第14話
作戦決行の前日、街の端に位置する大型飛行機までも保管できる巨大な格納庫。その中には大量の武器弾薬や爆発物、必要な装備が詰められたモスグリーンの箱が無数に並び積み重ねられていた。二台のLAVストライカーとハンビー、LーATVが一列に並んで装備のチェックや物資の積み込みが行われている。それら四台の装甲車には全て銃座にM2重機関銃が一門ずつ取り付けられている。
忙しなく動く人たちに囲まれた車列から少し離れた位置、そこには十数人が囲む大きなテーブルに地図が置かれていた。テーブルを強面の男達が囲み腕組みをしながら地図を見下ろしている、皆筋骨隆々で半袖から覗く上腕の皮膚ははち切れんばかりの筋肉で盛り上がっていた。
地面に捨てた煙草を踏み潰してから歩み寄るニーナがその重々しい雰囲気の面々に加わった。
彼女の姿を確認したベクターが車椅子をテーブルの傍で止めた、同時にテーブルを囲む者たちが一斉に彼を見る。
「みんなよく集まってくれた、これから明日の作戦について説明する」
ベクターの言葉を合図に傍で控えていたオスニエルが二枚のホワイトボードをベクターのすぐ後ろに移動させた、ホワイトボードには街と発電所、そしてそこまでの移動経路が細かく書き記されている。
「今回の作戦はとても重要だ、君たちもそんなことはわかっているだろうとは思う。それでもこの作戦の成否によって我々の命運が掛かっているということは絶対に一時も忘れないでほしい」
高らかに大声で話し始めたベクターは一旦言葉を切って集まった者たちの顔を見渡す、車椅子の彼には全員まで見ることはできなくとも見た限りでは誰もかれもが神妙な面持ちで彼の言葉を聞いている。
「現在発電所の障害によって送電が停止し、防壁自動製造工場も稼働できなくなっている。街を並び囲む防壁は未完成で足りていない、現在は資材をかき集めた簡単なバリケードを設置してある。だが明後日の日の出頃、千を越える感染者の群れがこの街に向かっているのがわかっており、間違いなくそんな程度のバリケードでは一瞬で破られてしまうだろう。連中は濁流の如くこの街に雪崩れ込み、街の中で千から二千、三千と増えて我々を根絶やしにする」
彼の言葉を聞いて不安に駆られ呟き話し始める者は居ない、だが彼らの見つめる目が一層厳しく細められ、息を呑む音が微かに漏れていた。皆の様子を見るベクター、中でも一番不安げで落ち着かない様子のオスニエルが彼の傍で立ち続ける。
「だからこそ我々は発電所を復帰させて一刻も早く防壁を完成させる必要があるのだ。この作戦の概要は単純だ、明日の日の出と同時に護衛部隊と技術者が乗り込んだ装甲車の車列で出発、発電所に向かう。発電所の正面ゲートを潜り抜けると入り口前には大きな駐車場が広がっている、多数の放置された車や廃材が散乱しているので邪魔になるだろうがストライカーで道を開け、正面入り口を中心に扇状に車を停車させる。それから運転手と射手だけを残して部隊は降りて発電所に入る。入り口に残った装甲車の部隊は非常時に発電所に近づいてくる感染者を迎撃してもらう、発電所への侵入を許すわけにもいかないし、車も絶対に死守しなければ撤退もできなくなってしまう。もし連中が大量に押し寄せてくれば車は横転させられてしまうだろう、銃座の五十口径が頼りだ」
作業員の手によってストライカーの銃座に取り付けられているM2の左側面、そこには百発の12.7mm弾を繋げた弾薬ベルトの詰まった弾薬箱が置かれている。
「発電所に入ってからは真っ先に管理室に向かってもらう。ドアは全て前回の部隊派遣時に解除されているのでロックされて入れない場所はないはずだ、だが前回の戦闘で爆薬が使用されたこともわかっているので、もしかしたら崩落などで使えない通路があるかもしれない、そういう場合は現場の指揮に任せる。時間があれば回り道をする、それか最悪君たちも爆発物でこじ開けてもらうこともあるだろう。管理室に入ってからは発電所内の修復場所を特定してもらう、すでに調査した結果現在の送電不良の原因は工場にも送電線にもないことが確認されている。技術者たちによれば数か所の予想される場所があるらしいが、全てを回っている余裕はないので管理室で特定してから向かってもらう。だが特定作業と同時にシャットダウンしている施設内の監視カメラも再起動させ、施設内の状況を可能な限り調べて使えない道や感染者の姿を確認できれば記録する」
手に持ったレーザーポインターで発電所の地図の管理室を指し示すベクター、ホワイトボードには発電所の各階を見下ろした図が描かれている。管理室は三階の奥まった位置にあり、管理室から施設内をカメラで確認する前にだいぶ移動する必要があると、ニーナは地図を頭に刻み込みながら思った。
「街から発電所までの道には目立った感染者の群れといったものは確認できず、恐らく発電所までの道は問題ないだろうと私は考えている。だがこれだけは注意してほしい、前回の街への送電を可能にするための調整に派遣された部隊は壊滅して一人も帰ってきてはいない、あの施設内には間違いなく感染者が複数潜んでいることが分かっている。なるべく隠密に感染者を排除しつつ施設内を進み、必要な場所を確認、修復してから帰還するのは大変な作戦になるだろう――」
作戦説明が進む中、各人の眼は鋭利に細められて白目に浮かぶのは半円の虹彩、太い丸太じみた張った筋肉に覆われた力む腕には血管が浮かぶ。
「施設を出る段階で問題が無ければそのまま帰還、もし激しい戦闘が発生するなどして感染者に追われながらの脱出となれば別のルートを使ってもらう」
ベクターは隣のホワイトボードを指し示す、街と発電所の周囲が描かれていた面は裏返されてさらに倍率の低い広範囲の地図が描かれている。そこには発電所から街への一直線の道筋ではなく、大きく回り道をして山道を抜けて橋を通ってから街に戻るルートが引かれていた。
「感染者に追跡されているのであれば街に真っ直ぐ戻るわけにはいかない、だから一旦西に向かってもらって遠回りして橋を抜け、そこで爆薬を使って橋を落として感染者の追跡を振り切ってから帰還することになる。橋の下自体はそこまで深い谷ではないが落ちれば人間と同じ耐久力の生物なら死ぬ」
ポインタを消してベクターは正面に向き直る、そしてもう思うように動かせない大腿にきつく爪を立てた。
「ここまで危険極まりない作戦、俺自身も同行したいがこのザマでは邪魔にしかならない、だから君たちをそんな死地とも言える場所に送り込むことになってしまい本当に申し訳ないと思う。だが我々も全力で指揮を続けて可能な限りバックアップする、持ちうる全ての武器と弾薬を君たちに託す。だから必ず作戦を完遂させてくれ、君たちにこの街と住人の命が掛かっている。作戦の決行は明日の七時だ、それまで休息をしっかり取って万全の状態で臨めるようにしてくれ。以上だ」
――
レイとニーナが使っているホテルの一室、外からの夜風が窓を震わせる音も無い静かな空間。
微かに聞こえるのはベッドの掛布団に包まって横になるレイの呼吸と、ニーナが空にして破損が無いか確認したマガジンをブラシで軽く掃除してから弾丸を込める音。ポリマーからなるPMAG、真鍮製の薬莢との軽い摩擦音だけが二人の耳に入る。
ニーナにはもう呼吸の音、それに背中を見るだけで寝ているかどうかがわかるようになっていた、だが彼が寝たふりを続ける理由まではわからずその点を言及することはできずにいた。それでも彼女は静寂の夜に言葉を紡ぎ出す。ぼんやりとしたランプに悲し気な横顔を照らされ、手元の煌めく弾薬と光沢の無いPMAGを見つめる。
「何故だかレイと出会ったばかりの頃を思い出すんだ。隠れていた君の目は本当に怯えていて、だけど私は喜びを感じていたあの時を」
ニーナから見て死角となっている中、レイの開かれた眼は暗闇に浮かぶように反射して煌めいていた。
「皆死んだ、死なせてしまったと思っていた私にとって、君の生存は奇跡だった。たった一つの救いとなった奇跡、私には十分すぎる程の幸せの種」
レイは体を捩らせて振り返ろうという考えが脳裏に浮かぶ、だが歯を食いしばり瞼を細めて眉間に力がこもる彼は身じろぎ一つできない、彼にはもう自分からニーナの顔を見て、目を合わせることができなかった。
凌辱の感触と記憶は溶け出した飴の様に絡みつき、冷却された溶鉄のように硬く彼の心を封じていた。
「君と一緒に過ごした日々は決して色褪せない大切な思い出だ。夢の中の微睡みの様な甘く手放せない記憶――君の笑顔、頬に触れた時の柔らかさ。君が触れてくれた時の温もり、君が耳元で言葉を紡ぐときの息が私の髪や耳を撫でる感触。想像すらできなかった世界が、君が表れて現実になったんだよ」
毛布を握りしめる手が痛む、涙すら目に浮かべ始めたレイはきつく目を瞑った。
「目は醒め、夢は終わる。私の目はとっくに醒めていたはず、自分の手で夢を終わらせて現実とこの世界に目を向ける頃なんだろうな」
脱力させて肩を撫でおろしたニーナの目は明かりでキラキラと輝く、艶やかな眼球の表面がぼんやりと反射する。安心し果てた彼女の表情が幽霊の如く暗がりに浮かぶ、視界のどこにもかつての死者が浮かばない、見つめてこないことに安堵の小さな笑みを見せた。
そして再び彼らと目を合わせることにも不安を感じることが無くなっていた、ニーナはその自覚だけで自分を励ませる気がした。
――
太陽がまだ姿を完全には晒していない早朝、薄暗い空が残る中格納庫内では発電所に向かう部隊が準備を進めている。護衛部隊を務める隊員たちはマガジンに弾薬を押し込んでいき、それからチェストリグを身に着けてマガジンポーチに押し込んでいく。両腕には強化プラスチック製のプロテクターを装着する、襲われた人間は咄嗟に顔を守ろうと腕を突き出すことが多いので、特に右前腕を感染者に噛みつかれてしまうのだ。そして隊員の数名は家族や恋人の写真をチェストリグのポーチに差し込む、彼らには銃を万全に動かすための弾丸と同じくらい、己を支障なく目的に向かって奮い立たせる上でそれは必要だった。
技術者たちも持ち込む修復用機材を何度もチェック項目を見ながら確認する、精密機材が多いので緩衝材を詰めたバッグに詰め込んでいく。
装甲車の運転手と射手は車の動作チェックと銃器のチェックや積み込んだ弾薬の数を調べる。装甲車の側面にある必要のない溝にはパテが流し込まれて感染者が掴んでよじ登れないようにされていた。
護衛部隊の隊員たちが各々の装備を準備する幾つかのテーブルの中、ニーナもまた準備を進めている。弾丸を限界まで詰めたPMAGをクリップで二つ繋げた物を用意し、他の一本だけのPMAGをチェストリグとレッグリグに差し込む。PMAGは四十発装填できるものにエクステンションを装着させることによってさらに六発追加していた。腰に取り付けたポーチにはMEU用マガジンを三本、レッグリグに二本押し込んだ。
MEUを手に取ってスライドを一度引いてからマガジンを装填、もう一度スライドを引いてから薬室を確認すると腰のホルスターに収める。
次にM4A1を掴んでマズルに取り付けられたAAC製M4-2000サプレッサーがしっかりと固定されているかをきつく握って動かして確認。チャージングレバーを引き絞る、それから二本を束ねたPMAGを差し込むとレバーを引いてダストカバーを閉じた。EOTECHホロサイトとM720Vライトの動作を確認し、スリングを取り付けて首から掛けた。
さらにテーブルに置かれていたB&T製VP9を手に取る、9mm弾が五発込められたグリップと一体化したマガジンを差し込み、長い筒状のバレルの後部をボルトアクション形式で回転させてから摘まんで引き、それから戻してまた回転させることで初弾が薬室に収められた。そして最後に荷物を詰めたバックパックを背負う。
「第一分隊第二分隊はストライカー、第三分隊はLーATVに、メカニックたちはハンビーに乗れ!」
その号令を合図に全員が一斉に車に向かっていき、ストライカーであれば後部ハッチから九人の分隊が次々と乗り込み、既に運転手と射手の二名が乗り込んでいるハンビーとL-ATVの後部に技術者たちが座っていった。素早く全員が無線に支障がないか通信して確認、各分隊の分隊長が部下の名前を呼んで確認。作戦の直前作業で各々の緊張感が増していく、誰一人無駄口一つ叩かずに通信と装備や車両設備をチェックする。
「各分隊長、報告を」
ベクターの声が車に乗り込んでいる全員の耳に嵌め込んでいるインカムに流れ、各隊長が問題ないと報告をし、同時にベクターと司令部との通信に支障がないことを確認する。
「準備は整った、これより作戦を開始する。幸運を祈る」
緩やかかつ重々しく力強い車列が動き出すと格納庫を出て街のゲートに向かっていく、大通りを走り抜ける車列を家々の前に立つ者たちや作業を進めていた者たちが手を止めて静かに見つめる。かつて行われた国の威信をかけた大規模な戦争に向かう兵士たちを見送る国民のような歌声や掛け声は無い、それは街と自分たちの命や未来そのものを背負った者たちを見送る彼らにはただ圧し掛かる不安があまりに強かったからであった。
そして車の中で静かに銃を抱え、装備を抱えて座る者たちもまた目に浮かぶのは不安とそれを押し込めるような不屈の意志という炎。
やがて街を駆け抜けた車列が次々とゲートを潜って外へと飛び出していく、その姿をゲートの内側に立つ残された銃を抱える警備部隊の隊員たちと、車椅子をオスニエルに押されているベクターが見送る。
車列はすぐに南の方向に伸びていく道路に入って走り抜けていく、前を走る二台のストライカーが車道に放置された廃車や障害物を弾き飛ばしていき、その後をハンビーとL-ATVが付いていく。吹き飛ばされた廃車が錆びと破片を撒き散らしながら甲高い摩擦音と共に車線の外へと転がっていく。射手は街を出てすぐ銃座に上って周囲を警戒し、気が付いたことを随時分隊長と司令部に報告をする。
廃車や白骨死体が散乱し乾いた血がこべり付いた地面を疾走する車列、後方へと流れていく周囲の風景はひたすらに雨すらしのげないであろう廃屋や剥き出しの岩肌に雑草が生い茂ったもの。少し目を凝らせば見えるのは缶詰や紙くずに衣服といった、人がこの一帯で生活していたことが推し量れるようなもの、しかしそれらの近くにはその最期である白骨死体や血で汚れ果てたテントといったものも多く目についた。
「見えてきました、目的地のハイペリオン発電所です」
先頭を走るストライカーの銃座についていた射手が双眼鏡を覗き込みながら司令部に報告する、オープン回線でその言葉を聞いた派遣部隊の隊員たちの数人が顔を上げた。
直径10メートル以上はある太い二本の送電線が束ねられて伸びる果てにそびえ立つ巨大な実験場を兼ねた発電所、野原に広がる無数の大きなソーラーパネルを背後に従え、極端に窓の少ないまるでブロックを積み上げた様な灰色の建物。地上から見えるだけでも五階まであるその施設は大きく、その内部も広いことが見て取れたが地下には実験施設が広がることから想像もできない程の広大さを内包しているのだった。発電所からは細い電線も四方八方に伸び、それらを鉄塔が受け止めてさらに先へと引き渡していたが、その殆どは断線して力なく垂れ下がっている。
すると司令部で通信を聞いていたベクターが話し始める。
「ハイペリオン総合大規模発電所、タイタン・マテリアル社が独自の大出力発電と機密に当たる大規模な実験を行うために建設したとされる総合技術開発施設。パンデミック以前は職員数が五百人以上いた言われている、そしてパンデミックが発生し国内が混乱状態に陥ってからも稼働していたことが知られていた。それ故に軍や警察が率いた難民たちが避難した、だが最後は感染者の襲撃によって壊滅したという。そして我々が先に派遣した部隊は一人も帰ってくることが無かった。だが今回は任務を終え、全員生きて帰ってくると俺は確信している。頼んだぞ」
「射手は周囲を警戒しろ、動くものがあればすぐに報告。感染者であれば迅速かつ静かに排除するんだ」
ぽつりぽつりと並ぶ街灯が続く殺伐とした道路を疾駆する車列。道路を左右から飾るのは細々としたくすんだ黄色の雑草や骨ばった剥き出しの枯れ木、そして家具をくくり付けられたまま放置された乗用車や横転した救急車。滅びと混沌を物語る風景に囲まれて進む車列だったが、やがて彼らの眼前にハイペリオン発電所が全貌を晒した。曲線が殆どない武骨な管理棟を含む建物が入り口前に広がる駐車場を見下ろしているかのようであり、駐車場は軍の大型トラックやニーナたちと同タイプのストライカー装甲車やハンビーも荒れ果てた、焦げ果てた姿を残していた。
『ハイペリオン総合大規模発電所』と書かれた血濡れの看板を通り過ぎて嵐に見舞われたように砕け散った守衛所の残骸を踏み潰していく、そして彼らは車両が八百台は駐車できる広大な駐車場に入っていった。だが駐車場は発電所の入り口を中心として放射状に止められていた車が見られ、その殆どが破壊されて潰れ、横転した見るも無残な有様。
骨片や引き裂かれたバッグから飛び散った衣類が地面にこべりいている中、車列は蛇のようにうねりながらも列を一切崩さず入り口に向かって進んでいく。
骨組みのみになった廃車をストライカーが踏み潰してからL-ATVが弾き飛ばした末、入り口の前に扇状に車列は停車した。
「行け行け行け!」
ストライカーの後部ハッチが開かれるのと同時に分隊長の言葉を合図に隊員たちが次々と降りていく、先に降りた者は外に出てすぐ銃を持ち上げて周囲を警戒し、その背後を通って後続の者が銃を携えて広がる。
最後に降りた分隊長が素早く入り口に向かって行き、隊員たちも車から離れてそれに続く。残された車両四台で運転手と射手が発電所に踏み込んでいく彼らの背中を見送った。
かつては透き通ったガラスの自動ドアがあった場所はガラス片が散乱し、ただのぽっかりと開いた入り口となっていた。ニーナ達はその入り口の左右の壁に沿うように並び、先頭の分隊長がカッティングパイ方式で入り口の先を覗き込んで半円状にサイト越しの視線と射線を走らせてクリアリングする。それから分隊長が室内に進み続けて分隊長とは反対側に隊員が踏み込む、それを最後の人まで続けて発電所のエントランスに広がっていった。
第一分隊第二分隊の隊員たちが先に踏み込んで安全を確認してから合図をし、それから第三分隊に囲まれた技術者たちが施設に入る。
エントランス中央に五人は控えていられるであろう大きな受付があり、一階から二階まで吹き抜けとなっていた。壁沿いには汚れ損壊したソファやテーブルが残っている、強化ガラスであろう二階の壁に嵌め込まれた窓には弾痕が穿たれているのが見えた。壁にはクリーンエネルギーやら新技術云々と書かれたポスターがかろうじて剥がれかけながらも残る、二階の天井から吊り下げられた幾何学的シルエットの照明は半部以上が脱落して地面に転がっている。ほとんどの照明は壊れ果てていたが、最低限の電力は供給されているのか完全に真っ暗と言うわけではなく、所々には生きている照明が弱々しく光を放って施設の惨状を照らしている。
隊員たちは素早く隊列を組みなおしてエントランスから伸びる廊下に入っていく。エントランスから廊下に入ってすぐの場所にはエレベーターがあるが、インジゲーターは何も表示しておらず、一基は半開きで完全には降り切っていない。
彼らはエレベーターを無視して一列に進み、打ち壊された防火壁を通り過ぎて開け放たれたままの階段へのドアを潜る。奥に進めば進むほどに内部は荒れていくのが目に見えて明らかだった、入り口にも土嚢らしき袋や腐敗した土が散乱していた。
壁に刻まれた弾痕や塗りたくられた血が増えていく中部隊は階段を上がっていき、真っ直ぐに伸びていく廊下に踏み入る。天井に埋め込まれた長方形の照明は一部崩れ、廊下に点々と見えるドアはどれもが蝶番から引き剥がされたり廊下に転がっている。外よりは気温が低く雨風に晒されることもない施設内部で見つかる無残な死体が段々と増えてきた。
第一、第二分隊は廊下の左右それぞれに沿って進み、第三分隊と技術者たちはその後方で廊下の真ん中を進んでいる。
死体の殆どは感染後に死んだものが多く、激怒し殺意を滾らせて吠え上げたままの表情で時が止まっている。その身なりも主に血によって汚れ、被弾して流れ出た流血は判別ができる程に比較的赤みを残している。天井から吊り下げられた非常口案内板を数度通り過ぎつつエントランスに向かうニーナ達だったが、徐々に死体が踏みつけざる負えない程に数が増えていく。
案内板のように無視するわけにもいかない幾つものドアの奥に広がる部屋の一つ、第一分隊を指揮するニーナは先頭を進みながらもそのドアに近づくと左拳を持ち上げて停止の合図を出し隊列を止める。すでにドアが無くなっている部屋への入り口沿いの壁には『B-1第二会議室』という札が嵌め込まれていた。
彼女はドア縁からやや身を引いてから覗き込み、同時に持ち上げたライトを点けたM4A1の銃口から伸びる射線も差し込んでいく。
大きな窓を隠すように吊り下げられたブラインド、その殆どは解れ垂れ下がったボロボロの状態で既に役目を果たせず、窓からの日差しを通していた。その不規則な日差しに照らされた薄暗い会議室は中央に大きな細長い丸テーブルが置かれ、その周りに肘掛けも付いた椅子が並んでいる。回転することができる椅子はどれもがあちらこちらに向いてその位置もバラバラ、いくつかは倒れ、壊れて背もたれが分離していた。
テーブルは床に固定されていたので動いていなかったが、その上に設置されたテレビ電話用の機器は破壊され、さらに三体もの死体が鎮座してその体から垂れ流されていた血がケーブルと交差してテーブルの上でストライプの様な痕を残している。
プリズムから放射される光線を思い起こさせるような淡い光が差し込む部屋の中、太陽が如何なる高さに上ろうとも光が届かぬ暗い影に薄っすらと人影が浮いていた。耳を澄まして聞こえてくるのは苦し気な呻き声、だがそれは身を滅ぼす程の限界を振り切った怒りを抱いた身から漏れる声であった。
人影に気が付いたニーナは素早くハンドガードのスイッチを押し込んでライトを消し、部屋に差し込む光の反射を頼りに目を凝らしてホロサイト越しにその影を見つめる。
微かに震えるその人影に見えていた男性の感染者は、黒いスラックスを履いて薄く縦のストライプの入ったシャツを着ていた。体のあちこちは血で汚れてその部分は一層暗闇に溶け込んで見える、ぼさぼさで汗と血がべっとりと固まった髪はどす黒く錆びた針金のようだった。
ニーナはフォアグリップから手を離してM4A1を脇に退かし、ピストルグリップからも手を離すと脇にそっと下げる。そしてベルトに挟み込んでいたVP9を掴み出してグリップセーフティ―を押し込みながら両手で握った。音も無く一人で部屋の中に進んでいきながらVP9を握った右腕をまっすぐ伸ばし、左腕は肘をやや曲げるウィーバースタンスで銃を構える。彼女が部屋に入るとその後ろに並ぶ隊員二人が進み出て入り口の左右に立ち、部屋の中に銃口を向けて警戒と援護をする。
迷いなく滑らかな脚運びで感染者の背中に近づくニーナ、ブーツは足音が鳴らないようにと地面に降ろす時と離れる時はゆっくりと、そして宙で足を動かすときは素早くといった動きで静寂を保ちつつ素早く歩く。やがて彼女はあっという間に感染者の背後に立った、それからすっと躊躇ない動きでVP9の銃口を上向きに後頭部の下で首の付け根に寄せる。
彼女はまるでその流れを数百回、数千回繰り返してきたかのような滞りのない動きで感染者を見定めてから距離を詰め、そして引き金を引いた。
パチンという張りつめた枝の折れるような銃声が発せられる。発砲炎すら見えない銃口から飛び出し、亜音速に抑えられた9mm弾が感染者の首の付け根に孔を開けた。5mm前後の厚さの頭骨に丸い穴を開けながら小脳に突き刺さった弾丸は脳幹の上部を直接抉り砕き、さらに突き進んで額に星形の射出孔を穿って真っ赤に染まった白くブヨブヨとした脳片と共に飛び出して天井にめり込んだ。
頭を撃ち抜かれた感染者は糸の切れた人形のように膝を折って崩れて倒れ始める、それをニーナは背後から抱きかかえる様に受け止めて、ゆっくりと慎重な動きで音を立てないように床に降ろした。横たわった感染者の見開かれた目の上、額に刻まれたやや回転したX字のような射出痕から赤黒い血が滔々と流れだす。
それから隊列は行進を再開する。
二列で廊下を静謐に進み管理室を目指す部隊はその道中、部屋を全てくまなく調べて感染者を見つければ一方的に始末していった。
散らばる書類や持ち込まれた物資の残骸を踏み越えていき、やがて彼らの目の前に『中央管理室』と書かれた札が目に入った、だがそれは壁にではなく砕け散って床に転がった壁らしき破片に嵌め込まれていた。管理室の入り口が爆破されてその入り口自体が消滅し、大きく歪な円状の穴が開いている。その周囲には焦げた死体と爆発で飛び散った破片や衝撃でズタズタに引き裂かれた死体が散乱し、辺りの残った壁には蜂の巣の如き無数の弾痕が彫り込まれていた。
慎重な動きで天井の一部すら欠けている大きな穴に近づいていき、ニーナと第二分隊の隊長が管理室を恐る恐る覗き込む。
管理室はPCや操作盤が設置された机が三列並び、それらを操作する人間全員が見上げることができる大型のモニターと中型のモニターが壁一面に敷き詰められていた。
机の上のPCや操作盤は紙束に埋もれた物もあれば配線や基盤が剥き出しになる程に壊れたものもあった、ゆっくりとした足取りでライフルを構え、照準を覗き込みながら管理室に入って内部を調べるニーナ達だったが、やがて大穴から一番離れた対角線上の壁に黒い塊を見つける。それは元々は数十の人間だったのであろう焦げ付いた肉塊だった、凝縮されたと形容するほかないその人の塊は燃えて固まり冷えた溶岩のようになっている。
「クリア……。ここだな、エンジニアたちはさっさと作業を始めろ、こんなところ一秒ごとに10年寿命が縮みそうだ」
ニーナの乱暴な物言いに苦言を呈するものはおらず、技術者たちはPCや操作盤に向かってから素早く起動して動くかどうか状態を確認する。虫の羽音の様な機器のファンが回る音が鳴り始め、幾つかのモニターが明るくなる。その間この場所に待機することになっている第三分隊は先遣隊が残したのであろう小さなコンテナや弾薬箱をチェックしていく。
やがて壁の大型モニターが点き、地下に広がる施設の地図が表示された。
ただ白い線と数種の明るい色の点だけで構成された地図だったが、一目でため息をつきたくなるような広さであることがわかる。しかも点滅する損傷やエラーといった文字表示は多く、それはもはや地図の半分を覆い隠すかのような数だった。
「基本的な機能は生きていますが、やはり施設全体の損傷が酷過ぎます」
技術者の一人がPCを操作しながら苦々しく語る、すると大型モニター上から損傷やエラーといった文字が消されて地図全体が見れるようになった。
「自己診断プログラムを起動していますが想像以上にエラーレポートが膨大です、ただやはり外部への送電に致命的な問題があるので緊急停止機能が働いたようです。現在該当箇所を検索中です」
大型モニターは技術者が操作している画面を直接出力しているのか、操作状況がリアルタイムで流れる。損傷地点の検索が始まると検索済みログが濁流のように下から上へと流れ始める。検索中の場所を示すポインタが地図のあちこちで点灯し、目まぐるしく地図上でうごめいていた。するとログの流れが止まり、一旦消えるとエラー番号とその場所やエラー概要を含む数十の文字列が画面上で表示された。
「これは……やはり地下の送電分岐装置が問題のようですね、しかし分岐装置のある部屋が広すぎてここから故障個所を特定できません。この部屋まで行ってそこにある装置で調べる必要があります」
大型モニターに地下施設の一部がズームされて画面いっぱいに表示される、幾つかの大きな部屋が並んでいるのが見え、その一つが赤くシルエットを囲うようにマークされて点滅していた。左端に映っているのは『地下二階、第一送電管理室』。
「わかった。第三分隊はここで待機、一刻も早く監視カメラを復旧させてここを保持していろ。我々第一第二分隊とエンジニアたちで地下に向かう」
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