それでも魔女は毒を飲む。

人間 越

それでも魔女は毒を飲む。

 締め切られたカーテンの隙間から差し込むわずかに陽光が、ガラスでできたフラスコを照らす。机の上に横たわったフラスコの口からは死んだ苔のようどす黒い緑色をしていて、わずかにフラスコの中に残った溶液は太陽光に照らされ、何やらブクブクと泡立っていた。

 そんな見るからに危険そうな気体が日の遮られた薄暗い部屋をゆっくりと侵食ようとするそんな頃合いに、


「――っ! いかん」


 椅子の上で眠りこけていた部屋の主は慌てて飛び起きた。

 零れた溶液と倒れたフラスコを片付けるとカーテンを開け、窓を開く。久方ぶりに外の新鮮な空気が仄暗い部屋を満たした。

 部屋は全体的に雑然としていて、本棚にある小難しそうな本たちは傾いたり、床や机に散乱したりしている。またその他にも足場には瓶やらその他化学らしい実験器具があり、壊れているものも珍しくはない。また部屋の片隅は試験用の小動物たちが生死問わず所狭しと押し込まれ、さながらネズミたちのアウシュビッツだ。

 有様からして、主はとてもまともな神経の通った人間とは思えないことが分かる部屋であるが、その通りだ。

 この部屋の主は人呼んで、【劇物〈ドク〉使い】

 世の中の裏側で密かに続くデスゲーム、冥界戦線めいかいせんせん参加者プレイヤーである。

 冥界戦線とは、いつ、どこで、誰が始めたか謎のゲームであり、ゲームマスターを名乗る人物とのコンタクトによってのみ参加を許されるゲームで、参加者には身体のどこかに髑髏の紋様が刻まれ、異能――人の身にはあり得ない特異な能力を手に入れるのである。そして参加者は同じく紋様の刻まれた参加者を殺すのが目的であり、その報酬としてゲームマスターから望みが叶えられる。また、その際の殺人は、他プレイヤーについてのみすべて証拠が残らない無かったものとして処理され、罪に問われることはない。

 ゲームマスターの目的や参加者の選考基準などはすべて不明である。

 しかし、そんなことは【劇物〈ドク〉使い】にとってはどうでもいいことである。


「……ふぅ」


 眠気覚ましがてら淹れたコーヒーを呷り、劇物使いはようやく脳に血が巡るのを、思考回路が動き出すのを感じる。

 劇物使い。その名の通り、毒物を武器として冥界戦線を戦う参加者である。して、その容姿は草臥れた老人であった。伸びきった色素の抜け落ちた髪に、シワやシミに覆われた皮膚。鼻元には大きく膨れた疣があった。しかし、その中で一部分だけ、瞳だけが若さを失わずに爛々とした輝きを持っている。そのことが酷く不気味な印象を与えた。

 だが、冥界戦線の参加者で老人は稀である。参加者になる年はそれぞれ違えど、年老いてから呼ばれるケースはほとんどない。大抵が若い頃、三十代半ばくらいまで参加者になるのだ。つまりは、老いると言うことはそれだけの期間を生き残ったという証拠である。また自分が害するの相手のことを被検体モルモットと呼ぶという猟奇的な行動もあり、劇物使いは冥界戦線において危険人物としてみなされていた。


「毒みたいだな……」


 して、ようやく味蕾が機能したのか、劇物使いはコーヒーを飲み下してから時間差で苦々し気な表情を浮かべた。【劇物〈ドク〉使い】が、人の命すら弄ぶ毒を扱う男がコーヒーの苦さを毒呼ばわりするとは。


「結局、私には分からないよ」


 と、どこか遠い目をして劇物使いは呟いた。

 その言葉が意図するところは如何にあるのだろう。

 ただその瞳には、人々の言うような狂気は微塵もなく、ただただ年相応に物思い耽る人のそれに見えた。情とでも言うような、そう、昔を懐かしみ、或いは悔いているようなそんな瞳に見えた。


☆          ☆          ☆


 私が毒を作るときに、ふと考えることがある。

 それは彼女はどんな気持ちで毒を飲んだのだろうか。

 それだけは、どれだけ時間が経とうと、どれだけの人間をどんな毒で殺めようとも一向に解る気はしない。



 彼女、は魔女と呼ばれていた。私と同じ冥界戦線の参加者だ。そして、コンビを組んでいた。冥界戦線を生き抜くうえで群れることは常套手段だ。しかし、若かりし頃の私は、群れることを毛嫌いしていた。理由は、特にない。強いていうのならば、私が自由を求める化学者であるから、か。縛られることを何より嫌い、恨み、憎んでいたからだ。

 であれば、自由を求める彼女との出会いは、運命であり必然であった。

 冥界戦線を騒がさせるイリュージョニスト――殺人をアートと言う彼女は、退屈の破壊者、なのだそうだ。素晴らしい。そして、彼女は私の使う毒に目を付けた。

 当然、二つ返事で了承した。

 噂に聞くころから惹かれていたが、姿を目の当たりにして恋に落ちた。愛に目覚めた。

 そして私は彼女と組んだ。ともに死線を駆け抜け、退屈な生を送る人々を救済して回った。

 何もかもが上手く回っていた。

 しかし、今思えばその順風さこそが終わりへの前触れだったのかもしれない。

 大きな集団を相手にした。名前も思い出せない、冥界戦線をかつて牛耳っていたくだらない集団である。

 その集団との戦いの中で、彼女は捕まった。

 私は彼女に毒を持たせていた。しかし、それは自害するための毒ではない。私の異能により私は自分の毒の場所を感知できる。つまりは捕まっても助けに行く、と言うメッセージである。

 そのことは彼女にも伝えていたし、それを忘れるほど彼女は間抜けではない。

 しかし、彼女はその毒を飲んだ。

 しかも酷い拷問や、精神を奪われた状況ではなかった。彼女は自分の意志で毒を飲んだのだ。

 何せ、彼女ははっきりと私の前で言ったのだ。


 ――愛しい人。あなたに永遠をあげるわ。


 そして魔女は私の前から消えていった。


 ☆       ☆       ☆


 魔女、は死んではいない。

 当然でしょう? 永遠をあげると誓ったもの。

 私はあの戦いの最中、肉体を捨てた。魂を切り取られる、とでも言えばいいのかしら、おそらく異能によるものでしょうけど、まあ最悪の経験をした。そうして、一度は冥界へ行きかけた。まあ、紆余曲折あって辛うじて戻って来たものの、冥界の主は私を追って現実にまでやってきた。モテる女は辛いわね。

 しかしながら、現実においては見える世界が全て。

 姿さえ隠せれば連れ戻されないわ。

 そして私の能力は――過剰脚色イリュージョン――すなわち現実を変える力ね。それで毒の効能を透明になる、に変えた。生憎と冥界に生きるものの存在には抗えないけれど、現実にいるのならば姿を隠せば追跡も不能。

 かくして私はあの難を逃れたのでした。

 そして今はと言えば、約束通り彼とともにいる。

 あら、なんかヤバげな気体が。ほら、起きなさい。


『――っ! いかん!』


 跳ね起きた彼は、窓を開ける。

 まったく、危ないわね。こんなくだらない死に方したら承知しないんだから。


『ふぅ……』


 と彼はコーヒーを飲む。


『毒みたいだな……』


 ぶふっ! あなたがそれを言う?


『結局、私には分からないよ』


 まったく、まだいつまでそんなことを言っているのかしら。

 あなたと一緒にいる。

 そのためなら魔女わたしは毒だって飲むのよ。

                                                                        完

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