第21話

 私達は今、湖の上にいる。ボートに乗っているのだ。既に夕陽は落ちており、マジックアワーの時間帯に突入した。夕方と夜の変わり目である奇跡的な瞬間。


 私は陽子、涼、ふみちゃんと共にトロンボーンを構えた。私たち乗ったボートの周囲にはそれぞれの楽器班の部員を乗せたボートが待機しており、部長を中心に扇型に並んでいた。


 部長は大きな声で、いった。


「よーし、これから合わせるでありますよー」


「「「はーい」」」


 私達は、返事をした。


 部長は手をあげると、開始の合図をした。


 まもなく、私たちの演奏が始まる。様々な楽器から奏でられる音が、一つのメロディーになろうとしていた。


 話は2日前にさかのぼる。


 夏休みも、もうすぐ終わろうとしていたこの日、練習の終わり間際に、姉が音楽室の教壇の上に立った。窓の外は既に暗くなっている。


「みなさーん。どうでしょう? そろそろ、室内での演奏に飽きてきたのではありませんかー? 飽きちゃった人、はーい、してくださーい」


 姉は、元気いっぱい「はーい」と手をあげた。


 誰も挙手しない。


 そりゃそうだろう。みんな困惑していた。


「あれれ? みなさん、どうしたのですか? 先生は、室内練習に飽き飽きしちゃってますよー。どうでしょう、趣向を変えた練習をするのは」


 姉の発言に対しては、ちらほやとコメントがあがった。


「えー。普通に練習しましょうよ、北陸先生」「そうですそうです」「普通が一番ですって!」


 ガヤガヤとざわめいた。


 姉は、かぶりを振って、手をぱちんと叩いた。


「みなさん、はい。お静かにー。楽しい毎日を過ごすためには何が必要かお分かりですかー? 先生が教えてあげましょう。それは刺激です。刺激のない人生なんて、ケチャップをケチって作った喫茶店のナポリタンぐらいに色あせているのです」


 私に隣に座っていた、涼が手を挙げた。


「先生、色あせたナポリタンなんて嫌です! 食べたくありません。きっと美味しくないに違いないからです」


 それを聞いた姉は、満足そうに頷いた。


「涼くんのいう通りです。みなさんの慰安をねぎらう為に、先生はナイスアイデアを考えました。明後日、船上の演奏練習会を開きます。夏休み最後の思い出とします」


 音楽室が再び、ガヤガヤと騒がしくなった。その中、部長が姉に質問した。


「先生、それはどういうことなのですか?」


「まあ、日帰りで遊びに行こうって話でーす。そして、空が夕焼けから真っ暗になるまでヒーリング系の現在の課題曲のラスト演奏をして、帰宅するというスケジュールでーす」


 部長が、眉間にしわを寄せた。


「なんだか、唐突ですよ、先生。本当に明後日にするのですか?」


「はい、神宮さん。みんなで演奏して気持ちよくなろーってことです。楽しもうってことです。以上でーす。ではみなさん、本日は解散。そうそう。あと班ごとにカレーを作ってのコンテストも開催するので、班ごとに話し合ってカレーの材料を持ってきてください。鍋などの調理具は学校のものを用意します。なお、強制参加でーす」


「えー? 先生、ますます分かりません!」


 姉は、一方的に発言するだけして音楽室を出ていった。


 その後、部長の号令の後に、私達も解散した。


 電灯の明りに照らされて田んぼ道をいつものように歩いて帰宅する。


 陽子がいった。


「それにしても北陸先生、よく思いつくのだ。あの企画力はたいしたものだと思うのだ。まあ、失敗する時がほとんどで、私たちは小さい頃から振り回されてきたけど」


「ごめんね。お姉ちゃん、思いついたら、突き進むところがある人だから」


 姉は、数日前の祭の日、クジ引きで欲しい景品を当てる為に8万円をつぎ込んだ経緯もある。


 涼は、かぶりを振った。


「僕は、先生のそういうところは高く評価されるべきだと思うんだよなあ」


「そうかなあ」


 家に到着した時には、姉は既に帰宅しており、夕飯を作っていた。


 私は、キッチンの椅子座って、姉の背中を見ながらいった。


「お姉ちゃん、船上の演奏練習会ってどういうことするの?」


「そのまんまだよー。夕日に照らされる中、ボートに乗って、湖の緩い波にゆらゆらとしながら、今練習している課題曲を演奏するの。観客は動物と木々たち。うさちゃんは嫌?」


「ううん。楽しそうだからやってみたいと思っているよ」


 それは本音だ。


 純粋に、楽しそうだな、と思ったのだ。


「うさちゃんもそろそろ、トロンボーンの演奏にも慣れてきたでしょう」


「どうだろう。でも、もっともっと上手くなりたいな。トロンボーン、毎日、一度は吹かないと、落ち着いていられないって感じかな」


「そっかー。お姉ちゃんにもそういうところがあるから。うさちゃん、やっぱりお姉ちゃんと同じ血が流れているわけだ」


「お姉ちゃんも、そうだったの?」


「うん。一度練習を始めたら、その楽器を一日中、演奏しちゃうよ」


「そうなんだ」


 姉は、夕飯のおかずを更に盛ってテーブルに出した。本日はマーボー豆腐だ。


 わーい。


 私の好物のひとつだ。


 私は、2人分のご飯をよそい、準備に協力した。


「それにしても、船の上での演奏。どんな演奏になるんだろう」


「うふふ。うさちゃん、それはその日のお楽しみだよ」


 2日後。正午過ぎ、私たちマーチング部は校門の前で待ち合わせた。134名もいると、とても賑やかだ。


 私が、陽子と涼と一緒に学園にきた時には、ふみちゃんはすでに門のすぐ横で待機していた。


 陽子は、手を挙げながらいった。


「おはよう、ふーみん。いつもながら早いのだ」


「そうですかぁ? 私はいつも十分前行動をしているだけですょ。それより、早くトロンボーンをとって来なくちゃ! もうあと5分で待ち合わせ時間ですょー」


「じゃあ、うーたん。私と涼は生徒会室にトロンボーンを取りに行ってくるのだ」


「いってらっしゃーい」


 2人は校内に急いでいった。私はトロンボーンを毎日のように持ち帰っているので、取りに行く必要はない。


 ふみちゃんと二人でボーっとしていたら、バスが3台やってきて、校門前に停車した。中から姉も出てきて、手を振った。


「うさちゃんと龍崎さん。鍋とか調理器具を取りに行くの手伝ってほしいの。いいかしら?」


「いいよー」


「はい」


 姉は、私たち以外の部員も呼んで、中学校と高校の調理室に向かった。


 部屋の鍵を空け、鍋やガスコンロなどの調理器具、炊飯器などを持ち出した。


 私は鍋を抱きかかえて廊下を歩きつつ、姉にいった。


「バスをわざわざ用意したんだね。というか、これだけのバスを用意するの、かなり料金がかかったんじゃないの?」


「ここのバス会社は毎回利用しているから、お得な料金になるのよ。全部、部費だけど」


「ふーん。そうなんだ」


 一体、部費はどれくらいでているのだろうか。


 校門に戻ると、バスの中へ調理器具を次々と詰め込んだ。先程まで校門前にたむろしていた部員たちは、すでにバスに乗っているようだ。


 姉は、各バスに顔を覗かせていった。


「準備は大丈夫ですかー?」


「はーい。炊飯器具なども詰め込み準備、万全でーす」


「それぞれの各班長さん、全員が集まったか教えてくださーい」


 班長たちが次々と姉に報告する。姉は手にした紙に丸印で、チェックしていく。もはや遠足状態だ。うちのトロンボーン1班からは、涼が報告をしにいった。


 姉も、バスに乗り込むや、手を挙げていった。


「よーし、いざ出発」


 バスは私たちを乗せて、近隣の自然公園なる場所に向った。


 2つほど山を越えた先にあるレジャー施設で、森林に囲まれた湖ではボートの貸し出しが行われている。小さい頃に姉と共に、よく遊びに来ていた場所でもある。


 調理スペースはないが、湖畔の周囲で、届けさえ出せば、バーベキューを楽しむこともできる。


 バスから降りると、早速私は深呼吸した。空気が美味しい。懐かしさを覚えた。


「わああ。陽子ちゃんと涼くんと、ここにはよく来たね」


「うん。そうだね。久々に来たなあ」


「うーたんとは、毎週のように遊びにきていたのだ。懐かしいのだ」


 ふみちゃんが、訊いてきた。


「あれ? ウサミちゃん、先輩たちとよくここに遊びにきていたのぉ?」


 私は、頷いた。


「そうだよ。ただっ広いだけの場所で何もないんだけれど、幼稚園とか小学生の頃は、それだけで十分だった。走り回ったりして楽しかったなあ」


「うん。うさちゃん、はしゃぎまわっていたよねー」


 ふみちゃんのすぐ真後ろから、姉がいった。ふみちゃんは、驚いている。


「あわわ。先生、いつの間に! 突然後ろから声がして、ビックリしましたぁ」


「ごめんなさいね、龍崎さん。ここは先生にとっても思い出の場所なのですよー。なんと、私の初恋の相手に告白した場所なのでーす」


「「「ええっ! そうだったの?」」」


 私も含めたみんなが、驚いている。


 姉は、肩を落としながらいった。


「でもフラれちゃいました。だって、その子、私の実の妹でもあったんです。ずっとお姉ちゃんが養ってあげるから結婚せずに家にいなさいっていったら、ヤダっていわれて振られました」


「ええ。ウサミのこと? ウサミ、そんなこといったっけ?」


 陽子が、ツッコんだ。


「というか、先生。それは初恋とはいわないのだ。シスコンというものなのだ」


 姉は、さらに首を落とした。


「きっと、うさちゃんが結婚にする時、お姉ちゃんは号泣しちゃうよ。オヨヨヨって」


「お姉ちゃん、でもね! ウサミだってお姉ちゃんがお嫁さんに行く時には、泣いちゃうと思うよ」


 陽子が、手を横に広げた。


「その前に、先生みたいな変人を、お嫁さんにもらってくれるという物好きな男性が見つかるかどうかが、問題なのだ」


「こらー、陽子ちゃん! 先生に向かって失礼ですよー」


 姉は、両手をあげて怒った。


 その後、私たちは、駐車場から歩いて、湖畔にやってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る