162話 零れ落ちた真珠 射抜かれた心【8】

「‼」


 それを合図のように。

 プラスタンスは身を翻し自室へと入っていく。

 そんな彼女の背をジオは呆然として見送った。


 ジオ。

 プラスタンスの放った不意の一矢に、完全ノックアウトされた瞬間であった。

 彼は無意識のうちに彼女を追いかける。

 そして初めて彼女の部屋へと足を踏み入れた。


 広い部屋の中。

 ベッド横の窓辺にプラスタンスはいた。

 こちらに背を向け、立ちつくす彼女の背中は小さく震えてる。

 そんな彼女を窓から差し込む月明かりが蒼白く照らしているのだった。


「そんなに私の夫になるのは嫌なのか?」


 強気な態度の裏側に、十八歳の乙女の素顔を見た。

 初めて見つけた。


「私はお前しか欲しくない! こんなに……。気が狂いそうなほどお前しか望まないのに! お前は私を見てはくれない……」


 プラスタンスの目からは大粒の涙が溢れている。

 止まることを知らないように。

 後から後から溢れている。

 ジオは今までの自分の行動を振り返り、片手でポリポリと頭を掻いた。


「それほど私がいやなのか⁉」


 遂に彼女は俯いて、両手で顔を覆った。


「愛しているのだ……」


 ジオは参ったなという表情で、そのまま彼女に近づいた。

 背後からそっと優しく両手をまわす。

 初めてジオの方から触れてきた。

 驚いたプラスタンスが振り向くような体勢で顔を上げる。

 そんな彼女にジオが照れくさそうに言った。


「え、と……。じゃあ……。まずそこから始めてくれないか?」

「?」

「愛してるって、やつ……」

「ジオ……?」

「今初めて聞いた」

「‼」


 プラスタンスの眉間に縦皺が寄った。

 盛大に。


「ふざけるな‼ モンセラ砦に向かえに行った時。私はお前が気に入ったと言ったではないかっ‼」


 そう言われれば。

 砦の上と下でそんな会話をしたような記憶がある。

 だが、あれが愛の囁きと言うのであれば、ムードも何もあったものではない。


「あれで……か?」


 ポソリと漏らしたジオの反論にプラスタンスが怒り出す。


「お前はっ!」

「うわっ! ああ! もう!」


 腕の中で暴れ出しそうになった彼女を今度は強く抱きしめた。

 そのままジオは口づける。

 少しの間をおいて。

 大人しくなったプラスタンスから唇を離す。


 彼女はポカンとした表情で、目だけをパチパチと何度も瞬かせていた。

 とても驚いているようである。

 そんな彼女がとても可愛いとジオは思えた。

 そして再度口づけると、そのまま彼女を抱え上げベッドへと運んだ。


「ジオ……」


 ジオを見上げるプラスタンスの目は、まだ先ほどの涙で濡れている。

 その涙の雫を指で拭い、頬を包むように触った。


「しょうがないから。お前のものになってやるよ」

「!」

「お前だけのものにな……」


 プラスタンスの目から再び涙が溢れだす。

 ジオの背中に彼女の腕がそっとまわされた。

 その夜二人は初めて本当の夫婦となったのだった。




 二人が結婚して半年が過ぎた頃である。

 たまたまプラスタンスが、私用で出掛けることとなった。

 数日間留守にすると言う。


 ジオは鬼の居ぬ間にとばかりに、城から抜け出し酒場へ出掛ける計画を練った。

 別に女遊びをしようというのでは決してない。

 プラスタンスという美しい妻が相手をしてくれるので十二分に満足している。


 だが、所詮は生まれも育ちも一般庶民。

 大きな屋敷。

 美しい装飾や調度品の数々。

 そして礼儀作法が五月蠅い上に豪華すぎる食事。

 全てに飽きてしまっていたのだった。


 だからせめて彼女が家に居ない時くらい。

 酒場で誰かと騒ぎながら酒が飲みたかったのである。

 そして嬉しいことに。

 義理の父親レオナルド。


「おお! それなら一緒に酒場なるものに行ってみたい」


 同行を願った。

 これ幸いにと二人で出掛けることにする。


 出掛けた先はアフレック伯爵家から一番近い宿場町。

 ジオが以前脱走した際に、宿をとった場所である。

 綺麗に改装された店内。

 懐かしい気分を肴に、レオナルドと楽しく酒を飲んでいた。

 そんなジオの背中に、またしても冷たい風が当たった。


「はて……?」


 振り返った彼は再び凍り付いた。

 入り口にまたしてもプラスタンスが立っていたのである。

 一年前の再現かと思われるような形相で剣を抜き怒っていた。


「お前という男はっ‼」

「うわっ! ちょっと待て!」


 剣を振り下ろすプラスタンス。

 ジオとレオナルドは真っ青になりながら必死で逃げた。


「誤解だ! おれは別に女遊びをしにきたわけじゃ……。親父さんも一緒なんだぞ‼」

「そ、そうだぞ! プラスタンス。我々は……」

「二人とも問答無用だ‼ 聞く耳持たぬ!」

「ぎゃぁぁぁ‼」


 店内に男性二人の悲鳴が木霊する。

 哀れジオとレオナルドは義理の親子で四つにされそうになるのであった。

 

 そして結果。

 今度こそ店は崩壊した。

 宿場町一の目抜き通りで。

 何もせずに集客が得られる場所であるにも関わらず。

 その後ここに店が建つことはなく。

 約二十年の歳月を経た今も、プラスタンスとジオ。

 アフレック伯爵家夫妻の名は、語りぐさとなっているのであった。


 完

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