(3)









     03



「灯夜。どうしてそんなことをしたんだい」

「……だって、××がオモチャひとりじめするんだもん」


 ――地面に向かって落下しながら、灯夜は不意に幼い頃、父と交わしたやりとりを思い返していた。


「そうだね。それは××くんも良くなかったんだと思う。でも、だからってぶっちゃだめだ」

「どうして……?」

「ぶたれたら痛い。転んだら、痛い。痛いの、灯夜は嫌だろ?」


 自分の父は世間一般的に優しい人に分類される人物だと灯夜は思っている。

 しかし同時に灯夜は、その根っこの部分に強い芯のようなものがあることを知っていた。

 ――その背中を見て、育って来た。


「……うん」

「××くんも、きっと痛かったと思う」


 灯夜の頬に触りながら、灯夜の父は静かに言った。


「……いたいのは、いやだ」

「うん、そうだよね。……灯夜、自分が嫌な事を、誰かにやっちゃダメなんだ」

「……」

「だからもしも次、何か嫌なことがあって……だれかに何かしようとする時には、ちょっとだけ、心の中で考えてみるんだ。もしも自分がそうされたら、どう思うのか。――人の気持ちを、考えるんだ」

「……できなかったら、どうしよう。いやなことしちゃったら、パパは怒る?」

「怒る」

「う……」

「でも――灯夜がそんなことしない子だって、パパは信じてる。人の嫌がる事じゃなくて、人の役に立つことをしてくれる、僕の自慢の息子なんだ、って。

 ……だって××くんが独り占めしていたオモチャを取り返そうとしたのは、灯夜がそれで遊びたかったからじゃなくて、皆がそれで困っていたからなんだろう?」

「……」

「ぶったことはダメだけど。……自分に出来ることを精一杯頑張ろうとした灯夜のことを、パパはすごく格好いいと思ったよ」


 ――そう言って笑った父親の顔を、今も鮮明に覚えている。


 ……多分、明確に。

 灯夜が自分以外というものを強く意識し始めたのは、きっとこの時からだ。

 人がされて嫌な事ではなく、人の役に立つことをしようと。

 ――自分は父にとって自慢の息子なんだと、そう誇る事の出来る人間になろうと思ったのだ。

 



     ※



 ――衝撃とノイズ。

 暗転。



     ※



「っかは、――げぼ」


 血を吐く。


 ――ほんの一瞬、意識を失っていた。

 その間に何か大切なことを思い出していたような気がする。

 それが何だったのかは、全く分からなかったけれど。


“残り、一割……”


 再生しつつある両足から上ってくる激痛の中でうっすらと自らの限界エネルギーの残量を悟る。


 口の中を満たす鉄の味に顔をしかめながら立ち上がった灯夜は、少し離れた場所に怪物の姿を見つけた。落下の衝撃で翼と頭部が粉々に砕けたソレは、ビキビキという音を立てて元の形を取り戻しつつあった。

 ――即座にその翼目がけて思いっきり足を振り抜く。


 片翼を粉砕されながら吹き飛んだ怪物がビルの壁面に激突した。その衝撃で翼竜の胸元に亀裂が走り、その奥に青い結晶体のようなものが覗く。


 ……山の中で遭遇した恐竜と、この翼竜の姿形はまるきり異なっている。

 しかしどちらも“氷の怪物”だ。そして氷の怪物にはこの胸元の青い結晶という弱点が共通しているのかもしれない。そんな風に灯夜は思いながら、


「……」


 ずるずると壁に体重を預けたまま地面に崩れ落ちた怪物の胸元のそれをべきり、と踏み砕く。

 結晶が砕けた瞬間にびたりと再生が停止したひび割れた嘴の隙間からしゃがれた断末魔を上げながら、怪物だったものは無数の氷の破片となって地面にぱらぱらと崩れ落ちていった。

 倒した。


「……終わっ、た」


 呟いてほっと息を吐き出しながら――その場にどさりと倒れ込む。


“力、入らないな……”


 自分自身の呼吸が弱々しいことを自覚しながら、灯夜はゆっくりと体を回転させて仰向けの体勢になった。

 変わり映えしない曇天が視界を埋める。

 澱んだ灰色を見つめながら、


「……あの子は無事だろうか」


 路地裏に置いてきた少女の顔をふと思い出して、灯夜はするりと意識の糸を手放した。











 ――どれくらいの間そうしていただろう。


「……あ」


 気絶していた灯夜は物音で不意に目覚めた。それからそれが足音だということに気付いて――戦慄する。

 山の中で遭遇した小さな肉食恐竜のような怪物と、先ほど倒したプテラノドンのような姿の怪物。

 どちらかとしか遭遇していなかった少し前までと違い、どちらとも遭遇してしまった今、灯夜が抱いていた“ああいう氷の怪物が二匹以外にもいるかもしれない”という疑念は確信に変わっていた。


 ……超人染みた力を発揮するためのエネルギー、その残量はほとんど底をついている。

 今襲われれば――死あるのみだ。


 しかし現状を理解した瞬間にばくばくと音を立てて暴れはじめた心臓とは反対に、思考はその同様に待ったをかけていた。

 足音がこちらに向かっている様子がない。どころか灯夜がいる場所からは遠ざかっていくように小さくなっていって――唐突にぴたりと止まったのだ。

 ……困惑する。

 距離が遠くなりすぎて聞こえなくなった、という感じではなかった。

 少なくとも自分の存在に気付いた怪物が襲ってきた――という事ではないらしいと灯夜は思いながら、


「……泣いてる?」


 ぽつりと呟いた灯夜は、聞こえなくなった足音の代わりに泣き声のようなものを耳にした。

 立ち上がる。ふらふらと、覚束ない足取りでその泣き声の聞こえる方に向かって歩いていく。

 

「……あ」


 泣き声の主はすぐに見つかった。

 路上。母親の遺体の近くに、先ほど路地裏に隠れているように言った少女が座り込んですすり泣いているいるのを発見する。


「――」


 何か言おうと開きかけた口を、言い淀んでぐっと噤む。そんなことを何回か繰り返していた灯夜に少女の方が気付いた。少し離れていた場所にぼうっと立っていた灯夜に、少女は泣き腫らした顔を向ける。


「お兄さん……」

「……」

「ごめんね、あそこにいろって、約束したのに……破っちゃった」

「……いいよ、仕方ない」


 少女の横へ移動する。

 ……戦いが終わって、改めて遺体を見下ろしてみると、本当に惨い殺され方をしたことが良く分かった。

 両手足はひしゃげ、体中から血が噴き出している。まともな死に方ではない――人の尊厳を弄び、嘲笑うかのような殺し方をしていた翼竜の怪物の醜悪な笑みを思い返しながら灯夜は強く拳を握りしめる。

 少女はぽつりと言った。


「お母さん、私を助けてくれたんだ」

「……」

「あのバケモノが、私に向かって飛んで来て。そしたらお母さんが私を突き飛ばして、それで。……それで……っ」


 “自分がもう少し早く来ていれば助かったかもしれない”――だなんて、口が裂けても言えなかった。

 何の慰めにもならない。たらればの話はどこまでも無意味で、現実は無慈悲な結果だけがその場に横たわっていた。

 ……母親だったものに縋りつき、嗚咽を零すその少女を見ていた。

 自分の無力感をかみしめていた灯夜は、ふとその異常に気付く。


「……は?」

 

 ビシリ、と。

 目の前から聞こえた音に気付き、少女から視線を外して母親の遺体を見た。

 ――ひび割れていた・・・・・・・


「な……、あ……?」

「ごめんね、お母さん。ごめんね……」


 それと同時だった。うわごとのようにそんな言葉を繰り返していた少女が縋りつく母親の遺体が、着ている衣服ごと足の先から頭のてっぺんまで真っ白く染まったのだ。

 その全身に瞬く間にひび割れが伝搬していき、そして――まるで砂の彫像が壊れる時のように、遺体はさらさらと白い灰のような何かになって崩れ落ちた。

 人の輪郭がぐちゃぐちゃになって――風に流れ、空中に溶けていく。

 ――そして後には何も残らない。


「……はぁ?」


 目の前の光景があまりにも信じがたくて、灯夜は思わず片手で頭を抑えた。


「何だ、何が……起こって……?」

「……死んじゃうと、消えるの」

「え……?」

「お父さんも、お姉ちゃんも。……みんな、みんな、消えちゃった」

「――、」


 ――それは。

 謎が解ける瞬間で、同時に謎が一つ増えた瞬間だった。


 ……つまりここまでの道中、灯夜が人の姿を一切見かけなかった理由は。

 それは人がどこかに行ってしまった訳ではなく。

 全員死んで、少女の母親のように、衣服ごと灰と化して消えてしまったという事だった。


「う、あ」

「……」

「ああああああ――」


 堰を切ったようにとめどなく少女の両目から涙があふれ出す。

 嵐のような困惑の中で泣きながら自分の胸元に縋った彼女を抱き止めながら、灯夜はぽつりと零した。


「……悪い夢だ、こんなのは」


 誰も、何も教えてはくれない。

 しかし目にした現象こそが、雄弁にこの変わり果てた世界の現実を物語っていた。










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氷漬けになった世界で超能力に目覚めた人の話 ねなし @nenashi359

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