夜に沈む

天川累

夜に沈む

玄関のドアを開け家に入ると、1日の疲れが急激に押し寄せてきた。頭の先から足の底まで重みや倦怠感に蝕まれ、体中を締めつける暑苦しいスーツに激しい嫌悪感を抱いた。この自分という人間を最大限に抑圧した偽りの己の象徴を一秒でも早く脱ぎたくて、足早にワンルームの奥へと向かう。


やっぱり俺はこんなとこにいるべきじゃない。


ざっとシャワーを浴びて、ラフな部屋着に着替える。冷蔵庫からビールを1缶取り出し、帰り道のスーパーで買った半額になった唐揚げとテキトーな弁当を食べながらなんとなくテレビをつける。最近はおもしろいと感じるテレビも少なくなってしまった。

どうも出演者のリアクションがわざとらしく思ってしまったり、あの女優は性格が悪そうだとか、あの芸人は大しておもしろくもないのに売れてるだとか、あのアイドルは座って映像を見てちょっと喋るくらいでいくらもらっているんだろうとか、そういうことばかり考えてしまうようになった。これはテレビがつまらなくなったのか、それとも俺がオトナになってしまったせいなのかはよくわからない。なんとなくうっとおしくなってしまったのでテレビは消した。


窓から見える殺風景な夜景を眺めながらビールをちびちびと飲んでいると、母親から仕送りの段ボールが届いたことを思い出した。もう仕送りなんてもらう年じゃないよ、大学生じゃないんだし。何度もそう断っているのだが、毎月1回野菜や鍋のだし汁などが入った段ボールが必ず送られてくる。なにかしらで埋め合わせをしないとなとは思いつつ、結局できていない。


段ボールを開けるといつも通り野菜と調味料、日持ちする乾燥食材などが入っていた。そこまではいつも通りだった。

しかし、一番下に何やら分厚い書籍のようなものが入っている。不思議に思い手に取ってみるとずっしりと重かった。この厚み、この重さ、どこかで見覚えがある。カバーを外し表紙を見る。懐かしい。高校の卒業アルバムだ。きっと母のことだ、実家の掃除をしているときにたまたま見つけて同封しておいたのだろう。卒アルを開くのは何年ぶりだろうか。年甲斐もなくワクワクしながら中を開くと高校の思い出が鮮明に蘇ってきた。

あの頃は、ただひたすらに楽しかった。朝、学校に着くとそこには必ず気の合う仲間がそろっていて、退屈な50分間をなんとかしてやり過ごして、昼にはバカ話をしながら昼食を共にし、放課後はまっすぐ家に帰ることなどほぼなかった。甘酸っぱい思い出もなくはなかったし、先生に怒られることなんて日常茶飯事だった。あの頃はただ大人に抵抗することだけが自分たちのアイデンティティを守る唯一の方法だと信じていたから必死だったんだろうな。

ペラペラと卒アルをめくると、あるページで手が止まった。そこはC組のクラスページなのだがそこにははっきりと覚えている人物が一人いる。


相川 守


相川、元気にしてるかな。今は何をやっているんだろうか。相川は高校の人物の中でも一番忘れられない存在だ。単純に仲が良かったのもあるだろう。

しかし、これほどまでに俺の心に残り続けているのには大きな理由がある。それは相川との約束だった。相川とは一年の最初から仲が良かった。仲良くなったきっかけは、、なんだったかな。そうだ、同じバンドが好きだったんだ。そんなことで?と思うかもしれないが、高校生にとって同じバンドが好きだということはこれほどなくテンションがあがることなのだ。そこから本気で打ち解けるまでさほど時間はかからなかった。2人で音楽観について朝まで語り合ったこともある。そこでお互いバンドの影響で少しギターをかじっていることもわかった。そして1年の夏、俺は決定的な誘いを受けた。


「2人でユニット組んで音楽をやらないか?」


何も考えていなかった俺は二つ返事で了承し、ユニットを組んだ。そこからは暇があればお互いの家にギター持参で集まり、曲といえるかわからない曲を作り続けた。途中で定期試験や補修に邪魔されることも多かったが、なんとか乗り越えまた2人で集まった。高校生のお遊びとしか思えないような曲を動画サイトにアップしたこともあった。再生数や評価は思うようにいかなかったがそんなこと気にならないほど毎日が楽しかった。

しかし、3年になると受験の関係で集まる機会が減っていった。今思うとこれが終わりの始まりだったのかもしれない。受験が終わって大学に入学した時に何回か集まったが2人ともギターは持ってこなかった。相川は自分で創作を続けているようだったが俺はなんだか無意味なことをしているようで音楽から手を引いた。音楽という共通の趣味を失った2人は徐々に会う回数も減っていきついには全く合わなくなった。そんな状態の2年の冬、相川から久しぶりに一通のメッセージが来た。


「もう一度、音楽をやる気持ちはない?」


このメッセージを見たとき、ひどく落胆したのを覚えている。もうとっくに音楽なんてやめたと思っていたからだ。まだそんなこと続けているの?いい加減現実をみろよ。そんな言葉をぶつけたくなったが必死にこらえこう答えた


「ごめん、興味ない。」


嘘をついた。音楽に興味がなくなったわけじゃない。相川と一緒に応援していたバンドは今でも好きだし、また2人で夢を追うのも悪くないと思っていた。でも、俺には決定的に才能と勇気がなかった。周りのプロと戦いあう自信が自分にはまったくなかったのだ。だから才能という言葉を使って逃げた。同じくして俺は、大学に進学し、どこかの会社に就職し、平均年収で安定した暮らしを得るという社会全体の大きな目標。その大きなレールから外れる勇気すらなかったのだ。

今になって時々思う。あの時相川の誘いに乗っていれば、俺は都内で正社員なんてやっていなかったんじゃないかって。



そんなことを考えていると夜がだいぶ更けてしまって慌ててベッドに入る。明日も仕事だ。こんなことを考えている時間はない。ベッドの中で目をつむり、意識を夜に溶かしていく。


本当は気づいているんだ。本気で音楽をやりたいなら今からでも十分間に合うことを、今から相川にメッセージを送ったとしてもきっと快く受け入れてくれることを。それでも俺はまだ敷かれたレールから抜け出すことはできないんだ。きっとこれからも、ずっと。意識が遠のいていく。感覚的に眠りに入ることがわかる。


夜に、沈んでいく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜に沈む 天川累 @huujinseima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ