ナンセンス・ショートショート
有笛亭
第1話 肺魚の夢
魚というものを飼い出して、二十年ほど経つが、わたしがこれまで飼ってきた中で一番印象を受けたのは肺魚である。
この魚はオーストラリア大陸の沼地に住んでいる。一般的に沼地というのは水が少ない。だから旱魃になるとすぐに干上がる。普通の魚ではとうてい生きていけない。だが、肺魚は空気呼吸ができるため、水がなくても生きていける。
ナマズとウナギを合体させたような体形で、穴が掘りやすいのだろう、直射日光を避けるため、泥の中にいる。と言っても、泥の中で動き回っているわけではない。
眠っているのだ。ずっとずっと。
雨が降って、再び水が満ちるまで眠り続ける。
環境に適した生き方をしているのだ。このしぶとさに、わたしは惚れた。
実際に飼ってみると、とても奇怪な魚である。どう奇怪かと言うと、肺魚は空気呼吸ができることをよいことに水槽の外に出て、うろつきまわるのだ。そのたびにわたしは水槽に戻すのだが、どうも水槽は苦手なようだ。というか泥が好きなのだ。残念ながら、わたしの水槽には土も砂も無い。それでよく脱走したのだろう。
ある台風の日だった。どういう経路をたどったのか、肺魚は庭の方に出てはしゃいでいた。
大雨が降っているのだ。わたしは傘をさして外に出た。
見ると、屋根の破れた樋から、雨水が滝のように流れ落ちていた。すると、肺魚はその落ちる水の流れに逆らって屋根の上まで登り詰めたではないか。目が点になった。
鯉の滝登りというのは聞いたことがあるが、肺魚の滝登りは初めてである。
なかなかいい芸を持っておられる、とわたしは感心した。これでしゃべることができれば、わたしは肺魚と組んで一儲けしたいくらいであった。
冗談はさておき、肺魚は屋根の上をスキー場のようにすべりまくった。と思うと、ジャンプして、庭の池に飛び込んだ。
この池にはメダカやフナがいるのだが、翌日には一匹もいなくなっていた。わたしは悲しかった。だが、わたしは肺魚を悪く思いたくはない。どっちみち、生きた餌を与えなければならないのだから。
肺魚はこの池が気に入ったらしく、外に飛び出すことはなかった。それなら冬になるまでこの池で飼ってみることに、わたしはした。
わたしは餌となる生きた小魚を、毎日この池に投入した。餌金と呼ばれる安価な金魚である。
しかし、そのうちわたしは、これでいいのだろうかと自問した。というのは、餌金と呼ばれる安価な金魚も、かつてはこの池で飼っていたのだ。夜店で掬い上げた金魚で、大事に人工飼料を与えて大きくしたものだ。
その時の方が、わたしは魚を飼う喜びが大きかったように思う。肺魚は、ただ珍しいというだけで、愛敬があるわけではない。さらに池の中では、どこにいるのか目を皿にして探さなければならない。
地味な体色をしているせいもあるが、しかしいくら地味でも、土の上にいれば分かるわけで、それが普段分からないというのは、つまり土の中に潜っているからだろう。
食事の時だけ姿を見せるのだ。その餌となる金魚は、常にラブリーな姿をわたしに見せてくれる。そう思うと、わたしは肺魚に対して怒りさえ覚えた。不公平である。
わたしは肺魚を、水槽に戻すことにした。
わたしは池の水を抜き、スコップで土を掘り返した。
もちろん、スコップが肺魚に当たらないように、かりに当たってもケガをしないようにソフトに掘って行ったのだが、肺魚はどこにもいなかった。
大きさから言って、小鳥が食べたとは考えにくい。魚を専門に食べるサギが来れば話は別だが、今まで来たためしがない。野良猫は、頻繁にやって来るが、水の中に入ってまでして魚を取ることはない。
となれば、やはりどこかに逃げて行った可能性が強い。
よく逃げる魚である。
そして今回は、逃げた理由が分からないだけに、わたしはいらついた。
池の底は土だから、肺魚にとっては快適なはずで、しかしその反面、穴を掘って、どこまででも行くことができる。
寛容なわたしも、肺魚はもうコリゴリだ、金輪際飼わないと誓った。
それにしても、肺魚はどこへ行ったのだろう。家のそばが蓮田で、ちょうど今が蓮の花の盛りである。また小川もある。因みに、わたしの家のお風呂の水は、この小川に流している。一本の排水管で繋がっているから、大雨が降って川が溢れると、その水が風呂場の方に逆流することがある。
つまりわたしが言いたいのは、肺魚の住む環境は整っているということだ。
だから、きっとどこかで生きているに違いない。
ところで話は変わるが、わたしはその頃、大事な結婚指輪を自宅の風呂場で失くしていた。風呂掃除をしていた時のことだ。
風呂の栓を抜いて、スポンジで湯垢をこすり取っていたのだが、どうした加減か、薬指にはめていた金の指輪がスポンジに引っかかって脱げたのだ。夏の暑さと濡れた手で、緩くなっていたのだろうが、運の悪いことに、その指輪は栓の口に水とともに流れてしまった。
この排水管は、先に言ったように近くの小川まで繋がっている。だから指輪を取り戻すのは容易なことではない。業者に頼めば、指輪と同じ程度費用がかかるだろう。貧乏なわたしは、諦めることにした。
それから数日して、わたしは再び風呂掃除をしたのだが、その時、栓の口から、何やらニョロニョロしたものが現れた。
━━蛇かな、と一瞬思たが、肺魚だった。肺魚は口に、金の指輪を咥えていた。
わたしは超うれしくなって、すぐに肺魚を両手で掬おうとしたのだが、肺魚は素早く身をひるがえして、再び栓の口に逃げ込んでしまった。金の指輪を残して。それっきり、戻って来ない。
肺魚が生きていたことで、わたしは一先ずホッとした。しかしこれから、寒い冬に向かっていくのだ。どう冬を越すのだろう、とわたしは心配になった。
もちろん、肺魚は、眠る、という得意技を持っているので、熊のように春まで冬眠をする手もあるだろう。
とりあえずわたしは、肺魚がいつ戻って来てもいいように、池の水を一杯にした。そして、風呂の水を毎日抜くことにした。というのは、風呂場には、シャワーがあるので、節約のため、三日に一度しか風呂を沸かさなかったからだ。
しかし、肺魚は冬になっても戻って来なかった。
わたしは何事も前向きに考える性質だから、あの剽軽な肺魚も、きっとどこかで楽しく暮らしているに違いないと、努めて思うようにしていた。
わたしは金の指輪事件から、肺魚が愛おしくて仕方なくなっていた。そのせいか、よく肺魚の夢を見た。
夢の中の肺魚は、とても大きく成長していて、そして、暴君だった。わたしを追いかけては、こづきまわすのだ。なぜそんなことをするのか分からないが、しかし、わたしは妙に楽しかった。反対にわたしが肺魚の背中に乗って、庭を走り回ることもある。
そんな夢を見させてくれた肺魚も、あれから五年が経ち、わたしは次第に肺魚のことを思わなくなった。さすがに生きていないだろうとは思っていた。
ところが生きていた。
わたしは息子が三歳になったお祝いに、庭の隅に小さな鯉のぼりを立てたのだが、それは五月の節句前のことだ。
買い物から帰って来たわたしは、妙なものがその鯉のぼりにぶら下がっていることに気づいた。
何だろう、と近づいて見ると、あの肺魚だった。
死んだと思っていただけに、わたしは驚き、かつ喜んだ。
肺魚は鯉のぼりのロープを器用に口に咥えて、のんきに風に吹かれていた。
なぜそのようなことをしているのか、とわたしは疑問に思ったが、おそらく肺魚は風に泳ぐ鯉を自分の仲間だと勘違いしたのだろう。なぜなら、この日本で空気呼吸できる魚は、めったにいないからだ。
この剽軽者め! とわたしは言って、しばらくその場に立ちつくした。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます