一重の灯火、そして

紗沙神 祈來

一重の灯火、そして

 死んだ。

 僕の最愛の、世界で1番愛していた妻が死んだ。

 それは突然の別れだった。

 去年のクリスマスのことだった。

 僕は初めての妻とのクリスマスに心浮かれていた。

 とても楽しみにしていた。

 何ヶ月も前から夜はどこで食事しよう、何料理がいいだろう、プレゼントは何をあげたら喜んでくれるだろう。そんなように童心に帰っていた。

 だから、なんて言わない。言いたくない。認めたくない。受け止めたくない。ずっと否定していたい。

 そんなものがただの現実逃避であることくらい分かっている。―否、分かっているつもりだったんだ。

 ほんとに、真の意味でそれが分かっているのなら僕は立ち直れているのかもしれない。

 他でもない、妻の死という揺るぎない事実から。


 あれはずっと心待ちにしていたクリスマスの夜だった。

 俺は妻と一緒に普段は行かないような、高級感漂うお店を訪れ、夕飯を食べ、幸せな一時を過ごしていた。

 だと言うのに、それが一瞬にして絶望へと変わった。

 僕の目の前で、彼女が跳ねられた。

 運転手の居眠り運転、要は過失。

 声が出なかった。彼女が死んだ悲しみ、それ以上に気づいてやれなかった、守ってあげれなかった、助けてあげれなかったという自分の行動の情けなさに絶望した。

 彼女は即死で救急車で病院に搬送されるも助かることは無かった。

 そこからの堕落はもはや清々しいほどだった。

 会社を辞め、実家に帰り永遠と惰眠を貪り食も口にしない。

 あの時の幸せは見る影もなかった。

 別に不甲斐ないとも思わなくなった。

 このままでいいのか。そんなこと考えるだけ無駄なのだ。だって彼女は妻は。―もういないのだから。

 僕の生きがいが無くなったに等しい、否。完全に無くなった。

 ならいっそ死んでしまおう。

 そして僕は短い、人生を終わらせる旅に出た。


 旅と言っても、妻の地元に出向くだけ。それが終わったら死んで晴れて自由の身だ。

 電車に揺られること数時間。とある片田舎を訪れた俺は迷うことなく妻の実家へ行った。

 彼女が死んだ時に1度行ったことがある。

 特に道に迷うこと中辿り着くことが出来た。

 そして家門の前まで来て呼び鈴を鳴らそうとした時。

「ねぇ」

 そんな声がした。

 後ろを振り向くが誰もいない。

 気のせいかと思ったが再度声が聞こえる。

「誰かいるのか?」

 そう尋ねると返事があった。

「久しぶりだね、慶くん」

 その呼び方、そして声に僕はハッと息を飲んだ。

朱里あかり、なのか?」

 朱里、これは紛れもなく僕の妻だった。

「そうだよ。どうしたのこんな所に来て」

「お前という存在がいなくなった今、僕には生きる必要が無いんだ。だから最後に挨拶して、自殺しようと思った」

 僕は正直に話した。隠し事をしないのが2人のルールだったから。

「ふーん、そっか」

 あまり興味がないように見える。彼女にとってあまり重要なことでは無いのだろうか。

「ねぇ、少し歩こっか?」


 それから僕と朱里は他愛のない話をしながら歩みを進めていた。

 昔のこと、今のこと。色々なことを話した。

 彼女の声を聞く度に泣きそうになりながらもなんとか耐える。

 何故死んだはずの彼女がここに居るのか、なんて疑問はどうでもよかった。それよりもまた彼女と話せているという事実の方が何よりも大事なのだから。

 そして歩き着いた先。そこは山の山頂だった。

「ここからの景色ってさ、すごい良いんだ。だから慶くんと一緒に見てみたかったんだ」

「そっか。じゃあよかったな。最後に見れて」

 僕がそう言うと彼女は最後かぁ、と反応した。

「慶くんはさ、ほんとに死ぬ気でいるの?死ぬって軽々しくできることじゃないよ?まぁ車に跳ねられてぽっくりいっちゃった私が言っても説得力無いかもね」

 少し自虐も混ぜながら能天気に言う彼女。

 そんなこと分かってる。けど今は死よりも生のほうが僕にとっては辛いんだ。

「重々承知の上だ。僕は死ぬよ」

「そっか。じゃあ止めない。あの世で待ってる」

 これでいいんだ。あの世で朱里とまた幸せに......

「なんて、言うと思った?」

 僕はその発言にどよめく。どうしてなのか。僕には理解できない。

「私はそんなの認めないよ。死んだら許さない」

 そう言う彼女の目は真剣で、口調も強く圧があった。

「なんでだよ?朱里は俺がそっちに行かなくてもいいのかよ。僕のことが好きじゃなくなったのか?そういうことなのか?」

 僕は完全に冷静さを欠いていた。思わず言うつもりもないことまで言ってしまう。

「そんなの好きに決まってんじゃん。正直寂しいよ。あんなところで死にたくなかったよ。もっと一緒にいたかった!」

 叫ぶ彼女の目には大粒の涙が溜まっていた。俺はその姿を見ていられなくて思わず目を逸らしてしまう。

「でも、だからこそ。慶くんのことが好きだから!」

 そこまで言って彼女が声を途切らせる。何事かと思って目を向けるとそこにはやはり、涙を流す彼女が居て。

「生きててほしいんだよ!私の分も、ずっと!ずっと!ずっと!幸せに!人は死んだらそこで終わりなんだよ。不死身の生き物なんかじゃない。だから!」

 もう限界だった。なぜ僕はこの期に及んで彼女の気持ちに気づいてあげられなかったのだろう。最低だ。

 もうこれ以上聞きたくなかった。自分が情けなくて、気が狂ってしまいそうだ。でも、ここで逃げる訳にはいかない。逃げてしまってはそれこそ自分を許せなくなる。だから、彼女を真っ直ぐ、しっかりと見据える。

 そして.....

「だから、生きて!それが私からの最後のお願い!」

 決定打だった。今の僕の涙腺を崩壊させるには。

 涙がダムを決壊させたようにとめどなく、どうしようもなく溢れてくる。

 嗚咽も止まらない。なんて情けない姿だろうか。最後の最後まで妻の前で恥を晒すなんて。


 どれほどそうしていただろうか。

 少し落ち着き、僕は彼女に向き合っていた。

「ごめん、気持ちに気づいてあげられなくて。生きるよ、僕は。朱里の分も必死に」

「うん。やっぱり慶くんは笑顔が1番だよ」

 そう言われて自分が笑っていることに気づいた。

「さっき最後のお願いって言ったけど、やっぱりもう1つお願いがあるの」

「なに?」

 僕が聞き返すと彼女は手を回して抱きしめてきた。

 それに応えるように、僕も手を回す。

「この先、慶くんにとって良い人が現れたら、恋したり、結婚したりしてくれて構わない。でも」

 そこで1回深呼吸をしてから彼女は、

「絶対に私を忘れないで。約束ね」

「当たり前だ。忘れたりなんかしないさ」

「うん......」

 こうして妻、朱里はほんとうの最後を迎えた。

 なぜ死んだはずの彼女が僕の前に突然現れたのか、それは分からない。追求する気もない。

 ただこの出来事が僕の記憶に残るのは紛れもない事実で。

 1つの魂といういつ消えるか分からない灯火が確かに存在したのもまた事実で。

 僕は彼女を幸せにしてあげることができたのだろうか。恐らく僕が生きてることが彼女の幸せなのかもしれない。

 そんなふうに自惚れながら僕は、今の日々を過ごしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一重の灯火、そして 紗沙神 祈來 @arwyba8595

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ