3.
玄関の扉が閉まると同時に、僕はふうと息を吐き出した。外にいる間は上手く呼吸出来ているかが分からなくなる。
だが自宅なら別だ。完全なプライベートはここにしかない。ベッドの上にチャイルズを置き、帰宅と同時に完成するよう設定されているコーヒーをカップに注いだ。
遥か遠く、イエメンから届く不思議な味わいを舌で転がしながら、ごくりと飲み込む。そのほんの一瞬だけ、僕はアラビア半島の住人になれる。
しかし、そわそわと足先が騒ぎ出す。視線は何度もチャイルズの方を向く。カップを流しに放り出し、僕はベッドに突っ込んだ。
――やっぱり外損が一番難しい。
やっぱり。その言葉は何も実験の中だけを指すのでない。
――考え込む段階はとうに過ぎた。
それは「罪悪感や疑念」を指しているわけではない。
――嘘は人間の持つ最も優れた機能の一つ。
そう、僕はみんなに嘘をついている。
人事異動なんてあってはならない。僕はこのまま一生、あの研究室に縛り付けられたい。延々と赤子を傷つける貧乏くじで良い。
実験を始める前から外損が一番難しいと知っていたのは、すでにそれを実行済みだったから。
考え込んでいたのは、この衝動をプライベートな空間以外で抑えられなくなりそうだったから。
嘘をついているのは、それがあまりに人間的で、あまりに非人道的な感情であるから。
赤子の首に手をかけながら、僕は考える。
何故だろう。幼い命をこの手で支配できる時にこそ、僕は途方も無い快楽を味わえる。そのルーツはどこにあるのだろう。
その答えを知りたくて、あるいは単純にリアルとフィクションの狭間にあるものだからこそ、たびたびチャイルズを持ち帰っては壊し続けている。それはストレスのはけ口にもなるし、マスターベーションにも相当する。
ああ、でも、どうしようか。
ホクトは僕が何をしているか、もう分かっているのだろうか。彼の性格上、誰かに話すような事はないだろうし、僕がチャイルズとどんな「一夜」を過ごしているかに興味なんて無いかもしれない。
けれど、ああ。恥ずかしくなる。プライベートを覗かれたら誰だってそう感じるはずだ。
チャイルズの首がぐにゅりと曲がりだす。まだ未発達な頚椎を模した感触はゴムのように弱々しくまた生々しい。
より一層の力を込める。教えてくれ。君達はどうすれば僕の思いに答えてくれる。
チャイルズは継続的な苦痛を検知し、設定されたフェイシャルモーションを再生する。
やはりまだ完全ではない。物足りない。ああそうだ、生きたいという欲求が無いからか。明日はそのアプローチを試してみよう。生きたくて生きたくてたまらない彼らに仕立て上げよう。そうして明日は切り刻もう。家庭用ナイフで刺される場面を想定し、赤いドレスを作ってあげよう。
嘘は人間を飾る最良のスパイスかもしれないけれど、真実が無ければ料理にならない。
そういう思考をしているときはとても楽しい。けれどどうしても、彼の顔がちらついて邪魔になる。
もし、もしもホクトが僕の秘密にこれ以上立ち入ろうとしたら。腕に過剰なほど力が入る。
僕に真実を話させようとしたら。
ぎちぎちぎち。皮膚の軋む音が漏れる。
その時はどうしようか。
ぱき、ぴき。
そんな事したくないけれど、でも。僕は僕のことを守ってあげたいから。
ぎゅううう。
こうするしか無いのかなぁ。
ぱきゅっ。
……首が折れた。機能停止。
まだ夜は長いというのに。
明日からは二体持ち帰ることにしよう。
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