第31話 おまけ とある領主について
僕の名前はハワード。ハワード・シュザールエント。
栄えあるシュザールエント伯爵家の三男である。
それがなぜこのような書を書いているのかといえば、最近、エント領を引き継ぎ、まったく未来のなかった三男に未来がやってきたからだ。
ここから僕の立身出世が始まり、兄上たちを超える最高の領主になる物語が始まるのだ!
そう僕は信じていた。
――僕は非常に幸運だ。
――でも今は僕は非常に不運だ。
決して僕の人生は順風満帆なものではなかった。
伯爵家の子供とは言えど三男。上の兄ふたりまでならば領地を継がせることが出来るが、三男にはなにもない。
相続できるものは多少の財貨くらいであろう。偉大なる父上の顔が描かれた貨幣の山をいくばくかもらえるくらいだ。
そのあとは兄上たちの下で働くことになる。
結婚したとしてどこかの令嬢の下へ婿入りしなければ僕が自分の領地をもつことはない。
そのはずだった。
けれど、ある日、僕にもチャンスが舞い降りた。
エント子爵が何らかの事情で死に、浮いた領地を僕が戴くことになったのだ。
なんという幸運。
僕の取り柄である顔と愛想を活かして、社交界で様々な貴族におべっかを使ってコネを作っていたことがここで聞いてくるとは。
話を聞いたときはなんという幸運と喜んだもの。
けれど、実情を把握するとそれはまったく逆のものに変わった。
子爵領という小さいとは言えど領地をもらえたのは非常に良いことだ。
僕としても人生最高の幸運だった。
けれど、その子爵領が一夜にして消えた、とか。
すべての領民がウェイカーとして起き上がったなどという噂のある曰く付きの領地だとは聞いていなかった。
つまるところ僕は体のいい生贄。
誰も行きたがらない領地へと送られた人身御供みたいなものだった。
さらにこの領地、死の荒野の隣。こんな辺境も辺境に飛ばされてしまった。道理で子爵領のくせに広いわけだ。
誰も寄り付かないし、そこらへんには死の荒野を畏れない強大な魔物が住み着いているとか。
一体僕が何をしたというんだろう。領地に行く前日はそう思ったものだ。
――領地についてからもまるで変らなかったけれど。
「はぁ……」
領地は廃墟と化している。一体何がここであったのか。城壁など強大な力で真っ二つになっている。
竜でも暴れたというのか。
「ハワード様。どうやら近くの土地に住んでいる者がいるそうです」
「え、マジで?」
「マジです」
――思わず異国の言葉が出てしまった。
――だってそれほど驚いたのだ。
誰もいない領地でだと思っていたのに、まだ済んでいる者がいるとは。
「そいつらは何者だ? まさか盗賊とかそういうやつらじゃないだろうな?」
「違います。彼らは前エント子爵と懇意にしていた者らしいのです」
答えたのは僕が実家から連れてきた数少ない従者のひとり。
いわゆるメイドというやつなのだが、父上に仕えている貴族の娘の一人だ。彼女も三女とかそこら。
僕と同じ境遇で昔から一緒にいる幼馴染というやつ。
「なんでそんな詳しいの君」
「館から資料を掘り出して読みました」
「え、そんな報告聞いてないけど?」
「ハワード様に見せたところでわからないでしょう」
「え、ちょっと、わかるよ? 流石にわかるからね?」
「…………」
「ちょっとまって、うわ、なにその気が付いてないのですか……? みたいな顔!? いくら幼馴染だからって俺、もう領地持ち。偉いの、おわかり?」
「はいはい。わかりましたわかりました。ハワード様は偉い偉い」
「なんだ、その子ども扱い!」
昔はかなり僕を慕ってくれていたはずなのだが、今はなんだか辛辣。
ずっと一緒にいたはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。これがまるでわからない。
本当に。
「はいはい、それよりどうするのですか?」
「どうって、行くに決まってるだろ。エント領にいるってことは僕の領民ってことなんだからな」
「はあ、ではいってらっしゃいませ」
「え、来ないの!?」
「一介のメイドですから、私」
「メイドがそんな重武装してるわけないよね!?」
彼女の姿は超重武装。
メイドとは何かと問うべきくらいの重武装っぷりだ。そのまま戦争に行けそうなくらいの装備である。
しかし、それでいてエプロンはきっちりつけているのはメイドとしてのこだわりか、というか、武装方がメイド服に合わせてつくられている節すらある。
「最近のメイドの流行りです」
「誰だよ、そんなメイド流行らせてるの!」
「好き物のオーロ辺境伯です」
「待って、あの辺境伯は、辺境の蛮族と戦い続けてる人じゃん! 街の中でも武装してないと蛮族に殺されて死ぬって修羅の国じゃん!」
「はい、そうですね」
「そりゃメイドも武装するよ! ってか、武装してるならついてきてよ!」
「嫌ですよ」
「なんで!?」
「お屋敷の立て直し指揮とお掃除があるからです。今日は野宿したくないでしょう」
確かに、完全な廃墟である。
さっさと立て直しをしないと今日も野宿になる。そのために職人などは多く連れてきたけれど。
「ああもう、わかったよ」
「では、ハワード様お気をつけください」
「わかってるって」
仕方なく数人の護衛とともに僕はその土地をもらっているやつのところへ行くことになった。
馬に乗り向かう。
その場所について軽く聞いているわけだが。
エントの街から遠いわけでもなく、近いわけでもない距離で土地としては肥沃な部類にあるという。
場所も良いがそこが領主ではなく個人の手に渡っているのは、そこに強大な魔物が住んでいたからだ。
そこに住んでいるやつはそれを討伐したのだという。それ以外にも大いなる富や竜の素材をもたらしたとか書かれていたたしい。
「いやいや、竜ってありえないだろ」
「はい。倒した者はかつてひとりフェレンハーゲントのみです」
「ああ、あの物語良いよなぁ」
「愛読書です」
「おまえ、そんな顔で読んでたのかあれ」
「そんな顔は余計ですよ、傷は男の勲章です」
「それで怪物みたいな顔になってりゃ世話ないよ」
「はっはっは。殺しますよ」
「なんで、アメリーといい、僕の従者は僕への敬意がないの!?」
「仲がいいと言ってくださいよ。はっはっは」
「はっはっはじゃないからね!?」
「公式の場所ではきちんとしてるからいいじゃないですか」
――良くないっての。
という言葉はひとまず呑み込んで。
ようやく土地が見えてきた。
さて、どんな奴が住んでいるのか……。
「……なあ、あれ竜だよな……?」
「そうですね、吾輩にもそう見えます」
そこには竜がいた。
一頭ではない、何十頭もの竜がまるで牧場とでも言わんばかりに放し飼いにされている。
いや、ここは既に竜の縄張りになってしまっただけなのでは……。
そう思えるほどに竜はここにいた。
「え、これヤバイんじゃ……?」
「ヤバイですね」
――つい異国の言葉が出てしまう程度には。
「これは戻って」
作戦会議。
いやさっさと実家に帰ろう。
そう思った時、奥の方に在るみすぼらしい小屋からひとりの少女が出てきた。
――黒い角と黒い翼。
――黒い尻尾は、ファッションではなく生来のもの?
まだ幼児とも呼べそうな子供が気軽に竜たちの間を歩いている。
竜は彼女を襲うどころか、まるで主のように平伏していて。
「なあ、僕は夢でも見ているのか……?」
「吾輩に同じものが見えているので、夢ではありません」
「…………」
「もしや伝説の竜人族では?」
「そうかもしれんが……」
――竜人族が竜に仕えることはあってもその逆はなかったんじゃなかったっけ……?
そう僕の中の知識が叫んでいるのだが目の前の光景がそれを否定してくる。
「どうします?」
「え、いやどうするって……」
――どうしよう。
こんな時、僕はどうすればいいのだろう。
誰か教えてくれと叫びたい。教えてくれる家庭教師も、メイドのアメリーもいない。
良し、ここは保留にして帰ろう。そうしよう。
そう引き返そうとした時。
「何をしておるのじゃ小童」
「ひぃ!?」
背後から声。少女の。
僕は驚いて、飛び上がって、馬から落ちて。
「大丈夫ですか、ハワード様!」
「だ、大丈夫だ」
腰が痛いけれど、大丈夫、生きている。
少女を見れば僕の様子に飽きれたような半眼。
アメリーを思い出して震えがきそうだ。
「え、ええと、僕はハワード・シュザールエント。新しくエントの領主となった。あなたがこの土地の所有者だろうか」
「ああ、あの小僧の後釜か」
――小僧?
――それは旧エント子爵のことだろうか。
子爵とは言え、貴族を小僧呼ばわりできるとは彼女は見た目通りの年齢ではないらしい。
あるいは礼儀を知らぬ無知蒙昧の類かとも思われたが、そんなことはないだろう。
この場所に居ついて竜をあれだけ従えているのならば、前者に相違あるまい。
「で、なんだかわからんが様子を見に来たというわけか?」
「はい。あとエントが滅んだときのことを教えていただければ……」
――あれ、これどっちが立場が上なんだろう?
「ああ、あれか。わらわは知らんから、ここの主にでも聞け」
「え、あなたが主では……?」
「違うわ。おい、レイ、さっさと出てこい、客じゃぞ。菓子を用意せい! わらわも食べたい」
「客ってそういうのはもっと早く言えよ、てか菓子なんてねえぞ」
「なぬ!? 昨日はあったではないか!」
「おまえが食べ散らかしたんじゃねえか!」
少女が小屋の方に呼びかけると彼女に反論する形で中から男が出てくる。
僕と同じくらいの歳だろうか。黒髪の男だ。
「すみません、シトリンが何か失礼をしてませんか?」
「いえ、大丈夫です。僕は僕はハワード・シュザールエント。新しくエントの領主となった。あなたがこの土地の所有者だろうか」
「はい、そうです」
こちらは普通。
この土地の所有者というからにはあのシトリンと呼ばれた竜人の主なのだろう。しかし、それにしては普通過ぎる。
強大な彼らを従えるだけの何かがあるとは到底思えない。
「ええと、みすぼらしいところですが、こんなところで話すのもあれでしょうし、中へどうぞ」
確かに外で話すには竜の視線が怖い。
襲われそうで。
「ええ、ありがとうございます」
貴族が入るには本当にみすぼらしいがこの際贅沢は言えない。
誘われるまま中に入れば、やはり見た目通りの普通の小屋だ。
今には食卓があって、その奥にはベッドがひとつ。
中にはひとり女性がいた。
黒髪の美しい。感情の薄い無表情な女性は、入ってきた僕らを見て少しだけを目を細める。
「……お客?」
「ああ、エント領の領主になったんだってさ」
「……そう」
――綺麗な人だ。
――彼の奥さんだろうか。
――羨ましい。
僕のところにいる女は確かに綺麗だけれど、僕に対して敬意が足りていない。僕これでも領主なのに。
そうアメリーとかアメリーとかアメリーとか。
「どうぞ、座ってください」
「ええ」
がたがた揺れる椅子に座る。
テーブルだけはしっかりしているようで揺れることはない。
座れば、彼らの対面に座る。
お茶も出してくれて。
一応、毒見もされて。
けれど、手は付けないでおくことにする。
「それで……新しくエントの領主になったとか」
「ええ。それで今回は様子を見に来たのです」
「なるほど……」
「ええとそれでなんですが……あの竜たちは……?」
「ああ。あいつらはここで飼ってるんです。ここ竜の養殖場ですから」
――え。
――ええ?
「養殖場……?」
「はい」
「なぜ……?」
「食べたいから」
「食べる……?」
「美味しいですよ、竜」
思わず、護衛と部屋の隅に行って。
「おい、待ってあれ、本気で言ってるの?」
「竜の肉……食べてみたいですね……」
「おいまてぇ、話を聞け!」
「聞いていますよハワード様。さっそく竜の肉を頂けるか話をしましょう」
「だから待て。話が進み過ぎだ。てか飛躍しすぎだ。僕の話を聞け馬鹿!」
「聞いていますよ。竜の肉は大層珍味であると伝説にもあります。それを食べた瞬間、他の食べ物が微妙に感じるほどに美味だか」
「なるほど……いや、なるほどじゃない! そんなの建前かもしれないだろ。竜を従えてるんだぞ、王国に反旗を翻したら!」
この王国は終わるだろう。
僕の命も終わるかもしれない。
前エント子爵は何を考えて彼にこの土地を与えたのだ。
「いや、大丈夫でしょ」
「なんでだよ」
「だって既に竜をあれだけ従えているんですよ? 何頭いました?」
「十は見えたが……」
「でしょう? 十頭も竜がいたらそれだけでこの国滅ぼせますよ。竜一頭でも国が全力で対応しなければならない災害なんですよ? その十倍ですよ? マジヤベエですよ」
――思わず異国の言葉が出てしまう程度には。
――マジヤベエ。
「……確かに。え、じゃあ本当に食べるためだけに増やしてるのか……あいつら……」
――馬鹿なのか……?
「とりあえず戻りましょう。いつまでもこそこそ話せません」
「あ、ああ、そうだな……」
席に戻る。
「すまない。少し相談があってな」
「いえ、だいじょうぶですよ」
「それで、ええと、竜の養殖だったか……? 本当に食べるだけなのか?」
「前のエント子爵にも言いましたけど、それだけですよ。まあ、そう言って信じられないのが貴族という方々なんでしょうけど」
「うむ、そうだな」
――それで信じられるならもっとこの世界は平和だろう。
「といっても私には証明する手段がないので、実際に食べてもらえばわかるかなと」
「……またそういうこと言う」
そういって出されたのがステーキである。
焼いただけの。
「ええと……」
「とりあえずどうぞ。毒見もしていいですよ」
「では、吾輩が」
「おいまてぇ」
これは誰にもやらん。
そう思えるほどにそのステーキは最高の出来映えに思えた。まず匂いが美味い。うますぎる。それだけでなんかもう満足できるレベルで。
王都の宮廷で食べた食事の記憶が塵のように吹き飛んでいく。
「あ、二人分あるんでどうぞ」
「では、早速」
もう匂いの美味さに引かれて警戒せず食べてしまったよね。
うん。
「うまあああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいい」
思わず叫んでしまうほどに美味かった。
これは確かに、養殖したくもなる味だ。
味の奔流。味の見本市。あらゆる肉を越えた肉の肉がここにある。
そうこれぞまさに究極!
「どうです? 美味しいでしょう」
「ああ……確かに、うまい……」
「侵略する気ないってのもわかりますよね。竜が傷ついたらそれだけで味堕ちますし」
「ああ、そうだな……」
この美味さなら確かに信じずにはいられない。
「良し、じゃあ、定期的にうちで買おう」
「流石ですハワード様」
これならアメリーも良い顔してくれるんじゃないか?
そう思いながら契約を交わし、僕は意気揚々とエントの街へと帰還するのであった。
「それで帰ってきたと」
「ああ、美味かったぞ」
「いえ、美味かったかは良いんですよ。別に。話を聞く限り土地の主も襲う気はないと判断できますが……他の貴族が黙っていますか……?」
「あ……」
「どうやら前エント子爵はよほどうまくやっていたようですね。いえ、その頃はまだあれほどの竜はいなかっただけかもしれませんが」
「ど、どどどど、どうしよう」
「どうもできないので、バレないようにするしかないでしょう。具体的には私をそこへ送ってください」
「いや、待って、それアメリーが竜の肉食べたいだけじゃない?」
「はい、そうですが」
「せめて否定してよ!?」
――ああ、どうしてこうなった……。
僕はそう強く思わずにはいられなかった。
●
「いやぁ、あのエント子爵ってすごかったんだな……」
「ん……まさかあれだけで帰るなんて……」
「そうだよなぁ……」
「まったく馬鹿よな。わらわも笑ってしまったぞ。で、お菓子は?」
「だからないって」
「なんじゃとー!」
なんて会話があったとかなかったとか。
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