かみかくし

かながわドミノ

第1話

【一】


 コーヒーをすすりながら雑誌の記事を淡々と綴る。

 神社の娘で霊感持ちと言う理由だけでオカルト系の雑誌の担当にされてしまったことは不服だが、社畜体質の私、御子神みこがみ 沙彩さあやは体を張った潜入取材などで徐々に人気を集めつつあった。しかし、そろそろネタも尽きると言うもの。だって私、暗くて寒くて狭いところとかいうテッパンの怖いところが大嫌いだから……。

 さて、どうしたものかと空を仰ぐとそこには____

「……編集長」

 __オカルト大好きなネタ提供担当の編集長がいた。

「何かいいネタありませんか? 困ってます」

「そーだろうと思ってな。ほらよ」

 ばさりと手渡された資料の表紙には大きく『神隠しの起こる山の真実を暴く』とある。嫌な予感とともにパラパラと中身を見れば思った通り……。

「また潜入ものですか」

「ああ、地図はきちんと載せておいたぞ」

 そういう問題じゃないです。

 そんなこと言ってもまあ……





「来ることになるんだろうなって思ってたけどねえ」

 その山の目の前で頭を抱えるようにして、私は言った。嫌な予感、的中。マジもんですわこれ。しかも……。

「私を呼び込んでる……よね?」

 山に私を引き込むように吹く強い風、はらはらと舞い落ちる葉、そして微かなお香のような香り。すごく歓迎されている……。

 行くべきか、行かざるべきか。

 足踏みしている私を急かすかのように、風はどんどん強くなる。

「わっ……ちょ、ちょっと待って……!」

 そう言った途端にぶつり、と音がした。そちらの方にこわごわと目をやると、山の入り口に張ってあった縄が真っ二つになっている。

 恐る恐る近づくと、その断面は鋭利な刃物で切られたかのように綺麗で……。

「……よーっし」

 ようやく覚悟を決めて、私はその森の中に足を踏み入れた。





【二】


 森の中には一本道があった。

 それはまるで、私を導くかのように……いや、実際そうだったようだ。

 道の先、たどり着いたところはひらけていて、古い鳥居とこれまた古い小さな祠がある。

 鳥居、くぐらないほうがいいかな。でもな……それだと取材がなぁ。

 そんなことを考えた末、私はその鳥居をくぐった。近づいてみると、祠には古い札が貼ってある。これは……封印の札だろうか。

 写真を撮ってその場所から出ようとしたが、それは強い風に阻まれた。私は思わず、その場に尻餅をつく。

その時だった。風の音に混じり、どこからともなく鎖が擦れる音がじゃらりと聞こえる。まさか、封印が……!

「札っ!」

 上半身をひねり鋭く叫んで、私はその札に向かって霊力を放つ。これを貼り付けた術者の霊力を自分のもので上書きして、再度貼り付けようと思ったのだ。

 お願い、取れないで。

 思いも虚しく、その札は私の目の前で塵とかした。その瞬間、私の後ろに強い気配が現れる。

 呆然としている私を後ろから抱きしめ、『それ』は「あいたかった」と掠れた甘い声で囁いた。

「誰かと、勘違いしているんじゃ……」

 必死で言葉を紡ぐが、それが届くことはない。

「さあや……さあやだろう? 会いたかった、さあや、俺の、愛しいさあや……」

 本能が拒否している。これ以上関わるな、と。

「や、やめ、」

「さあや」

 毒を含んでいるかのような甘い声は私の耳を、脳を、優しく犯していく。

「愛している……さあや」





 目を覚ますと、暖かい日差しの差し込む和室の中にいた。身体を起こして部屋を見渡してはみたものの、事態をいまいち飲み込むことができない。と、襖から一人の男が顔を出す。

「気がついたか?」

 その聞き覚えのある声に思わず体をびくりと震わせると、彼は朗らかに笑った。

「あーいや、すまん。久しぶりの再会でつい興奮してしまって……そんなに怖がらないでくれないか?」

 やっぱりそうだ。あの祠に、封印されていた……神さま? のようなもの。

 あれで怖がらないでとか無理があると思うのですが、そのあたりはどうお考えでしょうか? そう言いたいのをぐっと堪え、私は彼に問う。

「あの、あなた……誰ですか?」

「え、ああ……。君は、沙彩だよな……?」

「そうです、が……」

 気絶する前に聞いたあれは、聞き間違いではなかったらしい。神のようなものに、真名を知られているなんて。そうなると、ここはきっと彼の神域。ああ、本当に厄介なことになった。

「俺が、わからないか?」

「分かりません」

「なぜだ? 記憶が、ないなんて」

 彼はぼそりと呟いた。

 とても……淋しそうな顔で。

「あの……?」

「俺の名前は******。……何も思い出さないか?」

「ええと、今、なんて……?」

 彼はくしゃっと顔を歪めた。

「沙彩、君は」

 目に涙をためた彼が私の頬に触れた、その瞬間。彼は蹌踉めき、空を舞う落ち葉のように倒れた。その薄い身体を私は抱きかかえる。

 彼の指先は、黒く透けるように変色していた。

 とりあえず彼を今まで私が寝ていた布団に寝かせ、私はその横に座る。

 却説、どうしたものか。

 黒く変色した指先は、恐らく穢れによるもの。穢れを祓えば彼は動けるようになるに違いない。

 そんなことはやったことがないのだが……私にできるのか。しかし、神域から出るにはこの神を目覚めさせて説得するしかない。

 私は深く息を吸い込んで彼の手を握った。そしてそのまま霊力を流し込む。

 祖父曰く、私の霊力は清水のように清らかで澄んだ強いものらしい。

 そう、穢れを祓えるほどに。

 霊力を流し続けながら細い声で咒まじないをつぶやく。彼の指先は元の白に戻っていった。

 ややあって、小さく呻いたのちに彼は眼を覚ます。

「これは、君が?」

「はい」

「なぜだ? なぜ助けてくれた」

 彼は訝しげに眉をひそめる。そんなの決まっているじゃない、と私はため息をついた。

「ここから出たいからです」

「……沙彩、先はすまなかった。君はどうやら、俺の知っている沙彩の生まれ変わりのようだ」

 彼は私をじっくりと観察した後そう告げる。

「俺の知っている沙彩よりも霊力が強い。見目こそ本当によく似ているが、彼女はもっと繊細な花のような物腰だったし……。あまりに似ていたから、つい記憶が混濁してしまったようだ。悪かったな」

「雑草みたいな物腰で悪かったですね。それなら早くここから返してくれますか? 私はその『沙彩』さんじゃないわけですし」

「それはだめだ。君は、俺と結ばれる運命だからな」

 彼は途端に恍惚とした笑みを浮かべ、私の手を取る。

「忘れているのなら、思い出させればいい。そうだろう? 沙彩」

「私、あなたのこと全く知りませんし知りたいとも思わないんですけど。ついでに言えば会ったことすらないので、思い出すも何もないかと」

「俺が沙彩のことが好きで結ばれたいと思っているんだし、今世でもこんなに運命的な深い縁……出会いがあったんだ。きっとその縁が前世での記憶を呼び起こしてくれるさ。今度こそ結婚しよう、沙彩」

 私の左手の上でずっと動いていた彼の指が薬指の上で止まる。

「結構です。何度言ったら分かってくれるんですか。帰らせていただきます」

 彼の手を振りほどき、私は襖を開けて足を踏み出した。と、思った。しかし、まだ彼が目の前にいる。

「……は?」

 何回繰り返しても同じだった。

 いくら部屋から出ようとしても、たった今出たはずな部屋に足を踏み入れているのだ。

「俺の愛が分かってくれたか?」

「これが愛なら歪みすぎてますよ」

 思わず苦虫を噛み潰したような声が出る。私は彼を強く睨みつけた。

「早く帰らせてください。あなたに用はないんです」

「……はあ。全く、君は強情だな」

 その言葉の意味を理解する間も無く、思考に霧がかかってくる。眠いなんて思う間もなく、私の意識はぷつんと途絶えた。





【三】


 じゃらり


 金属の擦れる音で意識が浮上した。

 私、神隠しにあって……それで……。

 そこまで考えたところでハッと体を起こす。

 目蓋を開いているのか、閉じているのかすらわからないような深い闇。

 触れてみれば、私の両腕と両足には重たい鎖が繋がれていた。どうやらここは座敷牢らしい。ぺたぺたと恐る恐る手をいろいろな場所に触れさせると、この部屋が私が立ち上がれないほどに狭い場所だということがわかる。

 寒い、と身体に手をやって、私はやっと気がついた。スーツがよく香の染みた白い着物に着替えさせられている。……いや、これは白無垢だ。

 嫁入りさせる気満々じゃないか。

 結ってあった髪はよく梳かされて、私の肩にかかっている。

「……誰か、いませんか」

 私の口からぽつりと溢れ出した声は、自分の意思に反してとても寂しげだった。

 私の声はどこかへ吸い込まれていき、重たい闇と静寂が私の体をねっとりと包み込む。

 恐かった。

 私はこういう、暗くて寒くて狭いところが大嫌いなのだ。

 目に涙が滲む。

 なんでこんなに酷いことするの? と問いかけた瞬間にほろりと涙が溢れた。

「なんでって言われてもなぁ」

 返事を期待していなかった私はその声に驚いて飛び上がった。人一人しか入れないような狭いスペースのはずなのに、右の耳元で急に囁かれた驚きで、涙は後から後から溢れる。

「前世の君を座敷牢に閉じ込めた時、酷く怖がっていたから、としか」

 ふっと彼の気配が消えて、私は自分の肩を抱き、荒い息を繰り返す。

 怖い。怖い。助けて、誰か。

「それに」

 今度は左側から聞こえた声に、ひゅっと喉が引き攣る。

「君はここに閉じ込めると素直になってくれるからな」

 私の引き攣った喉から、声にならない何かがあふれる。なにか否定の言葉を呟いているようだった。

「俺の事を愛していると、俺に嫁入りすると……そういえばここから出してやる、と言ったら、君はそうやって涙を流しながら、声を何度もつまらせて誓ってくれた。泣いてしまうほど俺のことが好きだったんだろうな」

 よしよし、と彼は赤子をあやすように私の背を叩く。私の脳は既に思考を放棄しようとしていた。

「素直になってくれれば、今すぐにでもここから出してやるぜ?」

 優しい声だ。

 まるで聞き分けのない子供に言い含めるような、そんな声。

「ほら、あの時みたいに言ってくれ。

******を愛してる、******のお嫁さんになるって……その、愛らしい声で」

 私は必死で首を横にふる。

「ん……? なんでだ?」

「はッ……あ、んたな、か、だいっきら、い」

 勇気と力を振り絞って、私は肩を抱いている彼の手を振り払った。そちらを振り向くと、黒洞洞たる闇の中に二つ、光が見える。

それは不自然に歪んでいて、蕩けた光を浮かべていた。私は息を飲む。

 目だ。彼の目。

 その瞳は獲物を捕らえた肉食動物のようだった。

 彼の動きは素早かった。

 私の頭を鷲掴みにし、自らの唇を私のそれに近づける。ぬめつく生暖かい舌と唾液が私の唇を割って入り込んできた。

 呼吸を奪われた私は、必死で彼から逃げ出そうとする。が、体が痺れてうまく動かない。神気を摂取させられているのだ、と気がつくのにそう時間はかからなかった。だめだ。こんなに多く神気を入れられたら、死ぬ。

 体から力が抜け、私は床に崩れ落ちる。

 彼はそんな私を片腕で支えてキスを続けた。

 意識が朦朧としてくる。


 死ぬ。


 意識を飛ばす寸前、やっと解放された頃には、私の体はすっかり彼の神気に犯されていた。

「沙彩……愛している。君もそうだろ?」

 つう、と銀の糸を引かせながら彼はそう囁いた。

「う、ん……」

 私の意思とは関係なく、その言葉は勝手に紡がれた。神気漬けになった私に、拒否権など存在しない。

「俺と結婚してくれるか?」

「……うん……」

 首が縦に動く。

 にんまりと笑った彼を、何故か愛おしく感じた。

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