カルナバル・パーティ
カルナバル
「霧谷雄吾を狙っているオーヴァードですか」
ヴラスターリは言われた言葉を繰り返し、奥歯が音がするほどに噛みしめた。
実感のない言葉が、じわじわと水がしみこむように脳へと浸透してく。
冗談じゃない! ろくでなしどもめ!
そう声をあげて叫びたいのを寸前で止めたのは理性が強かったからだと自分を褒めてあげたいくらいだ。
「高見、急いでこの店を閉鎖して敵襲に備えて、かき集められるだけ支部員を集めて」
「ヴラスターリ、しかし」
冷静な声で指示を飛ばすが、高見は困惑したまま動けない。あまりにもことが大きすぎて理解できてないのだ。
「今の聞いたでしょう! ここも狙われるわ! 急いで」
ヴラスターリの必死の言葉に高見も理解が追い付いたのか、すぐに支部長の顔となって頷くと、その場にいた二人に指示を飛ばし、放たれた矢のように動き始めた。
戸口ものろのろと立ち上がり、店の奥――自分の持ち場へと向かう。一般人である自分が一番死にやすいと心得ているのだ。
この支部は見た目こそ普通だが窓にはめ込んだ硝子はすべて強化硝子なうえ、建物の壁や柱、机にいたるまで一つ一つがモルフェイスのオーヴァードたちによって通常以上に強化されているのでダイナマイト一つや二つ、さらにオーヴァードが一人暴れたところで破壊される恐れは皆無に等しい。
が相手はよりにもよって正体不明のオーヴァード、しかも十二人だ。どんなものがくるかもわからない。
日本代表である霧谷を狙うということは、日本にいるUGNに属する者すべてを敵にまわすということだ。いくらFHがテロのようなことを行う組織で、コードウェルがすべてのUGNを破壊すると宣言しても今までもこんな大事をやろうとしなかった。それは一言にいえば均衡を崩すことをよしとしていないという一点に尽きる。
UGN、FHは世界中に存在し、その中心となる場所は秘匿されているが――各国にそれぞれ小さな支部を持ち、互いに牽制を行ってきた。
日本は霧谷がいるおかげで守られているのだ。
隣国の中国、香港などは魔窟とされ、代表者が存在しない。それは中国マフィア、ロシアマフィアなどがオーヴァードとして存在し、UGN、FHの存在をはねつけたためだ。
かろうじて数名のエージェントが潜り込んでいるが、中国は組織同士のいがみ合い、内輪での醜い争いが続き戦争さながらの地獄を繰り広げていることは有名だ。
日本の支部長が倒れたとすれば彼らは結託して真っ先に日本の覇権を得ようと狙ってくるはずだ。そうすればロシアも黙ってはいないが、あそこにはアッシュ・レドリックなどの過激派の息がかかった者が多い。
泥沼だ。
人間、オーヴァードたちの戦争がはじまってしまう。
しかし解せないのは第一オーヴァード覚醒事件――血みどろの殺し合いと差別を経てきた世代は現在覚醒した第二、第三世代よりもその点はシビアだ。差別によって殺され、実験体にされた経験のある彼らは現在の平穏を守ることを優先する。
だのにわざわざ均衡を崩すことをあえてする。
それだけのなにかがあるのか。
ここで霧谷を失って一番困るのは自分だとヴラスターリは自覚している。
霧谷の後ろ盾があるからこそヴァシリオスのジャーム判定は取り下げられているのだ。苦労して得た平穏をどこの誰とも知らない奴らに水泡に帰されては困る。
--ろくでなしどめも
もう一度心のなかで敵に対する怨嗟を吐き捨てたヴラスターリの顔はエージェントのそれとなる。
出来るだけはやくヴァシリオスと合流する。
そして放たれたと思われる十二名を叩き潰す。殺せるものはみんな殺す。
シンプルな思考、やることは決まった。
「ここに留まりましょう、リヴァイアサン、この支部は見た目よりも頑丈です。籠城戦は私の得意分野です」
「わかりました。指示に従いましょう。パンドラさん」
「んー。ワタシクシサマはいつでもいいのですが、ゆーご」
パンドラ・アクターがフォークを行儀悪く口にくわえてひらひらとふって呑気に声をかけてくる。
「おいてきたお客さんきたようですよぅ」
パンドラ・アクターの言葉に霧谷がちらりと視線を玄関に向けた。
ヴラスターリはぎくりとした。
ドアが開き、ちりりんと呼び鈴の音が軽やかに響く。
入ってきたのは高級ブランドのスーツを着た女だった。長い黒髪の毛を一つにくくりつけて、まとめてだんごにしている。鋭い青い瞳を隠すように眼鏡をかけて品がよい。注意深く見ればこの女がどれだけ見た目に金を使っているのかはわかる。そのうえ油断できない雰囲気を漂わせているのかも。
その雰囲気をヴラスターリは見たことがある。正確には肌で感じたことがある。
マリア・チェフノコフに似ている。
アッシュの腹心ともいえるマリア。雪のような美しさと冷酷さ、見た目の儚さとは無縁の恐ろしいロシア女。
「探しましたよ、ミスター・霧谷」
席まで歩いてきた女は完璧な発音で霧谷に微笑みかける。
そのとき自分もパンドラ・アクターもまとめて無視されたのだとヴラスターリは理解した。
「いきなりいなくなるので、ああローザさんからここの場所を聞きましたよ。あと今朝の船の報告がありましたが日本支部は大丈夫なんですの?」
「……私の予定はローザさんに伝えてあります。今日は検査のため、そして個人的な用事のためにあけてあると、あなたの同行は不要のはずですが、ミス・クララ」
「あら、私は日本に不慣れなんですよ」
クララ――笑えるくらい偽名だとわかる。あのリヴァイアサンを相手に対等に向き合っている。
「それに私も紹介していただきたいですわ、お久しぶりですね。エージェント」
その呼びかけにヴラスターリは目を細めた。
「……あなたは」
「失礼。私はクララ・パドリック。あなたのことは聞き及んでいますわアッシュのところにいらっしゃいましたよね? エージェント」
「……ええ」
この女は嫌いだ。
本能がそう告げた。
この女はわかっていて自分のことエージェントと呼んでいるのだ。
クローン体として作られ、名を与えられずに道具として消費される日々であった自分の扱いを。
ヴラスターリが世界各国で活動する理由、それは彼女の身元引受人がアッシュだからだ。
彼は自分をものとして扱った。道具使いのいい男。そういう点で彼のことを嫌いではないが、好きでもない。アッシュの周りにこんな女はいなかった。
過激派の誰かの部下あたりかと検討つけるがぱっと浮かばない。ただこの回りくどく、しつこいかんじはチェーカー臭い。ヴラスターリのオリジナルはチェーカーが大嫌いだったが、その点は見事に受け継いだ。
ヴァシリオスを救った日から怪我の治癒やエージェント登録などあわただしく、アッシュとは一切連絡をとっていない。向こうも忙しいらしくメール一つ寄越していない。
「今回は霧谷があなたに会うというから、やってきたんです。同席してもよろしいかしら? 私は本部から派遣された、こちらの日本支部の調査を行っているんです」
組織調査か。だからこんな挑発的なのかとヴラスターリは理解する。
マリアは組織調査を行うが、あれは現場に出ているエージェントを対象とした武力行使。こちらはどうも内部調査といっても書類関係のねちっこいもののようだ。
リヴァイアサンがわざわざ逃げてきた理由がわかる。痛くもない腹を探られ、自分の台所をいじってくるのだ。
「今はそれどころではないわ。正体不明のオーヴァードたちが刺客として放たれました。その対応をしなくては」
「まぁ、大変ね。けれどそれほどに日本の支部は弱いのかしら? お話聞かせてください」
挑発に乗るつもりはないが、我慢の限界だ。
「У меня нет хобби поесть с свиноматками(メス豚と食事をする趣味はないわ)」
「あら、怖いわ。リヴァイアサン、報告をください」
軽く笑ってあしらわれたのにヴラスターリは舌打ちしそうになったが、それはあまりにも品がないので我慢した。
それに今はそんな暇はない。この女についてはあとでアッシュかマリアに連絡をとる必要がある。
よりにもよって私の前にこんなやつを差し出すなんて食い殺せといっているようなものだ。
リヴァイアサンも不愉快らしいが努めて冷静にクララの相手をしている。その報告がほぼ終わったタイミングでヴラスターリは冷静に霧谷と向き合う。
「リヴァイアサン、いますぐにこの街一つを包むワーディングを展開してください」
「街をですか」
リヴァイアサンが目を眇め、ヴラスターリの言葉の意味を理解しようとする。
UGNの国を代表する支部にはいくつかの特権がある。
その一つが街を一つ覆うことのできるワーディングだ。それは数名の科学者によって発明された巨大ワーディング装置で小さな結晶体を軸に展開後、37時間はワーディングによって街一つを包むことのできる。
ただし人工的なそれはオーヴァードが行うものよりも効果はやや弱い。それでも一般人たちを街から平和的に避難させることは出来る。
「大勢のオーヴァードが狙ってきているといっても十二名ですよ。そんな非常時の装備を発動させるつもりですか」
クララが眉根を持ち上げた。
「そうです。FHの者は人の目を気にしません。そのうえ、今回はリヴァイアサンを狙っているということを考えればオーヴァードであることを隠蔽しようとしないかもしれない」
自分がもしこのテロに加担する十二名だったらそうする。
オーヴァードは見た目ただの人であることも多い。一般人のなかに紛れて襲うほうが勝率はあがる。
そこまで言わなくても霧谷は理解したらしい。すぐさまに携帯電話を取りだした。
「ローザさんたちにすぐにワーディングの許可と、避難勧告の指示を……すいません、リヴァイアサンです。いますぐにワ」
とたんに激しい爆発音が通話中の電話の先から聞こえてきた。
同時にヴラスターリは窓からの殺気に気が付いた。
「ゆーご!」
パンドラ・アクターが霧谷にかぶさるようにソファの上に押し倒し、クララが床に伏せる。
窓ガラスを割って足が生えてきた。
華が咲くように細く、長い脚は黒革に包まれて妖しく、蠱惑的に輝く。
そのあとにつづいて入ってきたのは黒翼を持った天使のようなその見た目に反して悪食のように笑う女だった。
「あら、一番のりでありんすなぁ。じゃあ、いっちょ仕事しましょうかぁ」
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