物。
今手伝っているこの行為さえ他の社員に見つかれば苦しい。
危なくなったら打ち切って構わないという条件で手伝いを頼んだのだ。
兄は優のように分析や事務に長けた能力はないが、それでも上空から探す方が早い。
しばらくして、アイツ…と何かを見つけた涼の声がした。
珍しい兄の雰囲気に蓮が説明を求める。
『指名手配されてるヤツだ…間違いない。なんでこんなところに』
「……指名手配?」
何でもメカニックや技術者、下層の子供なんかを攫うキサラギ化成B.A.B.E.L.出身の科学者だという。
涼の元にも注意喚起の通達が最近あったので、記憶も鮮明だった。
連れ合いらしいのが二人、そのうち一人は毛布でくるんだ何かを担いでいる。
上空からだと蓮の探し人かどうかが分からないので、位置を教わり直接確認することにした。
幸い蓮がいる場所から遠くはなく、すぐにそのグループの後姿に追いつく。
「止まれ」
「……何かしら?急いでるんだけど」
先頭に居た女装した男が振り向く。
隣に居た白衣を着た一つ結びの女と、毛布の塊を担いだピアスだらけの男もそれに倣ってこちらを向いた。
女装男が指名手配犯とされているらしいが、横の二人も仲間とみていいだろう。
サイズ的にも丁度いい、人間ひとり分のサイズの塊。
目的は不明だが、人攫いとして指名手配されているというなら確かめる価値はある。
蓮は男が担ぐ毛布を掴もうと手を伸ばす。
だが触れる前に白衣の女が蓮の腕を掴んで止めた。
やはり確認されると困るものなのだ。
毛布を担ぐピアスの男を睨めば比例するように彼の口端は上がり蓮を挑発する。
安い挑発に乗ってやる義理はない。だが中身が彼女かどうかの核心は得たい。
「これは、誰だ」
「こわれもの。あげないです」
「……ケイ、ソイツ任せたわよ」
女装男と毛布を担いだ男が脱兎のごとく走り出す。
逃がすわけにはいかない、と追おうとするがケイ呼ばれた女が蓮の道を遮る。
身長差を利用して女を頭から地面に倒そうとするが、逆に腕を掴まれて彼女の体格に見合わぬ力で投げられる。
その力は軽々と長身の蓮をぶん回し、近くの建物の壁に激突させるほど。
壁際に積まれた木箱の山を崩し、老朽化していた壁を破ってその建物の中でようやく勢いが相殺された。
空き家か貸しテナントだったようで、中に人は居なかったのが幸いだ。
巻きあがるホコリ。激突の衝撃に蓮は噎せながら立ち上がる。
だがその目はしっかりと開かれ、男たちの逃げた方を見ている。
一瞬だが、毛布の切れ目から人の足が見えた。
見間違えるはずもない、あれは探していた彼女のもの。
無線を通して兄に男たちの行く先を追ってもらうように伝えた。だが建物内に入られてしまうと追えなくなってしまう。
短時間でこの勝負はつけなくてはならない。
頭を狙い飛来する刃物を反射的に避ければ、ケイがチッと舌打ちしながら現れる。
ザラリと何かを口に含んで飲み下し、蓮に急速に近づく。
人間離れした速さに驚くがギリギリで水晶剣を抜刀し彼女をなんとか止められた。
狂気じみた笑顔、短剣から滴る液体、女性らしい細腕に見合わない怪力。
研究者らしい恰好から先ほど服用したのはキサラギ化成の専売特許である増強剤などの
滴る液体は恐らく毒性のあるもの。迂闊に触れてはいけないと戦いに身を置き慣れた本能が警鐘を鳴らす。
剣ごと押し返して距離を作る。
間髪入れずに追撃で振った剣は躱され、ケイの肉を切ることはなかった。
さっき彼女が飲んだ薬は何種類もの形があった。筋力増強剤に限らず神経を強化するものもあるのだろう。
生身の人間が成しえる反応速度ではありえない動きをしている。
恐らくこのグループはキサラギ化成でもいわゆる裏側の人間たち。
なればこそ、副作用や倫理観など説いても聞かないサイコパスの集まり。
『蓮!ヤツら屋内に入るぞ!』
「……わかってる、だが」
この女を振り切って追うことは不可能。
負けるつもりはない。
だが超人的に強化された彼女の反応速度はすぐに倒して進めるほど易しいものではない。
それでもやらねばなるまいと、パトリオットにマガジンを差し込み装填する。
ケイが低い姿勢で毒まみれの剣を蓮に突き立てんと突撃、蓮は視界の隅で別のものも捉えた。
剣戟に合わせるように蓮は下がる。
ギン、と剣同士の衝突音が振動となり部屋に反響した。
蓮とケイの間に身を入れ彼女を止めたのは蓮の部下で相棒でもある、褐色の肌の男。
「俺に声もかけていかないなんて、いくらなんでも薄情すぎねえか?リーダー」
「ハル、何故ここに…」
「アイツがかかってんだろ、行けよ!こんなヤツ、30秒で伸してやる」
優の不在は社内の人間であっても、不用意に喋れない。
人の口に戸は立てられないからだ。どこから漏れるか分かったものではない。
だから彼にさえ何も伝えずに会社を出た。
ハルがどうしてここに来られたのだろうか。
それでも逡巡したのはほんの一瞬。
蓮はハルの横を抜けて先を急いだ。
ハルは蓮とケイの間に身を入れ続け足止めする。
すれ違いざまに任せる、とリーダーからの珍しい言葉を聞いてハルはついニヤリと笑った。
やがて蓮が見えなくなり、彼を足止めするには目の前の男を倒さねばならないとケイの標的が変更する。
「邪魔しないでほしいです。早くあの子の脳組織、調べたいので」
「ハッ、聞けねえなァ。行かせるわけにもいかねぇんだわ」
邪魔をされたことや、予定していなかった相手との戦闘にケイは苛立つ。
自分が調合した毒を流し込んだ鞘に、持っている短剣を差して毒を付け直す。
しまわれた剣を見たハルがチャンスとばかりにケイに切りかかった。
強化された動体視力で軽々と避けられる。
だが戦士にとって初撃が避けられることなど驚くほどのものではない。
二撃、三撃と切り返し、回し蹴りなどの足技も織り交ぜながら彼女を壁へと寄せていく。
ハルが扱う剣は軽量化され、手数を稼ぐカットラス。特に狭い場所や屋内で真価を発揮するもの。
ケイが下がりきって追い詰められたことを、踵で触れた壁から察知する。
もらった、とハルが上体の遠心力も最大限使いカットラスを横に薙いだ。
ブン、と空を切った音にハルは目を見張る。
瞬き一回分にも満たないような時間でケイが消えた。
一体どこにと首を巡らせようとした瞬間、トンと肩に何かが触れる。
はっとして上を見れば、ハルの身体ごと飛び越えて避けた宙返り最中の彼女と目が合う。
吊り上がった口角に寒気を感じて右に転がり緊急回避を選択。
今までいた場所と避けた軌道上に寸分の狂いなく投げナイフが突き刺さった。
向かい合わせで睨み合い、再び硬直した戦闘。
ハルはチラリと自分の足首を見る。
回避できたとは思ったが、ブーツの皮が先ほどのナイフに割かれ内側の皮膚に線が入っている。
ケイもそれに気づいて目を細めた。
「30秒経ちました。倒すのではなかったのですか?」
「細けェな、リップサービスだよ。ようやく温まってきたところだろうが!」
彼女の挑発を鼻で笑い飛ばす。
上がってきた調子を確かめるようにハルが攻めへ転じた。
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