遥かなる天空の王国より

煌 しずく

第1部 双満月の奇蹟

1話 天空より降りし者【1】

漆黒の闇が支配する夜の天空に、無数の星々が競い合うかのように色とりどりに光る。互いに引き合う赤と青の双子月が重なりあう瞬間とき、金色に輝く奇跡の光が地上に降り注ぐ。


           


「はぁぁぁぁ!!」


 男は右手に持っている剣を斜めに振るった。

 ザシュッという人が斬れる音とともに、3人目の刺客がドサリと地面に転がる。

 スオード山の大きな木々が鬱そうと生い茂る森の中であった。


「はぁはぁ……。これで最後か……」


 男はひたいの汗を手でぬぐう。


「行こう。アスター」


 彼は愛馬に声をかけながら疲労で重たい身体を引きずるようにして先へ進んだ。

 男は名をジーグフェルド=ラル=ア=クレセンハートという。





「ふぅ……」


 頂上付近にできるだけ大きな枝を伸ばしている木を選んで登りジーグフェルドは寝仕度を整える。

 そして、寝ている間に木から落ちないようロープで幹と自分をしっかりとゆわえ、あとは寒くないようにマントを体に巻きつけた。


「まあ、こんなものだろう」


 更に、いつ襲われてもすぐに応戦できるよう剣を常に抜ける体勢にして、用心のため自分が登った木からは少し離れた場所に馬を休ませている。


 彼は眠りにつく前に地上を明るく照らす頭上の月をゆっくりと眺めた。

 天空に浮かぶ月と男を遮るものはなにもない。

 今宵は別々の軌道をまわる青と赤の月が、半年ぶりに重なり合い一つとなる双満月であった。


「綺麗だな……」


 ジーグフェルドは感慨深げに小さく呟く。

 自分が置かれている苦しい状況も、過去の苦々しい記憶も全てを忘れさせてくれるほど、今宵の双満月は美しいのである。


 月明かりに照らし出されている彼の姿は逞しい立派な体躯であった。

 日々鍛えているのであろう筋肉質でスレンダーな身体つき、その上にちょこんと乗っている小さな頭は、凛々しく端整な顔立ちをしている。

 瞳は海を思わせる青色。

 髪は背中の肩胛骨まで延びており、太陽の光にあたるとさぞ美しく映えるであろうと思われるほど見事な赤色をしていた。


 着ているものは美しい刺繍が所々に施されている上質の絹で仕立てられた上着に、同質のスラックスそして厚手のマントである。

 その全てが黒で統一されていた。

 貴族の青年といった感じである。


 疲労から睡魔はすぐに襲ってきた。

 一気に深い眠りに落ちようとした時、不意にドサッという音と共にジーグフェルドの足の上へと何かが落ちてきた。

 かなりの衝撃である。


「‼」


 彼は驚いて飛び起きた。

 この時、声を発さなかったのは一流の剣士ゆえであろう。


 真っ直ぐに伸びている自分の足に対し、直角にうつ伏せ状態でのっているものを見て、ジーグフェルドは再度驚いた。


 それはどう見ても胴体で、その先には手足がある。

もっと先には胴体がくの字に折れ曲がって、下の方に頭らしきものが見えた。

 服を着ているし、身体の大きさや形からしても人間としかいい様はないのだが、ジーグフェルドは自分でも奇妙と思うような言葉を呟いた。


「人間……なのか……?」


 彼が乗っているこの枝より上には細い枝が三本あるだけで、そのうちの二本は左右に九十度ずつ開いているし、最後の一本は百八十度真後ろである。

 自分の足に覆い被さっているこの状態から考えると、真上から落ちてこない限りこのような体勢には絶対にならない。


 しかし、真上に枝など存在すらしてはいない。

 更にその他の周囲にある木々は自分のいる木よりも低いものばかりだし、一体どうなっているのかさっぱり分からない。


「空から降ってきたとでもいうのか?」


 天空に輝く月を見上げ首を傾げるばかりであった。


「ん……」


 その時、足の上の生き物が身じろいだ。

 かろうじて重さのバランスを保っていた状態がその反動で崩れ、比重の大きい頭の方にゆっくりと傾いていく。


「うわっ! ちょっと待て‼」


 自分の足の上を滑り落ちていくそれにむかって、ジーグフェルドは必死に手を伸ばし、コートの裾の部分を辛うじて掴むことができた。

 その身体は思いのほか軽く、片手で容易に引き上げられた。


「ふぅ……」


 ジーグフェルドは一つ深呼吸をつくと、今度は落ちないように自分の身体の方へと引き寄せ抱きかかえるように置いた。

 触れあったそれの背中から暖かな温もりを感じ、生きていることを実感する。


(よかった。あのまま落としてしまわないで……)


 己の反射神経に感謝しながら自分の顔の近くになった姿を覗き込み、そして三度驚くこととなる。


 月明かりに照らされたその姿はまだ少しの幼さを残してはいたが、卵型の輪郭にバランスよく配置された凛々しい顔立ちに、ほんのりとピンク色の小さな形の良い唇。

 髪の色は黒く一束に首の後ろでまとめられ、腰まで長く真っ直ぐにたなびいており、なにか不思議な雰囲気を漂わせている。


 両耳に白金の細長いピアス、首には大粒で色とりどりの丸い宝石をちりばめた飾りを付けていた。

 形こそシンプルであるがとても高価と思われ、一般庶民が身につけられる代物ではない。


 着ている服がまた不思議であった。

 上は深い緑色で長袖のコート。

 絹のように手触りのよい材質である。


 下はスラックスのようだが生地が厚くゴワゴワしており、色は深い紺色であった。

 青色系の染料は貴重で高価なものである。

 彼はいまだかつてこれほど見事な紺色の布地を見たことがなかった。


 その先は革製のような光沢のある黒く紐のついた靴を履いている。

 そして胸のあたりには、ふっくらと形のよい膨らみがあったのだった。


「少女……?」


 ジーグフェルドは驚きの声を漏らした。


 彼女を抱えたまま木のうえで眠ることは危険だと判断したので地面へと慎重に降りる。

 火を熾し、彼女の状態を見てジーグフェルドは四度目驚く。


「血⁉」


 顔や服には小さな血のシミが沢山ついており、土ぼこりも凄かった。


「ん……ん……」


 その時、少女が目を覚ます。


「気が付いたか? よかった。気分はどうだ?」


 ジーグフェルドの問いに彼女は目を大きく見開いて周囲を見渡した。


『ここはどこ? あなたは誰?』


「はい……⁇」


 何ということであろうか。

天空から降ってきたこの少女が話した言葉は、彼が今まで一度も聞いたことのない言語だったのだ。


 ジーグフェルドはそのまま凍り付いたかのように固まってしまい、それ以上一言も言葉を発することが出来なくなってしまう。


 二人の間に沈黙の天使が飛んだ。

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