第18話

 本日は夏休み中の日曜日。合同での行進練習日だ。私たちはグラウンドに集合した。


 うちの学園はどの部も活発で、体育館同様にグラウンドの使用権を得るのも難しい状態となっている。なので、こういう合同練習は貴重なのだ。


 にしても……。


「うわぁー、暑いなあ」


 私は、呟いた。


 気温は34度。太陽に照らされて、髪の毛の上に手を置くと、熱が加わったフライパンのように熱い。


 この日の午前中は楽器を吹かず、部長の指示による行進だけの練習だった。しかし、暑さでダレてしまう部員が続出。結果、だらだらした行進となってしまう。


 部長が、眉間に皺を寄せながら私たちにいった。


「こらー! もっと、ちゃんとやるのでありますよー! なんでありますか、今のはー。幼稚園児のお遊戯でありますかー」


「神宮部長……む、無理です……」「そうですそうです」「もう、限界が近いです」


 部員たちが、次々にいった。


 部長は、大きくため息を吐いた。


「まったく……軟弱者ばかりでありますなー。本日の行進練習は一旦終了にするであります。各自、班ごとに分かれていつものように、班別練習を行うでありますよ。その前に報告があるので、待っているであります!」


 私は、ほっとして、腰を下ろした。私も、暑さで参っていたのだ。


 夏は、しんどい。


 何もしなくても体力が奪われていくのだ。


 遠くで、部長と姉とぼそぼそと話しているのが見えた。姉は暑さが苦手なので、夏休みは殆んど部には来ないが、一応は学園の職員なので出勤した日には、たまに顔を出す。


 学校の教師は、学生が休んでいる時にも、何をしているのかは不明だが、出勤しなくてはいけない日があるらしい。日曜日ではあるが、今日がその日らしい。


 そういえば、教師って、夏休みや冬休みの間のお給料ってどうなっているのだろう。


 部長が姉との話し合いを終えたようで、私たちに向かっていった。


「みなさん、以前からいってました今週末の『歩く登山会』について、宿泊施設との兼ね合いが取れたであります。よって、予定通り、決行するであります」


「えー。えー」「マジかよー」「うわああ」


 部員たちから、悲鳴のような声があがった。


「私たちはマーチング部。文化部と勘違いしてはいけないであります。当日までに、リタイヤしないだけの体力を各自でつけておくでありますよ!」


 私は、陽子に訊いた。


「陽ちゃん、そんなに歩く登山会って、みんなが嫌がるものなの?」


「地獄のような大変さではあるのは、間違いないのだ」


 部長が、話を続けた。


「このままでは先が思いやられます。体力をつけなくちゃ、いいマーチングができないのであります。いい区切りであります。私たちはこの機会に一気に体力をつけるのであります」


 マーチング部の『歩く登山会』とは、夏休みに行われる、体力をつけることを目的とした、ただただ歩いて、山にも登って、山頂でご来光を拝みながら、演奏を行うというマーチング部特有の行事らしい。


 歩く部と登る部の二つの部に分かれており、歩く部については、茨城県の70キロ歩くという実際にある学校行事をモデルにしたものだ。


 かつて、OBが気まぐれで始めたイベントが、今ではうちの夏の恒例行事となった。


 歩くのは、整理された道路ではあるが、山の中の道路だ。学園は山中にあり、周囲に幾つも山がつらなっている。足腰を鍛えるために、わざわざ遠回りしながら隣山まで行き、二日目にその登山を登頂するのだ。


 スケジュールとしては、1日目は朝から夜までひたすら歩いて、宿泊施設である伊座神社に到着後、仮眠を取る。そして、2日目の深夜に神社を出発。そのまま山頂を目指すのだ。そして、ご来光を拝みながら演奏を行うという流れとなっている。


「不満は受けつけないでありますよ。これまで続いてきた伝統なのであります。なお、楽器もみなさん各自で持ち歩くので。イベント日まで、特に重たい楽器の班は、ランニングや筋トレなどして筋力や体力を底上げしておくであります。では、解散! 班別練習を開始するであります」


 部長がそういって、校舎に入って行った。


 一年生は、このイベントに興味を惹かれている様子だが、二、三年の顔色はほぼ全員が暗かった。


 一体、どういうイベントなのだろう。


 その後、いつものように生徒会室で談笑した後、私たちはトロンボーンの練習を行った。


 ゴールデンウィーク前、一度きりしか合わせない『SWING、SWING、SWING』という課題曲を練習した時があったが、今回も同様に、その『歩く登山会』で合わせるためだけの課題曲を練習していた。


 曲はジブリの曲だ。


 この日の夜、私は夕食中に、姉に訊いた。


「ねえ。お姉ちゃんも『歩く登山会』で歩くの?」


「ううん。お姉ちゃんは、歩かないよ。登るだけ」


「えー。だったら1日目は何をしているの?」


「自動車に乗って、みんなの後ろからゆっくりとついていくの。予定時間内に要所要所のポイントを通過しなかった子たちを、回収しなくちゃいけないし、ちゃんとみんなが無事にコースから外れずに進んでいるのかも監視しなくちゃいけないの。置いてけぼりになったりして、事故などに巻き込まれていたら、大変だからね」


「ずっと涼しい自動車の中にいるんでしょ。ずっるーい。でも、お姉ちゃんのような仕事も、必要なんだろうね」


「お姉ちゃん、うさちゃんとかみんなが歩くの羨ましいよ。うさちゃん、こういう青春は学生時代じゃないとできないんだよ」


「そうなの?」


「お姉ちゃんは断言するよ、うさちゃん、きっと思い出ができるよ」


「ふーん。ウサミ、なんだかそれを聞くと、楽しみになってきちゃった。るんるん」


 ちなみに、私は純粋に楽しみにしていた。


 今週末に行われる『歩く登山会』。リタイヤしないように、体力をつけておこうと思った。


 とりあえず、夕食を済ませた後に、近所を走った。


 その翌日以降も、私は夜になると近所を走っていた。体力がものすごくなくて、400メートルもランニングするだけで息切れしたのには参った。しかし、徐々にではあるが、持久力が高まっていった。


 数日後、『歩く登山会』の日になった。


 私たちは、グラウンドに集まった。こうした歩くイベントで、楽器を持ちながら、というのは珍しいのではないだろうか。


「部長、なんで楽器をわざわざ持って歩くのですか?」


 部長は、当たり前であるかのような顔で答えた。


「それは、私たちがマーチング部だからに、決まっているでありますよ? マーチング部は、楽器を持って行進するのが常識ではありませんか?」


「まあ、確かにその通りなのですが……」


 トロンボーンは約2キロある。


 バッグを肩にかけながらなので、体力の消耗もかなりあるだろう。


 でも、ドラム班の人たちは、もっと大変そうだ。どれだけの重さかは分からないが、見た限りではトロンボーンなんかよりも断然、重そうだ。


 部長と姉が注意事項などを説明した後に、スタートした。


 注意事項は、車の邪魔にならないように歩きましょう、ということや水分補給をちゃんと取りましょうという内容だ。


 地図も配られたが、殆んど一本道で、迷うことは殆んどなさそうだ。私一人で歩いた場合は危うそうではあるが……。


 開始の合図の後、各班が歩き始めた。134名もいるので、かなりの長い列となった。


 私たち、トロンボーン班も校門を出て、路上を歩き始めた。


 山の中なので、上り道や下り道、カーブがたくさんあって、大変だ。


「ウサミ、マーチング部って文化系だと思っていたけれど、やっぱり体育系だったんだね」


 涼が答えた。


「まあ、楽器を吹きながらの行進しなくちゃいけないから、ある程度は体力がないといけないね」


 ずっと後ろから部長の声が聞こえた。最後尾の部員たちに喝を入れているようだ。


「こらー! 休むなであります! 歩くでありまーす」


「陽ちゃん、部長って体が弱いんじゃなかったっけ?」


「弱いのだ。でも、こないだ体育館前で倒れてから、体力をつけるためにジムに通って運動を始めたといっていたのだ」


「でも、律子部長、何も楽器持っていないですよねぇ。ずるいですぅ」


 ふみちゃん、文句をいう。


 部長は、指揮をするので基本的には棒を持っていればいい。


 正午に近づくにつれて、太陽が段々と上ってきた。とても暑くなってきた。


 班ごとの歩くペースが違い、差もでてきたようだ。先頭集団は遥か遠くの道路を歩いており、小さくなって見える。


 私たちはというと、殆んど最後尾に近いところを歩いていた。振り向くと、まだまだ距離が離れているとはいえ、姉の運転している車が見えた。


 車に乗せてもらいたい気持ちもある反面、リタイヤせずに『歩く登山会』をやり切りたいという気持ちもあった。


 この日のために、ずっと近所をランニングしていたのだ。


 しかし、陽子の心情は違うようである。


「くそおおお、たかが2キロの楽器なのにハンデなのだ。重いのだ」


 陽子は、木陰に入った。


「もうヤメタヤメタのだ! 私は、寝るのだっ!」


 えええええええ!

 木陰に入るなり、ゴロンと横になる。


「陽子ちゃん。こんなところで寝ない方がいいって」


「寝る場所なんて構っていられなーいのだ。暑いのだ。疲れたのだ。眠いのだ!」


 そういって、陽子は目をつぶると、すぐに鼻ちょうちんを出した。


 信じられない。本当に一瞬で眠った。

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