百目のライザー

「ぐぅおぉ……頭が、頭が痛ぇよぉ……」


 苦悶に満ちた顔をしながら体調不良を訴えるのは酒場の主、ギーハだ。

 どうやら昨晩飲みすぎたツケが回ってきたらしい。


「酒場の主のくせに酒に弱いってのはどうなんだ? つーかキツイなら無理に付き合わなくていいんだぜ」


 呆れ果てたようにファイナーは呟く。実際はギーハが特別酒に弱いのではなく、ファイナーが並外れて強いというだけの話なのだが、その思考には至らないようだ。


「俺が弱いんじゃなくてお前が強いんだよ……相変わらずどうなってんだよお前の身体」


「知るか」


 ファイナーはぶっきらぼうな返しをする。不機嫌になったわけではなく、自分の体質に関心が無いというだけの話なのだが、この思考回路を読み取れるのはギーハくらい付き合いが長くなければ難しいだろう


「本当に自分の事には無頓着な奴だな……じゃ、酔い醒ましに一つ、百目のライザーを殺ったときの話をしてくれや。お前が手こずる相手ってのは久々だからな」


 好奇心に溢れた眼でファイナーに話し掛けるギーハ。打算などは微塵も考えていない、純粋な瞳だ。


「……手こずるつっても、単純に面倒くさかっただけの話なんだがな。まぁ、気になるなら話はしてやるよ。アンタの斡旋する仕事が少しでもマシなものになる事を願って、な」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……さて、ここらへんだったか。標的が普段通る道ってのは。アイツの持つ能力を考えるなら……まぁ当然の選択か」


 ファイナーが居るのは王国シャロンの首都の噴水広場だ。地下には豊富な水源がある上、安定した地盤を持つため、資産を持つ人々に人気の住宅街だ。だが、現在は国家から警戒令が出されているため、普段は穏やかながらも活気付いている噴水広場は静まり返っている。


「魔力探知に物体の瞬間移動テレポート……そりゃ200万ゴールド払ってでも仕留めなきゃならないだろうな。この地下水源に毒薬を瞬間移動テレポートさせれば何百人も殺傷可能な、クソみてえな魔法だ」


 だが、ライザーには強力な魔力探知がある。故に近付いての殺害は魔術師には不可能に等しい。対する保安魔術師も無策なわけではなく、感知が不可能な程の遠距離、数字にして2マイルは離れた位置から炎魔法と火薬、鉄の弾丸を用いた鉄砲による狙撃を試みた。数多の学者が飛距離と減衰を計算し、確実に命中させる為に苦心した。だが、その狙撃が届くよりも前に弾丸に込められた魔力を感知し、ライザーは瞬間移動を行い逃亡した。幸いにもライザーによる犠牲者はこの時は出なかったが、この狙撃に失敗した事実を重く受け止めた事により、保安魔術師本部はファイナーへ依頼することを決断したのだ。


「具体的な経歴は……ええと、主に複数の若い男を拉致し、生きたまま体内に熱湯や鉄クズを瞬間移動テレポートさせた、だって? 気色悪ィな。つかなんで若い男に限定してるんだ

 ……? いや、想像するのはやめておくか」


 保安魔術師からギーハ経由で渡された資料を眺めるファイナー。他にも青少年や動物の虐殺などといった罪は重ねているようだが、ファイナーは精神の安定のためにこれ以上読み進めることを断念した。


「相変わらず指名手配犯の思考回路は分かんねぇな。分かりたくも無い」


 そう呟いた瞬間、ファイナーの背に悪寒が走る。何かが起こる……あるいは、


 ファイナーは噴水広場の直ぐ近くの路地裏の陰に飛び込む。背負っていた大太刀は既に腰に据えており、その柄には手が掛けられていた。


 ……(何処にいるかは分からない。だが、


 ファイナーは自らの悪寒を最大限に信じている。この悪寒がした時、最も生存確率の高い選択を取ることによってこの世界を生き延びてきたのだ。

 つまり、百目のライザー相手にファイナーが生き延びるには、物陰に隠れる事を選択せざるを得ないということである。


 そして百目のライザーは噴水広場に忽然と現れた。醜く出っ張った腹にお世辞にも綺麗とは言えない身形。そして目を引くのは全身を覆う赤色の服……否、その赤色は人の血が固形化したものによるものであり、実際の格好は全裸であった。

 ライザーは下品な笑みを浮かべながら広場中央の噴水へと歩き出す。ある程度近づいたと思えば、手を噴水に掲げた。

 その瞬間、美しい透明色の水を噴出していた噴水は、おどろおどろしい鮮血を噴出していたのだ


「ケケケ……やっぱ男の血のほうが一人あたりの量が多くて堪んねェなァ。澄ましてる連中共はこれを見たら腰を抜かすだろうなァ〜。グヒャヘェへへへへ!!」


 この光景を路地裏の物陰から目撃したファイナーは思わず顔をしかめる。


(悪趣味過ぎるだろ……まさか地下水源に死体を放り込んでないだろうな? しばらくここら一帯の水は飲みたくないぜ……)


 物陰から物陰へと移り、少しずつ離れながら機を伺うファイナー。このまま突っ込んでも瞬間移動テレポートの魔法を扱うライザー相手には逆立ちしても勝てないからだ。


(さて、どうしたもんかな。この路地裏はどうやら物置代わりになっているから遮蔽物は多い。今俺の居る位置から奴の居る噴水までの距離は……少なくとも走って近付いたら気付かれる距離ではあるな)


 右手で柄を掴み、左手で地を擦りながら慎重に後退する。緊張のせいか、ざりざりとした石畳や、転がっている小石の触感が敏感に手を伝ってくる。

 ここでファイナーは、ここで一つの案を思い付く。


(警戒心が強いなら、この手が通じるか?多少は運が絡むが……まぁ大丈夫だろう)


 ファイナーは転がっていた小石を噴水広場の方へと放り投げる。ライザーはその音に気付き、音がした方向へと視線を移す。そこには路地裏があるのみで、他には何もない。普通の人なら風が吹いたのだと考え、気にも留めなかっただろう。だがライザーはそうではなかった。

 のそり、のそりと倦怠感を感じさせながらファイナーが潜んでいる路地裏へと歩み寄る。


(やはりな。こいつは移動手段の全てを瞬間移動テレポートに頼っているわけではない。明確な理由は分からんが、短い距離なら瞬間移動テレポートよりも徒歩の方が負担は少ないようだ。そんな醜い身体を動かすこと以上に負担が大きいとはとても思えないがな)


 一つ目の物陰にライザーは近付く。下卑た笑みを浮かべながら、ライザーは物陰を覗き込んだ。

 ファイナーが潜んでいる物陰は二つ目の物陰だ。ファイナーにはまだ少しだけ時間が残されている。


「おやぁ? 誰も居ないのかな? 大丈夫だよ〜怖いことはしないよ〜。さあ出ておいで、お兄さんと一緒に遊ぼうよ」


 親が子をあやすような、甘さと甲高さを感じさせる声で物陰に呼びかけるライザー。どうやら動物や子供が居ると考えているようだ。

 だが、その顔には腐った性根が隠れ切ってはおらず、醜く歪んだ笑みが浮かび上がっていた。


(気持ち悪ッッッ! なんだあの猫なで声!? 夢に出てきそうなレベルで気色悪ィ!!)


 思わず鳥肌が立ちそうになるファイナー。先刻読んだ経歴に記されていた"若い男を拉致する"という文言を思い出してしまう。


 そしてまたゆっくりと、しかし確実にファイナーの潜む物陰へとライザーが近付く。



(……どうやら警戒心は既に薄くなっているようだな。それもそうか、こいつの魔力探知に何も引っかかって居ないなら、魔術師は存在していないと考えるのが当然。警戒令によって誰も居ない今の住宅街に残っている生き物なんて逃げ遅れた子供か、動物くらいだと考えるのが普通だ。まさか魔術師でもない人間が牙を向けるなど、こいつさえも想像さえしたことはなかったんだろう)


 ライザーが歩を進める。ファイナーの潜む物陰を覗き込める距離に到達するまで、おおよそ5歩。


(だが……)


 4歩。


(その油断こそが俺の付け入る隙になる!!)


 ライザーが3歩の距離まで歩もうとした瞬間、ファイナーは物陰から猛然と飛び出し、右手に握っていた大太刀を抜刀する。


 飛び出して来たファイナーを見て、ライザーには3つの感情が浮かんでいた。


 一つ目は歓喜。成人男性がこの街に居たということ。

 二つ目は疑問。なぜこの男は自分に向かってくるのか。

 三つ目は驚愕。自分に向かってくる理由を察したこと。

 そしてライザーが攻撃に移ろうと思考を切り替えようとした瞬間、全てが決着した。

 ファイナーの放った目にも留まらぬ居合斬りがライザーの喉頭隆起のどぼとけを血管もろとも斬り裂いたのだ。

 ライザーは瞬間移動テレポートを使う事も出来ぬままに意識を失い、鮮血が路地裏に飛び散った。

 ファイナーは、ライザーの首から飛び出す血を正面から引っ被らないよう、後ろに大きく跳びながら納刀する。


「仕方無いとはいえ、喉を斬ると血が吹き出て仕方無い。だが骨を斬れば刃こぼれするし、こればかりはどうにもなんねぇよなぁ……」


 後頭部をポリポリと掻きながら愚痴る。血が付着すれば錆び、骨を断てば刃こぼれをしてしまう。故に切先を的確に喉頭隆起や後頸部に命中させ、付着する血の量を少しでも減らそうとした工夫がファイナーの迅速・高精度の居合斬りを確立させたのだ。

 切れ味が殺しの成否に直結するからこそ、ファイナーは仕事道具である刀を大事に扱う。鞘から外すなんて以ての外だ。


「さて、事が済んだら保安魔術師が来るらしいな。とっととお暇させてもらうか」


 そうしてファイナーはその場から離れる。今彼の頭の中にあるのは、気心の知れた仲間の営む酒場での晩酌のみだ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「とまぁ、やってることはいつも通り不意打ちだ。ただ大太刀のリーチによるアドバンテージがほとんど取れない上、困った時は逃げ出すってのを考えると精神的にはかなりクる仕事だったぜ……」


 心底疲れたという顔をするファイナー。話を聞いてるうちに酔いが冷めたのか、ギーハは意地の悪い顔をしながらファイナーに語り掛ける。


「精神的にキツい理由はそれだけじゃないかもな。お前に渡した資料のこのページを読んでみろよ」


 ギーハの指したページを読み漁る。軽く赤らんでいたファイナーの顔がみるみる青冷めていく様子は、まるでサーモグラフィーのようであった。


「……おい、マジかよこれ。もし失敗したら俺、こんな事されてたのかよ」


「くっ、くく……すまん、笑っちゃいけねぇのは分かってるんだが……」


「あんのクソ変態魔術師、やっぱり殺して正解だクソッタレ!! あぁ見なければ良かった、思い出すだけで気色悪い! 暫くはジンジャー・エールやコーヒーが飲めなくなるじゃねえか!!」


「拉致った男の胃袋に自分の排泄物を瞬間移動テレポート……こいつはエグいなぁ。しかもその後に……」


「もうそれ以上言うんじゃねえぞギーハ!! クソッ! マジで気色悪い!」


「ガハハハハハ!気分転換に塩タマゴでも食うかい?」


「ンなもん見せられたあとに食欲が湧くわけ無えだろうが!ああクソ、もう水さえも飲みたくねぇ! 追加報酬貰わなかったらマジで割に合わないぜ畜生が!!」


 男達の悲鳴と笑い声の交じる朝。だが、こんなくだらない日常にも確かな幸福を感じるのがファイナーという男だ。

 ……もっとも、ライザーの事は二度と思い出さないと誓うようにはなったが。

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