第六十三話 ワンナウト三塁

 一回表、ノーアウト二塁。明来は初回から最高の形でチャンスを迎えている。


 二番に入る不破はサインを確認していた。


 ――サインは送りバントだった。


「ワンナウト三塁、一般的に得点しやすいケースとされていますが、大体どのくらい得点パターンくらいあると思いますか?」


「え……と、二十くらいですか?」


 上杉からキラーパスを送られた瑞穂はとっさに回答する。


「実は五十パターン以上あるとされています」


「え、そんなに多いんですね」


 瑞穂は素で驚いていた。


「ヒットや犠牲フライ、スクイズは勿論、内野ゴロでも打球によっては可能性がありますし、暴投だって考えられます」


「加えて暴投を恐れて、落ちる球は投げにくくなります。まずは一点、確実に取っておきたいですねぇ」


 上杉はニコニコと戦況を見つめている。瑞穂はスコアブックの余白にメモ書きを走らせた。


 瑞穂にとって監督の上杉とは、普段は赤いアロハを着たオールバックの変人であり、公式戦のユニフォームの発注を忘れ、試合当日にギリギリ間に合わせる……など、普段は何とも頼りない監督と認識している。


 しかし試合中に限り、上杉の話にはどれも感心してしまう。野球の時だけは何よりも頼りになる存在だと考えていた。


 ――ゴッ!


「しまった……」


 不破のバントした打球はピッチャー前に転がってしまった。球が速いとバントするのも難しいのだろう。


「サード!」


 太刀川が神崎にサードを指差し、指示を送る。


 ――だが、彼の目に信じられない光景が映っていた。

 兵藤がもの凄いスピードで三塁へ向かっている。


「いや、ファーストだ、ファーストに投げろ!」


 太刀川は咄嗟に指示を変更した。神崎はボールを丁寧に捕球し、一塁へ送球した。


「アウト!」


 結果送りバントが決まり、ワンナウト三塁の場面を作ることができた。


「ふぅー、兵藤君の好スタートに助けられましたね」


 瑞穂は息を吐いた。


「ええ。最高のスタートを切った兵藤君のファインプレーです。しかし困りましたね」


「えっ?」


 瑞穂は上杉の方へ顔を向ける。


「不破君はチーム内でバントが一番上手いです。そんな彼が転がすので精一杯だった。この試合は簡単にバントが使えないと考えます」


 上杉は溜息混じりに三番山神へサインを送る。サインはヒッティングだった。


「三番、ショート、山神君。背番号六」


 山神の名前がコールされた途端、神崎の表情が一層引き締まった。


 不破から細かい指示が守備陣に飛ぶ。先制されるピンチという事でもあるが、明来を代表する好打者である山神を警戒しての事だろう。


 神崎はセットポジションから、しっかり体重を乗せてボールを放った。


 ――シュパァァァン!!!


「ストライク!」


 山神は初球から振りに行ったが、バットは空を切った。スピードガンは今日最速の百四十八キロを計測していた。

 太刀川の返球に対して前のめりに受け取る姿から、神崎は気合十分。初回からエンジン全開の勝負が行われ、観客席は大熱狂に包まれている。


「神崎がこうもムキになるなんて、何があったんだよお前ら」


「別に、ただの元チームメイトでござるよ」


 太刀川からの質問を、山神は静かに返した。


 ――パキィン!


「ファウル!」


 二球目もストレートだったが、バックネットに突き刺さるファウルとなった。


 三球目、神崎は首を横に振った。それも二度もだ。この姿を見て、山神は違和感を感じていた。


 彼の知っている神崎という選手はサインを首に振らない、真面目なプレーヤーだ。

 太刀川の様なレベルの高いキャッチャーなら、いくらストレートで押せていても緩急や効果的なボール球を使う事は常に頭にあるだろう。

 

 ――ここまでを踏まえて考えると、恐らく神崎はボール球を嫌い、そして緩急を使う事も嫌った。つまりストレート三球勝負。これが山神の考えた予想だった。


 山神はバットを普段より短く握り直す。


 神崎から三球目が投じられた。相変わらずスピンの効いたボールだった。スピードガンに表示された数字は百五十キロとなっていた。


 ――キィン!


 打球は高く上がった。


 しかし、打球はショートの上空に上がっている。


 ――だが、野球の女神は気まぐれなのかもしれない。風により、打球は外野の方へどんどん押されていく。峰は背走して打球を必死に追いかけている。


「落ちろォォォ!!!」


「捕れェェェ!!!」


 両軍から叫び声が上がった。


 峰は背走したままダイビングキャッチを試みた。


 ズサァァァ……


 砂煙が舞う。だがボールが跳ねた様子はない。峰は倒れた状態で左手のグラブを上げた。


「キャッチアウト!」


 審判のコールが響き渡る。


 明来ベンチと応援席からは溜息が漏れ、皇帝学院側は大歓喜となった。

 皇帝守備陣も峰のファインプレーを称賛した。



 ――ただ一人のプレーヤーを除いて。



「バックホーム!」


 太刀川の声が響き渡る。


 皇帝学院だけではない、明来の選手達も驚いていた。


 ファインプレーの峰を尻目に、兵藤がホームへ果敢に走り出していた。


 一回表 途中


 明来 ゼロ対ゼロ 皇帝学院

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