カル研に吹く神風

 ◆ ◇ ◆


 長い夏休みが終わり、季節が秋へと移り変わろうとする頃に、大学の後期が始まる。

 九月の下旬でも、まだ夏といって差支えのないほどの熱さで、道行く人たちの服装はみな夏模様だ。


「あっつ……」

 

 Tシャツが汗で張り付いて猛烈に不快な中、恵壱は電車に乗り、電車を降りたら大学行きのバスに乗り込む。

 履修登録はオンラインでできるが、登録期間中に恵壱がワザワザ学校へと赴いたのには、理由がある。

 現代ジャパンカルチャー研究会、カル研のみんなに逢うためだ。

 元漫画研究会だったが、数年前に分裂して漫画研究会と、現代ジャパンカルチャー研究会に分かれた。

 漫研は読んで字の如く、漫画のみの研究会。カル研は、漫画だけではなくアニメ、漫画実写映画などのジャパンカルチャーも含んでいる研究会という感じで、一応は分けられている。

 が、まあそれは建前で、漫研は自分で漫画を描く人間が多いのに対して、カル研は読んだり観たりが好きなメンバーが多いというだけの差だった。


「オッスオッス、恵壱~」

「お、大和やまと。オッスオッス……。他のみんなは? まだ誰も来てないのか?」


 いつも通りサークルの部屋のドアを開く。

 10畳ほどの部屋にロの字型に並べられた長テーブルに座っていたのは、恵壱の友人、同年生の大和だけだった。

 大和は、長身で割と整った顔をしていて、男も女も分け隔てなく会話をするので人気があるが、悉く女を振りまくっている。

 大和の言葉を借りれば『なんとも思ってない人間には優しくできるに決まってるよね? だって、なんとも思ってないんだから』ということらしい。

 恵壱には何を言ってるのかさっぱりだった。ポルナレフ状態だった。

 彼が恋をするのは二次元だけのようで、その辺りは女性との接し方は真逆と言っても、恵壱と同じようなものなのだが。

 大和はテーブルから涼をとっていたのか、上げた顔の頬っぺたが少し赤くなっている。

 

「先輩たちみんな、暑いからって飲み物買いに行った」

「ああ、ほんと、確かに暑いよな……。もうすぐ十月だぞ……?」 


 研究会の部屋には、カル研の卒業した先輩が勝手に着けたという、窓に取り付けるタイプのクーラーが付いている。

 それと、資源ごみの日に捨てられていたという今にも壊れそうな扇風機が、首を振りながら二台稼働していた。

 だが、そんなものではこの蒸れた部屋を冷やし切ることはできない。


「俺は留守番。コーラ買ってきてくださいって頼んだ。ちょっと帰りが遅い気がするけど」

「ふうん。そういえば今日はみんな集まったらそのまま飲み会だろ?」

「ん~、そのはず。どこでやるのか知らないけど。また恵壱の部屋かもな」

「勘弁しろよ……」 


 恵壱が一人暮らしをしている部屋は、学生向けマンションのトイレ風呂別キッチン付の十畳一間。学生用マンションは六畳一間程度の広さの部屋も多く、そう考えれば少しばかり広いが、家具を置いてしまえばとりたてて広いというわけではない。

 だが、なぜか現在左右と上階の部屋が開いており、多少騒いでも文句を言われにくい。学校から近いわけではないから、たまり場とまではいかなかったが、飲み会になると、恵壱の部屋が選ばれやすかった。


「物がある十畳に15人は、普通にきついんだよ……。台所の前まで広がってるし、ベッドにも座られるし。半分ならまだいいんだが……。全員来るのか?」

「わっかんね。でもなんか、今日江田さんが嬉しそうに『やったね大和君! サークルメンバーが増えるよ!』とか言ってたけど……」

「ふうん、もう一人増えるのかぁ。どんな奴だろうな。だが、益々うちで飲み会やるのはご遠慮いただきたい」

「まあ、そう言うなって」


 江田さん、とは現代カルチャー研究会の会長の名前である。

 現在四年生で、単位はギリギリながら卒業はできるそうで、就職も決まっている。でっぷりとしたお腹は見事に丸く、不摂生の塊のような見た目なのに、なぜか女性にはモテるという、謎の人だ。

 まあ、確かに顔は愛嬌があり、会話も上手い人ではある。

 女性は、顔よりも中身を見るとよく言うが、江田がモテるということを聞くと、それはあながち嘘ではないのかもしれない。


「ら、らめえ!! 部屋にそんにゃに入りゃないよお!!」

「うるせえぞ、恵壱www」

 

 笑いながら話していると、会長含め見知った顔が六人ぐらいがゾロゾロと帰ってきた。

 四年生の江田さんと枝元さん、三年生の那覇さん、中井さん、河島さん、二年生の野中さん達だった。


「コンビニの冷房マジ神」

「ほんと、この暑さなに? 俺らを殺しに来てるよね?」

「遅くなってすまんな、みんなでアイス食べてきた。ほれ、大和。お前にはコーラの他にバリバリクンを買ってきてやったぞ!」

「あざーっす!!」

「お、恵壱~。オッスオッス。もう少し来るのが早ければお前にもアイスを買ってきてやったのに」

「オッスオッス……。アイスは別にいいんですけど、江田さん。この挨拶、やめたらだめですか?」

「ばっかやろぉ!! これはカル研の由緒正しき伝統の挨拶なんだよ! 俺が卒業しても、続けろよ!?」

 

 卒業すると分かっていても、その言葉に少しさみしい気持ちになる。

 

「はい……」


 そう恵壱が返事をして顔を上げると、見慣れた顔の六人の後ろに、一人、知らない女性が立っていたのが目に入った。

 すっと鼻筋が通っていて、頬はピンク色。明るい髪の色は、緩やかにウェーブしており、柔らかい印象。

 長い睫毛に縁どられた、こぼれそうな大きな瞳。

 白いワンピースに、菜の花色の明るいカーディガンを着たその女性は、一瞬アニメか何かから出てきたのかと思わせた。

 だが、それが実態を伴った三次元のそれだと気付いてしまった瞬間、彼は神経をショートさせた。


「ぱぅ!?」

「あ、見つかった。恵壱変な声出して固まっちゃいましたよ、江田さん」

「固まっちゃいましたねえ」


 ニヤニヤしながら、六人は列を開け、その女の子を前へと出した。


「あの、私、現代ジャパンカルチャー研究会に入らせてもらいます、解良けら 未唯みいと言います。これから、よろしくお願いします」

「我がカル研に! 女性サークル員が入っちゃいました!! しかも美少女!!」


 15人余りのサークル員が全て男、という男の園であった現代カルチャー研究会に吹き込んだ一陣の風。

その風に動きを封じられたように、恵壱は固まってしまったのだった。

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