2 「ゾンビ」
ゆっくりと曲がり角から現れた『それ』は、やはり人の形をしていた。
すり足気味に二足歩行をし、こちらに歩みを進めてくる。
『それ』は黒い模様が前に描かれた白い服を着ていて、袖や裾などのいたるところがボロボロなのが遠くからでもわかる。
「勘弁してくれよ……」
そして服の黒い模様が、無地の白い服にこびりついた乾いた血であることに気づけるほどの近さになり、俺の横にいた椛はとうとう『それ』から顔をそむけた。
逆に俺は、何も言うことができず目も離せないでいた。
『それ』からは眼を離したらいけないと思ったのもあるが、顔をそむけようとしても身体が固まったかのように動かなかったのだ。
『それ』は人なのだろう。
だが、そうだとしたら顔のパーツが致命的に足りていない。
顔の下半分が無いのだ。
下顎があるはずの部分はちぎれかけた赤黒い皮膚がブラブラと揺れているだけで、唇の無くなった口からは唯一赤黒い顔の中で白い上の歯だけがいくつか見える。
『それ』の着ている服の模様は、首の中間まではがれかけている頬の皮膚から垂れている血が描いたものなのだろう。
「椛、顔を背けるんじゃない。ご丁寧に見ただけで生きている死体だと分かる奴が出てきてくれたんだ。今からこいつらの姿に慣れていかないと、この『外』ではずっと顔をそむけて進んで行かねばならなくなるぞ」
クレアは背負っていたカバンの中に手を入れながらも、決して視線は逸らさない。
油断なく相手を見つめるその姿は、悔しいがとても頼りになるものだった。
「つってもよ……。流石にきつすぎるぜ……。今日から俺様はベジタリアンだ」
強がりなのかクセなのか、軽口をたたきながら椛は自身の血の気の引いた顔を『それ』に再び向けた。
「甘えた事を言うんじゃないよ。いいか高希と椛、お前らはこれからこんな姿をした生きてる死体に囲まれながら生存者を探し歩いていかねばならないんだ」
クレアの声に厳しさが含まれだす。
「高希。お前も固まってる場合じゃないんだぞ。今から生きてる死体、『ゾンビ』の特徴と処理の仕方を教える。自分の生死に直結する話しだ。よく聞いておけ」
そしてカバンからクレアは最近よく見るようになった『銃』を取り出し、こちらに歩み寄るゾンビに銃口を向ける。
「まず、ゾンビは眼があまり良くはない。眼が全く見えていないような個体も少なくはない。だがその代わり音・匂いには敏感なようだ。なので処理をする場合は大きな音は絶対にたてるなよ」
そう言いながらクレアはためらうことなく銃の引き金を引いた。
前にいたゾンビの額には小指ほどの穴が開き、ゾンビは頭から血を撒き散らしながら後ろに倒れ動かなくなる。
当然ながらあたりには大きな銃声が響き、そして火薬の独特な匂いが漂う。
「言ってる事とやってる事が違いますねぇ!?」
俺は隣でいきなり銃を撃ったクレアに思わず叫ぶ。
というか耳が痛い! 何でこの人大きな音は絶対にたてるなよって自分で言った後に銃ぶっぱなしたの!?
脳と身体が別々に思考してるの!?
「おい高希。クレアのバカさ加減に驚いてる暇はなさそうだぞ?」
ひきつったような椛の声を聞き顔を前に向けると、2体のゾンビが曲がり角から姿を見せているところだった。
さっきのフラフラと歩いていたようなゾンビと違い、その2体の足取りはしっかりとこちらに向かっていた。
「ほらぁクレアが銃なんか使うからぁ! あと隣で銃を使う時は言えよ! 耳がキーンってなるんだよ! キーンって!」
「うるさいぞ高希。いいか? このように音を立てると周りにいるゾンビを集める結果となり、1を処理してもゾンビが増えてしまうから意味がない。ただ、奴らを遠ざける場合は音に集まるという習性はとても利用しやすい。なので今のうちに高希と椛には爆竹を渡しておく。ゾンビに囲まれそうになった場合はそれを遠くに投げてゾンビの気を逸らすのがいいだろう」
いやに冷静なクレアはそう言うと、カバンから赤色の小さく細長い棒が紐で何個かにまとめられた物とライターを取り出し俺と椛に渡した。
「その赤い爆竹から少し伸びた白い紐に火をつけると5~10秒後に大きな音が出る。ここぞという時に使え。それから音を出さないで奴らを処理するやり方は色々あるが、殺害初心者の高希と椛は簡単な撲殺をするのが良いだろう。頭を硬いもので数十発殴れば大体死ぬ。ただし、こいつらは痛覚と言うものがないらしく痛みでひるむことはない。足を攻撃して機動力を阻害するのも手だが、こいつらは這ってでも私達生きた人間を攻撃してくるので足を潰したからと油断はせずに必ずとどめはさすようにしろ」
そして、クレアは最後にリレーなどで使われるバトンくらいのサイズの黒い筒状の棒をカバンから取り出した。
それをクレアが素早く振るとカシュカシュっと音が鳴り、棒の長さが3~4倍になった。
なにあれかっこいいな!
「『とどめをさす』のは実験で色々と試されたが、やはり効率的で手早いのはゲームや映画と同様『頭』を壊すことだそうだ」
クレアはそう言いためらいなくその棒ですぐ近くにまで来ていたゾンビのコメカミを殴る。
軽くパンッと音がなり、殴られたゾンビは横にかっ飛んだ。
飛んでいったゾンビは頭が陥没していてぴくぴくと倒れた後も痙攣をしていたが、すぐに最初に銃で撃たれたゾンビと同様に動かなくなった。
「ク、クレアは今何をしたんだ?」
椛は今の光景を見て信じられないかのように呟いた。
「普通に1発殴っただけでゾンビを殺すとか凄いよな……」
「……なるほど。あの警棒みたいなので殴ったのか。早すぎて見えなかったぞクソが。高希、お前よく見えたな」
「椛は身体能力だけじゃなく動体視力も底辺だったのか」
ここにきて椛を『外』に連れてくるべきではなかったのではないのかと思い始める。
絶対足手まといでしかないと思うのだが……。
いや、ゾンビに追いかけられたりした時のための囮役としては最適なのかもしれないな。
「よし。あとの1体は高希と椛で何とかしてみな」
「おっ。急な無茶ぶりですね」
クレアってそういう所あるよね。
「俺様はあいつらの見た目が生理的に無理だから近付きたくないし、そもそも近付いただけで死にそうな気がするので遠慮するぜ」
そう言い一歩下がる椛。
いやいやそんな理由でゾンビと戦うことをパスできるわけがないだろうに。
俺だったら椛みたいにすぐ嫌がって逃げる奴にこそやらせるね。
「まぁ椛なら近付いただけで死ぬのは確かにありえるかもしれないな。仕方ない、ほら高希。これを渡すからお前が先に行ってきな」
どうやらクレアは根が素直なようだ。
「いやあのクレアさん? そんな近くの店に買い物に行ってこいみたいな気軽なノリで言われても、俺みたいな一般人には人と同じ見た目をしたゾンビの撲殺とかハードルが高すぎて……あのその血のついた棒を渡そうとしてくるのやめてくれません?」
「何事もやる前はためらうものだが、やりだしたら案外いけるもんだから大丈夫だ」
「案外いけるもんとか言ってますけどこれ広い眼で見たら殺人じゃないですか? いけるもんであっちゃ駄目なんじゃないですか? うわこの警棒見た目よりもかなり重いな」
「おい。駄々こねてるうちにゾンビはもう目と鼻の先だぞ高希。ビビってる暇なんかないぞ」
「そんなこと言うなら椛がやればいいだろ!」
「だから小学生みたいに駄々こねんじゃねぇよ……ってマジもうゾンビ近いからおい高希危ない!!」
椛の必死な声色につられ俺がゾンビの方に振り向くと、確かにもうゾンビは手の届く範囲にいた。
俺から手が届くと言うことは勿論ゾンビからも手が届くと言うことで、ゾンビの所々に傷のあるグロテスクな血だらけの手が俺を掴もうと伸ばされていた。
「はわぁぁあ!?」
俺はビビり、ほとんど反射的にクレアから無理やり渡された警棒でゾンビのこめかみをブン殴った。
すると、ゾンビの頭が爆発した。
……………………
……………………
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ん? ゾンビの頭が爆発した?
「………………………………………………え?」
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