52話 揺れる心【2】

『えっ!? 何だ? これって…、もしかして避けられた・の…か…?』


 どういうことなのか訳が分からず、何やら漠然とショックを受けて固まったジーグフェルドに、カレルが近寄ってきて肩を叩いた。


「どこを向いているんだ!? 入口はこっちだぞ…って…」


 先ほどの状況をカレルは全く気付いていないため、冗談で言った台詞で彼にトドメを刺してしまう。


「何て表情かおしているんだ!? まるで妻に逃げられた男みたいだぞ」


 頭の上に巨石を落とされたような衝撃を受け、ジーグフェルドは海の底に沈みそうな気分になり、カレルの肩へと項垂れもたれかかった。


「お…。お・い……」


 彼の頭の中で、グルグルと考えがまわる。


 バーリントン伯爵城泉での一件をまだ怒っているのかとも一瞬思ったが、あれ以降も普段通りに側にきていた。


 そう、今日の昼食を取った時までは、今までと変わりはなかったのだ。


『自分が気付かないうちに、何か気に障ることをしてしまったのだろうか!?』


 昼食以降の記憶を辿るが、全く該当する事柄が見つからない。


 何故なら彼女のことは一切アフレック伯爵家に任せてあるので、移動中や就寝時のテントなど、一日の殆どをジュリアやエアフルトと過ごしている。


 よって、いつも通り昼食時に会話をしてからは、今まで顔も合わせていないのだ。


 何かしようにも出来るはずがなかった。


『あれって…。明らかにオレを避けたって感じだったよな……?』


 ジーグフェルドはさっぱり訳が分からず、表現しようのない不安感とモヤモヤを心に発生させていた。


 イシスは夕食も少ししか食べず、早々に退席してしまい、そのあとに行った作戦会議にも姿を現さなかった。


 会議が終了し、それぞれが宛われた部屋へと退席する中、ジーグフェルドはジュリアを呼び止めた。


「ジュリア。イシスはどうしたんだ? 気分でも悪いのか?」


「いえ…、あのそういうわけでは…、ないのですが……」


 彼女の返事はひどく曖昧で、いつものような歯切れのよさはなく変だった。


「何でもないのだったら、何故会議に…、まあいい。今からオレの部屋へ来るように伝えてくれ。いつものように文字の練習と、話も少ししたいから」


 ジーグフェルドは夜になり、時間がとれる時は言葉だけでなく文字もイシスに教えていた。


 ローバスタ砦でメモを作ってあげた際に、彼女がとても喜んだからだ。


 それ以降、もう日課のようになっている。


「今夜はもう遅いですし…、お休みになった方が宜しいのでは?」


 彼女の言い方は、まるで自分にイシスを会わせたくないような感じに受け取れた。


「いつものことだろう!? それに特別遅いというような時刻ではないと思うが?」


「陛下…あの、イシスは…」


「いいから呼んできてくれ!」


 ジーグフェルドは思わず怒鳴ってしまっていた。


 こんなことは初めてである。


 気の毒にもジュリアはすっかり萎縮してしまった。


「……はい…」


 小さく返事をすると、イシスを呼びにその場を離れる。





 ジーグフェルドは部屋の椅子に腰掛けていた。


 暫くするとドアがノックされ、イシスが入ってくる。


「何? ジーク…」


 いつもなら直ぐ側まで近寄ってくるのだが、今はドアの所で立ちつくす。


 本当に変である。


 理由を速攻で聞きたい気持ちにかられるが、飛んで逃げられでもしたら大変だ。


 ジーグフェルドは努めて冷静に振る舞った。


「ああ、そこへ座りなさい」


 そう言って自分の対面の椅子を指して勧める。


「ん……」


 ゆっくりというか、ひどく緩慢な動作でイシスがその椅子へと着席する。


 その時再びドアがノックされ、この城の使用人が飲み物を持って来てくれた。


 コポコポと音をたて、美しい細工の施された硝子のグラスに注ぐと、二人の目の前に置いて一礼する。


 よく教育されているのであろう、優雅で上品な動きであった。


 給仕が終わると自分が運んできた銀のトレイの上に、もとからこの部屋にあった水差しを揃えて載せ、二人から離れた入口ドアの壁沿いに立った。


 再び給仕が必要になるまでその位置で待機しているのだ。


 何をどう切り出そうかと、先ほどまで色々考えていたのだが、本人を目の前にして何故か緊張してしまった。


 ジーグフェルドは注いで貰ったグラスに口を付け、一口飲んだ。


 その向かいでイシスもグラスを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。


 そこまではいつもと変わらない普通の情景であった。


「飲むな! ジーク!!」


 突然イシスが椅子から立ち上がって叫んだ。


 少し口に含んでしまった飲み物を床に吐き出しながら、向かいに座っているジーグフェルドのグラスを彼女は横殴りに叩き落とす。


「イシ…ス…?」


 驚いて彼女の顔を見つめ、呟いたジーグフェルドの舌が急に痺れだし、胃の中に熱い鉄を流し込まれたような感覚に襲われる。


 あっと言う間に呼吸が苦しくなり、椅子に座っていることすら出来ず、喉を押さえて床に倒れ込んだ。

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