邂逅/wind strike! (1)





     01



「――やっと着いた」


 怪物との闘いを経てからおおよそ一時間ほどが経過していた。

 ……怪物から逃げる過程で大分隣町へ向かう道から逸れていたため、元の場所に戻るのにまず五十分以上はかかった。隣町の付近を流れる川を遠目に見つけた時は、心底ほっとしながら胸をなでおろしたものだ。


 ――川沿いに沿って歩いて行けば、おのずと辿り着けた。

 堤防の凍った階段を上り、堤防の上から街並みを眺める。


「……で、あのビルはどれだ」


 ともかく――旗を振っていた少女がいたビルの場所は完全に分からなくなってしまっていたが、どうにかこうにか灯夜は無事に隣町へと到着することが出来た。


 ――時刻は既に午後九時を回っている。

 空模様は、相も変わらず昼間の曇天だった。


     ※


「誰もいない、か」


 氷の墓標と化した建物の群れと、凍結した道路のあちこちに放置された氷漬けの自動車。

 街灯や信号機から垂れ下がる無数の氷柱――。

 街中はどこもシンと静まり返っていて、人の気配というものがどこにもない。灯夜の住む町と同じように、痕跡も何も残さず、住人は皆消え失せていた。


“……何となく分かってはいたけど”


 堤防の上から見た街並みに人気はなく、自分が立てる音以外に聞こえて来る音は何もない。

 人の姿を探して街中を歩き回っていた灯夜は、それを早々に切り上げて旗を振っていた少女がいるであろうオフィス街へ向かって歩き出した。


 ――進むうち、次第に景色が変わって来る。

 駅周辺一帯。何度か来たことのある隣町のオフィス街は、記憶の中の景色とは打って変わって氷漬けのビルが立ち並ぶさながら異空間と化している。

 その光景を見ても全く動揺しないのを自覚した灯夜は随分慣れてしまったな、と自嘲しながら後頭部をぼりぼりと掻いた。


「……総当たりしかなさそうだ」


 ただでさえ似通った高さのビルが並んでいるうえ、氷漬けになったせいで見分けはかなりつき辛くなっている。

 もちろんこの異様に静かな街中でなら、大声を出して呼び続ければ少女も灯夜の存在に気付くとは思うが――脳裏を怪物の影がちらついて、それは憚られた。


“あれがもし、一匹だけじゃなくて複数いるとしたら”


 それは怪物との死闘が終わり、少しの冷静さと余裕を取り戻した後に思ったことだった。

 ……ありえそうな話だ。今のところはまだ出会っていない。だからあれ一匹しか怪物はいないという風にも考えられるが、今後遭遇しないという保証もない。


 だから灯夜はここまでの道中で出来る限り力を使わないようにしていた。力の大元であるエネルギーは時間経過によって回復していくようで――実感する前からそういう確信があり、実際に徐々に回復しているという感覚が灯夜の中にある――怪物との戦闘からそれなりに時間が経った今、エネルギーは全体の半分程度にまで回復しているという実感があった。

 

“……いきなり何匹もわらわら出て来たら終わりだろうな。リンチにされて”


 恐ろしい想像をしてしまい、思わず身震いする。


 とはいえビルの上で旗を振っていた少女に灯夜が大声で呼びかけていた時も氷の怪物は灯夜の近くにいたはずだ。だから声には反応しないのではないか……という予想もあるが、一方で灯夜に気付くと執拗に追いかけまわして来た。

 何だかちぐはぐさを覚える怪物の行動に、灯夜は改めて疑問を抱く。


“声に反応しないなら、耳が聞こえないとか……いや、そもそも氷で出来てるものに五感なんてあるんだろうか”


 ……考え出すとキリがない、と一度思考を打ち切った。


 罪悪感と躊躇があったが、この非常時には仕方がないと割り切って灯夜は凍った自動ドアを力を使ってこじ開けてビルの中に入る。


「凍ってないってだけで大分楽だな……」


 靴底の隙間に入り込んだ氷を落としながら呟いた。

 このビルの中に限らず、灯夜の借りている部屋といった屋内は氷漬けの被害を免れているようだった。

 酷いところでもせいぜい薄っすら霜が張っている程度のビル内を、旗を振っていた少女ないし人の姿を探し始めて探索し始めてしばらく。

 ついに一階から最上階まで隅々まで探し終えた灯夜は、屋上に座り込んでいた。


「……これ相当時間かかるぞ」


 頭を抱える。

 ……立ち上がり、フェンスのないヘリポート付きの屋上の縁まで移動してオフィス街を見回す。

 残っているビルは数十。一方でビル一棟を探索し切るのに四、五十分はかかったので、全てを探し切るのに一日二日では足りないだろう。


“やっぱり大声出すのが一番手っ取り早くはあるんだよな。見つかっても構わない、って腹をくくったほうがいいんだろうか……?”


 幸いビルを探索している最中にエネルギーは全快しているし、手探りだった初戦と違って怪物には弱点が――必ずしもある、とは断言できないので――ありそうだ、という事は分かっている。


“でも俺が大声を出したせいで怪物が目覚めて、俺じゃなくて偶然近くにいた人を襲ったりなんかしたら――いや、待て待て。考え過ぎてる。ちょっと落ち着け……”


 ふぅ、と一息つきながらビル内の給湯室から持って来た誰かのお茶入りのペットボトルを開ける。屋内が凍っていないおかげで、こういった飲料水や食べ物なんかは凍っていなかった。とはいえ冷え切っているお茶を口に含んで水分補給しながら、独り言ちる。


「しかし考えれば考えるほどホントに妙な状況だよな……」


 街が氷漬けになるほど寒いというなら、室内だってそうなるべきなのだ。しかしそうなっていないし……そもそもこういう風に街全体が分厚い氷に覆われるように氷漬けになるには、一度街が水浸しにでもならなければいけないのだ。

 何というか、雪国のように気温が下がって氷漬けになったにしては不自然な点が多い。


“そういえば怪物だって氷で出来てるし、何かの関係があるんだろうか。それに結局俺が駅で倒れていた理由もまだ分からない。……いきなりぱっと思い出せたりしないだろうか”


 考えに耽るうちに中身が空になったペットボトルを片手に立ち上がる。

 屋上を後にしようと、扉の取っ手に手をかけた時だった。


「――、」


 何か、聞こえた。

 気のせいではなかった。


「今の、は……?」


 振り返って屋上の縁まで走り出す。


「今のは……!」


 ビルの真下を横切るオフィス街の表通りへざっと視線を走らせた。

 そこに姿は無い。しかし、今のは聞き間違いなどではなく――!


「――あっちか」


 ――甲高い声がして、その方を見た。

 間違いなく、誰かの悲鳴だった。


「――、」


 直後、灯夜の体は勝手に動いていた。

 屋上の縁に足を掛け、跳んだのだ。

 ――圧倒的な浮遊感に包まれながら、百メートル以上直下、氷漬けの大通りへと落ちていく。


「――ッ」





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